ため息とあきらめ、自分につく嘘〜モヤモヤは幸せのサイン?!〜

帆々

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愛のある関係がいい

7、新たな門出と感情

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 千晶の家に泊まってほどなく、わたしは沖田さんの家への引っ越しを迎えた。

 前もってあっさりばっさりかなり始末していたので、荷物も少ない。ダンボールに二箱とそれに総司のものが大き目のバックに収まった。手伝いと紹介を兼ねて姉が一緒になった。彼の車にそれらを積む際に、姉は目を細めて嘆く。

「あれだけしかないの、あんたの物」

 持ち出す荷物が少な過ぎるという。

「少ない方が身軽でいいじゃない。あんまり物持つの好きじゃないし」

 嫌な事件があってまだ日も浅い。この家を責めるのではないが、ここであったこもごもの過去を引きずりたくない。せっかく環境ががらりと変わる。だから、本当に要るもの以外は処分してしまった。

「わたしなんか小学校の時買ってもらった編み機、まだしまってあるよ。前の彼が作った彫刻とか…。そういうのないの? 大事な思い出の物が」

 ややなじるように言う。

 愛着ある懐かしのおもちゃはともかく。なぜ、姉が元カレの作った彫刻をまだ持っているのかが知りたい。

 聞けば声を潜めた。家の前に停めた車の側で総司と話している沖田さんを気にしているよう。
「覚えてるでしょあの人、美大生だった…。その後教師になったらしいけど。もしかしたら、何かの賞とって有名になるかもしれないじゃない。そしたらアレも値打ちが付くに決まってる」

 だから捨てないのだという。夫婦の寝室の押し入れの天袋に横になっているらしい。「油断すると、お父さんが捨てそうだもん」
 
「…ねえ、その人、何で姉ちゃんに彫刻なんかくれたの?」

「わたしが欲しいって言ったの、確か、クリスマスとかに。物欲なさげに見えて可愛いと思ったの」

 と物欲にまみれた姉がそんなことを言う。かつての彼氏作の彫刻…。重くて気合の入ってそうな贈り物を今も大事にとっておける姉の鈍感さが羨ましい。わたしにはきっと無理だ。

 そこへ、彼が「出ようか」と声をかけた。わたしと姉がひっそり話し合っているのをどう見たのか、ちょっと首を傾げている。
簡単な荷をトランクに積み、おしまいだ。後部座席に姉と総司が乗りわたしは助手席に乗った。エンジンをかけながら彼が聞く。

「どうかしたか? さっきお姉さんと深刻そうにしてたけど…」

「…ううん、天気のこと。降りそうだって…」

 隠すことでもないが姉の名誉のために誤魔化した。彼は実家の寺の坊守を務める姉を出来がよく品のいい人だと勘違いしている。

「そうか…」

 わたしの答えにあまり納得のいかない口ぶりだった。「大丈夫か?」と聞く。すべての処理が済みこの家を後にするわたしが、センチメンタルにでもなって姉に心配されていたとでも考えたのかもしれない。

 ないない。

「うん、すっきりしてる」

 明るい声で言っておく。嘘はない。

 ひょっとして、他愛ない勘違いとそれへの罪のないフォローで、円滑な人間関係は築かれているのかもしれない。そんなことをちらりと思った。

 新しい住まいとなる彼の家では、妹のいろはちゃんが出迎えてくれた。姉ともどもしつこい挨拶を互いに交し合う。

 引っ越しともいえない作業で、昼前には終えられた。お昼ご飯は姉が重箱に詰めた手製のお弁当を振舞ってくれた。たけのこの土佐煮や高野豆腐の煮物、ブリの照り焼きにだし巻き卵と海苔巻などなど…。姉は手まめなところは亡き母に似て、料理も実にうまい。

 これに沖田兄妹は感激していた。わたしに同じことを期待されても困るんだが。まあ、知ってるか、沖田さんは。

 食事が済めば「子供のスイミングのお迎えに」とぼろを出さない間に、姉は帰って行った。寺の仕事もあり実際忙しい人だ。今日だって、のほほんと見えるが時間の無理もしてくれているはず。彼の運転する車で駅まで送り、今日の礼を言って別れた。

 その帰り道だ。

 この日まで、互いにゆっくり話す機会がなかった。その二人きりになった途端、発した言葉がぶつかり合う。

「聞いたか? あれ」

「あのことで聞きたいんだけど」

「あれ」も「あのこと」もどっちも千晶の妊娠の件だ。それにすぐに気づいて二人でふき出した。
 
 あれやこれやあって引っ越しが済んだ。その新生活のスタートに最初に交わす話題が、これだ。構えていた訳ではないが、彼の家に総司と共に荷物を置いたときからあった肩の凝るようなこわばりが緩む気がした。

 ちょっと間の後だ。

「聞いたんだな」

「うん、びっくりした」

 沖田さんは頬の辺りをかきながら、「…まあしょうがないな、できちゃったもんは」とつぶやくように言う。

 へえ…。

 身勝手だの向こう見ずだの、散々彼女には叱り散らしたと聞いたのに。気持ちのガス抜きは済んだらしい。

「いいの?」

「いいも悪いも、俺が決めることじゃないだろ」

「ふうん…。千晶は沖田さんにすんごい怒られたって、ぼやいてたよ」

 千晶の彼のあられもない発言を受けての「人の下半身の事情はほっておいて」のくだりを思い出し、顔がにやついてしまう。

「千晶、ママの自覚、もうちゃんとあるみたい」

 彼はちらっとわたしを見た。空いた方の手でぽんと頬を軽く突く。「千晶に甘いからな、雅姫は」とつぶやいた。

 どうでもいいと無関心に許すのではなく、そこに一端の責任を含みながら許しているつもりだ。少し無理をしても彼女を助けたい。

 そう、おかしな過去話をしながらも、妹の新生活に当たり前にお弁当を詰めた重箱を提げて来てくれた今日の姉のように。

「あいつが母親…。できるのかな、本当に」

「一人じゃ無理だよ。あんなきつい仕事もしながらなんて…」

 そこで、わたしは彼女にも言った同じ話を繰り返した。三枝さんの協力がベストだと思う、と。

 彼はしばらく黙っていた。三枝さんの奥さんのことを考えているのだろうか。病身だというその人に与える心痛と、自分の申し訳なさを思うのかもしれない。若い時分にせいぜいお世話になった、恩ある人だと聞くから…。

 三枝さんの育児への協力を頼む話の前に、子供の認知の件もある。妻である人に隠すことなどできない。

 ちょっとだけ長い吐息の後で彼は口を開いた。

「他人が口出す問題じゃないだろうけど、必要があれば俺が事情を伝えに行ってもいい」

 沖田さんは、子の認知を遺産や養育費の放棄があれば叶うのでは、と千晶に言っている。千晶に経済的な不安はないが、それらのものは将来の子供の権利だ。自身のことも思い出し、生前に勝手に奪ってしまうのは、よいのかどうなのか…。

 それに沖田さんは頷いてから言う。

「認知の条件になったのなら、千晶も譲らざるを得ないんじゃないか」

「三枝さんが認めないこともある?」

「親子鑑定くらいは求めるかもしれない。嫌な顔をするなよ、いきなりこんな話される男の身にもなれよ。確証くらいほしいだろ」

 彼の言葉に表情を歪めたつもりはない。嫌な話だとは感じたが。何となく手の甲で頬をこすった。

「千晶、どうかな…」

 その要求があれば彼女は腹を立てるかもしれない。子供のために案外あっさりのむかもしれない…。でもその必要を認めてくれる気がする。

「ただ、奥さんはわからない。夫婦間は冷めてさばさばしたもんでも、成人した娘さんもいる。外に子供ができたとなったら、やっぱり面白くないどころじゃない。子供のために、ということはきっと認めてくれるだろうが…」

「千晶の何らかの大きな譲歩が要る、そう思う」と彼は言う。それはやはり三枝さん側からの金銭の受け取り一切の放棄になるのだろうか…。

 彼女にその気持ちがあるのなら自分が伝達役に間に入ってもいい、と。

「当の三枝さん以外となら、奥さんも話し易いかもしれない」

 当事者たちを全てよく知り、それぞれとつながりを持つのは彼しかいない。その自覚もあるのだろう。けれど嫌な役目だ。

 彼の話にゆっくり頷いた。

「千晶に甘い」と彼はわたしに言う。でも、甘いのは彼だって同じだ。

 そして彼が彼女の事後報告を叱った後で「まあ、しょうがない」と許すのは、無責任な甘さではない。彼女のために負ってやれる、何かを踏まえた上での優しさだ。

 愛がある。

 そんなことがすとんと胸に落ちた。さりげなく当然とした、そんな姉の姿を見たからかもしれない。
 
 愛というと気恥ずかしい。でも本当は照れ臭いものでも重々しいものでもなく、きっと人と人の間にどこにでもあるものなのかも…。

 沖田さんのそれは表現すれば友情になる。腐れ縁だと彼は言うだろう。でも、友だちへの愛があってこそ、そこから何か生まれるのだと思う。形だけ友人であっても、その相手に愛がなければ気持ちは動かない。

「愛だね」

「は?」

 案の定、彼はあっけにとられた顔をした。その後で「何が、愛だ」とぼやく。

「沖田さん、十三年前はわたしと千晶の子供の面倒まで見なくちゃならないとは、思いもしなかったんじゃない?」

「思うかよ、こんな構図は」

 彼はそこで、ちょっとあくびをした。夕飯はどうするかと聞く。

「え」

 引っ越しの当日で何も考えていない。いろはちゃんの予定を聞いて相談しようか…。そんなことを思っていると、

「あれでいいか? いろはも好きだし」

 彼が前方の道路沿いにあるテイクアウト専門の一口餃子の店を指した。その小さな店構えに、ちょっと過去の記憶がわっとよみがえる。この彼と再会し、その日いきなり彼が手土産に持たせてくれたのが、ここの餃子だった…。

 あれはどこか気落ちしていたわたしを励ますものだったのだと、今では確信している。かつてのサークル時代『ガリガリ君』や『うまい棒』をほんの優しさでふるまってくれたように。

 ずっと遠いことのようで、あの日からの続きのようでもある。

 ほんの偶然。それでもその符合はわたしには特別なものになる。きゅんと胸が懐かしく鳴り、気持ちが華やいだ。

 二人の日々の始まりに。あの餃子を買おうか、と当たり前にまた言い出す彼が嬉しかった。
 
 とても嬉しかった。
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