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18、リュークという人

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ダイアナと村に行った帰りだ。手紙を出す用を済ませ、そこで、配達前の手紙を幾つか受け取った。母のものに交じり、姉宛のものがあった。ハミルトン氏の娘ジュリアからのものだった。

 それらを手に、通りを歩く。行き合った商店の人が声をかける。

「スタイルズのお嬢様。奥様に、明日のご注文は確かに承りましたとお伝え下さい」

「母は何を頼んだの?」

「ご招待をなさるそうで。品のいい魚をご注文です」

 姉妹は顔を見合わせる。母から誰かを招いての晩餐のことは聞いていない。高価な魚を注文するのは、母がちょっと気を入れた招待の証拠だ。

 誰であれ、近隣の人物には違いない。

(ダイアナの件で、とうとうキースがお母様に打ち明けたのかも)

 母は姉の心情は知らないはずで、キースからの求婚は願ってもない良縁に思えるだろう。

 村外れの草原に出た。そこでエヴィを連れたリュークと行き合った。

 挨拶を交わし、連れ立って家路に向かう。少し先をエヴィが駆ける。

 リュークの登場に、エマは少し二人から距離を取った。姉の気持ちは知っていた。しかし、彼が姉を気に入っていることも事実だ。

(リュークさんは素敵だもの。ダイアナの気持ちだって、どう変わるかわからない)

 ボンネットを押さえ、教誨師館の屋根に目をやった。

 不意に彼女に声がかかった。リュークだ。

「村へは何か用事で?」

「ええ。手紙を出しに。散歩がてら、手紙の配達を待たずに行くことも多いのです」

「村まで結構距離があるのに、この辺りの女性はよく歩きますね」

「そうかしら? 外を知らないので。慣れているから、何とも思わずにいました」

「エヴィはここで育って、幸せだ」

「そう思って下さると、わたしたちは嬉しいですわ」

 言葉を返しながら、エマには自分にばかり話しかけるリュークが意外だった。彼女を無視しない儀礼的な会話には、少し長すぎる気がした。

 そこで、ダイアナが言う。

「エマ。わたし、先に帰ってもいいかしら? 手紙を読んでしまいたくて」

 姉の手にはジュリアからの手紙があった。彼女は驚いたが、納得のいく思いつきだ。ジュリアからの手紙には、再びハミルトン氏からの便りも入っているかもしれないのだから。

「ええ」

「じゃあ、リュークさん、よろしければ我が家へお茶に寄っていらして」

「はい、伺います」

 先を小走りに行くダイアナの背をエヴィが追いかけた。館にいるアシェルに会いたいのだろう。少女は振り返り、父親に手を振った。声の届かないほど距離が出来た。二人は手を取り歩いて行く。

 エマの歩調に合わせ、リュークはゆっくりと歩く。

「エヴィは朗らかで活発ないい子ですね」

「ああ、そのようです。ミス・ハンナの教育もいいのでしょう。兄が甘やかし過ぎるように思うが、まあ、たまにしか会えないわたしには文句も言えない」

「我が家の父が亡くなったのは、アシェルが三歳でした。奥様はエヴィの幾つの時にお亡くなりに?」

 リュークの返事がない。立ち入ったことを尋ねたのか、とエマは慌てた。妻の死は、それを送った夫には神聖な事柄のはず。エヴィの話の延長のつもりで、つい口にしてしまった。

「ごめんなさい。失礼でしたわ。今のは忘れて下さい」

「いや。それは誰から聞いたのですか? 兄がそのように?」

 怪訝そうな声だ。彼を見上げると困った表情を見せる。不快な様子はなかった。

「妻は死んでいませんよ。いや、元妻か」

「え」

 次はエマが困る番だった。

 バート氏は姪を、母のいない子と紹介した。単純にそれをエマたちは母親を亡くしたのだと受け取った。

 誤解の元になったのは、アシェルの存在だ。弟もより幼い頃に父を亡くしていることから、勝手にそう理解した。

(そういえば、ウェリントン領地の晩餐でエヴィのお母様の話が出て、バートさんが困ったお顔を見せたことがあった)

 その場にいたベルが会話を逸らせ、その話はそれきりになった。あの違和感はここにつながるのか。

(離婚なさったのだわ)

 死別でなくても、個人の繊細な部分の話題だ。他人が易々と触れていいものではない。

 エマは居心地が悪くなった。やや俯いて、なだらかな草原を見つめる振りをした。

「兄が説明したものだと思っていました。ダイアナさんもエヴィを影のない気丈な子だと褒めてくれたが、去った元妻のことを指すのだとばかり」

 ダイアナの場合、ハミルトン家の幼い姉妹のことも念頭にあったに違いない。彼女たちも母を亡くしているからだ。

 エマは十分言葉を選んだ後で言った。

「エヴィはお母様に会うことはありますの?」

「会わせる気はありません。兄も許さないでしょう」

 断言するように返され、彼女はまた言葉を失う。先に帰ってしまったダイアナを羨ましく思った。

「隠す気はないから言います。元妻はわたしが軍務に就いている間に、エヴィを置いて逃げたのです。あの子がまだ赤ん坊の頃だ」

 エマは驚きに口元を指で覆った。幼い我が子を、どんな理由があれば置き去りに出来るのだろう。

 彼女の様子をちらりと眺め、リュークは淡々とつないだ。

「兄が艦を下りる三年前までは、姉が面倒を見てくれました。その後は、兄が育ててくれています」

「……元の奥様はどうして?」

「さあ。軍人の妻の生活が理想とは違い、虚しくなったのでしょう。そんなようなことが手紙に書いてありました。我々は年の半分以上は海に出る。待つのが務めだとは知っていたはずなのに」

 夫の帰宅を待ち侘びる妻側の寂しさ辛さは、同じ女性として理解出来る。しかし、だからといって子供を置き去りにして家を出るのは、許されることではない。

(リュークさんたちが、エヴィをお母様に会わせたくないと言うのも当然だわ)

 それらを聞き、エマもダイアナがエヴィに持った印象と同じものを感じる。

「姉の言うように、やはりエヴィは影のない気丈な子ですわ。もちろん、育った環境も良いのでしょうね」

「姉は街暮らしです。利便性はあるが都会は奢侈に流され易い気がして、わたしは好みません。引き取った兄も、エヴィのことを考えて田舎の土地を探したそうです」

「ふふ。田舎では牛を前に着飾ってもしょうがないもの」

 自嘲したのでも自虐な訳でもない。彼の言葉が彼女の持つ感覚に合ったから、自然に出た軽口だった。

 リュークはエマの言葉に笑った。

「勘違いしないでほしい。こちらを家畜だらけと言っているのではないのだから。こちらの社交界は魅力的ですよ。善良な人々が集ってのどかに過ごしている。あの兄も牙を抜かれて、すっかり好々爺めいてきた」

「でも悪人もいますわ」

「どんな?」

「村の商店で会計を誤魔化す夫人とか……。よそのお宅のシガーを何本も上着に仕舞い込む方もいます」

 リュークが肩を揺らして、長くおかしがっている。

 何か妙なことでも言ったのかと、彼女は首を傾げた。

 やっと笑いを引っ込めた彼が、呟いた。

「それは大悪人だ」
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