6 / 13
目印
しおりを挟む
呑み屋のスタンド看板が集中する道端を少しばかり歩いた所に、やつの言う黄色いのぼり旗はあった。『つくね』を売りにした居酒屋の旗は半ばでポールがへし折れ、向い側の同業店へ深くお辞儀した状態で生温い風に揺れている。路地は中央に構えたブランド買取店を避けて分岐しており、右手は斜めに延びていた。
車道にはみ出たのぼり旗を退かそうとした時、背後から物騒なエンジン音が迫ってきた。鮮やかな緋色のクーペが狭い道幅を物ともせずに目の前を通過する。そのさい、カジュアルスーツを着たサングラス姿の男がちらりと運転席に見えた。運転手は横棒がボディを擦ったことなど気付かない勢いで、あっという間に張り巡らされた電線の下を駆けてゆく。僕は排気ガスにむせていたせいで、脇から出てきた自転車と危うくぶつかりそうになった。すかさず振り返ると、居酒屋の敷地だと思っていた通路に、裏返った「止まれ」の道路標識がある。通行人が飛び出してこなければ、すっかり見落としていただろう。車が行った方向は実際には直進であり、直角に折れたこの先が本当の道順にあたるようだった。
道路は日当たりの悪い建物の間をなぞり、回ることを何年も忘れたふうなポールサインへと繋がる。最後の目印である『宜保』理容院の角を曲がった僕は、左側を駐車場に割いた雑居ビルを袋小路に見つけた。一階にレンタル店を設けた細長いビルを仰ぐと、三階に法律事務所を挟んで、最上階のウィンドウサインに「別れさせ屋」の文字が確かにある。チラシに載っていた電話番号と同じものが下部に添えられ、その窓辺に人影がちらついたような気がした。
僕が内部を窺っていると、駐車場に一台、車が滑り込んできた。先ほど見掛けたクーペから、まだ歳の若い今時の青年が降り立つ。オフホワイトのアンクルパンツに厚底のスニーカーを着こなした彼は、ただならぬ雰囲気を纏わせながら徐にこちらへやって来る。僕はその剣幕に思わず体を引いた。
「……あんたがやったんだな。今ドライブレコーダーで確認したばかりだから、言い逃れしようなんて思うなよ。さあ、大事にしたくなかったら素直に従うんだ」
突然腕を捕まれたうえに何を責められているのか判らず、僕は青年の手を無理やり振り解こうとした。だが余計に力を込めてくるので、つい痛みによるくぐもった悲鳴が漏れた。
「抵抗したって無駄だよ。俺とは体格が違う。こう見えても鍛えてるだ。……ところで、自分のやったことくらい覚えてるよな」
青年は僕を壁際に押しやり、威圧的に見下ろしてくる。ふと脳裏にある場面が浮かんだが、僕は面倒に巻き込まれるのが嫌でわざと知らぬ振りをした。
車道にはみ出たのぼり旗を退かそうとした時、背後から物騒なエンジン音が迫ってきた。鮮やかな緋色のクーペが狭い道幅を物ともせずに目の前を通過する。そのさい、カジュアルスーツを着たサングラス姿の男がちらりと運転席に見えた。運転手は横棒がボディを擦ったことなど気付かない勢いで、あっという間に張り巡らされた電線の下を駆けてゆく。僕は排気ガスにむせていたせいで、脇から出てきた自転車と危うくぶつかりそうになった。すかさず振り返ると、居酒屋の敷地だと思っていた通路に、裏返った「止まれ」の道路標識がある。通行人が飛び出してこなければ、すっかり見落としていただろう。車が行った方向は実際には直進であり、直角に折れたこの先が本当の道順にあたるようだった。
道路は日当たりの悪い建物の間をなぞり、回ることを何年も忘れたふうなポールサインへと繋がる。最後の目印である『宜保』理容院の角を曲がった僕は、左側を駐車場に割いた雑居ビルを袋小路に見つけた。一階にレンタル店を設けた細長いビルを仰ぐと、三階に法律事務所を挟んで、最上階のウィンドウサインに「別れさせ屋」の文字が確かにある。チラシに載っていた電話番号と同じものが下部に添えられ、その窓辺に人影がちらついたような気がした。
僕が内部を窺っていると、駐車場に一台、車が滑り込んできた。先ほど見掛けたクーペから、まだ歳の若い今時の青年が降り立つ。オフホワイトのアンクルパンツに厚底のスニーカーを着こなした彼は、ただならぬ雰囲気を纏わせながら徐にこちらへやって来る。僕はその剣幕に思わず体を引いた。
「……あんたがやったんだな。今ドライブレコーダーで確認したばかりだから、言い逃れしようなんて思うなよ。さあ、大事にしたくなかったら素直に従うんだ」
突然腕を捕まれたうえに何を責められているのか判らず、僕は青年の手を無理やり振り解こうとした。だが余計に力を込めてくるので、つい痛みによるくぐもった悲鳴が漏れた。
「抵抗したって無駄だよ。俺とは体格が違う。こう見えても鍛えてるだ。……ところで、自分のやったことくらい覚えてるよな」
青年は僕を壁際に押しやり、威圧的に見下ろしてくる。ふと脳裏にある場面が浮かんだが、僕は面倒に巻き込まれるのが嫌でわざと知らぬ振りをした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説


初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。



フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる