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一章:タイムスリップ
第六話:企みの夜
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宵五ツ刻。
姉倉家用人としての仕事を滞りなく終えた生島数馬は、小さな座敷の中、ひとり静かに書物の世界へと身を投じていた。
飾り気のない質素な部屋だった。
広さもおよそ六畳程度しかない。
現代風に言えば、そこはおそらく書斎とでも呼ぶべきところなのであろう。
部屋の隅に置かれた行灯から放たれるほのかな明かりが、流れるようにつづられた無数の文字を古ぼけた紙面の上に浮かびあがらせている。
よほど何度も頁をめくられたものか、その端々にはうっすらと手垢が付きかすれ傷んだ部分すらも見て取れた。
彼が熱心に目を通している書物、それは武経七書と称される兵法書「六韜」「三略」の写本だった。
大陸に生を受けた偉大なる軍師「太公望呂尚」が記したと伝えられている名著である。
少年時代、それを一読した数馬は、たちまちその内容に魅入られた。
貪るように頁をめくり、幾度となくその文面をおのが筆でもって反芻した。
書物の内容を自らのものとするなら、その文面をその手で書き写す「写本」に勝る手段はない。
いま数馬が目を通している本も、実はかつての彼が夢中になって原書──それとて写本であったが──より書写した代物のひとつであった。
以来十年を越える月日が流れたが、数馬は一日も欠かさず、それらに没頭する時間を自らに課している。
写本した数も、もはや片手の指では収まらなくなっていた。
戦のないいまの時代であっても多くの武士は剣や槍などの武芸、すなわち個人的な戦闘技術を好んで学んだ。
しかし、数馬はより組織的なそれ、つまり軍学をこそ熱心に求めた。
戦場をおのれの居場所と心得たひとかどの武将にではなく、仕えた主君を私心なく支える軍師に自己を投影し憧れの対象としていたからだった。
だからであろうか。
数馬は、いまの自分に与えられた役割を十分な満足感とともに受け止めていた。
城代家老・姉倉玄蕃の片腕としてその家中に辣腕を振るい、その「軍師」として自らの才を縦横に発揮できるこの立場を、文字どおり愛していると言っても過言でなかった。
ゆえにこそ、数馬にとっておのれの才を磨きあげる勉学の時間は、大いなる喜びとして感じられるようになっていたのだった。
麻薬のような、と評してもあながち間違いではなかっただろう。
そんな時を楽しむ彼に一通の手紙が届けられたのは、ちょうど読んでいた章がひと段落した矢先の出来事だった。
若い家人が襖戸を開けつつ差し出したその手紙を、数馬は無言で受け取った。
従兄弟である乾半三郎からのものであった。
労いの言葉とともに家人を下がらせ、改めてその内容に目を通す。
そこには、今朝方秋山道場にて行われた立ち合いの様子が克明に記されてあった。
無手の相手に木太刀をもって挑むという有利な立場にありながら結果無様な敗北を喫したおのれに関しても、半三郎は隠し立てすることなく書き記していた。
「古橋ケンタ」なる人物の身に付けた「ぷろれす」という闘技。
これまで見たことも聞いたこともないそれは、明らかに柔術とも角力とも異なる、この国で生まれたものとも思えない特異な武術であった──半三郎は、そんな一文で数馬への報告を締め括っていた。
その手紙を熟読した数馬は、小さく唸り声を上げて目をつぶった。
半三郎ほどの男が「見たことも聞いたこともない」と言い切る「ぷろれす」という闘法。
あるいは古き日に異国より伝えられし秘伝の技か、との疑惑が脳裏をよぎった。
もしそれが正しければ、その古橋某という者がいずこかに飼われた隠密であるという線は薄くなる。
極めて現実的な術理にこだわる隠密どもが、そんな海のものとも山のものともつかない技術をわざわざ修得するわけなどないからである。
その一点において、いくらか数馬は胸をなでおろすことができた。
そうであるなら、あえてことを急ぐ必要はない。
謀はすでに折り返し地点を越えてしまっているが、その流れは同時に緩慢ですらある。
ここは無理強いを避けるのが、やはり賢明であると思われた。
だが、慎重居士である数馬はそのためにもさらなる確証が必要であるとも考えた。
いまひと押ししてみるべきか。
そう思い立った彼は側に置いてあった鈴を手に取り、それを小さく振り鳴らした。
音もなく襖戸が開き、隣室に控えたひとりの男が姿を現した。
それは、茶褐色の忍び装束を身にまとった大柄な男であった。
「お呼びでしょうか」
彼は言った。
まさしく異相の人物だった。
朱と黒。
そのふたつの色彩を顔一面に塗り施し、一種異様な面相を自らの手で形作っている。
それが何を意図しての仕業かは誰の目にも明らかだった。
素顔を隠すためのものである。
なるほど。純粋に顔を晒さないためであるのなら、視界や呼吸の妨げとなる面や頭巾よりもそれは効率的かもしれない。
場合によっては威嚇効果も期待できる。
だが、それにしたところで、顔に色を付けるという発想が奇異であることに変わりはなかった。
それは、少なくとも真っ当な侍が思い付くものでありはしない。
異相を好む傾奇者の嗜好であった。
男の名は「武太」という。
諸国を流れ金で雇われる「忍びの者」、それらを束ねる棟梁のひとりだ。
聞くところによれば、かつてこの飛騨国を支配していた豪族・三木氏に仕えていた「飛騨忍群」の末裔らしい。
十数名の手駒を抱えるこの男を数馬が雇い入れたのは、おととし初旬のことであった。
手当は年間にして金五十両。
中級の武士数人分の俸禄に匹敵する。
決して安い買い物ではなかったが、数馬はふたつ返事でこれを受け入れた。
いろいろな汚れ仕事に手を染めさせるなら、それもさほどに悪くない出費だと考えたからだった。
以後、この武太に率いられた忍びの者たちは数馬の予想を上回る有能さを発揮し、その目論見達成の手足となって働いてきた。
それは、当初、支払う高給に見合うものかと懐疑的だった姉倉玄蕃ですらが、その価値を認めざるを得なくなるほどのものであった。
そんな忍びの頭に向かい、淡々とした口調で数馬は告げた。
「そなたの手勢数人で、今宵秋山道場から娘をさらえ」
有無を言わせぬ発言だった。
「ただし、無理にとは言わぬ。古橋某とやらの手並みをもう一度見定めることと、秋山弥兵衛におのれの立場を認めさせることが叶えばそれでいい」
「畏まりました」
武太は数馬の命に了承の意を告げると恭しく頭を垂れ、ふたたび闇の奥へと姿を消した。
あたかも幽鬼のごとき動きであった。
足音はおろか、わずかな気配の揺らめきすら放ってなどいない。
闇に紛れ枕元に立たれても、気付ける者は少なかろう。
不気味な奴よ。
襖戸が閉まりふたたび独りとなった座敷の中で、数馬は武太という男に対するあからさまな嫌悪感を弄んでいた。
単なる手駒としては、あまりに有能過ぎるからだ。
この男はただ金のために働いている素振りを隠そうとしないながらも、時折その腹の底が読めぬ時がある。
あの者は、本当の意味で我らに仕えているのであろうか。
根拠のない疑念は、常に新たな疑念を呼ぶ。
あの武太がおのれを売り込みに来た時期は、彼の主である姉倉玄蕃が柳沢出羽守から件の謀を持ちかけられた時期とほぼ重なる。
それが偶然のものでなかったとしたら。
我らとは別の者の意志による必然のことであったのだとしたら。
そう考えて数馬は軽く身震いした。
もしそうであれば、あやつ自身が我らの企みそのすべてを知る生き証人となりかねない。
決して表立ってはならない汚れ仕事の大半を、彼とその配下の忍びどもが請け負っていたことに間違いはないのだから。
武太を通して何者かがそれらの情報を得ているとすれば、こちらを破滅させることはその者にとって赤子の手を捻るより容易いこととなるだろう。
生殺与奪の権利を握られたも同然だとさえ言える。
では、いったい誰が。
思い当たる人物は、自分たちの背後で糸を引く柳沢出羽守本人以外にはなかった。
もし彼以外の誰かがこの謀を密かに察し息のかかった密偵を送り込んできたのだとしたら、これまでまったくの傍観を決め込んでいることに説明がつかない。
謀に同調するならするで、またそれを阻止するならするで、その者らがなんらかの接触を試みてくるのは確実だろうと思われたからだった。
では、出羽守殿はそのような真似をすることで、いったいなんの利益を得ているのだろう。
あの御仁は確かに類い希なる陰謀家であるが、同時に極めて有能で現実的な政治家でもある。
そうでなければ、将軍家の知遇を得て側用人などという重職に取り立てられるわけもない。
いや、待て。
不意に閃いた何かに、数馬は一瞬おのれを委ねた。
急に目の前が開き、明確な答えが頭の中で形を作る。
我らに付ける首輪、というわけか。
ようやく辿り着いた結末に接し、数馬はにんまりと嫌らしい笑みを浮かべた。
仮に柳沢出羽守が武太の飼い主であったとしたら、彼の役目は自分たちに対する監視なのだと理解したからだった。
あの御仁──柳沢出羽守は、おそらくこちらを信じてなどいないのだろう。
いや、信じてはいるのだろうが、全面的な信頼を抱くまでには至らないのだろう。
だから、自らの耳目あるいは手足となる人間を、あえてこちら側に置いておこうと考えたのだ。
場合によっては、おのれを裏切るかもしれない者たちの口を永遠に封じるため。
なるほど。
それならば十分に納得がいくうえに、むしろ安堵できる理由ですらある。
数馬は思った。
自分たちがこの謀に背くわけなどない。
無論、あの欲深い姉倉玄蕃がどのような身の振り方を考えているのかは、神仏ならぬ数馬にはうかがい知ることなど叶わない。
しかし、少なくともこの自分はそうだ。
裏切ることなどまったくもってありえない。
そう、彼は断言することができた。
なぜなら、おのれの知謀をもって一国の行く末を左右できる機会など、望んでも得られない極めつけの天佑であるからだった。
ひとりの「男」としてこれをみすみす逃すことなど、いったいどうしてできようものか。
やがて込みあげてきた感情が、くぐもった笑い声となって数馬の口から漏れだした。
それは、明らかな喜色であった。
姉倉家用人としての仕事を滞りなく終えた生島数馬は、小さな座敷の中、ひとり静かに書物の世界へと身を投じていた。
飾り気のない質素な部屋だった。
広さもおよそ六畳程度しかない。
現代風に言えば、そこはおそらく書斎とでも呼ぶべきところなのであろう。
部屋の隅に置かれた行灯から放たれるほのかな明かりが、流れるようにつづられた無数の文字を古ぼけた紙面の上に浮かびあがらせている。
よほど何度も頁をめくられたものか、その端々にはうっすらと手垢が付きかすれ傷んだ部分すらも見て取れた。
彼が熱心に目を通している書物、それは武経七書と称される兵法書「六韜」「三略」の写本だった。
大陸に生を受けた偉大なる軍師「太公望呂尚」が記したと伝えられている名著である。
少年時代、それを一読した数馬は、たちまちその内容に魅入られた。
貪るように頁をめくり、幾度となくその文面をおのが筆でもって反芻した。
書物の内容を自らのものとするなら、その文面をその手で書き写す「写本」に勝る手段はない。
いま数馬が目を通している本も、実はかつての彼が夢中になって原書──それとて写本であったが──より書写した代物のひとつであった。
以来十年を越える月日が流れたが、数馬は一日も欠かさず、それらに没頭する時間を自らに課している。
写本した数も、もはや片手の指では収まらなくなっていた。
戦のないいまの時代であっても多くの武士は剣や槍などの武芸、すなわち個人的な戦闘技術を好んで学んだ。
しかし、数馬はより組織的なそれ、つまり軍学をこそ熱心に求めた。
戦場をおのれの居場所と心得たひとかどの武将にではなく、仕えた主君を私心なく支える軍師に自己を投影し憧れの対象としていたからだった。
だからであろうか。
数馬は、いまの自分に与えられた役割を十分な満足感とともに受け止めていた。
城代家老・姉倉玄蕃の片腕としてその家中に辣腕を振るい、その「軍師」として自らの才を縦横に発揮できるこの立場を、文字どおり愛していると言っても過言でなかった。
ゆえにこそ、数馬にとっておのれの才を磨きあげる勉学の時間は、大いなる喜びとして感じられるようになっていたのだった。
麻薬のような、と評してもあながち間違いではなかっただろう。
そんな時を楽しむ彼に一通の手紙が届けられたのは、ちょうど読んでいた章がひと段落した矢先の出来事だった。
若い家人が襖戸を開けつつ差し出したその手紙を、数馬は無言で受け取った。
従兄弟である乾半三郎からのものであった。
労いの言葉とともに家人を下がらせ、改めてその内容に目を通す。
そこには、今朝方秋山道場にて行われた立ち合いの様子が克明に記されてあった。
無手の相手に木太刀をもって挑むという有利な立場にありながら結果無様な敗北を喫したおのれに関しても、半三郎は隠し立てすることなく書き記していた。
「古橋ケンタ」なる人物の身に付けた「ぷろれす」という闘技。
これまで見たことも聞いたこともないそれは、明らかに柔術とも角力とも異なる、この国で生まれたものとも思えない特異な武術であった──半三郎は、そんな一文で数馬への報告を締め括っていた。
その手紙を熟読した数馬は、小さく唸り声を上げて目をつぶった。
半三郎ほどの男が「見たことも聞いたこともない」と言い切る「ぷろれす」という闘法。
あるいは古き日に異国より伝えられし秘伝の技か、との疑惑が脳裏をよぎった。
もしそれが正しければ、その古橋某という者がいずこかに飼われた隠密であるという線は薄くなる。
極めて現実的な術理にこだわる隠密どもが、そんな海のものとも山のものともつかない技術をわざわざ修得するわけなどないからである。
その一点において、いくらか数馬は胸をなでおろすことができた。
そうであるなら、あえてことを急ぐ必要はない。
謀はすでに折り返し地点を越えてしまっているが、その流れは同時に緩慢ですらある。
ここは無理強いを避けるのが、やはり賢明であると思われた。
だが、慎重居士である数馬はそのためにもさらなる確証が必要であるとも考えた。
いまひと押ししてみるべきか。
そう思い立った彼は側に置いてあった鈴を手に取り、それを小さく振り鳴らした。
音もなく襖戸が開き、隣室に控えたひとりの男が姿を現した。
それは、茶褐色の忍び装束を身にまとった大柄な男であった。
「お呼びでしょうか」
彼は言った。
まさしく異相の人物だった。
朱と黒。
そのふたつの色彩を顔一面に塗り施し、一種異様な面相を自らの手で形作っている。
それが何を意図しての仕業かは誰の目にも明らかだった。
素顔を隠すためのものである。
なるほど。純粋に顔を晒さないためであるのなら、視界や呼吸の妨げとなる面や頭巾よりもそれは効率的かもしれない。
場合によっては威嚇効果も期待できる。
だが、それにしたところで、顔に色を付けるという発想が奇異であることに変わりはなかった。
それは、少なくとも真っ当な侍が思い付くものでありはしない。
異相を好む傾奇者の嗜好であった。
男の名は「武太」という。
諸国を流れ金で雇われる「忍びの者」、それらを束ねる棟梁のひとりだ。
聞くところによれば、かつてこの飛騨国を支配していた豪族・三木氏に仕えていた「飛騨忍群」の末裔らしい。
十数名の手駒を抱えるこの男を数馬が雇い入れたのは、おととし初旬のことであった。
手当は年間にして金五十両。
中級の武士数人分の俸禄に匹敵する。
決して安い買い物ではなかったが、数馬はふたつ返事でこれを受け入れた。
いろいろな汚れ仕事に手を染めさせるなら、それもさほどに悪くない出費だと考えたからだった。
以後、この武太に率いられた忍びの者たちは数馬の予想を上回る有能さを発揮し、その目論見達成の手足となって働いてきた。
それは、当初、支払う高給に見合うものかと懐疑的だった姉倉玄蕃ですらが、その価値を認めざるを得なくなるほどのものであった。
そんな忍びの頭に向かい、淡々とした口調で数馬は告げた。
「そなたの手勢数人で、今宵秋山道場から娘をさらえ」
有無を言わせぬ発言だった。
「ただし、無理にとは言わぬ。古橋某とやらの手並みをもう一度見定めることと、秋山弥兵衛におのれの立場を認めさせることが叶えばそれでいい」
「畏まりました」
武太は数馬の命に了承の意を告げると恭しく頭を垂れ、ふたたび闇の奥へと姿を消した。
あたかも幽鬼のごとき動きであった。
足音はおろか、わずかな気配の揺らめきすら放ってなどいない。
闇に紛れ枕元に立たれても、気付ける者は少なかろう。
不気味な奴よ。
襖戸が閉まりふたたび独りとなった座敷の中で、数馬は武太という男に対するあからさまな嫌悪感を弄んでいた。
単なる手駒としては、あまりに有能過ぎるからだ。
この男はただ金のために働いている素振りを隠そうとしないながらも、時折その腹の底が読めぬ時がある。
あの者は、本当の意味で我らに仕えているのであろうか。
根拠のない疑念は、常に新たな疑念を呼ぶ。
あの武太がおのれを売り込みに来た時期は、彼の主である姉倉玄蕃が柳沢出羽守から件の謀を持ちかけられた時期とほぼ重なる。
それが偶然のものでなかったとしたら。
我らとは別の者の意志による必然のことであったのだとしたら。
そう考えて数馬は軽く身震いした。
もしそうであれば、あやつ自身が我らの企みそのすべてを知る生き証人となりかねない。
決して表立ってはならない汚れ仕事の大半を、彼とその配下の忍びどもが請け負っていたことに間違いはないのだから。
武太を通して何者かがそれらの情報を得ているとすれば、こちらを破滅させることはその者にとって赤子の手を捻るより容易いこととなるだろう。
生殺与奪の権利を握られたも同然だとさえ言える。
では、いったい誰が。
思い当たる人物は、自分たちの背後で糸を引く柳沢出羽守本人以外にはなかった。
もし彼以外の誰かがこの謀を密かに察し息のかかった密偵を送り込んできたのだとしたら、これまでまったくの傍観を決め込んでいることに説明がつかない。
謀に同調するならするで、またそれを阻止するならするで、その者らがなんらかの接触を試みてくるのは確実だろうと思われたからだった。
では、出羽守殿はそのような真似をすることで、いったいなんの利益を得ているのだろう。
あの御仁は確かに類い希なる陰謀家であるが、同時に極めて有能で現実的な政治家でもある。
そうでなければ、将軍家の知遇を得て側用人などという重職に取り立てられるわけもない。
いや、待て。
不意に閃いた何かに、数馬は一瞬おのれを委ねた。
急に目の前が開き、明確な答えが頭の中で形を作る。
我らに付ける首輪、というわけか。
ようやく辿り着いた結末に接し、数馬はにんまりと嫌らしい笑みを浮かべた。
仮に柳沢出羽守が武太の飼い主であったとしたら、彼の役目は自分たちに対する監視なのだと理解したからだった。
あの御仁──柳沢出羽守は、おそらくこちらを信じてなどいないのだろう。
いや、信じてはいるのだろうが、全面的な信頼を抱くまでには至らないのだろう。
だから、自らの耳目あるいは手足となる人間を、あえてこちら側に置いておこうと考えたのだ。
場合によっては、おのれを裏切るかもしれない者たちの口を永遠に封じるため。
なるほど。
それならば十分に納得がいくうえに、むしろ安堵できる理由ですらある。
数馬は思った。
自分たちがこの謀に背くわけなどない。
無論、あの欲深い姉倉玄蕃がどのような身の振り方を考えているのかは、神仏ならぬ数馬にはうかがい知ることなど叶わない。
しかし、少なくともこの自分はそうだ。
裏切ることなどまったくもってありえない。
そう、彼は断言することができた。
なぜなら、おのれの知謀をもって一国の行く末を左右できる機会など、望んでも得られない極めつけの天佑であるからだった。
ひとりの「男」としてこれをみすみす逃すことなど、いったいどうしてできようものか。
やがて込みあげてきた感情が、くぐもった笑い声となって数馬の口から漏れだした。
それは、明らかな喜色であった。
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