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第一章 発端 1
⑤
しおりを挟む太正三年十二月二十日に開業した東京驛のまだ新しい構内に、袴姿の薫子の姿があった。
叔父である秋月龍彦と兄の榮一朗が、上海から戻ってくるのを出迎えるためだ。
船は神戸港に着き、そこからは汽車で東京まで戻るという予定である。
汽船の就航日程の都合で横浜港への便を待つよりも、この方が十日も早く帰れるのであった。
以前は二十時間以上かかっていた汽車も、いまでは特急を使えば十二、三時間程度で着いてしまう。
神戸でゆっくり一、二泊したとしても、この道程の方が早いのだ。
しかも華族であるふたりは、革張り座席の快適な一等車に乗車できる。
(当時はいくら金を出しても身分の高い人間しか、一等車には乗れなかった時代である)
到着時刻は、午前十一時三十分。
それまでは新橋驛が終着であったが、六年前新驛が完成し皇居の玄関口〝東京驛〟が日本鉄道の中心となった。
この陸軍練兵場跡地に建設された、総煉瓦造りの巨大な駅舎は皇居の真正面にある。
今上陛下がお召し列車をご使用の際に便利なように、最短の時間で驛まで行けるように計画されたのである。
これは利便性も言わずもがな、警備上の面を鑑みても最良の立地と言えた。
元々新橋驛から上野驛までを高架鉄道で繋ぐ計画があり、その中央驛として構想されたのが始まりである。
いつの間にか当初の計画は変更され、東京驛は官製鉄道(いまの東海道本線)の始発点となった。
煉瓦造りの驛舎はモダンで、その規模も東洋随一と言われている。
プラットホームは、同じ汽車の到着を待つ人々でごった返していた。
「ねえ義叔母さま。ふた月振りに伯父さまと逢えるのよ、今夜楽しみでしょ」
薫子が隣りにいる、品のいい女性に声を掛けた。
実際男女の仲になどなんの知識もないが、この年頃特有の耳年増という無邪気な少女の悪戯の言葉であった。
「まあ薫子さん、そんな下品なことどこで覚えられたのです。秋月家の女性はもっとお行儀良くしなければなりません、お姉さまを見習いなさい」
元直参旗本八千五百石・公儀の若年寄を務めたこともある結城家の長女として、武家風の教育を受けた紫津が眉をひそめてたしなめる。
姉の冴子は普段のひさし髪に袴という服装とは違い、髪を結い上げ古風な和装でどこから見ても良家の子女であることが分かる。
年齢は十七歳、現在は女子学習院に在籍しており、卒業と同時に薗田侯爵家の御曹司近文に嫁ぐこととなっていた。
薗田家は有栖川宮の流れを汲む家系で、明冶になって侯爵を賜り帝国の商工業には欠かせない十六大財閥のひとつ〝薗田コンツェルン〟として、隆盛を誇っていた。
皇室や軍部に太いパイプを持ち、いまや三井・三菱・住友・安田の四大財閥に割って入る勢いである。
その興隆の最大要因は〝機神兵〟の独占製造権を、傘下の中心企業である〝薗田重工業〟が握っていることにあった。
いまや列強の証として、自走式機械兵の保有は欠かせないものである。
各国様々な名称で呼ばれているが、大日本帝国では〝機神兵〟と命名された。
その名称を考えたのが財閥創始者・薗田近臣の次男で、薗田重工業の会頭・薗田剛臣である。
英国から供与された機体を、日本まで極秘裏に搬送したのもこの男であった。
この時の輸送に一枚噛んだのが〝秋月商船〟だ。
たまたま英国に荷を運んだ輸送船が、空の状態でリバプール港に停泊していたのである。
しかしすでに帰港に合わせての積荷は決定しており、三日後から積載し一週間以内にシンガポール・上海経由で帰朝の予定となっていた。
それを強行的に変更し、ほんの僅かな物品を運び込んだだけの状態で船はリバプールを出航してしまった。
莫大な違約金を支払ってまでこの航行を決定したのは、そのとき倫敦に滞在していた〝秋月龍彦〟であった。
この一件を切っ掛けに、秋月家と薗田家との縁が築かれた。
それは英国製〝猟機兵・試作第3号〟の極秘輸送という重大任務を通してのことだった。
この個体は、あくまで英国政府から日本政府への共用品である。
しかし帝国政府には、それを維持研究する施設が整っていなかった。
試作第3号は横浜港から帝都郊外の、薗田重工業の世田谷工場へと搬送された。
そうして、後付けのようにして〝帝国皇軍科学局〟という急ごしらえの部署が立ち上げられた。
その本体は、薗田重工業・世田谷工場の敷地内に設置されたのである。
すべては薗田重工業が主体となって、日本製自走式機械兵の開発は発足した。
もちろん帝国皇軍科学局に資金を出したのも彼らで、将兵に操縦を指導するのもすべて薗田重工業なしでは成り立たない。
軍御用達である中島飛行機・三菱重工業を凌ぎ、いまでは帝国軍需産業の中心となりつつある。
金融方面でも薗田商会が、アメリカ合衆国のモルガン商会に接近しているという。
薗田コンツェルンの基幹となる薗田商会の会頭が近臣の長男・薗田親房、近文の父である。
秋月家も多数の会社を経営していたが、まだ財閥レベルにまでは達していなかった。
しかしぽっと出の成金や資産家とは一線を画し、地に足の付いた堅実な経営が功を奏し、やがては財閥の地位にまで発展するのではないかと言われている。
薗田家との縁組みは、そういった意味でも重要なものであるのだ。
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