上 下
4 / 35

4.『武器屋』

しおりを挟む

「この泥棒猫が!」


わたしは紫の襟首をつかんだ。彼女のまとうのは、わたしの衣装だ。つかまれた手を外そうとわたしの甲に爪を立てる。


部屋を出た隙に、紫がたんすから盗んで行った。豪奢な羽織だ。それを着て宮様の前で琴を引いたこともある夕霧花魁の一張羅だ。


「うるさいね! 店を出て行くんなら、今更こんなもの要らないじゃないか」


「それとこれとは話が別だ。返せ!」


廊下に及んでの騒動に、昼前で暇な遊女が遠巻きにのぞいている。


娘が店に売られて遊女になる。売った金は多くは親元へ行く。わたしの場合不明だが。


売られた遊女は店で働く。そうしながら店に借金を繰り返す。売り上げだけでは足りない衣装や生活費を賄うために。


わたしの残った借金は身請けに絡め、高司家が精算してくれた。だから、衣装は完全にわたしのものだ。

その一つ一つが『武器屋』での日々が凝ったもの。わたしの一部だ。使わないからと簡単に手渡せるものではない。ましてや、勝手に盗んで行くなど論外だ。


紫の爪がわたしの甲を引っかいた。痛みに、すねを思い切り蹴ってやった。すっ転んだ彼女に馬乗りなる。


そこへ声がかかった。楼主で、とりなすように言う。


「めでたい日に止めないか。まったく、猫の喧嘩みたいで手が出せない。ほら、紫を放してやりなさい」


「謝るまで退かない」


「厄ごともらってやろうっていうのに。ケチ臭い女だね」


紫は薄く涙をにじませなながらもにらみ返す。泥棒が何を言う。腹が立ち、頬を張ろうと手を振りかざした。


そこで、楼主が腕を取りわたしを羽交締めにした。


「許してやれ」


何かが違うと感じながら、力で紫から離される。腕を振り解こうとした時、目に楼主の姿が映った。彼は紫を助け起こしてやっている。


では、この腕は誰だ?


振り返ると、わたしの腕を取っているのは柊理だった。迎えをやると聞いていた。まさか、本人が現れるとは思いもよらなかった。


みっともないところを見られて、気まずくなった。


「放せ」


腕を取り戻し、背を向ける。


「彼女にくれてやれ。厄ごと引き受けてくれるって言うんだ。ありがたいじゃないか」


「簡単に言うな」


紫はさりげなく楼主に寄り添い、小首を傾げてこちらを見ている。根性は大根みたいに太いくせに、なよやかに見せる手管だけは一流だ。腐れ公家が。


「高司様が直々にお迎えに来られたんだ。早く支度をしたらどうだい」


楼主に追い立てられ、部屋に戻る。柊理もついて来た。彼は座敷でのんびりタバコを吸っている。


風呂上がりの浴衣のまま紫と取っ組み合っていた。


「時間外の妓楼は面白いものが見れるな」


「うるさい」


昼見世の前に迎えが来る予定だったから、まだ時間があるとたかをくくっていた。


と、おちょぼがたとうに包まれた呉服物を持って来た。わたしの前で広げる。お召だ。目でひと撫でするだけで上質な品とわかる。


その後で柊理を見た。着ろと勧めるように彼は顎で衣装を指す。


寝所に移り、おちょぼの手を借りて着替えた。髪は結ってあったから、さっきの立ち回りで乱れた箇所を直した。


化粧をと思ったが、もう柊理は客ではない。


座敷に戻る。彼はくわえタバコでわたしを眺めた。


「あんたは化けるな」


「狐のように言うな。…衣装をありがとう」


遊郭を出ることのないわたしは、着るものを持っていない。この日も、女中から小紋でも借りようと考えていた。


「幾らでも買ってやる。だから、あれはくれてやれ」


あれとは、柊理の視線の先にある衣桁に掛かった花魁衣装だ。


彼からもらった着物は織の巧みさか、とても軽い。ずっしりと重みのある花魁の打ち掛けとはまるで違う。


その違いを知った今、自分が『武器屋』を出るのだと、芯から信じることができた。


うなずいた。


「そなたは吝嗇ではなかったか? 女の着物は無駄遣いだろう」


「姫にかける金は無駄じゃないだろ」


「ふうん。麒麟の餌は金がかかるの」


柊理は指でわたしの口を封じた。ちょっと怖い目で言う。


「その話は俺からする以外は口にするな」


「…わかった」


部屋を出る時、振り返った。姫の居室を模したきらびやかな部屋だ。ここでの五年が、頭を前に戻せば終わる。


「おいで、おちょぼ」


「はい、姉様」


当たり前に彼女を伴うと、柊理が口を挟んだ。


「その子を連れて行くのか?」


「いけないのか?」


彼女を置いて行くなど考えもしなかった。ずっと面倒を見てきた子供のような妹分だ。


おちょぼは可愛い子だが、いい意味でも悪い意味でもクセがない。贔屓目を抜きにしても花魁に育つとは思えない。遊女止まりなら、先が苦しい。それもあって置いていきたくなかった。


「俺は姫の分しか借金を払ってない。その子は別で、『武器屋』に借金がある」


「そうだな。おちょぼは見習いで客を取っていない。でもそなたなら払えるだろう」


「親があるんだ。勝手に俺が身請けできるものじゃない」


遊郭に娘を売り、その稼ぐ娘をカタに追加で勝手に借金を重ねていく。『武器屋』の女たちにとっての親は、疫病神でしかない。


「どんな親でも親だ。その承諾が要る」


柊理の言う「親」が、「神」に聞こえた。疫病神でも神は神と。


「そうなのか…?」


心細そうにわたしを見るおちょぼに目をやってから、彼を見た。柊理は苦笑し、首を振った。部屋の外へ大声を出す。


「おい、『武器屋』!」


ほどなくして、楼主が急ぎ足でやって来た。


「いいじゃないか、夕霧。きれいにしてもらったね」


柄がいいの仕立てがいいの。贈られた着物をほめそやす。わたしの身請けでたっぷり稼いだからか、いつにも増して朗らかだ。


「この子を一緒にもらい受けたい」


柊理は胸のポケットから小切手帳にを取り出した。何やら書き付け、ちぎって楼主に渡す。


楼主が目を丸くした。その様子から、かむろの身請けには破格の金額なのだろうと見当がつく。


柊理は有無を言わせぬ声音で、


「問題があれば、『武器屋』で処理してくれ。ごたごたは一切聞かん」


と言い切った。


「高司様、それはもう、はい。必ず!」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

恋と眼鏡

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私のご主人様である華族の祐典さまは、優しくて気さくな方だ。 前の屋敷を追い出されて死にそうになっていたところを、助けてくれたのは祐典さまだ。 それには感謝しているけれど、お菓子を勧めてきたり、一緒に食事をしたらいいとか言ったり。 使用人の私がそんなことなどできないと、そろそろわかってほしい。 ――それに。 最近の私はどこかおかしい。 祐典さまの手がふれたりするだけで、心臓の鼓動が早くなる。 これっていったい、なんなんだろう……?

竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える

たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。 そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。

airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。 どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。 2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。 ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。 あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて… あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?

初恋に敗れた花魁、遊廓一の遊び人の深愛に溺れる

湊未来
恋愛
ここは、吉原遊郭。男に一夜の夢を売るところ。今宵も、一人の花魁が、仲見世通りを練り歩く。 その名を『雛菊』と言う。 遊女でありながら、客と『情』を交わすことなく高級遊女『花魁』にまでのぼりつめた稀な女に、今宵も見物人は沸く。しかし、そんな歓声とは裏腹に雛菊の心は沈んでいた。 『明日、あちきは身請けされる』 情を売らない花魁『雛菊』×吉原一の遊び人『宗介』 華やかな吉原遊郭で繰り広げられる和風シンデレラストーリー。果たして、雛菊は情を売らずに、宗介の魔の手から逃れられるのか? 絢爛豪華な廓ものがたり、始まりでありんす R18には※をつけます。 一部、流血シーンがあります。苦手な方はご自衛ください。 時代考証や廓言葉等、曖昧な点も多々あるかと思います。耐えられない方は、そっとブラウザバックを。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

処理中です...