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第一章 発端 3
②
しおりを挟むここ二、三ヶ月前から日本海側の近辺では海坊主が出ただの、黒入道を見ただのという怪異現象が頻発していた。
実際海坊主に襲われ船が大破して、たったひとり生き残ったという漁師の記事が、地元新聞に載ったこともある。
しかし巷では鯨に遭遇したのだろうとか、座礁したのを隠すため黒坊主だのと言うでたらめを言っているのだと笑われていた。
そのいずれもが新月の晩で、真っ暗な海に突如として姿を見せては、いずれともなく消えて行くという。
そう言った漁師たちの噂と前後して、陸でも奇妙な大入道や見上げんばかりの怪物の目撃譚が囁かれていた。
こちらも酔って幻覚を見ただの、臆病者がなにかを見誤っただけだのと嘲笑されて終わった。
〝幽霊の正体見たり枯れ尾花〟の類いだと思われたのである。
しかし、ご一新後の文明開化だのと言われていても、地方ではまだまだ妖怪や怪異は信じられており、また人々の真剣な恐怖の対象でもあった。
迷信や因習がまだ色濃く生活の中に残っており、祟りだの呪いだのと言ったものが信じられているのだ。
〝すべては科学で証明できる〟と学者たちは声高に吹聴するが、その科学者たち自身が心の奥底では目に見えぬもの、なにかの妖しを信じていたのである。
太正の御代であっても、鉄の塊が空を飛ぶ時勢になっても、根底はなにも変わりはしていない。
「雪鴉、油断するなよ。今宵は新月だ、奴らは必ず現れる。頭はそれをここだと見当した、絶対に上陸させてはならん。水際で破壊する、なにがあってもだ」
真の闇の中、男の声がした。
「しかしな宵鴉、わたしたちの機体は二体だけだ。いくら相手が汎用機だとは言え、五体以上来られたら厄介だぞ」
返すのは若い女の声のようだ。
「心配するな、海江田さんの自慢の機体だ汎用機など物の数じゃない。奴らに神国の恐ろしさを思い知らせる、夷狄はわれらの手で駆逐する。そうやって何百年、いや千五百年以上神州を守護してきたのだ」
「そう過信するのはどうかな。なにせわれらとて初めての実戦だ、先の大戦で経験済みの軍の機神隊とは違うんだ。慎重にやるべきだよ」
男の自信満々さと比べ、女の方はどこか不安があるようだった。
「なにが機神隊だ、元は海江田さんが英国機を改良して完成一歩手前まで漕ぎ着けた物じゃないか。それを一部の軍人から取り上げられ、あの人は追放された。そこに手を差し伸べたのがお頭だ、そうして出来上がったのが〝スサノヲ〟と〝火巫女〟だぞ。機神兵などに劣るものか、こっちが本家だ」
単純な性格なのだろう、男の声が苛々し出していた。
〝十体、いやせめて四体あったら――。それが無理ならば、数段性能の高い神天機『天照』が共にあれば苦労はせぬのに〟
雪鴉は心の中で呟いた。
新月の中、時は刻々と過ぎて行く。
十一時、やがて十二時が過ぎたが、なんの気配もない。
「場所を誤ったか」
雪鴉が言う。
「ううむ、お頭のお考えではこの場所で間違いないはずだ、あと暫く待ってみよう」
彼らがなにかを待ち身を潜めているのは、怪異の目撃が報告されているのとは正反対の、三陸海岸の一角である浄土ヶ浜であった。
ナンブマツの木陰に身を寄せ、彼らふたりはもう三時間以上も待っている。
「応援の部隊を、補佐として同道しなくてよかったのか」
雪鴉が訊く。
「生身の人間がいても役にはたたん、それは初期の欧州での戦闘で実証済みだ。戦艦からの砲撃か、戦車でも持ってくりゃ別だが、銃程度じゃかすり傷にもならん。人員の損失になるだけだ」
雪鴉はそれもそうだと得心した。
元を正せば彼らは、戦をするための組織ではない。
陰で隠密行動をするために存在している。
それがひょんな事から〝海江田勇太朗〟という、日本屈指の工学技術者との出逢いから、思いもかけずに〝機神兵〟を所有するに至ったのだ。
〝新蒸気機関〟の技術を駆使して造り上げられたのが、所謂〝自走式戦闘機体〟であった。
日本ではその機体を〝機神兵〟と命名した。
帝国陸軍の管轄で『機神隊』と言う名称が付与された。
ある程度確実な噂として、陸軍から独立した組織〝近衛機神軍〟または海軍主導での〝機神海兵隊〟が創設されるという話しもある。
いまや帝国は汎用機・五十五体、特別機・十体を装備しており、やがてはその規模を三から五倍以上に拡大する計画がある。
(実際の機神兵の稼働率は総数の六割程度で、その中でも即時作戦に投入できるのは三十機程度がせいぜいだとされている)
計画通りに機体数を増強し稼働率を八割五分まで高めれば、戦闘能力は陸軍の連隊や機動部隊の何倍にも匹敵し、独立した組織とするのにもなんら不思議はなかった。
そこに暗躍しているのが薗田剛臣率いる『薗田重工業』である。
しかしいまここにいる宵鴉と雪鴉が駆るスサノヲと火巫女は、民間組織が所有する違法なものだった。
言ってみれば〝はぐれ機神〟とでも呼べばいいのだろう。
異端の技術者・海江田勇太朗は所属する闇組織の援助の元、三体の機神兵を完成させた。
その内の二体がいまここにある。
あとの一体〝天照〟は、京の結界の中にあるとされる〝高天原〟守護のため鎮座している。
天照を操っているのは〝月讀尊〟と言われる女性で、彼らの頭である。
そんな組織の頂点に立っているのは〝皇〟と呼ばれる謎の人物で、誰もその姿を見た者はいない。
常に幾重にも張り巡らされた結界の奥〝高天原〟に座し、その声のみが伝えられる存在だった。
その組織の名は一部で〝八咫烏〟と言われているが、真の名も不明な摩訶不思議な集団であった。
「来たっ!」
宵鴉が、小さく叫ぶ。
闇の中、砂浜の彼方に動く気配があった。
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