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第二幕:始まりの一夜
019宗教観
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山道を歩いていた時よりも広い歩幅で歩く。
道が整備されていることもあるが、やはり城壁を越えれば安心感が増す。
警戒の閾が下がり、ヴァルの意識がさらに内側に寄ってしまったせいだろう。
トトッとつんのめるような怪しい足運びを強いられる、一番の被害者たる手を引かれる当のアルカナは、気にした様子もなく声を上げた。
「しかし、ヴァル。理のない言葉で従わせるとは大したものだ」
「肩書きだけは一級品だからなぁ」
「肩書き? 魔言ではないのか」
街中に入ったことでより現実味を帯びた、行先の問題。
店と神殿で不慣れな説明を二度もするくらいなら、行き当たりばったりでも後者に飛び込んだ方が早いかもしれない。
ヴァルは投げやり気味に棚上げし、意識を浮上させてアルカナに返答する。
「ん? あぁ、そんな技術じゃないさ。人の世にはな、階級ってのがあるんだ」
「名称とは違うのか?」
「簡単に言えば役割なんだが、それぞれに優先権を持たせて物事を整理しているわけだな」
「つまりお前は存外にすごいやつだったのだな?」
そう、世界が認めた勇者の肩書はまさしく伊達ではない。
アルカナはうんうんと頷きながら納得の言葉を掛ける。
ただ本人は苦笑いしながら「そんな大したもんでもないさ」と否定とも聞こえる返答にとどまる。
成り行き上で手に入れただけの称号だとヴァルは考えていたからだ。
「なるほど? ではヴァルの役割は何なのだ」
「戦に勝つことさ」
「あぁ、魔王との生存権の奪い合いの話か」
ヴァルは楽しみを、アルカナは戦力をそれぞれ提供するという、火山で交わした約束に繋がる。
そんなやり取りの間に、ヴァルは知らず知らずの内に足早になっていたことに気付き、一度立ち止まる。
その身の強靭さを思えば、たとえ転んだり引き摺られたりしても平気だろうが、配慮の問題だった。
「アルカナ、希望は言えよ?」
「何のことだ?」
「何もないなら気にするな」
アルカナの頭にぽんと繋いでいた手を置いて話を終える。
思うところのないアルカナは不思議そうな顔でヴァルを眺めたが、本人は髪の触り心地の良さに意識が向いていた。
戦う男であるヴァルに、エスコートする能力は余りないらしい。
「それで行き先は決まったのか?」
流れでぺたぺたと頭を撫でられていた手を振り払い、逆に手を差し出してアルカナが訊いた。
まさに『さっさと連れていけ』と態度で示す。
ヴァルはと言えば、ぺしりと払われた手を引きつった顔でぎこちなくさすり、アルカナの力加減の雑さに頭を痛める。
手加減を覚えさせねば死人が出てしまう、と。
「まずはお前を祀る神殿だ。そこで旅道具一式揃えてもらおう」
「その装備ではだめなのか?」
「俺じゃなくてお前のだよ!」
「うん? 我は別に何とでもなると思うが」
こくん、と首を傾けて自身を見下ろす。
彼女には何が悪いのかさっぱり分からない。
着せられたケープは武骨な実用品で、恰好だけで言えば実にみすぼらしい。
ただ中身のアルカナが眩いばかりに逆に引き立つような気配がするのが不思議だった。
ヴァルはこれ見よがしに「はぁ…」と溜息を零し、アルカナの手を引いて歩き出す。
「今は人なんだから、大人しく言うことを聞いておけ」
「ふむ…それもそうか、ならばヴァルに従おう」
「素直なのは良いんだけど、聞き入れすぎるお前を見てると俺は心配になってくるな」
「ふむ? それは情報の取捨選択の話か?
であれば問題ない。ヴァルの言葉だから信用に足ると判断しているだけだ」
「んっぐ…!? 急にそういうのぶっこんでくるよなお前…」
「『そういうの』とは何だろう?」
やはり動作が一々、可愛げ満載で訊く。
自然に行われた動作が不自然なまでにキマっている、などと指摘するのは変だ。
人の意識を惹き付けるナニカを発するアルカナを胡乱気に眺め、またも溜息を零す。
「無自覚だから余計に性質が悪い」
「おい、勝手に納得していないで答えないか」
「…アルカナが口にするような素直な称賛は、人の世では余りしないものなんだよ」
「なるほど、言語以外の意思疎通手段を確立しているわけか。やるな人族」
「ちょいちょい人族に対するハードルを上げていくのやめてくれませんかねぇ…」
嘆くようにぼやくヴァルの意見など聞かないアルカナは、ようやく周囲を見渡すだけの余裕を手に入れる。
そうして顔を上げた先に見えたのは、ヴァルが目指していたカルオット教の中心的神殿が鎮座する。
神の社を意味する神殿には、神々しさを表現するために光を反射する白や、温かさを示す赤や朱、または清廉さの青や翠などを基調にするのが一般的だ。
しかしカルオットの教義は、それらの宗教と違う色を選んだ。
それは喪を表す色であると共に、絶対的な恐怖や絶望を示しながらも神秘性を内包する、すべてを呑み込み塗り潰す黒だ。
故にぽっかりと現れた建物は、あたかも悪魔崇拝でもしているかのような、一目で神殿とは見えない色合いだ。
「さぁ、あれが目的地だ」
「ふむ…なんとも辛気臭い色をしておるな」
「いや、お前自身が黒竜だろう?
だったらそれを祀る祭壇の色が反対の白だったら喧嘩売ってるだろ」
「そんなところで同調意識など必要無かろう?」
「誰が見ても同じことを想像させるために関連性ってのは必要なんだよ」
「なるほど、この配色は宗教的象徴と言うわけか」
合点がいったらしいアルカナは、ふんす、と鼻から息を抜いて建物を観察する。
濁ることもくすむことなく、吸い込まれるような澄んだ暗く黒い、艶すら感じる闇の色を纏う。
鱗の隙間から垣間見える皮膚や、射抜くかの如くすべてを睥睨する赤い瞳に倣い、境目や要所に赤い色を使う独自性溢れる配色をしていた。
アルカナに見立てて建てられた神殿は、竜神を見たヴァルからすると、思わず『これだ』と得心してしまうほどにアルカナらしさが見て取れた。
ただ、今の可愛らしく縮んだ人型だと、あの神殿ほど重苦しい威厳は備わっていないが。
「やっぱり神が居るってのは強いな」
「宗教とは『祀るもの』なのだろう?
神が居ない宗教とやらが存在するのか?」
「あぁ、いや…そうだなぁ。
そもそもだ。脆弱な人族は、たった一人では立っていられない。
ここが何処で、周りがどんなところで、何が必要か、何が潜んでいるか…不確かなことばかりだと竦んでしまうんだ」
暴力を是とするこの世界では、暴漢や魔物に簡単に襲われる。
明日は我が身、どころかすぐ身近に不幸の種はいくらでも転がっているのだ。
恐ろしく不安定で、よりどころとなるものも弱々しい。
仲間意識のない個人ほど、その疎外感や孤独感は強くて生きるには厳しい。
「ヴァルは違うのか?」
「俺含めて神ではなく信念や野望を指針に持つヤツも居る。
だがそんなのは極少数だ。今話してるのは恐怖や不安に打ち勝つだけの強い思いを持たない、その他大勢の話さ」
「ふむ? 淘汰されないのか?」
「さっきも言ったように、人は脆弱なんだよ。
そんなことで淘汰されてたら地上から消えちまう」
「それが『淘汰』という現象ではないのか?」
「あぁ、だから人は互いに補い、縋り合うことで保たれる。
俺が持つ武器や防具、道具や食事は、脆弱な人が長期に渡って互いを守るために積み上げたものだからな」
「弱くとも、生み出せるものはあると?」
「役割が違う、程度の認識で構わないさ。
話を戻すが…そんなにも弱い人族は、寄る辺を得るために神を立てる」
「強力な先導者といったところか?」
形のいい眉をひそめながら問う。
程度の差はあれ、祀る神たちは人の道しるべとなるものだ。
ヴァルはその理解の速さに舌を巻きながら「その通り」と頷くが、そのまま「だがそれだけじゃ弱い」と続けた。
「何故だ?」
「神の意向が端々にまで行き渡らないからさ。
だから『こうすれば幸せになれる』って教義を決め、『破れば罰せられる』みたいな戒律を敷く」
ヴァルの宗教観を聞き、アルカナは少し考えて「ただ窮屈になるだけではないか?」と疑問を呈する。
伝えられたことだけを飲み込めば、そうした答えに行き着くのも無理はない。
「人はな、何かに縋らなくちゃ生きられないほど弱いんだ」
「縋る? 縛る、ではなく?」
「そうだ。アルカナが言うように、縛る側面は大いにある。
その反面で教義によって守られても居るんだよ。
同じ規律の中でなら価値観を共有できるし、同じ教義の中でなら罰が見える。
『してはいけないこと』は『周囲もしないこと』と同じで、一々対策する必要が無くなって快適に過ごせるわけだ」
「お互いに制限を掛け合うことで分かり合う?」
「簡単に言えばな。毎日毎秒、びくびくと無限の可能性に怯えているより、よっぽど建設的だろ?」
肩を竦めて話すヴァルは、そうした常識がどれほど大事か理解している。
ある国では一般的でも、別の国では非常識で、そこに宗教が絡むとさらに複雑化する。
しかしそれでも無法より遙かにお互いを傷付けずに済むのは、人の根底には凶暴さが潜んでいるからなのだろう。
ヴァルの心情を察したわけでもないが、アルカナは「難儀な種族だな」と評し、黒き神殿へ足を向けた。
支える側のヴァルが引っ張られるような形で歩き出し、近付く宗教の説明を続けさせる。
「制限の意図は分かったが、先導者は存在するものだろう?」
「そこが難しいところだな。
神に偶像や虚像を宛がうにも理由があるんだよ」
「それは?」
「その祀り上げられた先導者が、何を言い出すか分からないだろう?」
ヴァルが何を言っているのか、アルカナには分からない。
他者の縋る先を用意する先導者が、何か言い出すとまずいとはどういうことだろうか…と、アルカナの頭の中では疑問符が吹き荒れる。
「人の欲は底知れない。それは常に証明され続けている。
どれだけすごいやつでも、権力を持つと豹変するかもしれない。
というより、神となった奴が豹変するかどうかは関係なく、そんな疑惑を周囲が持つ時点で信じきれない」
「何を言っている?」
「人は弱いから未来に対策し続ける。
つまり根本的に『信じること』が絶望的に下手な種族で、そのせいで不安に潰されている」
「話が循環してないか?」
「おう。だから何が最初かなんて気にするな。
宗教の本質は『裏切られないこと』で、人が信じるには『完結したもの』でなくちゃいけない。
だから人が神の座に上がるには死ぬ必要があるし、結果が変わることのない自然や現象を祀ることもあるわけだ」
歩みを止めず真面目な顔で滔々と語るヴァル。
アルカナは不躾に「何かあったのか?」と問う。
「まーちょっとな?」
はにかむように答えるにとどまる。
「それよりようやく着いた。
ようこそ竜神、お前を祀る神殿へ」
先程までの真剣な表情はどこへやら。
急に人好きのする顔で歓迎するヴァル。
人の機微には疎いアルカナは、片翼の変化を忘れて近付いた神殿に新たな刺激を見出した。
道が整備されていることもあるが、やはり城壁を越えれば安心感が増す。
警戒の閾が下がり、ヴァルの意識がさらに内側に寄ってしまったせいだろう。
トトッとつんのめるような怪しい足運びを強いられる、一番の被害者たる手を引かれる当のアルカナは、気にした様子もなく声を上げた。
「しかし、ヴァル。理のない言葉で従わせるとは大したものだ」
「肩書きだけは一級品だからなぁ」
「肩書き? 魔言ではないのか」
街中に入ったことでより現実味を帯びた、行先の問題。
店と神殿で不慣れな説明を二度もするくらいなら、行き当たりばったりでも後者に飛び込んだ方が早いかもしれない。
ヴァルは投げやり気味に棚上げし、意識を浮上させてアルカナに返答する。
「ん? あぁ、そんな技術じゃないさ。人の世にはな、階級ってのがあるんだ」
「名称とは違うのか?」
「簡単に言えば役割なんだが、それぞれに優先権を持たせて物事を整理しているわけだな」
「つまりお前は存外にすごいやつだったのだな?」
そう、世界が認めた勇者の肩書はまさしく伊達ではない。
アルカナはうんうんと頷きながら納得の言葉を掛ける。
ただ本人は苦笑いしながら「そんな大したもんでもないさ」と否定とも聞こえる返答にとどまる。
成り行き上で手に入れただけの称号だとヴァルは考えていたからだ。
「なるほど? ではヴァルの役割は何なのだ」
「戦に勝つことさ」
「あぁ、魔王との生存権の奪い合いの話か」
ヴァルは楽しみを、アルカナは戦力をそれぞれ提供するという、火山で交わした約束に繋がる。
そんなやり取りの間に、ヴァルは知らず知らずの内に足早になっていたことに気付き、一度立ち止まる。
その身の強靭さを思えば、たとえ転んだり引き摺られたりしても平気だろうが、配慮の問題だった。
「アルカナ、希望は言えよ?」
「何のことだ?」
「何もないなら気にするな」
アルカナの頭にぽんと繋いでいた手を置いて話を終える。
思うところのないアルカナは不思議そうな顔でヴァルを眺めたが、本人は髪の触り心地の良さに意識が向いていた。
戦う男であるヴァルに、エスコートする能力は余りないらしい。
「それで行き先は決まったのか?」
流れでぺたぺたと頭を撫でられていた手を振り払い、逆に手を差し出してアルカナが訊いた。
まさに『さっさと連れていけ』と態度で示す。
ヴァルはと言えば、ぺしりと払われた手を引きつった顔でぎこちなくさすり、アルカナの力加減の雑さに頭を痛める。
手加減を覚えさせねば死人が出てしまう、と。
「まずはお前を祀る神殿だ。そこで旅道具一式揃えてもらおう」
「その装備ではだめなのか?」
「俺じゃなくてお前のだよ!」
「うん? 我は別に何とでもなると思うが」
こくん、と首を傾けて自身を見下ろす。
彼女には何が悪いのかさっぱり分からない。
着せられたケープは武骨な実用品で、恰好だけで言えば実にみすぼらしい。
ただ中身のアルカナが眩いばかりに逆に引き立つような気配がするのが不思議だった。
ヴァルはこれ見よがしに「はぁ…」と溜息を零し、アルカナの手を引いて歩き出す。
「今は人なんだから、大人しく言うことを聞いておけ」
「ふむ…それもそうか、ならばヴァルに従おう」
「素直なのは良いんだけど、聞き入れすぎるお前を見てると俺は心配になってくるな」
「ふむ? それは情報の取捨選択の話か?
であれば問題ない。ヴァルの言葉だから信用に足ると判断しているだけだ」
「んっぐ…!? 急にそういうのぶっこんでくるよなお前…」
「『そういうの』とは何だろう?」
やはり動作が一々、可愛げ満載で訊く。
自然に行われた動作が不自然なまでにキマっている、などと指摘するのは変だ。
人の意識を惹き付けるナニカを発するアルカナを胡乱気に眺め、またも溜息を零す。
「無自覚だから余計に性質が悪い」
「おい、勝手に納得していないで答えないか」
「…アルカナが口にするような素直な称賛は、人の世では余りしないものなんだよ」
「なるほど、言語以外の意思疎通手段を確立しているわけか。やるな人族」
「ちょいちょい人族に対するハードルを上げていくのやめてくれませんかねぇ…」
嘆くようにぼやくヴァルの意見など聞かないアルカナは、ようやく周囲を見渡すだけの余裕を手に入れる。
そうして顔を上げた先に見えたのは、ヴァルが目指していたカルオット教の中心的神殿が鎮座する。
神の社を意味する神殿には、神々しさを表現するために光を反射する白や、温かさを示す赤や朱、または清廉さの青や翠などを基調にするのが一般的だ。
しかしカルオットの教義は、それらの宗教と違う色を選んだ。
それは喪を表す色であると共に、絶対的な恐怖や絶望を示しながらも神秘性を内包する、すべてを呑み込み塗り潰す黒だ。
故にぽっかりと現れた建物は、あたかも悪魔崇拝でもしているかのような、一目で神殿とは見えない色合いだ。
「さぁ、あれが目的地だ」
「ふむ…なんとも辛気臭い色をしておるな」
「いや、お前自身が黒竜だろう?
だったらそれを祀る祭壇の色が反対の白だったら喧嘩売ってるだろ」
「そんなところで同調意識など必要無かろう?」
「誰が見ても同じことを想像させるために関連性ってのは必要なんだよ」
「なるほど、この配色は宗教的象徴と言うわけか」
合点がいったらしいアルカナは、ふんす、と鼻から息を抜いて建物を観察する。
濁ることもくすむことなく、吸い込まれるような澄んだ暗く黒い、艶すら感じる闇の色を纏う。
鱗の隙間から垣間見える皮膚や、射抜くかの如くすべてを睥睨する赤い瞳に倣い、境目や要所に赤い色を使う独自性溢れる配色をしていた。
アルカナに見立てて建てられた神殿は、竜神を見たヴァルからすると、思わず『これだ』と得心してしまうほどにアルカナらしさが見て取れた。
ただ、今の可愛らしく縮んだ人型だと、あの神殿ほど重苦しい威厳は備わっていないが。
「やっぱり神が居るってのは強いな」
「宗教とは『祀るもの』なのだろう?
神が居ない宗教とやらが存在するのか?」
「あぁ、いや…そうだなぁ。
そもそもだ。脆弱な人族は、たった一人では立っていられない。
ここが何処で、周りがどんなところで、何が必要か、何が潜んでいるか…不確かなことばかりだと竦んでしまうんだ」
暴力を是とするこの世界では、暴漢や魔物に簡単に襲われる。
明日は我が身、どころかすぐ身近に不幸の種はいくらでも転がっているのだ。
恐ろしく不安定で、よりどころとなるものも弱々しい。
仲間意識のない個人ほど、その疎外感や孤独感は強くて生きるには厳しい。
「ヴァルは違うのか?」
「俺含めて神ではなく信念や野望を指針に持つヤツも居る。
だがそんなのは極少数だ。今話してるのは恐怖や不安に打ち勝つだけの強い思いを持たない、その他大勢の話さ」
「ふむ? 淘汰されないのか?」
「さっきも言ったように、人は脆弱なんだよ。
そんなことで淘汰されてたら地上から消えちまう」
「それが『淘汰』という現象ではないのか?」
「あぁ、だから人は互いに補い、縋り合うことで保たれる。
俺が持つ武器や防具、道具や食事は、脆弱な人が長期に渡って互いを守るために積み上げたものだからな」
「弱くとも、生み出せるものはあると?」
「役割が違う、程度の認識で構わないさ。
話を戻すが…そんなにも弱い人族は、寄る辺を得るために神を立てる」
「強力な先導者といったところか?」
形のいい眉をひそめながら問う。
程度の差はあれ、祀る神たちは人の道しるべとなるものだ。
ヴァルはその理解の速さに舌を巻きながら「その通り」と頷くが、そのまま「だがそれだけじゃ弱い」と続けた。
「何故だ?」
「神の意向が端々にまで行き渡らないからさ。
だから『こうすれば幸せになれる』って教義を決め、『破れば罰せられる』みたいな戒律を敷く」
ヴァルの宗教観を聞き、アルカナは少し考えて「ただ窮屈になるだけではないか?」と疑問を呈する。
伝えられたことだけを飲み込めば、そうした答えに行き着くのも無理はない。
「人はな、何かに縋らなくちゃ生きられないほど弱いんだ」
「縋る? 縛る、ではなく?」
「そうだ。アルカナが言うように、縛る側面は大いにある。
その反面で教義によって守られても居るんだよ。
同じ規律の中でなら価値観を共有できるし、同じ教義の中でなら罰が見える。
『してはいけないこと』は『周囲もしないこと』と同じで、一々対策する必要が無くなって快適に過ごせるわけだ」
「お互いに制限を掛け合うことで分かり合う?」
「簡単に言えばな。毎日毎秒、びくびくと無限の可能性に怯えているより、よっぽど建設的だろ?」
肩を竦めて話すヴァルは、そうした常識がどれほど大事か理解している。
ある国では一般的でも、別の国では非常識で、そこに宗教が絡むとさらに複雑化する。
しかしそれでも無法より遙かにお互いを傷付けずに済むのは、人の根底には凶暴さが潜んでいるからなのだろう。
ヴァルの心情を察したわけでもないが、アルカナは「難儀な種族だな」と評し、黒き神殿へ足を向けた。
支える側のヴァルが引っ張られるような形で歩き出し、近付く宗教の説明を続けさせる。
「制限の意図は分かったが、先導者は存在するものだろう?」
「そこが難しいところだな。
神に偶像や虚像を宛がうにも理由があるんだよ」
「それは?」
「その祀り上げられた先導者が、何を言い出すか分からないだろう?」
ヴァルが何を言っているのか、アルカナには分からない。
他者の縋る先を用意する先導者が、何か言い出すとまずいとはどういうことだろうか…と、アルカナの頭の中では疑問符が吹き荒れる。
「人の欲は底知れない。それは常に証明され続けている。
どれだけすごいやつでも、権力を持つと豹変するかもしれない。
というより、神となった奴が豹変するかどうかは関係なく、そんな疑惑を周囲が持つ時点で信じきれない」
「何を言っている?」
「人は弱いから未来に対策し続ける。
つまり根本的に『信じること』が絶望的に下手な種族で、そのせいで不安に潰されている」
「話が循環してないか?」
「おう。だから何が最初かなんて気にするな。
宗教の本質は『裏切られないこと』で、人が信じるには『完結したもの』でなくちゃいけない。
だから人が神の座に上がるには死ぬ必要があるし、結果が変わることのない自然や現象を祀ることもあるわけだ」
歩みを止めず真面目な顔で滔々と語るヴァル。
アルカナは不躾に「何かあったのか?」と問う。
「まーちょっとな?」
はにかむように答えるにとどまる。
「それよりようやく着いた。
ようこそ竜神、お前を祀る神殿へ」
先程までの真剣な表情はどこへやら。
急に人好きのする顔で歓迎するヴァル。
人の機微には疎いアルカナは、片翼の変化を忘れて近付いた神殿に新たな刺激を見出した。
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