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愛のある関係がいい

10、わたしのゴール

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「…何人いてもいいんじゃないですか?」

 美馬君の言葉に彼を見た。それがわたしが話したことへの遅れての返事だと気づいた。彼を見る。
美馬君は窓へ肘を置き、暗い車窓を見ていた。ガラスに彼の顔が映る。

「僕は、実の父親とあまり縁がないんです。その代わりに、僕らへのつなぎ役の人がいました。僕を「ぼん」と呼んで、優しかったです。その人のことを父親だと思っていたこともあります。それに、気の強い叔母が父の役目を果たしてくれた面もあるし…」

 現在のバイト先にも、こういう風な大人になりたいと思わせてくれる年上の存在もあるという。

「そういうのも、父親みたいな影響だと思うんです」

「へえ…」

 うんと年上のわたしの方が間抜けな相槌しか出てこない。彼は自分の経験や境遇はレアケースだと言った。「人にも言えないし」と笑う。

 総司と重なる訳ではないが、彼は縁の薄い実の父親を子供心にどう思っていたのか気になった。

「実のお父さんをどう思っていたの? あんまり会えなかったんでしょ?」

「たまに母と僕の家に来ることもありました。後で別に家庭があることを知りました。僕たちは父にとっての別宅だったんです。そんな場所が複数あることも。大きな経済事犯で実刑を受けたこともあるとか。母は「旅行」と僕に言い訳していたけれど…」

「え」

「…子供だったからか影響も薄いし、だからか憎むことはありませんでした。会えないのは悪いことばかりじゃないと思います。その分美化する面もあるけど、いつの間にかあきらめみたいな距離が生まれるんです…。僕の父親の中ではランキング最下位ですよ」

 彼はちょっと笑う。複数の父親対象を持ち、それを心でランク付けするというのは意外で驚いた。最下位に位置付けておけばいい。だから何人いたっていいじゃないか。彼はそう言うのだろう。

 懐の広い人だと思った。打ち明けられず、人との違いに疎外感も持っただろう。その果てに強いこんなかっこいい男の子になった。

 それは奇跡でも何でもなく彼本来もので努力だ。総司にはこんな力が欲しいと望んだ。

「きちんとした家庭の人から見れば、欠格とか落第とかそういう人間なのかもしれないけど、それで、自分も捨てられないしあきらめられないし…」

「こら」

 何となく彼の腕をつかんで、ぎゅっとつねった。彼にはそんな卑下する言葉を自分に使う理由がない、責任がない。

「すごいね、美馬君。外見だけじゃなく、中身もかっこいいんだね。目も心も潤すホストになれるよ」

「ホストって、また…」

「お母さん、素敵な人だったんだろうね。いいママだったんだ…」

「見た目、雅姫さんにそっくりですよ。顔の骨格も似てるからかな、声まで一緒に聞こえる」

「へえ。わたしに似たのか、君は」

「ははは、血のつながらない親子もいいですよ。平気で息子にホストを勧められる。あ、すみません。僕みたいなでかいのじゃ、雅姫さんが若いのに気の毒ですね」

「ううん」

 わたしは笑った。

 元夫の話がきっかけになったが、ここまで自分をさらしてくれる美馬君は初めてだった。総司を思って、自分のことを参考にしてほしいと思ってくれたのかもしれない。それでも思いがけない。心を開いてきてくれたのかと嬉しかった。

 彼はこれまで、用心しいつき合う人を選んできたのだろう、そう思った。だから、きっと色々条件のいい都内の大学ではなく、他県のそれを選んでいる。それでも、周囲に身の上話は避けて来たのではないか。

 避けて堪えた分吐き出してしまいたい欲求は強いはず。成長しきれいに気持ちを処理したかの彼が、どこかで母親を求めた意味にちょっと触れた気がした。

 恨みごとではなく怒りでもなく。

 それは甘えだろう。

 面影の通うわたしに彼が親しんでくれるのは、母に似るその顔を見て思い出の母へ胸の内で告げたかったのかもしれない。

 頑張って来たんだと。

「強い子だね、美馬君偉いね」

 母親ぶってこんな言葉をかけたのではない。単純に言いたかっただけ。素敵なものをいいねと褒めるのと同じ。
 
 彼の涙には遅れて気づいた。知らない振りで済まそうかと迷った。しかし、美馬君が手の甲で目をこすりながら照れたように笑った。

「雅姫さんが言うなら、ホストになろうかな」

 可愛いと思った。こんな息子を持てる母親はとても誇らしく幸せだろうと思う。その役がわたしには荷が勝ち過ぎているのはわかる。これまで通り彼の前で何気ないわたしでいよう、そう誓った。互いにそれが一番居心地がいいだろうから。

「割り引いてね。いろはちゃんと行くよ」

 と笑い合った。
 
 

 実家に用があり総司を連れて帰ったときだ。ダグに会った。近況を告げるついでに、ふと美馬君のことを話してみた。出自の詳細は言わず、複雑な生い立ちの悩みを彼なりにどう昇華していったのかを言う。

「目から鱗っていうか、心配しなくてもいいんじゃないかって思えたよ」

「そうだろうね、放っておくのは論外だけど、雅姫が気を揉み過ぎるのもよくないね。君にもソージにも」

 そして美馬君のことを「宝物みたいな青年だね」と評した。なぜか嬉しくなり、「こんな子だよ」とケイタイの写真を見せた。いろはちゃんとのツーショットだ。それをのぞいたダグがちょっと首を振る。

「何?」

「アキヒコ(沖田さんの名)も心配だね。君や妹の側に、こんな目が吸いつくようなきれいな子がいたら」

 と笑う。笑いながら「咲姫には見せないで。本物が見たいと騒ぎ出すから」と。

 確かに。

 姉は結婚前に有志と美僧が目当ての寺巡りをしていた人だ。それでダグを捕まえた勇者でもある。この美馬君を見たらきっと「わたしにも会わせてよ!」ときんきん声を出しそう(彼は僧侶ではないがこの美形なら姉の守備範囲だ)。

 日常をこなしながら、怪我以来休みがちだった同人を再開した。描き溜めていた物を集めて手を加え、薄い新刊を出す。これはネットとアンさんが出るイベントに委託販売をお願いした。せめてものお礼にと、彼女の新刊の挿し絵と販促用ノベルティのイラストを描かせてもらった。

『友だちだからお返しとか大げさに言いたくないんだけど、うちにいらっしゃいよ。こじんまりと、でも心の温まるごく身内の小さな集まりをするから』

 そもそもこっちがお返しのつもりなんだが。以前にも彼女には豪華なお邸に招かれもしていたから、これは咲夜さんを誘い総司も連れ伺った。

 濃く楽しい時間になった。何だかんだでこの二人とは気が合う。

 帰ってその話をしたら、いろはちゃんが身をよじって内容を聞きたがった。「同人界噂の『奇跡のトリオ』の新たな萌えのマリアージュについて、どんなお話をしたのか触りだけでも、教えて下さい!」

 彼女は色んな新語を作るが今度も笑った。萌えって、マリアージュしちゃうんだ。話したことって、下品なBL話を咲夜さんが始め、それをアンさんが美麗な言葉で言い直し(内容はは変えず)、わたしがやっぱり下品な言葉で返す…。みたいなどうでもいいことばかりだ。楽しいんだけどね、本人たちは。

 そんなことを言っても、いろはちゃんは目をきらきらさせる。

「言葉の遊びから、次なる万人に訴える萌えを生み出していくんですね。さながら宮廷のサロンのようです!」

「いや、BLは万人に訴えないよ、きっと。ははは」

 その際に、咲夜さんとの合同本の話もつき、またわたしはせっせと描き出している。千晶が三枝さんの会社との契約切れを機に別の出版社から出した「彼女の同人誌」も売れている。わたしはその数ページに彼女の過去の相棒としてお邪魔させてもらったが、その反響が結構すごくて驚かされた。

 自分の宣伝用のブログにはそのコメントであふれた。たまに悪口めいた批判もあるが、概ね好意的に捉えてくれている。「久しぶりの商業誌ですね。今後のご活躍、お祈り申し上げます」などの嬉しい言葉が多い。

 商業誌か…と千晶の活動の場が自分には遠い世界に思える。今回は本の趣旨にも合い彼女のコネで描かせてもらったが、その威光で描くのはこれで最後にしたいと思った。千晶にだってわたしのために自分のネームバリューで雑誌の誌面を割かせるようなつもりもないだろう。

 それとは別で、例えば「本の挿し絵を描かせる人が欲しい」そんな話を彼女がもし拾うことがあれば、投げてくれれば喜んで引き受けたいと思う。こんな曖昧な線引きはおかしいのだろう。だが、わたしの中では譲れない気がする。

 長くブランクのあったわたしの描くものが、商業誌のレベルには達していないとの冷めた判断もある。

 ペンに積もった埃を払い描き出してBLを始めた。人真似をして売れるジャンルで創作をし、そのごく狭い世界では認めてもらえている。ちょっとコアで読む人を選ぶようなものを作ってしまうのは、同人での売れを意識もし、そしてわたしの好みの傾向なのだと気づいた。

 それでは商業作家としては幾つかが足りず、無理だと思う。

 楽しんで描いている。それなりに稼げてもいる。沖田さんに寄りかからなければとても先行き不安だが、家計にも入れ、総司にしてやれることや自分の身の回りには何とかなる。
何より、それでわたしが満足してしまっていることが大きいのかもしれない。あきらめではなく納得だ。そんなわたしには同人という形がぴったりと合っている、そう思う。

 そんな話を沖田さんにした。そういえば、この彼はわたしには一度もマンガの仕事をあてがってくれたことはない。コネならたくさんあるはずなのに。職を持って来てくれたことはあるが、あれは事務とか別種のものだった。復活したわたしの描くものが売れるプロのレベルにはないことは、目のある彼にはわかっていたようだ。

 わたしの自己分析には触れず、

「お前は何より欲がない。これに尽きる」

 その後で、好きにしたらいいと言う。

「儲けはもう考えずに好きなことを好きなだけ描いたらいい。それを欲しがる人はたくさんいる。プロになるのが全ての、そんなのが作り手のゴールでもないだろ」

 嬉しかった。この人は、どうしてわたしの気持ちをこんなにも理解してしまうのだろう。当たり前のように、それをさっと差し出してくれる。

 だから、彼が好きなのかもしれない。

 魅かれた理由なら他にもあるはず。でも困ったとき泣きたいとき、嬉しいとき。そして恥ずかしいようなときにも、この人はわたしを正しく受け止めてくれる。

 出会ったのは十三年も前。同人遊びに夢中で勘違いした思慮も足りない女の子だった。それでも好きでいてくれたと言うが、わたしはそれに気づきもせずいつもどこか別の場所を見ていた。

 再会してからは、出戻りの同人女と元編集者。昔と立ち位置は似ているのに、前とは違う距離で向き合うことが増えていった。わたしは徐々に彼に気持ちが傾いて行ったが、彼はどうだったのか。

 昔好きだった女が歳を取り、ちょっとやつれて苦労している。そんな図に同情心を刺激されたのかも…。

 二人になったときだ。なさそうでそんな時間は結構ある。休日の買い物帰りの車の中や眠る前の静かなひととき…。千晶の家からの帰りの車中で彼に聞いた。どうやって、またわたしを選んでくれるようになったのか。総司は後ろの席で眠ってしまっている。

 昔は、彼が自分を好きだなど知りもしなかった。知ったとしても興味を持ったかどうか。「へえ」と笑ってそれに紛らせておしまい。そんな気がした。だが今は知りたくて、彼の言葉をちょっと息をつめて待つ。

「次作のネタにでもするのか?」と空っとぼけようとするから、腕を軽くつねった。

「けち、教えてよ」

「どこがけちだ。要らないと言われても指輪を買ったし、さっきバンパー擦っても文句言わないし…」

「ごめんなさい、バンパーはちょっと見切りを誤って…。へへ…」

 彼はわたしの頬に触れ、「いいよ」と言う。

「定期メンテのついでに直してもらうから」

「ごめんね、ありがとう」

「何の話だっけ? 総司の遠足の話か?」

 してねーよ。

 違う、ともう一度問いを重ねた。再会してどうしてわたしをまた選んだのか…。

「言ったことあったぞ、前に。忘れたな?」

「そうだっけ?」

「…お前しかいなかったんだよ」

「だから、どうしてそうなるの?」

「いきなり家に現れて俺がどれだけびっくりしたか…。同人再開したって言うし、何か訳ありっぽいし…。変なシャチョーとか、『アタシのチ○コを忘れないで』とか…」

 確かにあった事実だが、自分に関わることだけにその羅列には耳を塞ぎたくなる破壊力がある。
しかし、『アタシのチ○コを忘れないで』…。覚えていたのか沖田さん。ちょっと忘れ難いだろうが。

 彼は「まあ、とにかく」と強引にまとめる。

「焼けぼっくいに火が点いたんだ」

「今度はあきらめなるのは止めた」とつないだ。以前はあきらめたのだろうか。その気のないわたしに彼の気持ちが冷めたのかと思っていた。

 相槌も打たないわたしに、

「前はあきらめたんだ。これと言って何もしなかったけど、無理だと思った。すぐにお前も結婚を決めてしまったし…」

 ふうんと相槌を打ってから「でも」と彼に問う。

「人妻だったよ」

「でも、決めたんだ。今度は絶対あきらめないって」

 その言葉に心がしんとなった。何気なく彼は話すがそうではない。それは重みのある大きな告白だ。ちょっと言葉が見当たらない。

 しばらく黙って彼を見た。

「おっさんの純情は気色悪いだろうが、年を取るのは悪いばかりじゃないな。雅姫に対しても前にはない余裕もあったし、出来なかったことができる。それに、実のところ振り向かせる自信もあった」

 やや傲慢にも取れる物言いは気にならなかった。彼の自信には実体があるから。ただ、自分がそれほどに触れなば落ちん、といった物欲しげな様子だったのかと、恥ずかしくなる。彼はそんなわたしを元夫との違いに目がくらんでいるとは思わなかったのか。

「わたしがお金目当てだとか思わなかったの? 沖田さん」

「それでもよかった」

「え」

 驚くと、彼は「シャチョーのお手当ての誘いを断っといて、何を言ってんだ?」と笑う。忘れていたアレを思い出す。ああ、そんなこともあったね。

「揉めたりして…こんなに早く離婚できなかったかもしれないのに?」

「いらいらしながらでも待ったよ。それも年の功だな」

 黙ったわたしの手を彼が握った。「今までがどうであれ、俺たちはこうなったし」とちょっとだけ後ろを振り返り、

「総司もいる」

 そうだねとわたしは短く返す。嬉しかった。感激に気持ちが昂ぶった。この人が好きと、つきんと胸を感情が衝いてくる。握ったままの手を引いて口元に寄せた。
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