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第6章
42.記憶の欠片
しおりを挟む気づかないうちに震えてしまった手を振り返ったお兄様がそっと両手で包みこんでくれた。
「ユーナ、よく聞け。さっきまでユーナと話している時のクルス公爵は幻だ。あんな甘い言葉と笑顔で話すなんて普段のクルス公爵とはあまりにも違う。クルス公爵は止めておきなさい」
優しい手からは想像できない凄い剣幕で、ユーナの顔を見て説得をするお兄様は、いつになく饒舌だった。
そんなお兄様とは反対に、冷たい雰囲気を微塵も隠そうとせずにシェスが否定の言葉を口にする。
「酷い言いようだなイシス。勝手にユーナに俺のイメージを植え付けないでくれないかな?そんなに普段の俺と差が激しかったか?」
「違いすぎだな。いつもは宰相閣下である父上の横で必用最低限のことしか話さないし、笑わない。唯一関心があるのは国王陛下である兄君のことだけだったろ。そんなお前が私の妹にだけデレデレなんだぞ?目を疑わない方がおかしい…」
ユーナの手を離し、極限まで眉を歪ませてシェスを睨み付けるお兄様が語る初めて知る事実は驚くものだった。
シェスは眼帯で片目が隠れていてミステリアスな雰囲気を出しているが、話しやすい口調と人を引っ張っていくリーダー的オーラがあるので、周りにはいつも人が寄ってくるようなイメージがあったのだ。
しかし、実際のシェスは兄である陛下にしか心を許していない寡黙な方だなんて。少し勿体ないように思ってしまった。もっと周りと接しようという気があれば、シェスを取り巻く全てのことが変わると思う。
そして俺に対しての接し方が他の人とは違うのは、もしかしなくとも俺に好意を寄せて貰えているのだろうか。
悶々と考え始めていた時にまたしてもシェスは爆弾を投下した。
「誰だって気になる令嬢には好かれたいものでしょう?」
あっけらかんと答えるシェスに、ユーナもお兄様も言葉を失う。そんな二人を見て、冷たい雰囲気を消してニッコリと笑みを作ったシェスは呆然として固まっているお兄様の横をすり抜けてやってくる。
「ユーナ、俺に剣の師事を仰ぎたいのでしょう?良いですよ。俺を頼って下さい。もっと俺を知って、少しでも思い出して下さい…」
笑っているのに、泣いているように見えた。次の瞬間、見える景色が歪んだ。
ボーッとする頭を抑える。フワリと風に乗って香る銀木犀の匂い。ザワザワと聞こえる木々のざわめきと鳥の囀ずり。揺れる黒髪から覗く、少年の泣き顔。あれは…
「シェス…?」
「呼んだ?ユーナ。男の前でそんなに無防備にボーッとしてはいけないよ。男は狼なんだから」
クスクスと小さく笑うシェスは、もう泣きそうな表情はしていなくて、少年の顔でもなくなっていた。
当然、演習場には木々の一本も生えてなどいなくて、さっき一瞬見えた光景はいったいなんだったのか。
もしかして、無くした記憶の欠片なのだろうか。シェスが少年に見える時分にユーナは出会っていたのか。
シェスの顔をマジマジと見てしまう。
「そんなに見つめられると照れるね」
右手で顔をそっと隠した隙間から、シェスの顔が少し紅く染まっているのが見えた。
シェスといる時間が増えれば、もっと彼を知れば、忘れた記憶がまた思い出すだろうか。
会うたびに懐かしいと感じる香りも、高鳴る胸の音の原因を知りたい。
「シェス。私の剣の師になってください」
そう答えると、嬉しそうなシェスの顔と、呪い殺さんばかりの形相でシェスを見るお兄様の顔が見えた。
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