上 下
10 / 22

雨の音楽喫茶

しおりを挟む
梅雨が明けようとしている季節の終わりだというのに、その日は土砂降りの雨だった。

いつも通り音楽喫茶に行くと、まだ開店前なのに祐子がいた。何やらキャンバスに向かっている。傍ではマスターがコーヒーを飲みながら仲良く談笑中のようだった。

カランカランと入口の呼び鈴が鳴ると、祐子が振り返る。

「あ、アキラ君。久しぶり」

ニコニコと笑うその顔には色とりどりの絵具がついていた。

「色、ついてんぞ」

「えへへー。ま、こんくらいいつものことや!」

そういえば本職画家だったっけこの人。

「……ってなんでマスター店で絵具で絵を描くこと許してんねん!」

「この天気じゃ人もこーへんし閉めようかと思っとったら祐子ちゃん来てん。なら好きにしてええよーって言うた」

確かにこの時期は雨が酷いと客足も遠のいて、早めに店じまいにすることも多かった。

「アキラもま、座れや。たまにはコーヒーでも飲んで祐子ちゃんと話たったらええやん」

相変わらず気が利くというかなんというか……。この前のマスターとの会話が頭の中をよぎってしまう。

あかんあかん。平常心平常心。

「そんじゃ、俺は奥におるからなんかあったら呼んでやー」

そういうとマスターは奥の部屋に引っ込んでしまった。

シンと静まり返った空間に一石を投じたのは黙々と絵を描いていた祐子だった。

「ごめんなー。アキラ君。日本に帰ってたらたまたま向こうでの知り合いに会うてな?日本の風景描いてほしい言われててん」

「いや、それはええねんけどさ、向こうの知り合いこっちにおるとか、あるん?」

「それがそん人日本人でな。3月前にこっちに帰る言うて帰った人やってん。うちもお世話になってたんにお礼もできんかったからさ」

「それで描いてんのか」

「うん。道具も一緒に持って帰ってきてよかったわあ」

そういうと画材を愛おしそうに見つめた。
心の底から好きなものを嫌いになったわけではなさそうで安心した。

「なんか、あったんか?向こうで。話くらい聞くで」

それを聞いた祐子は驚いて少しだけ目を見開いたのち、ゆっくり口を開く。

「アキラ君になら話しても、ええかもしれん。ちと長くなるけどかんにんな」

「ええよ。ちと休憩したら?お茶でも入れよか?」

「ありがと。じゃあ、紅茶いただこうかな」

キャンバスに向かっていた祐子は手を止めてカウンターに座る。

紅茶を入れて祐子に出すと、それを飲んでほっとしたのか、重い口を開いた。
しおりを挟む

処理中です...