別れさせ屋

夏蜜

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不穏

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 いつからか音のない雨が落ちているらしい。地面を蟻が這うような、またはヌメヌメとナメクジが移動するような、そんなもどかしい降り方をする。
 雨は風を呼ぶどころか、田畑から生ぬるい湿気を室内に運んでくる。空調の利かない職場の一室はサウナのようで、吐息はいつにも増して暑苦しい。
 ソーダを喉へ押し流すと、血管がキュッと縮まる感じがした。休憩室に備え付けてある自動販売機で、たった今買ったばかりだ。額から汗がすっとひいてゆき、火照った体をいくらか冷ましてくれる。
 僕は窓の外を訝しく見遣った。八月に差しかかろうとしているのに、空は一向に太陽を見せる気配がない。まるで梅雨前線がそこにあるように、気がつけばシトシトと空気を蒸らしている。それでも蝉は忙しなく鳴き、カラスは草陰の蛇を求めて飛び回る。人間だけが自然とは調和せず、炎天下をうだるように歩いてゆく。
 昼下がりに見えた景色はとうになく、時刻は十七時を回っていた。本来帰るべき時間を過ぎ、僕はアルバイト先の休憩室に一人いる。居残る理由は特にない。ただ単に、窓から風景を眺めたい気分だった。あえて言うならこの時間帯は、同居人の永瀬が迎えに来る頃でもある。
 だが、今夜は都合が悪いのだという。急用が入ってしまい忙しいらしい。病院勤務の永瀬にはよくあることだ。先ほど、携帯に連絡が入ったばかりだった。こういう日に限って、僕は傘を持ち合わせていない。
 雨に煙った街並みの向こうに、チカチカと丸い光が点滅する。それはちょうど、山の天辺と重なり合い、大きくもなれば小さくなりもする。不思議に思いながら正体を探っていると、ばんやりと景色が頭に浮かんだ。上下に大きな弧を描く、幹線道路である。道路を波打って下ってくる車のライトが原因のようだった。
 無数の光が群れを成し、建物の陰に呑まれてゆく。もしかしたら、あの列の中に帰宅途中のあいつがいるかもしれない。僕は余計なことを考えていた。大学へ進学した時点で、やつとは縁が切れたつもりでいたからだ。
 嫌悪感を覚える半面、いつの間にか携帯を手にしていた。指が勝手に番号を打ち、相手の許へ回線を繋げようとする。思いのほか簡単に出られてしまい、僕は自分を心底恨んだ。電話口から、耳馴れた低い声がする。
「……いくら欲しいんだ、坊主?」
「馬鹿、金じゃない。ちょっと寄り道してもらいたいんだけど」
「見返りがあってもいいんだぜ」
「…………五分で我慢しろ」
 愉快そうに笑う息づかいが聞こえたのち、電話はプツリと途切れた。ここへは数分もあれば着くという。僕は携帯を手提げ鞄にしまい、廊下を抜けて従業員扉から店舗を出た。 
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