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45、移ろわず、枯れない
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ダイアナとハミルトン氏の婚儀は慎ましく終わった。その夜、新婚夫婦はスタイルズの館に泊まり、翌日旅立つことが決まっている。
教誨師会館で執り行われた式には、地域の人々が集い、新郎新婦の門出を祝福した。その際にダイアナが着たドレスは母と姉妹が心を込めて縫った品だった。
嬉しさと幸福も全身に纏った姉をエマはうっとりと眺めた。
(本当にきれいだったわ)
式の後でダイアナが脱いだそれをエマは受け取り、自分の寝室の壁に吊った。次は彼女がそれを着る番だ。メイドの手も借り皺にならないように旅行鞄詰めた。
スタイルズ家の人々は、ハミルトン氏の邸のあるホープ州へ向かう。そこでしばらく滞在し、次は北西部グロージャーに旅を進める。エマとレオの結婚式は彼の地所で行うことが決まっているからだ。
アシェルはすっかり健康を取り戻し、初めての旅に興奮気味だった。母も至極目的の明るい旅に嬉しげな表情を隠さない。そして、少女時代を過ごした村を再び訪れることが叶うのが、何より心が躍るらしい。
新婚夫婦二人とジュリア・アメリア姉妹は別の馬車だ。エマと母、アシェルはもう一方に乗った。いずれもハミルトン氏の所有する豪華なものだ。
「キースはいい青年ね。一家を代表して式にも出席してくれて。あの子がダイアナのことを思ってくれていたのは、わたしも知っていたのよ」
馬車が走り出してすぐに、そんな言葉をもらす。昨日の式にキースは参列してくれていた。
長くダイアナに恋した彼が、その場にいる辛さは想像に難くない。多忙な父の名代を務める彼を偉いとさえ思った。元々、キースに悪感情は持っていない。
妹のオリヴィアの姿はなかった。
(あんなことのあった後だもの……)
流石に気まずいはずで、スタイルズ家の姉妹の前に顔を出すことはなかった。幼なじみだったが、それはそれでいい。無理をして参列してもらっても、互いにいい気分の訳がない。
旅に興奮し、朝早くから起き出していたアシェルが、うとうととし出した。母は自分の膝に頭を置き、横にさせる。それを見て、馬車の旅では疲れればすぐに横になれる幸せをふと思う。
「シェリングの駅まで寝ていらっしゃい」
シェリングは馬車の駅で繁華な地だ。そこで旅人は休憩や宿を取る。あらかじめ、そこでお茶の休憩を取る計画だ。今回は子供も女性も多い旅で、ハミルトン氏はのんびりとした旅を企画してくれてある。
アシェルが寝入り、しばらくして、
「これは、幸せの最中のダイアナに言わないでね。あの子、自分のせいだと気に病むかもしれないから」
そう前置きした。エマは母の言葉に気持ちがもやもやとし出す。
「なあに? お母様」
「昨夜、メイドに聞いたのよ。前にね、ボウマンのお邸で、ちょっとした騒ぎがあったらしいの。キースとオリヴィアが大喧嘩をしたのだって…」
「兄妹だもの、喧嘩くらいするのじゃなくて?」
内容が軽く、エマはほっとする。我の強いお姫様気質の妹に、温和なキースだって譲ってばかりはいられないのではないか。
「そんな優しいものじゃないらしいの。とにかく、キースがオリヴィアをかなり強く責めたらしいわ。オリヴィアも黙っている子じゃないから。いつにない諍いで、メイドも驚くほどの剣幕だったそうよ」
それで周囲に話がもれ広がった訳だ。それにしてもやはり兄妹喧嘩だ。悪口の達者なオリヴィアには、邸内の使用人も慣れているはず。
「その後で、オリヴィアが邸から消えたというの」
「え」
「……今、陸軍の連隊が駐屯しているでしょう。その中の将校さんと…、駆け落ちしたというのよ」
「まさか……」
「嘘じゃないようよ。書き置きがあったとか。だから、知事は大慌てで探しに出られたらしいの。とりあえず、オリヴィアの憧れていた王都へ行かれたらしいわ。キースが式で名代を務めた訳はこれなのよ」
母は打ち明けて眉を顰めた。弱ったように首を振る。
ダイアナの結婚にショックを受けた彼が、妹に当たり喧嘩になった。それが引き金で、オリヴィアは家を飛び出し駆け落ちをした……。
「キースがダイアナを思ってくれていたことは、この辺りじゃ皆が知る事実よ。今回の要因になったと取れなくもない…」
「お母様、それは違うわ。ダイアナの結婚とキースたちの兄妹喧嘩は、全然別の話よ。ダイアナには何の落ち度もないじゃない。言いがかりなほどのレベルだわ」
「わかっているわ。うちとは関係がないことよ。キースとは縁談のような本格的なお話もなかったのだし…。けれど、ダイアナは優しいから、彼に同情するかもしれないわ。だからよ」
エマは吐息した。母の心配は理解出来た。
結婚の後の幸せな旅の途中。知れば、関係がないと知りつつも、暗い気持ちにはなるだろう。よく知ったボウマン家の不幸は、自身の幸福との違いが際立って鮮明なはずだ。
オリヴィアとはレオを見送る際にひどく罵られて以来、会っていない。ダイアナの結婚と自身のそれも相次いで決まり、家同士の間で手紙や使者のやり取りも頻繁で、忙しくしていた。
仲違いをした幼なじみのことは、すっかり頭の隅に追いやられていた。
「ええ、言わないわ」
「そうして頂戴ね。遅かれ早かれ、知ることになるのだろうけれど……」
既に、他家の使用人にも噂が回っている。現に母はそれで知った。この状況では、主だった家々には同じ話が伝わってしまっていることだろう。
親や家の了解を得ない当人同士の駆け落ちは、大変な醜聞とされた。急ぎ追って結婚させ、駆け落ちの事実をなかったかのように誤魔化すくらいしか決着がない。後手であってもせめてそうしなければ、家の体面が保てなかった。
「でも、どうして? オリヴィアにそんなに親しくしていた方があったの?」
「さあ、知事邸には連隊の将校さんたちがたくさんいらしていたようよ。彼らが来て以来、あちこちで催しも盛んだったし、きっかけはどこにでもあったわ」
エマは結婚が近く、身内の所以外では外出を控えていた。連隊で賑わう社交の様子も遠かった。だから、絶交したに近いオリヴィアの近況など知りようがなかった。
「夫人がお気の毒ね。あの子の将来には期待をかけていたはずなのに…。一緒の将校さんも、駆け落ちを実行するほどだもの。オリヴィアの立場をちゃんと考えてくれる人物とは思えない。親としては堪らないわ」
「ボウマン家は名門だから、相手の男性は身分違いを気にしたのかも……。それでも、オリヴィアへの思いが強かったから…」
「どうであれ、そんな手段を取る人は信用がならないわ。オリヴィアだけでなく、ボウマンの家名に泥を塗る行いだもの。女の側の立場を重んじてくれる男性でなければ、親は納得しないものよ。そういった当たり前に手抜きをする人は、妻を大事に考えなどしないわ。身勝手なだけの未熟者よ」
「お母様…」
普段温和な母には珍しい強い断定だった。
ダイアナとエマ二人の相次ぐ結婚に、この母は否やはなかった。娘たちがいいのならという、のどかなほどの様子で了承を与えてきた。
(でも違うわ)
ハミルトン氏はスタイルズ家を重んじてくれたし、ダイアナの他その弟妹へも親切を絶やさなかった。レオも、最初から母にまで丁重だった。そして再会後も、スタイルズ家を思って心を砕いてくれてきた。
(だから、二人を信用したのだわ)
心配性ではあるが鷹揚な母は、見るべき箇所はきちんと見ている。だからこそ、同じ親としてボウマン家への同情が溢れるのだろう。
「上手くことが運べば良いけれど」
ため息に続いた言葉に、彼女は母の手を取って頷いた。
「あなたにもこんな重い話をしてごめんなさいね。オリヴィアとは同じ年の幼なじみだもの。後で、尾鰭の付いた噂で知る方が残酷かと思ったのよ」
「ええ。後で知った方がショックだったろうと思うわ」
それで話は終わった。
車窓の景色の移り変わりに、衝撃も流れて行く。微かに揺れる馬車の振動は、旅にあることを絶えず彼女へ知らせてくれる。
そして、この旅の終わりはレオとの未来につながっていた。離れて一月に満たない。婚約者である彼からは手紙も届いた。
その中にあったある文面が彼女の頭によみがえり、咄嗟に頬を手で押さえた。彼に会いたくなり、眠る前、繰り返し読んだことも思い出す。
『…気づけば君のことばかり頭に浮かんで、自分でもどうかしていると思う。
君の髪に触れたい。頬に指を置いて口づけたい。
花のような匂いのする身体を抱きしめたい。
早く会いたい。可愛い顔を見たいんだ。
思いが上手く伝わるか自信がない。
なぜって、これが僕の初めて書く恋文になるのだから…』
教誨師会館で執り行われた式には、地域の人々が集い、新郎新婦の門出を祝福した。その際にダイアナが着たドレスは母と姉妹が心を込めて縫った品だった。
嬉しさと幸福も全身に纏った姉をエマはうっとりと眺めた。
(本当にきれいだったわ)
式の後でダイアナが脱いだそれをエマは受け取り、自分の寝室の壁に吊った。次は彼女がそれを着る番だ。メイドの手も借り皺にならないように旅行鞄詰めた。
スタイルズ家の人々は、ハミルトン氏の邸のあるホープ州へ向かう。そこでしばらく滞在し、次は北西部グロージャーに旅を進める。エマとレオの結婚式は彼の地所で行うことが決まっているからだ。
アシェルはすっかり健康を取り戻し、初めての旅に興奮気味だった。母も至極目的の明るい旅に嬉しげな表情を隠さない。そして、少女時代を過ごした村を再び訪れることが叶うのが、何より心が躍るらしい。
新婚夫婦二人とジュリア・アメリア姉妹は別の馬車だ。エマと母、アシェルはもう一方に乗った。いずれもハミルトン氏の所有する豪華なものだ。
「キースはいい青年ね。一家を代表して式にも出席してくれて。あの子がダイアナのことを思ってくれていたのは、わたしも知っていたのよ」
馬車が走り出してすぐに、そんな言葉をもらす。昨日の式にキースは参列してくれていた。
長くダイアナに恋した彼が、その場にいる辛さは想像に難くない。多忙な父の名代を務める彼を偉いとさえ思った。元々、キースに悪感情は持っていない。
妹のオリヴィアの姿はなかった。
(あんなことのあった後だもの……)
流石に気まずいはずで、スタイルズ家の姉妹の前に顔を出すことはなかった。幼なじみだったが、それはそれでいい。無理をして参列してもらっても、互いにいい気分の訳がない。
旅に興奮し、朝早くから起き出していたアシェルが、うとうととし出した。母は自分の膝に頭を置き、横にさせる。それを見て、馬車の旅では疲れればすぐに横になれる幸せをふと思う。
「シェリングの駅まで寝ていらっしゃい」
シェリングは馬車の駅で繁華な地だ。そこで旅人は休憩や宿を取る。あらかじめ、そこでお茶の休憩を取る計画だ。今回は子供も女性も多い旅で、ハミルトン氏はのんびりとした旅を企画してくれてある。
アシェルが寝入り、しばらくして、
「これは、幸せの最中のダイアナに言わないでね。あの子、自分のせいだと気に病むかもしれないから」
そう前置きした。エマは母の言葉に気持ちがもやもやとし出す。
「なあに? お母様」
「昨夜、メイドに聞いたのよ。前にね、ボウマンのお邸で、ちょっとした騒ぎがあったらしいの。キースとオリヴィアが大喧嘩をしたのだって…」
「兄妹だもの、喧嘩くらいするのじゃなくて?」
内容が軽く、エマはほっとする。我の強いお姫様気質の妹に、温和なキースだって譲ってばかりはいられないのではないか。
「そんな優しいものじゃないらしいの。とにかく、キースがオリヴィアをかなり強く責めたらしいわ。オリヴィアも黙っている子じゃないから。いつにない諍いで、メイドも驚くほどの剣幕だったそうよ」
それで周囲に話がもれ広がった訳だ。それにしてもやはり兄妹喧嘩だ。悪口の達者なオリヴィアには、邸内の使用人も慣れているはず。
「その後で、オリヴィアが邸から消えたというの」
「え」
「……今、陸軍の連隊が駐屯しているでしょう。その中の将校さんと…、駆け落ちしたというのよ」
「まさか……」
「嘘じゃないようよ。書き置きがあったとか。だから、知事は大慌てで探しに出られたらしいの。とりあえず、オリヴィアの憧れていた王都へ行かれたらしいわ。キースが式で名代を務めた訳はこれなのよ」
母は打ち明けて眉を顰めた。弱ったように首を振る。
ダイアナの結婚にショックを受けた彼が、妹に当たり喧嘩になった。それが引き金で、オリヴィアは家を飛び出し駆け落ちをした……。
「キースがダイアナを思ってくれていたことは、この辺りじゃ皆が知る事実よ。今回の要因になったと取れなくもない…」
「お母様、それは違うわ。ダイアナの結婚とキースたちの兄妹喧嘩は、全然別の話よ。ダイアナには何の落ち度もないじゃない。言いがかりなほどのレベルだわ」
「わかっているわ。うちとは関係がないことよ。キースとは縁談のような本格的なお話もなかったのだし…。けれど、ダイアナは優しいから、彼に同情するかもしれないわ。だからよ」
エマは吐息した。母の心配は理解出来た。
結婚の後の幸せな旅の途中。知れば、関係がないと知りつつも、暗い気持ちにはなるだろう。よく知ったボウマン家の不幸は、自身の幸福との違いが際立って鮮明なはずだ。
オリヴィアとはレオを見送る際にひどく罵られて以来、会っていない。ダイアナの結婚と自身のそれも相次いで決まり、家同士の間で手紙や使者のやり取りも頻繁で、忙しくしていた。
仲違いをした幼なじみのことは、すっかり頭の隅に追いやられていた。
「ええ、言わないわ」
「そうして頂戴ね。遅かれ早かれ、知ることになるのだろうけれど……」
既に、他家の使用人にも噂が回っている。現に母はそれで知った。この状況では、主だった家々には同じ話が伝わってしまっていることだろう。
親や家の了解を得ない当人同士の駆け落ちは、大変な醜聞とされた。急ぎ追って結婚させ、駆け落ちの事実をなかったかのように誤魔化すくらいしか決着がない。後手であってもせめてそうしなければ、家の体面が保てなかった。
「でも、どうして? オリヴィアにそんなに親しくしていた方があったの?」
「さあ、知事邸には連隊の将校さんたちがたくさんいらしていたようよ。彼らが来て以来、あちこちで催しも盛んだったし、きっかけはどこにでもあったわ」
エマは結婚が近く、身内の所以外では外出を控えていた。連隊で賑わう社交の様子も遠かった。だから、絶交したに近いオリヴィアの近況など知りようがなかった。
「夫人がお気の毒ね。あの子の将来には期待をかけていたはずなのに…。一緒の将校さんも、駆け落ちを実行するほどだもの。オリヴィアの立場をちゃんと考えてくれる人物とは思えない。親としては堪らないわ」
「ボウマン家は名門だから、相手の男性は身分違いを気にしたのかも……。それでも、オリヴィアへの思いが強かったから…」
「どうであれ、そんな手段を取る人は信用がならないわ。オリヴィアだけでなく、ボウマンの家名に泥を塗る行いだもの。女の側の立場を重んじてくれる男性でなければ、親は納得しないものよ。そういった当たり前に手抜きをする人は、妻を大事に考えなどしないわ。身勝手なだけの未熟者よ」
「お母様…」
普段温和な母には珍しい強い断定だった。
ダイアナとエマ二人の相次ぐ結婚に、この母は否やはなかった。娘たちがいいのならという、のどかなほどの様子で了承を与えてきた。
(でも違うわ)
ハミルトン氏はスタイルズ家を重んじてくれたし、ダイアナの他その弟妹へも親切を絶やさなかった。レオも、最初から母にまで丁重だった。そして再会後も、スタイルズ家を思って心を砕いてくれてきた。
(だから、二人を信用したのだわ)
心配性ではあるが鷹揚な母は、見るべき箇所はきちんと見ている。だからこそ、同じ親としてボウマン家への同情が溢れるのだろう。
「上手くことが運べば良いけれど」
ため息に続いた言葉に、彼女は母の手を取って頷いた。
「あなたにもこんな重い話をしてごめんなさいね。オリヴィアとは同じ年の幼なじみだもの。後で、尾鰭の付いた噂で知る方が残酷かと思ったのよ」
「ええ。後で知った方がショックだったろうと思うわ」
それで話は終わった。
車窓の景色の移り変わりに、衝撃も流れて行く。微かに揺れる馬車の振動は、旅にあることを絶えず彼女へ知らせてくれる。
そして、この旅の終わりはレオとの未来につながっていた。離れて一月に満たない。婚約者である彼からは手紙も届いた。
その中にあったある文面が彼女の頭によみがえり、咄嗟に頬を手で押さえた。彼に会いたくなり、眠る前、繰り返し読んだことも思い出す。
『…気づけば君のことばかり頭に浮かんで、自分でもどうかしていると思う。
君の髪に触れたい。頬に指を置いて口づけたい。
花のような匂いのする身体を抱きしめたい。
早く会いたい。可愛い顔を見たいんだ。
思いが上手く伝わるか自信がない。
なぜって、これが僕の初めて書く恋文になるのだから…』
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