別れさせ屋

夏蜜

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急行

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 男は僕の顎を引き寄せると、不意に口元を近付けた。言葉で交わすより的確に相手を知る方法だ。犬が肛門を嗅ぎ合うのに似た、野蛮な挨拶を唇でし合う。互いに敵意がないことを証明した後も煙草の味は舌に絡みつき、唾を飲み下すとほろ苦い香りが仄かに伴った。
「……まあ、今回は大目に見てやるさ。それで坊主、ついて来るんだろう?」
 吸殻を革靴で踏み消したあと、やつは唐突に質問を投げて寄越した。思案している間に僕は彼によって駐車場の奥まで連れ込まれる。自分が運転手であれば一番ぶつかりたくない外装の乗用車が、ビルを背にしてそこに停めてあった。
 やつはロックを解除すると僕を助手席に放り、シートベルトをする前に車を発進させた。僕の来た道とは違う方向に車は複雑に走り、真っ赤に燃えだした夕日が建物の影から右にも左にも動めく。そうこうしているうちに狭い路地を抜け大通りに出た。やつは信号が変わる前に煙草を咥え、真鍮のライターで火を点けた。先ほど味わった匂いが車内に充満する。僕もようやく落ち着いたと思った途端、何故か座席から引摺り下ろされた。
「……サツだ。制服だとまずいな。連れ去りだと勘繰られるぜ」 
 まんざら嘘でもない事実を口にし、素早く手元のギアを入れる。もはやどこをどう走っているのかも判らず、空の角度だけが変わってゆく。体勢を整えることができた時には車窓に見慣れぬ川沿いが映っており、生活圏から離れた場所にいるのは察しがついた。
「どこ、行く気だよ」
「決まってんだろ仕事だよ、七時にこの近くのレストランで待ち合わせてる」
 相変わらず無茶苦茶なこの男は、煙草をふかしながら顔も見ずに告げる。人工的な明かりが灰褐色の街を少しずつ彩り、対岸には光の粒が次々と溢れてくる。その上を赤黒い雲が不気味にたなびき、細かな雨を落とし始めていた。サイドガラスを水滴が叩く。
 一旦降りだした雨は忙しくなるばかりで、車はついにとあるビルの地下駐車場へ潜り込んだ。空いたスペースを見つけて停車したやつは、ハンドルに手を掛けたまま、既に何本目か判らない煙草を嗜んでいる。沈黙は不穏な空気を生み、否とは言わせない緊張感が紫煙から伝わってくる。
「坊主、お前が代わりに行きな」
 無意識に体の距離を空けていた僕は、力ずくで肩を抱き寄せられた。
「……女の相手をするだけだよ。彼氏でも友達でもいい。しつこい男から遠ざけりゃ成功。簡単だろう」
「請け負ったのは……アツギさん、あなたのはずだ。僕が行ったら不自然に思われる」  
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