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第20話 白衣の幽霊
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私はいつもの病院にお土産をぶら下げて向かっている。気持ちの整理もできたので彼に病気について報告することにした。たぶん泣いてしまうことは避けられない。それでも、伝えななくてはならない。
看護師の詰め所で軽く会釈して彼の病室に向かう。
部屋に入るとカーテンが開いていて風が通り抜ける。かすかに甘い香りが臭ったような気がする。最近になって頻繁に嗅ぐ臭いだ。
ベッドの傍まで歩くと、彼は今日も穏やかな顔で眠っている。髭はいつもより伸びていて髪の毛は少し乱れている。私は彼の髪を手櫛で左右に流す。
先延ばしにしてはだめ、覚悟を決めて話さなくては。
「あのね、私マナ循環不全症ってお医者様に診断されたの。余命は一年。治らない病気って……」
私は腕を伸ばして、彼の手の上にそっと掌を重ねる。
「私が先立つことになりそう。お迎えが来るのは貴方じゃなくて私のところ。ごめんなさい」
「最後まで看護できなくてごめんなさいね」
我慢できず涙はあふれ出す。笑って話そうと思ったけど、もう無理。
化粧しなくて正解だった。
先立つことの許しをひたすら請う。後悔と無念さが私を覆いつくす。
「ごめんなさい……」
何も考えられなくなった。目が覚めているのに夢の中にいるような感覚。
私の身体を誰かが抱きしめてくれるような感覚。
それは錯覚かもしれないけれど、現実と思い込み受け入れてしまう。
私の心に言葉が流れ込んできた。
『泣かないで君にできることをすればいい』
それは幻聴に違いない。でも、彼が言ってくれた言葉のように思いこんだ。
私はただ時間が流れるに任せた。
頑なになっていた心が徐々に解けていくような感覚。
安心したからか五感が鋭くなったのだろう。
だから気配を捉えてしまう。
何者かいる!
振り向くと影が一瞬見えた。カーテンの向こう側に。
私は駆け寄ってカーテンをあけ放つ。
誰もいない。
窓から外を覗いても人が立てるはずのない場所である。
人影は錯覚だったのだろうか。
「いまのが、幽霊?」
看護師たちの噂話を思い出す。
給湯室!
私は全力で給湯室を目指す。部屋のドアを開けて立ち止まり廊下を見回した。
誰もいないのを確認して給湯室に駆けていく。
あと少しで給湯室という場所で足元がぬかるんでくる。湿地帯を走っているような感触にかわってきた。
ひざ下まで床に浸かってしまう。どんどん深くなり腰丈まで没してしまう。
床を掻き分けながら給湯室を覗き込む。
そこには魔導具を展開した怪しい男と白衣のような物体が浮かんでいた。
怪しい男は胸まで床に飲み込まれていて、魔導具は床に飲み込まれてしまう。私は呼びかける。
「あなた達は何者なの!」
白衣がこちらを向いた。
顔は半透明で頭蓋骨の穴の開いたところから白い蒸気が噴き出ている。目を凝らすと白衣の部分は鞣された皮のようだった。
白衣は目などないのに私を認識したのか位置を特定したように息を吹きかけてくる。
私と男は白煙に巻かれると一気に床下に引き込まれてしまった。
ここは夢の世界なのだろう。
男はもがき苦しみ白衣に掴みかかると逆襲にあう。
口を開けた白衣に齧られているのだ。
やがて白衣は蛇のように口を広げて男を飲み込みはじめた。白衣は男の身体を飲み込んでしまい、はち切れそうなほどパンパンである。
おぞましい!
白衣はパンパンに膨れ上がった顔で私の挙動を監視している。
それは、私の知るレイスでもレブナントでもなかった。
飲み込まれた男が白衣の胴体まで移動したとき、カエルが鳴くような音が響いてくる。
音の出所を探す。
白衣の口からのような気がするがさだかではない。
笑うたびに音の周波数が上がり、笑い声はもはやガラスをひっかく音に。
白衣はそれに比例するように小さくなる。
私は耳を押さえる。
音が超高音域にシフトしたとき白衣は消滅した。
私は給湯室に取り残されていた。
足元には魔導具が錯乱して、怪しい男が粘膜に覆われていて動かない。
おそらく死んでいる。
私は魔導通信を開いて諜報課の主任に連絡する。彼は私と同期だ。
「至急対応をお願いしたいのだけれど、どこの者かわからない諜報員を無力化、回収をお願いしたいの。既に死んでるかもしれないけど。あと、魔導具が残されてるから、そちらの対応もお願いします」
「……事件かい? 場所を特定したから鑑識も連れて何名かで現場に向かう。現場の状態維持は頼んだ。迅速な連絡感謝するよ」
「立ち入り禁止の結界を張ったから、強行突破されても個人情報が得られるわ」
「助かる。ところで彼のお見舞いで遭遇したのか?」
「まあ、そんなところね」
「もうすぐ着くからあとは現場で」
私はその場に座り込んで主任たちの到着を待つことにした。
死んだ男は何者なのか。
白衣とは。
現実に起きたとは思えない。
看護師の詰め所で軽く会釈して彼の病室に向かう。
部屋に入るとカーテンが開いていて風が通り抜ける。かすかに甘い香りが臭ったような気がする。最近になって頻繁に嗅ぐ臭いだ。
ベッドの傍まで歩くと、彼は今日も穏やかな顔で眠っている。髭はいつもより伸びていて髪の毛は少し乱れている。私は彼の髪を手櫛で左右に流す。
先延ばしにしてはだめ、覚悟を決めて話さなくては。
「あのね、私マナ循環不全症ってお医者様に診断されたの。余命は一年。治らない病気って……」
私は腕を伸ばして、彼の手の上にそっと掌を重ねる。
「私が先立つことになりそう。お迎えが来るのは貴方じゃなくて私のところ。ごめんなさい」
「最後まで看護できなくてごめんなさいね」
我慢できず涙はあふれ出す。笑って話そうと思ったけど、もう無理。
化粧しなくて正解だった。
先立つことの許しをひたすら請う。後悔と無念さが私を覆いつくす。
「ごめんなさい……」
何も考えられなくなった。目が覚めているのに夢の中にいるような感覚。
私の身体を誰かが抱きしめてくれるような感覚。
それは錯覚かもしれないけれど、現実と思い込み受け入れてしまう。
私の心に言葉が流れ込んできた。
『泣かないで君にできることをすればいい』
それは幻聴に違いない。でも、彼が言ってくれた言葉のように思いこんだ。
私はただ時間が流れるに任せた。
頑なになっていた心が徐々に解けていくような感覚。
安心したからか五感が鋭くなったのだろう。
だから気配を捉えてしまう。
何者かいる!
振り向くと影が一瞬見えた。カーテンの向こう側に。
私は駆け寄ってカーテンをあけ放つ。
誰もいない。
窓から外を覗いても人が立てるはずのない場所である。
人影は錯覚だったのだろうか。
「いまのが、幽霊?」
看護師たちの噂話を思い出す。
給湯室!
私は全力で給湯室を目指す。部屋のドアを開けて立ち止まり廊下を見回した。
誰もいないのを確認して給湯室に駆けていく。
あと少しで給湯室という場所で足元がぬかるんでくる。湿地帯を走っているような感触にかわってきた。
ひざ下まで床に浸かってしまう。どんどん深くなり腰丈まで没してしまう。
床を掻き分けながら給湯室を覗き込む。
そこには魔導具を展開した怪しい男と白衣のような物体が浮かんでいた。
怪しい男は胸まで床に飲み込まれていて、魔導具は床に飲み込まれてしまう。私は呼びかける。
「あなた達は何者なの!」
白衣がこちらを向いた。
顔は半透明で頭蓋骨の穴の開いたところから白い蒸気が噴き出ている。目を凝らすと白衣の部分は鞣された皮のようだった。
白衣は目などないのに私を認識したのか位置を特定したように息を吹きかけてくる。
私と男は白煙に巻かれると一気に床下に引き込まれてしまった。
ここは夢の世界なのだろう。
男はもがき苦しみ白衣に掴みかかると逆襲にあう。
口を開けた白衣に齧られているのだ。
やがて白衣は蛇のように口を広げて男を飲み込みはじめた。白衣は男の身体を飲み込んでしまい、はち切れそうなほどパンパンである。
おぞましい!
白衣はパンパンに膨れ上がった顔で私の挙動を監視している。
それは、私の知るレイスでもレブナントでもなかった。
飲み込まれた男が白衣の胴体まで移動したとき、カエルが鳴くような音が響いてくる。
音の出所を探す。
白衣の口からのような気がするがさだかではない。
笑うたびに音の周波数が上がり、笑い声はもはやガラスをひっかく音に。
白衣はそれに比例するように小さくなる。
私は耳を押さえる。
音が超高音域にシフトしたとき白衣は消滅した。
私は給湯室に取り残されていた。
足元には魔導具が錯乱して、怪しい男が粘膜に覆われていて動かない。
おそらく死んでいる。
私は魔導通信を開いて諜報課の主任に連絡する。彼は私と同期だ。
「至急対応をお願いしたいのだけれど、どこの者かわからない諜報員を無力化、回収をお願いしたいの。既に死んでるかもしれないけど。あと、魔導具が残されてるから、そちらの対応もお願いします」
「……事件かい? 場所を特定したから鑑識も連れて何名かで現場に向かう。現場の状態維持は頼んだ。迅速な連絡感謝するよ」
「立ち入り禁止の結界を張ったから、強行突破されても個人情報が得られるわ」
「助かる。ところで彼のお見舞いで遭遇したのか?」
「まあ、そんなところね」
「もうすぐ着くからあとは現場で」
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現実に起きたとは思えない。
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