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女学校時代④苦悩
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「おう、いらっしゃい」
カランカランと音がする扉を開けるとマスターがいつものように話しかけてくる。
「おおきに。いつもの頼める?」
「ウヰスキーな。了解」
大きな氷がカランとグラスに落ちて軽快な音を奏でるのをぼーっと見つめるフミ。
「なんや?珍しい」
「何が?」
「もっといつも元気やろが」
「ちいと昔のことを思い出してたんよ」
出されたウヰスキーのロックグラスを手に持ち、一口喉に流し込む。
なんだか今日は嫌にのど越しが辛く感じた。
「お、フミさんお久しぶりです」
オーナーのユウタが顔を出しに来たようだ。
「お、ユウタ。久しぶりやないの。調子はどう?」
「ぼちぼちです」
「ぼちぼちかい。浮いた話の一つや二つ持ってこんかい」
「仕事が好きなんで、俺」
きっぱりと言い切るユウタはなかなかにいい男である。
暫く談笑をしているとカランカランとまたベルの音が鳴る。
そこにはアキラが立っていた。
「お、アキラじゃん。なんかちいと元気になった?」
「せやねん。最近は俺に軽く挨拶だけしてステージ裏に行っちゃうねんけどな」
「あの子、ほんまに真剣になると周りが見えなくなるねんな」
「俺のことしか見えてない……。ってお前ちょっかいかけた?」
「だいぶ前にちいとお茶に誘っただけやで?」
「手えだすなよ?」
「なーに言ってんだか。うちは旦那のことしか見えてへんよ?」
きらきらと輝く小さなピンクダイヤモンドの指輪を得意げに掲げる。
「まったく、お節介もほどほどにしとけ」
お節介なのは100も承知なのだが仕方ない。
アキラや朝子を見ていると過去の迷ってた自分を重ねてしまうのだから。
「夢に向かって頑張る若者を放って置けるほど私は冷たい人間やないしな」
「アンタが迷ってた時期があるとは思えへんねんけど?」
「うちな、やりたい事をやるくらいならうちはお嫁にでも行ったほうがええんちゃうかって思ってた時期あってん」
「あんたが?意外やな」
「うちの親友、みーんな養子に出された子やってん。家の為に」
「売られた、いうことか?」
「売られるよりはマシやろうけど、金持ちに嫁ぐのを前提に親戚の家に預けられた、ってところかな」
少し薄くなったウヰスキーを口の中で転がすフミ。
「せやから二人とも人生楽しもう言うてな。女学校時代好き勝手しとったんよ」
「ええことやないか」
「自分がこないに自由やから引け目があってだいぶ悩んだんよ」
「フミさんが悩むってよっぽどだな」
横からユウタが口をはさむ。
「その時の話、聞かせてほしい」
丁度そのころ、フミの回想に合わせるかのようにアキラの演奏の愛の挨拶が流れてきた。
「ええよ。長くなるけど堪忍な」
女学校で洋裁を中心に学び、何不自由なく親友二人と共に過ごしてきたフミ。
月日は流れ、とうとう卒業の年になってしまった。
いつものように喫茶店に向かい、カスタプリンやアイスクリンなどを注文して皆で口々におしゃべりをする放課後。
……のはずだった。
「フミ、そういえば進路どうするん?」
タヱからの質問に戸惑ってしまう。
「へ!?」
そういえば何も決めていなかった。
毎日勉強にのめりこんでいたらあっという間に月日が流れていた。
「どないしようかなあ……?」
もともとは洋服が好きでこの女学校を選んで洋裁を勉強していたのだからそれに準じる職業となるはずだ。
「選び放題でええよなあ、フミは」
にしし、と笑いながらアイスクリンをスプーンですくいあげ、口に頬張るキヨ。
「キヨ、まーたはしたない。卒業したらお嫁に行くんやからシャキッとせんかい!」
「決められた相手と結婚なんてたまったもんじゃありゃせんわー」
べー、と舌を出すキヨ。
なぜかこんな時に散々幼いころ苦労を掛けたから好きなことをさせてやりたい。と言っていた父親の顔が頭をよぎる。
「別に苦労なんてしてないんやけどなあ」
「フミ、なんか言うた?」
「ううん、何でもない」
その時は少し苦いアイスコーヒーを飲んでみんなで喫茶店を後にした。
その日の夜、久しぶりに父が家に帰宅したので、家のリビングのソファーに腰かけながら女学校の話をした。
寝巻を着て、暖かい紅茶を飲みながら話をする。
親友のこと、洋裁のこと、そして……。進路のこと。
「お父ちゃん、私このまんまでええんやろか」
「急にどうした?」
「友達二人は家のためにお嫁に行く言うてた。うち、好きなことするのにものっすっごい罪悪感感じてんねん」
ぽつぽつと語りだすフミの言葉に父は耳を傾けてくれていた。
「2人の幸せを願いたいからこそ自分の立場がむなしくなる」
自分は恵まれすぎている。と何度も何度も思ったし、自分のことを責めた。
「無理にでも好きでもない男のところに行って職業婦人になんてならずに家庭に入ったほうがええんとちゃうかって思うねん」
「あんな、芙美子、よく聞け。苦労してないんだったら幸せになったらいけないなんてこと何もないぞ」
少し寂しげな目をする父にチクリと心が痛んだ。
「でも、みんなそれが普通やって。それが幸せなんやって。担任のせんせが何べんも何べんもいうとってん」
ぽろぽろと流れ出す涙が寝巻に落ちてはにじんでいく。
「芙美子、お前が幸せだからって周りはお前のことを責めたりしないよ」
あたまを撫でてくれる大きな手が無性に心地よかった。
「わからん、本当にわからんねん。……自分が」
「幸せの定義なんて人それぞれだし、そんな難しく考える必要ないぞ?」
「自分の好きなことやるんが幸せなんは知ってる。知ってるけど……」
……けど、なんだろう?と言葉を詰まらせてしまう。
「それにな、芙美子が言ってることは少し、失礼だぞ。友達が望まない結婚をするからと言って幸せじゃないわけではないと思う」
「そうなんかなあ?」
「お前の話を聞いているとお友達は納得してるんだと思うけどな?」
結婚に悪態をついていたキヨの顔がどうしても浮かぶ。
それと同時に抗えない運命を受け入れて、今を楽しもう。と誓っていた肝の据わっているキヨの顔も。
一つ言えることは……。
すがすがしいほどの笑顔だった。
「制限があってもなくても、環境がいくら良くても悪くても、物事のとらえ方次第で180度人生は変わる」
「幸せかどうかは当人たちで決める……ってこと?」
「だから芙美子も、勝手に幸せになったらいいよ」
勝手に幸せになる……。か。
「みんなが思う幸せと自分が思う幸せは一緒だとは限らないもんな」
「その通り。だからもう自分に嘘つくの辞めていきたいところに行け。応援してるから」
少しだけわかるような、分らないような、このもやもやした気持ちはどこに持っていけばいいのだろうか。
すっかり冷めきった紅茶がフミの心を表すようだった。
カランカランと音がする扉を開けるとマスターがいつものように話しかけてくる。
「おおきに。いつもの頼める?」
「ウヰスキーな。了解」
大きな氷がカランとグラスに落ちて軽快な音を奏でるのをぼーっと見つめるフミ。
「なんや?珍しい」
「何が?」
「もっといつも元気やろが」
「ちいと昔のことを思い出してたんよ」
出されたウヰスキーのロックグラスを手に持ち、一口喉に流し込む。
なんだか今日は嫌にのど越しが辛く感じた。
「お、フミさんお久しぶりです」
オーナーのユウタが顔を出しに来たようだ。
「お、ユウタ。久しぶりやないの。調子はどう?」
「ぼちぼちです」
「ぼちぼちかい。浮いた話の一つや二つ持ってこんかい」
「仕事が好きなんで、俺」
きっぱりと言い切るユウタはなかなかにいい男である。
暫く談笑をしているとカランカランとまたベルの音が鳴る。
そこにはアキラが立っていた。
「お、アキラじゃん。なんかちいと元気になった?」
「せやねん。最近は俺に軽く挨拶だけしてステージ裏に行っちゃうねんけどな」
「あの子、ほんまに真剣になると周りが見えなくなるねんな」
「俺のことしか見えてない……。ってお前ちょっかいかけた?」
「だいぶ前にちいとお茶に誘っただけやで?」
「手えだすなよ?」
「なーに言ってんだか。うちは旦那のことしか見えてへんよ?」
きらきらと輝く小さなピンクダイヤモンドの指輪を得意げに掲げる。
「まったく、お節介もほどほどにしとけ」
お節介なのは100も承知なのだが仕方ない。
アキラや朝子を見ていると過去の迷ってた自分を重ねてしまうのだから。
「夢に向かって頑張る若者を放って置けるほど私は冷たい人間やないしな」
「アンタが迷ってた時期があるとは思えへんねんけど?」
「うちな、やりたい事をやるくらいならうちはお嫁にでも行ったほうがええんちゃうかって思ってた時期あってん」
「あんたが?意外やな」
「うちの親友、みーんな養子に出された子やってん。家の為に」
「売られた、いうことか?」
「売られるよりはマシやろうけど、金持ちに嫁ぐのを前提に親戚の家に預けられた、ってところかな」
少し薄くなったウヰスキーを口の中で転がすフミ。
「せやから二人とも人生楽しもう言うてな。女学校時代好き勝手しとったんよ」
「ええことやないか」
「自分がこないに自由やから引け目があってだいぶ悩んだんよ」
「フミさんが悩むってよっぽどだな」
横からユウタが口をはさむ。
「その時の話、聞かせてほしい」
丁度そのころ、フミの回想に合わせるかのようにアキラの演奏の愛の挨拶が流れてきた。
「ええよ。長くなるけど堪忍な」
女学校で洋裁を中心に学び、何不自由なく親友二人と共に過ごしてきたフミ。
月日は流れ、とうとう卒業の年になってしまった。
いつものように喫茶店に向かい、カスタプリンやアイスクリンなどを注文して皆で口々におしゃべりをする放課後。
……のはずだった。
「フミ、そういえば進路どうするん?」
タヱからの質問に戸惑ってしまう。
「へ!?」
そういえば何も決めていなかった。
毎日勉強にのめりこんでいたらあっという間に月日が流れていた。
「どないしようかなあ……?」
もともとは洋服が好きでこの女学校を選んで洋裁を勉強していたのだからそれに準じる職業となるはずだ。
「選び放題でええよなあ、フミは」
にしし、と笑いながらアイスクリンをスプーンですくいあげ、口に頬張るキヨ。
「キヨ、まーたはしたない。卒業したらお嫁に行くんやからシャキッとせんかい!」
「決められた相手と結婚なんてたまったもんじゃありゃせんわー」
べー、と舌を出すキヨ。
なぜかこんな時に散々幼いころ苦労を掛けたから好きなことをさせてやりたい。と言っていた父親の顔が頭をよぎる。
「別に苦労なんてしてないんやけどなあ」
「フミ、なんか言うた?」
「ううん、何でもない」
その時は少し苦いアイスコーヒーを飲んでみんなで喫茶店を後にした。
その日の夜、久しぶりに父が家に帰宅したので、家のリビングのソファーに腰かけながら女学校の話をした。
寝巻を着て、暖かい紅茶を飲みながら話をする。
親友のこと、洋裁のこと、そして……。進路のこと。
「お父ちゃん、私このまんまでええんやろか」
「急にどうした?」
「友達二人は家のためにお嫁に行く言うてた。うち、好きなことするのにものっすっごい罪悪感感じてんねん」
ぽつぽつと語りだすフミの言葉に父は耳を傾けてくれていた。
「2人の幸せを願いたいからこそ自分の立場がむなしくなる」
自分は恵まれすぎている。と何度も何度も思ったし、自分のことを責めた。
「無理にでも好きでもない男のところに行って職業婦人になんてならずに家庭に入ったほうがええんとちゃうかって思うねん」
「あんな、芙美子、よく聞け。苦労してないんだったら幸せになったらいけないなんてこと何もないぞ」
少し寂しげな目をする父にチクリと心が痛んだ。
「でも、みんなそれが普通やって。それが幸せなんやって。担任のせんせが何べんも何べんもいうとってん」
ぽろぽろと流れ出す涙が寝巻に落ちてはにじんでいく。
「芙美子、お前が幸せだからって周りはお前のことを責めたりしないよ」
あたまを撫でてくれる大きな手が無性に心地よかった。
「わからん、本当にわからんねん。……自分が」
「幸せの定義なんて人それぞれだし、そんな難しく考える必要ないぞ?」
「自分の好きなことやるんが幸せなんは知ってる。知ってるけど……」
……けど、なんだろう?と言葉を詰まらせてしまう。
「それにな、芙美子が言ってることは少し、失礼だぞ。友達が望まない結婚をするからと言って幸せじゃないわけではないと思う」
「そうなんかなあ?」
「お前の話を聞いているとお友達は納得してるんだと思うけどな?」
結婚に悪態をついていたキヨの顔がどうしても浮かぶ。
それと同時に抗えない運命を受け入れて、今を楽しもう。と誓っていた肝の据わっているキヨの顔も。
一つ言えることは……。
すがすがしいほどの笑顔だった。
「制限があってもなくても、環境がいくら良くても悪くても、物事のとらえ方次第で180度人生は変わる」
「幸せかどうかは当人たちで決める……ってこと?」
「だから芙美子も、勝手に幸せになったらいいよ」
勝手に幸せになる……。か。
「みんなが思う幸せと自分が思う幸せは一緒だとは限らないもんな」
「その通り。だからもう自分に嘘つくの辞めていきたいところに行け。応援してるから」
少しだけわかるような、分らないような、このもやもやした気持ちはどこに持っていけばいいのだろうか。
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