別れさせ屋

夏蜜

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駆引

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  あえて名前を呼ぶと、やつは不敵に笑いながら煙草の火を消す。そして会話が車外に漏れるわけでもないのに、声を落として僕に囁いた。
「男にその気がありゃ俺の得意分野だが、今回は違う。だから無難に、男を失望させるか激怒させるかして、女との関係を拗れさせる。なら坊主、お前のほうが得意だろう。……それに、お前は俺に借りがあるじゃないか」
 目の前に突きつけられた携帯が震えている。ディスプレイの発信者は不明だが、僕には察しがついていた。反論する手立てを失い閉口していると、やつは財布から紙幣を数枚取り出す。そして、交渉成立と言わんばかりに無言で制服のズボンに捩じ込んできた。
「……最上階に行って、烏みたいな女を探しな。アツギと名乗れば全て判るさ」
 やつはそれだけ言うと、内側から助手席のドアを開けて僕の肩を押し出した。降り立って間もなく、車はするりとゲートを抜けていなくなる。僕はポケットから紙幣を取り出して皺を伸ばした。五万円という金額が報酬として高いのか安いのかは知らない。何となく後ろめたさを感じて再び紙幣を二つ折りにすると、先ほどより深いところへ金を隠し入れた。
 八階建てのビルはくすんだエレベーターの照明が示す通りあまり手入れがされておらず、最上階では通路の電灯がチカチカと不規則に点滅している。その切れかかった電灯が壁に人影を映しだすのと同じく、食事を終えたであろう男女がレストランから揃って出てきた。僕が端に避けると、上司と思われる男が通りすがりにわざとらしく体をぶつけてくる。まるで場違いだとでも言いたげなふうだ。
 僕は構わず、「ENTER」とだけ書かれた錆びた鉄扉を押し開けた。甘ったるいアルコールの匂いが鼻につき、先ほど受けた仕打ちの意味を即座に理解する。だが今は、とにかく依頼主の女を探さなければならない。ペンダントライトがささやかな光を放つ薄暗い店内には、数組の客がそれぞれソファやカウンターで楽しんでいる。その中で、窓際に独り座る人物へ視線が止まった。
 川を挟んで見える夜景と、怪しく調和した異質な雰囲気の女がいた。シースルーの黒いワンピースに身を包み、誰かを待ち侘びているのか黒々とした髪を時おり横に振る。頻繁に携帯へ触れる指先には黒のマニキュア、組まれた足元を窺うとやはり黒色のヒールを履いている。ターゲットである男の姿は近くにないが、烏と表現するならあの女でまず間違いないないだろう。唯一、真っ赤に引かれた口紅が却って目印になって見える。
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