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4.『武器屋』
しおりを挟む「この泥棒猫が!」
わたしは紫の襟首をつかんだ。彼女のまとうのは、わたしの衣装だ。つかまれた手を外そうとわたしの甲に爪を立てる。
部屋を出た隙に、紫がたんすから盗んで行った。豪奢な羽織だ。それを着て宮様の前で琴を引いたこともある夕霧花魁の一張羅だ。
「うるさいね! 店を出て行くんなら、今更こんなもの要らないじゃないか」
「それとこれとは話が別だ。返せ!」
廊下に及んでの騒動に、昼前で暇な遊女が遠巻きにのぞいている。
娘が店に売られて遊女になる。売った金は多くは親元へ行く。わたしの場合不明だが。
売られた遊女は店で働く。そうしながら店に借金を繰り返す。売り上げだけでは足りない衣装や生活費を賄うために。
わたしの残った借金は身請けに絡め、高司家が精算してくれた。だから、衣装は完全にわたしのものだ。
その一つ一つが『武器屋』での日々が凝ったもの。わたしの一部だ。使わないからと簡単に手渡せるものではない。ましてや、勝手に盗んで行くなど論外だ。
紫の爪がわたしの甲を引っかいた。痛みに、すねを思い切り蹴ってやった。すっ転んだ彼女に馬乗りなる。
そこへ声がかかった。楼主で、とりなすように言う。
「めでたい日に止めないか。まったく、猫の喧嘩みたいで手が出せない。ほら、紫を放してやりなさい」
「謝るまで退かない」
「厄ごともらってやろうっていうのに。ケチ臭い女だね」
紫は薄く涙をにじませなながらもにらみ返す。泥棒が何を言う。腹が立ち、頬を張ろうと手を振りかざした。
そこで、楼主が腕を取りわたしを羽交締めにした。
「許してやれ」
何かが違うと感じながら、力で紫から離される。腕を振り解こうとした時、目に楼主の姿が映った。彼は紫を助け起こしてやっている。
では、この腕は誰だ?
振り返ると、わたしの腕を取っているのは柊理だった。迎えをやると聞いていた。まさか、本人が現れるとは思いもよらなかった。
みっともないところを見られて、気まずくなった。
「放せ」
腕を取り戻し、背を向ける。
「彼女にくれてやれ。厄ごと引き受けてくれるって言うんだ。ありがたいじゃないか」
「簡単に言うな」
紫はさりげなく楼主に寄り添い、小首を傾げてこちらを見ている。根性は大根みたいに太いくせに、なよやかに見せる手管だけは一流だ。腐れ公家が。
「高司様が直々にお迎えに来られたんだ。早く支度をしたらどうだい」
楼主に追い立てられ、部屋に戻る。柊理もついて来た。彼は座敷でのんびりタバコを吸っている。
風呂上がりの浴衣のまま紫と取っ組み合っていた。
「時間外の妓楼は面白いものが見れるな」
「うるさい」
昼見世の前に迎えが来る予定だったから、まだ時間があるとたかをくくっていた。
と、おちょぼがたとうに包まれた呉服物を持って来た。わたしの前で広げる。お召だ。目でひと撫でするだけで上質な品とわかる。
その後で柊理を見た。着ろと勧めるように彼は顎で衣装を指す。
寝所に移り、おちょぼの手を借りて着替えた。髪は結ってあったから、さっきの立ち回りで乱れた箇所を直した。
化粧をと思ったが、もう柊理は客ではない。
座敷に戻る。彼はくわえタバコでわたしを眺めた。
「あんたは化けるな」
「狐のように言うな。…衣装をありがとう」
遊郭を出ることのないわたしは、着るものを持っていない。この日も、女中から小紋でも借りようと考えていた。
「幾らでも買ってやる。だから、あれはくれてやれ」
あれとは、柊理の視線の先にある衣桁に掛かった花魁衣装だ。
彼からもらった着物は織の巧みさか、とても軽い。ずっしりと重みのある花魁の打ち掛けとはまるで違う。
その違いを知った今、自分が『武器屋』を出るのだと、芯から信じることができた。
うなずいた。
「そなたは吝嗇ではなかったか? 女の着物は無駄遣いだろう」
「姫にかける金は無駄じゃないだろ」
「ふうん。麒麟の餌は金がかかるの」
柊理は指でわたしの口を封じた。ちょっと怖い目で言う。
「その話は俺からする以外は口にするな」
「…わかった」
部屋を出る時、振り返った。姫の居室を模したきらびやかな部屋だ。ここでの五年が、頭を前に戻せば終わる。
「おいで、おちょぼ」
「はい、姉様」
当たり前に彼女を伴うと、柊理が口を挟んだ。
「その子を連れて行くのか?」
「いけないのか?」
彼女を置いて行くなど考えもしなかった。ずっと面倒を見てきた子供のような妹分だ。
おちょぼは可愛い子だが、いい意味でも悪い意味でもクセがない。贔屓目を抜きにしても花魁に育つとは思えない。遊女止まりなら、先が苦しい。それもあって置いていきたくなかった。
「俺は姫の分しか借金を払ってない。その子は別で、『武器屋』に借金がある」
「そうだな。おちょぼは見習いで客を取っていない。でもそなたなら払えるだろう」
「親があるんだ。勝手に俺が身請けできるものじゃない」
遊郭に娘を売り、その稼ぐ娘をカタに追加で勝手に借金を重ねていく。『武器屋』の女たちにとっての親は、疫病神でしかない。
「どんな親でも親だ。その承諾が要る」
柊理の言う「親」が、「神」に聞こえた。疫病神でも神は神と。
「そうなのか…?」
心細そうにわたしを見るおちょぼに目をやってから、彼を見た。柊理は苦笑し、首を振った。部屋の外へ大声を出す。
「おい、『武器屋』!」
ほどなくして、楼主が急ぎ足でやって来た。
「いいじゃないか、夕霧。きれいにしてもらったね」
柄がいいの仕立てがいいの。贈られた着物をほめそやす。わたしの身請けでたっぷり稼いだからか、いつにも増して朗らかだ。
「この子を一緒にもらい受けたい」
柊理は胸のポケットから小切手帳にを取り出した。何やら書き付け、ちぎって楼主に渡す。
楼主が目を丸くした。その様子から、かむろの身請けには破格の金額なのだろうと見当がつく。
柊理は有無を言わせぬ声音で、
「問題があれば、『武器屋』で処理してくれ。ごたごたは一切聞かん」
と言い切った。
「高司様、それはもう、はい。必ず!」
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