片翼の竜

もやしいため

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第二幕:始まりの一夜

022神殿の基盤

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存在が確認されている『実物カミ』を祀る場所。
聖地である火山に最も近いこの神殿は、権力という見えない力で人の世に絶大な影響を与える。

多神教・一神教はもとより、他にもいくつもの宗教や神殿がある。
そんな中、カルオットが祀り上げたのはこの世界で知らぬ者は居ないほど、生活に直結する『竜』だった。

雄大に空を舞い、地に降りては災厄を撒き散らす。
高い知能で人の言葉を話し、変化を嫌って巣の周囲を治める。
竜によって世界への関わり方は違っていても、総じて言えるのは『全てを成すだけの力がある』ということだ。
やろうと思えばほとんどのことを『力ずく』で実現させる、上位の種族なのだ。
だから物心付いた頃から寝物語として聞かされる竜の存在は、そこら辺の理想論を振り回す神よりも遥かに身近にあるものだった。

強大な存在である竜の影響力を理解するのは容易い。
ただ移動するだけで周囲に波風を立て、脆弱な人は慌てふためき、様々な物流に変化を及ぼす。
たとえば棲み処を変えれば、新天地となった住まう人々は壊滅的被害を受けるだろう。
小さな村落であれば移住で構わないが、経済や防衛の拠点となっていれば、逃げることもままならない。

討伐隊が編成され、装備や食料や道具が運び込まれ、これでもかと消費が始まる。
竜の討伐が成功すれば、回収された素材は市場へと運ばれ経済が潤う。
この竜を素材とした装備や道具は『竜具』と呼ばれ、生涯に一つは欲しい憧れの品にすら昇華される。

むしろ『生涯竜に関わらない』のは難しく、竜の挙動は話題に上り、討伐の正否は世界を巡る。
であれば、その竜を祀るカルオットの『説得力』は段違いだ。
他の教会や宗教を貶める訳ではないが、実感の薄い(もしくは無い)神よりも、身近な竜を信仰の対象する方が余程イメージもしやすいだろう。
そして『武力の神』を祀る神殿とも名高いカルオットは、未だ様々な災害を排除しきれない辺境において絶大な求心力を持っていた。

そんな総本山の廊下を、二人の様子に不審感を隠すこともなく先導する門番グラッツ。
その後ろを暢気な顔で勇者ヴァルの袖を掴んでぺたぺた歩く竜神アルカナ
何とも言えない空気の中、延々と伸びる廊下の先を目指す。
早く着いてくれと願う、ヴァルの精神力は刻一刻と削られていた。

ヴァルの精神を削りながら辿り付いたのは議会場。
荘厳な雰囲気を醸し出す背丈の倍程もある、開くだけで一苦労しそうな木製の扉。
視線の高さには、これまた装飾華美な黒い竜頭の打ち金ノッカーが鎮座する。
グラッツは視線だけで『お待ちください』と告げ、一つ呼吸を正してから

――ガツン、ガツン

竜頭ノッカーで音を打ち鳴らす。
すぐに内側からギギッと重い音を立てて扉が開く。
中は同心円状にテーブルや椅子が高くなっている大きな議会場。
その中央の一番低い場所に置かれた円卓には、衣服から高位の役職者と思われる人物が着席していた。

「イクス・カルオット・ワイズ教皇、お久しぶりです」

グラッツの後ろから前に出たヴァルは、勇者の一人として神殿の長に向けて頭を下げる。
これから彼等の価値観を激変させることを思えば、頭の一つや二つ下げたところで足りないだろうと考えて。





この神殿から火山へと足繁く通う勇者の一人、ヴィクトル・ヘンラインが神殿に戻ったという。
ふらりとこの地に訪れ、宿泊と登山の許可を得に、初めて顔を合わせた時のことを忘れられない。
そう、あの深い絶望感を宿した『自殺志願者』のような貌を。

それからもう半年も経ったとは…時の流れが随分と早くなってしまった。
最初は火山の過酷な環境に耐えられず、山を上り下りしていただけ。
気付けば竜神様と手合わせするに至り、さらに軽微の負傷で下山しては間を置かずに再び上るを繰り返す。
その姿はまさに修験者と言え、回を重ねるごとに覇気が増す彼を見て、勇者の二つ名がいかに重いものかを知ってしまう。

そんな世界で指折りである彼が、議場の中央で頭を下げてわしごとき・・・の沙汰を待つ。
感傷を持って感慨深げに眺めていてはならぬ、と手を振った。

「顔をお上げなさい。ヴィクトル・ヘンライン殿」

「はい、この度は急な謁見を受け入れて頂きありがとうございます」

「なになに。こちらこそ重大な話を持ってきてくれたようで感謝する」

この地は竜神様の加護を得て魔物が少ないとはいえ、居ないわけではない。
むしろ数が少ない反面、質が高く強大なものが跋扈する地でもある。

当然のように防衛費は嵩み消耗は激しくなる中で、彼は『宿泊の礼だ』と報酬を求めず立ち回った。
しかも討伐に加えて良質な素材を提供してくれるため、宿泊を認めるだけで恩恵を得る神殿にとって大変ありがたい食客でもあった。
そんな相手に頭を下げさせるなど、なんとも歪な世界であろうか…自らの力の無さが悔やまれる。

ともあれ、今は目の前のことだ。
彼が非難を視野に入れてまでわざわざ伝えたいこととは何だろうか。

――神の火山の異変と、竜神の現在について緊急で話がしたい

不穏な空気を匂わせる口上に、気持ちが逸るのは精神修養がまだまだということかもしれないな。
などと内心で苦笑して、わしは改めて彼とその隣に居る、恐ろしく場違いな者を見る。

彼女は一体何者なのだろうか?
今のこの状況が些事であると言うように、教皇である・・・・・ワイズわし相手にも頭を下げない。
門番グラッツの話では迷子で、勇者が「必要だから」とわざわざ引き連れて来たため通したとのこと。

背が低いにも関わらず見下みおろすように立ち。
ケープを羽織っただけで靴すら履いていない、現実離れした美しい少女。
よくよく見てみれば、その細い足に少しの汚れはあっても一切の傷は無く、強烈な印象でもって他を圧倒していた。
この場の空気を塗り潰していた、と言っても過言ではない。

「それで…そちらの少女は誰だね?」

「我か?」

悪い方向に目立つ格好を『勇者の連れ』という扱いで咎められなかっただけの彼女は、尊大な言葉でもって返してしまった。
孫のような相手の物言いに、わしの周囲に座る枢機卿たちの雰囲気が変わる。
あぁやだやだ、まったく…四十・五十にもなって余裕の無い。
少女は単に疑問を口にしているだけだというのに、これは『馬鹿にされている』と勘違いしているな。

それを察したのか、勇者は

「アルカナ、少し黙ろうな」

と制し、色めき立つ首脳陣の視線を遮るように立ちはだかる。
苦笑いが混じるその所作に、思わず『それだけで話が済むなら最初から打ち合わせしておいて貰えんか』と苦情を言いそうになる。
この枢機卿じじいたちの相手は教皇わしとしても面倒なのだのだからね?

「ご質問のこの者の名前は『アルカナ』です。
 報告には、アルカナがどうしても必要でしたのでこの場に連れて参りました」

「なるほど、繋がりは後で話してもらえると」

「その通りですワイズ教皇」

状況はまだ不明だが、何にせよ神殿側こちらは黙って話を聞いていれば良いのだ。
わざわざ関係を拗らせるような雰囲気を出す必要もない。

「よろしい。では報告を聞こう」

「はい。本日もまた竜神様に挑みました」

「今日出立した、と聞いていたが今回は随分と早い帰還ですな」

「えぇ、火竜が山頂に訪れましたので」

ただの一言でわしを取り囲む枢機卿たちいいおとなが騒がしくなる。
隣に座る者との内緒話ではなく、派閥別に移動までざわざわと小言で語り合いを始めた。

わし、この雰囲気超嫌い。
これだけ居れば好き嫌いは仕方ない…が、話すならば全員で話せ。
報告者の目の前で内緒話とは失礼以前の問題だろう…馬鹿なのか?
それに報告はまだ終わっていない。

呆れる教皇わしを含む神殿側の様子を、勇者は仄かに笑って流してくれる。
この枢機卿ばか達よりも遥かに『読める様』にわしは思わず感心した。
いよいよ止めに入ろうかという瞬間を狙いすませたかのようなタイミングで勇者は語る。

「その火竜については俺が処分しています」

「それはご苦労でした。格別の感謝を。……して、証明として持ち帰ったものはあるかね?」

「いえ、今回はやめておきました。
 同族を目の前で解体されては、いくら寛容な竜神様でも気分を害されるかもしれませんから」

これが他の者なら牙や角、もしくは核を引きずり出して神の逆鱗に触れたやもしれん。
死してなお強靭な竜の身体は加工せずとも腐りにくく、屍骸とはいえ竜を食らうほど強大な魔物もこの地には居ない。
だからそれは現場では賞賛すべき最良の決断を、誰が非難できるというのだr―――

「そんなことはないぞ」

「うん、わかってるから。とりあえずアルカナは黙っていような?」

「むぅ……叱られてしまった」

目の前で繰り広げられる勇者と少女の茶番劇に思わず唸る。
場の空気がしらける一瞬の間をおいて

「それではその話が本当かどうか分からぬでは無いか」

というような茶々が入る。

わしは思わずテーブルに乗せてある手を握り込む。
何故神殿でぬくぬくしているだけの者が、そんな下らぬ言葉を吐くのだ。
権力争いが上手いだけの愚図がでしゃばっては神殿の品位が下がってしまうではないか。
苦々しく頭を巡らし、諌める言葉を出す前に少女が口を開いた。

「間違いなく、ヴァルが火竜を討伐したと我が保証しよう。
 山頂は縄張りの中心地だから、あの亡骸はまだ残っていることもな」

「誰とも知れぬ小娘の言葉など聞くに値せん!」

少女が「貴様…」と呟いた口を勇者が即座に塞ぎ、「頼むからもう少しだけ黙ってくれ」と願い出てくれた。
機先を制する彼はやはり優秀だ。
どれ、わしも枢機卿を黙らせねばならんか。

「待て、ガンドール」

「ですがワイズ様、不確かな情報で動けはしません」

「その疑念は分かるが、彼の行動に咎める部分など無い」

「いえ、確証が無い以上、咎める以前の問題です」

「ではその『確証』はどのようして手に入れると?」

「私が確認に向かいましょう」

余りに露骨な介入示唆に、わしは『あぁ、こいつネコババする気だな』と思わず頭を抱えそうになる。

確かに属性持ちの竜は中位、上位に位置付けられる。
当然、流通量も少なく、何より倒すのに手間が掛かりすぎるのだ。

さらに環境と属性が揃えば……そう、『火山の火竜』ともなれば、難易度を一段引き上げてしまう。
一般兵なら二千人ほどの編成で対策装備をガチガチに固め、断続的に一週間ほど掛ける討伐が妥当になる。
この場合、軽傷以下の帰還者と生活に支障が出る負傷が五百ずつ。
死亡が八百、ただの重傷者・・・・・・が二百ほど、と四分の三もの被害が出る遠征になり、収支が全く釣り合わない。
余程の場所でなければまず討伐自体が見送られる案件だ。

そんな魅力的な資産かりゅうが所有者もなく山頂に『落ちている』のだから、拾わない手はない。
つまりガンドールは勇者に対して『拾ってこないお前は馬鹿だな』と、そう言っているのだ。

「…ならばその場へは、ヘンライン殿に案内を願おう」

「いえ、こちらで見つけ出しましょう」

「それで『見付からなかった』と報告されては彼の立場があるまい?」

既に人族の切札である勇者はたった三人しか居ないのだぞ。
だというのにわざわざ反感を買うだけの行為に何の意味がある!

それに信じていないくせに『探し出す』とは意味が分からん。
ふざけているのかこいつは……わしは制止の言葉を重ねた。
この場を開いた限りは討伐証明を要求されるのは分かりきっているのに『無い』ということへの違和感を覚えないというのか。

「……ではそのように致しましょう。ヘンライン様、すぐに発てますか?」

「ガンドール、まだ話の途中だ。勝手に切り上げるのは止してもらおう」

「くく……それは失敬」

席に着くガンドールの顔に、一瞬欲の色が見える。
この様子では過去にもあったのだろう……食客が手に入れた素材を巻き上げるなどありえんぞ。
帳簿にも履歴を残さず、懐に入れていたに違いない。
気付くのが遅すぎた…いや、気付けただけマシだと見るべきか―――。

成り行きを見守っていた勇者は、わしに向けて苦笑を浮かべる。
これは知っていて指摘しなかったのだな……。
改めて勇者に対する申し訳なさがこみ上げる中、「では本題です」と彼は話を進める。
わしは思わず本心から「先程の火竜が前座とは恐ろしいな」と返答する。

竜種というのはそれだけ脅威としては大きいのだから。
しかもピンハネしていた事実ですらも含めている。
単独で事を成す者はやはり器の大きさが違うようだ。

「竜神が火山から動きます」

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『――なんだと!?』

この場に居る神殿の首脳陣の声が重なった。
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