別れさせ屋

夏蜜

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窮地

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「僕が今したことをあの女性が目撃したら、どう感じるでしょうね。……男同士だって二股になるはずだ」
 間合いを詰める度に、店員は一歩ずつ後退する。くすぶっていた雷鳴が通路に轟き、真上の電灯がしばし途絶えた。後ずさりする男の、蒼白い顔が残像として残る。
 やっと明かりを取り戻した時には拳が振り上がっていて、いよいよ殴られるのを覚悟した僕は目を瞑った。その拳は意外なことにどこにも当たらず、耳を掠めて壁を突く。ゆっくり瞼を開けて確認すると、店員の視線の先でエレベーターが開いていた。誰かが階下から昇ってきたのだ。
 僕は酷く苛ついた降り方をする人物を見て驚愕した。路地裏で揉めた、あの青年である。厚底のスニーカーを床に擦りつけながら、如何にも不機嫌そうに僕らの前に立ちはだかる。ここへ来た理由は知らないが、彼は僕を一睨すると、何故か店員の方を殴りつけた。店員は反対側の壁によろけて床に崩れる。
「こっちが先客なんだ、横取りするなよ」 
 青年は僕と向き直るなり両手を動かす。僕は胸ぐらを掴まれる寸前、彼の脇をすり抜けた。上手くかわしたと思ったのも束の間、足を取られて床に膝をついた。唇に血を滲ませた店員が、僕の足首を両手で捕らえている。さらに青年が羽交い締めしてきたため、完全に逃げられなくなってしまった。 
「ガキから離れろ」
「黙れ。嘘ばっか吐かれて、こっちは腹の虫が治まらないんだ」
「知るか、話をつけようとしていたのは俺が先だ。あんたは関係ないだろ」
 二人の男に取り合われ、僕の意思とは関係なく躰が前後左右に揺れ動く。着衣は乱れ、裾は胸部までずり上がっていた。持ち耐えていた電灯は再び雷に脅かされて明かりが鈍り、完全には切れかからずに周囲を灰暗くする。
 何かに気付いた店員の握力が弱まり、一瞬身構えたのち顔が歪んだ。小気味良く頬を殴打する音が響き渡る。次に、彼女は僕の頭頂部を押さえて低くすると、思いきり片足を振り上げた。呻き声と共に背中が軽くなる。呆然とする二人を横目に、カラスは僕を立たせて身なりを綺麗に整えてくれた。
「……ありがとうございます」
「電話で呼び出されて店を出てみたら、酷い有様じゃない。恋人として対応するっていうから待ってたのに、どうかしてる」
 彼女は真剣に怒っていて、大袈裟に引いたアイラインがこめかみと繋がりそうである。遠目で見た時よりも、ビー玉に似た黒目が鈍い光を帯び、本物の烏を連想させた。
「頼むべき所を誤りましたね」
「どうってことないわ。でも、ちょっといいかしら」 
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