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夜風
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定時を過ぎた職員室は、ペンを滑らす音以外は至って静かだ。平木の他に教職員の姿はなく、電気の点けていない室内では、斜陽が手元を僅かに明るくしているだけである。
平木は今日の仕事を諦め、椅子に寄りかかって背伸びをした。誰もいない解放感と気怠さが、疲労の溜まった躰に入り交じる。
扉さえ壊れなければ。平木は草臥れた頭でそう思う。
生徒たちが帰宅した後、同僚の椿田里に願われて部室へ行ったのは別にいい。前から部室の立て付けが悪いことは承知していたが、いざ鍵を掛け直すときになって蝶番が外れた。
用の済んだ椿田はとうに姿を消していたので、平木は一人で扉の修理をする羽目になった。当然、本来の業務に支障をきたして今に至る。
「ああ、疲れたな……」
そろそろ帰宅しなければ。そう思い、平木は散らかったデスクの上をざっと片付け始めた。ざっと、というのは、つまり物を端に寄せるだけのことである。一応、採点用紙は引き出しに仕舞ったが、文具や書類といった類はゴミが押し寄せた海岸のようでも、彼には片付いた状態なのである。
平木が帰り支度を始めていると、どこからか気配を感じた。片付け作業中の手を止め、開け放しの戸口を見遣る。その人物は扉に肩を預け、腕を組んで微笑んでいるようだった。
「平木先生、早く帰らないとまた嫌味を言われますよ」
椿田は扉口を離れてデスクへ歩み寄り、平木の隣へ腰掛けた。もちろん、チェアは別の教職員のものだ。平木はチェアを椿田と向かい合わせ、前のめりになって溜め息を吐く。
「……なんだ、お前かよ。幽霊じゃなくてよかった」
「子供じゃないんですから、教職員でも生徒でもなければ、それは不審者ですよ」
拗ねた平木に、椿田は抑え気味に笑い声を溢した。平木は頭を掻いて、椿田を下から覗き込む。
「なあ、お前半日もどこ行ってたんだよ」
「ちょっと散歩に。天気が良かったですから」
「散歩? 半日も? だったら扉の修理、手伝ってくれてもよかったのに。てか、あの部室に用事って何だったんだ?」
「ちょっと面白いものがありまして。散歩は、その延長です」
平木は腑に落ちない様子で首を傾げ、クスクスと笑う同僚を訝しむ。椿田は意味ありげな視線を投げかけ、目の前の瞳を見据えた。
「試験期間中にも拘わらず、校庭に居残っている生徒がいたものですから」
「なるほどな。それで生徒指導をしてたわけか」
「……まあ、そんなところですね」
納得して頷く平木に、椿田はチェアを近付ける。膝頭が当たり、彼等は互いに顔を見合わせた。
「……生徒たちが何をしていたのか、気になりませんか?」
椿田はさらに躰を前傾させる。平木は、少しの間考えを巡らせてから口を開いた。
「何って、……男女でいちゃついていたとか、大概そんな感じだろ」
「……まあ、半分正解です。でも、本当の正解はこういうことですよ」
平木は今日の仕事を諦め、椅子に寄りかかって背伸びをした。誰もいない解放感と気怠さが、疲労の溜まった躰に入り交じる。
扉さえ壊れなければ。平木は草臥れた頭でそう思う。
生徒たちが帰宅した後、同僚の椿田里に願われて部室へ行ったのは別にいい。前から部室の立て付けが悪いことは承知していたが、いざ鍵を掛け直すときになって蝶番が外れた。
用の済んだ椿田はとうに姿を消していたので、平木は一人で扉の修理をする羽目になった。当然、本来の業務に支障をきたして今に至る。
「ああ、疲れたな……」
そろそろ帰宅しなければ。そう思い、平木は散らかったデスクの上をざっと片付け始めた。ざっと、というのは、つまり物を端に寄せるだけのことである。一応、採点用紙は引き出しに仕舞ったが、文具や書類といった類はゴミが押し寄せた海岸のようでも、彼には片付いた状態なのである。
平木が帰り支度を始めていると、どこからか気配を感じた。片付け作業中の手を止め、開け放しの戸口を見遣る。その人物は扉に肩を預け、腕を組んで微笑んでいるようだった。
「平木先生、早く帰らないとまた嫌味を言われますよ」
椿田は扉口を離れてデスクへ歩み寄り、平木の隣へ腰掛けた。もちろん、チェアは別の教職員のものだ。平木はチェアを椿田と向かい合わせ、前のめりになって溜め息を吐く。
「……なんだ、お前かよ。幽霊じゃなくてよかった」
「子供じゃないんですから、教職員でも生徒でもなければ、それは不審者ですよ」
拗ねた平木に、椿田は抑え気味に笑い声を溢した。平木は頭を掻いて、椿田を下から覗き込む。
「なあ、お前半日もどこ行ってたんだよ」
「ちょっと散歩に。天気が良かったですから」
「散歩? 半日も? だったら扉の修理、手伝ってくれてもよかったのに。てか、あの部室に用事って何だったんだ?」
「ちょっと面白いものがありまして。散歩は、その延長です」
平木は腑に落ちない様子で首を傾げ、クスクスと笑う同僚を訝しむ。椿田は意味ありげな視線を投げかけ、目の前の瞳を見据えた。
「試験期間中にも拘わらず、校庭に居残っている生徒がいたものですから」
「なるほどな。それで生徒指導をしてたわけか」
「……まあ、そんなところですね」
納得して頷く平木に、椿田はチェアを近付ける。膝頭が当たり、彼等は互いに顔を見合わせた。
「……生徒たちが何をしていたのか、気になりませんか?」
椿田はさらに躰を前傾させる。平木は、少しの間考えを巡らせてから口を開いた。
「何って、……男女でいちゃついていたとか、大概そんな感じだろ」
「……まあ、半分正解です。でも、本当の正解はこういうことですよ」
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