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第1章 食いしん坊の幽霊

3.契約

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 強い風でも吹けば簡単に吹き飛んでしまいそうな古い木造住宅。

 俺が生まれ育った家だが、両親はとっくに他界し、兄は東京で暮らしていた。結婚した兄には息子と娘がいたが、俺は独り身だったので、この家の広さをすっかり持て余していた。

 観光地もない田舎の家だ。子供が大きくなってからは、めっきり遊びに来る事もなくなっていた。

(そういえばここ数年、誰かを家にあげるなんて隣の西原夫妻ぐらいなものだったな……)

 俺が怪しげな客人に目をやると、彼は相変わらず弁当から目を離さず、にこにことついて来ていた。

『おいおい、何だそれは……』

 家に入って、早速弁当を卓袱台に広げると、神様はすぐさま素手で唐揚げに手を伸ばし始めた。

 俺が驚いたのは行儀の悪さではなく、彼が摘み上げたものの異様さだった。

 神様が掴んだ唐揚げは、それ自体が持ち上がる事はなく、中から向こう側の透けた半透明の唐揚げが抜き取られていたのである。元の唐揚げは何事もなかったようにそのまま残っている。

『わしは食べ物「それ自体」を食す必要はないからの。わしが糧にしておるのは、貢物みつぎものに込められた人間の「思い」なんじゃよ』

 そう言って、神様は唐揚げの幽霊を美味しそうに頬張った。

『そういうもんかね。それでさっきの話だが……』

 こいつの起こす怪奇現象にいちいち驚いていたらキリがなさそうだ。
 自称神様という部分は一旦受け入れるとして、弁当代くらいは働いて貰おう。
 俺は発見された遺跡の写真と周辺地図のコピーを弁当の横に並べた。

『これがどんな風に広がっているか分かるかい? それから、月の神が関わっているってのはどういう意味だ?』

 すると神様は、写真をじっと見つめてから地図の上に指を置いて、四角形の形に滑らせた。

『方墳って事か……』

『多分な。かなり大昔のものじゃ、わしは行った事がないから、はっきりとは分からんが……』

 そう言って彼は、もう一つ唐揚げを頬張る。この自称神様は何年くらい前から存在しているのだろうか。
 そんな事も気になったが、生姜醤油の香ばしい香りが漂ってきて、俺も腹が減ってきた。神様が残した本体の方は後で俺が食べよう。

 美味そうな弁当が気になりつつも、俺はもう一つの質問の答えを促す。

『それで、月の神というのは?』

 神様は一度手を引っ込めると、少し間を置いて答えた。

『うん、昔の知り合いの匂いをお前さんから感じただけじゃから、どう関わっていたのか迄は何とも言えんがの……』

 これまでと異なり、神様はここへきて少し話しにくそうな雰囲気を見せる。

『神々同士交流があるのか? その月の神とも?』

 神様はふぅん、とひとつ鼻を鳴らすと、

『わしはつまみ食いに忙しくての。社も分からなくなって信仰もなく、神としての力が衰えてしまったので、今は関わり無いのう……』

(それはつまみ食いしている場合では無い気がするが……)

 俺が呆れていると、神様は急に身を乗り出して言った。

『お主、わしと取引きをせぬか?』



『取引き?』

『そうじゃ、お前さんはわしに毎日食べ物を捧げる。わしはお前さんの仕事を手伝う。食べ物を捧げられる程、わしは神としての力を取り戻す。力が戻れば、また神界とも行き来出来よう』

『上手くいきゃ、遺跡に関係のある神様本人から話が聞けるって訳か……』

 そんな夢みたいな話、到底信じられなかったが、どうしてこの男は悪意があるように見えない。

『役に立たないと思ったら、追い出してもらって構わん』

 神様はそう言いながら、弁当に入っていた卵焼きも摘んで食べた。俺はそれを見ながら思う。

(まあ、飯をこんなに美味そうに食う奴に悪い奴はいないか……)

『このボロ屋敷も部屋数だけはあるからな。男一人で持て余してたとこさ。まあ、神様のお手並拝見させて貰うぜ』

 神様を居候させて数日後には、彼が指し示した場所について試掘の許可を取った。何箇所か調査してみると、先に見つかった遺跡と繋がりそうな建造物の跡が出土した。

(こいつは驚いた……)

 俺はさらに周辺の調査と分析を重ね、神様の協力もあって数ヶ月の間に遺跡の大まかな年代と全体の構造を推測する事ができた。
 急に勘が冴え出した俺に対して、チームのメンバーも舌を巻いていた。

 その間も神様は、たまに調査のアドバイスをする他は、出会った時と変わらずダラダラと我が家で過ごしていた。

 本調査の届出を提出した一年後には行政から発掘許可が降り、俺達は本格的に発掘調査をスタートした。

 並行して神様の社についても調べてみたが、かなり古い時代のものなのか、この地域の古地図や郷土史にも記録は残っていなかった。
 こちらはすぐに見つけられるだろうと思っていたが、一応この道のプロの手にかかっても見つからないとは意外だった。

 役に立たなければ追い出せと言っていたが、今のところ充分に役立っているし、何より俺の作る飯をこれ以上ないくらい美味そうに食ってくれる。

 そういう訳で、俺はこのとんちきな同居人と二人暮らしを続けていた。
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