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第174話 襷

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~織原朔真視点~

「いやその時は──」

 僕が自分の考えを発しようと思ったその時、実行委員の1人が言った。

「音咲さん、今最寄り駅付近にいるそうです!!」

 誰かのSNSで音咲さんの目撃情報が記載されたのだろう。そこから走ればあと数分で着く距離だ。しかしそれよりも前から走っていたとなれば話は別だ。

「厳しいかもしれない……」

 僕がそう溢すと薙鬼流が言った。

「私達に何かできることはないんですか!?」

 一ノ瀬さんがそれに答える。

「もう、物理的に華多莉ちゃんのお父さんを捕縛するしか……」

「そ、それは流石に……」

 音咲さんの到着を待つだけとなった僕らはもどかしい気分になった。リミットとされる36分までは後1分程だ。萌はまるでトイレに行きたそうに地団駄を踏んでいる。

 再び薙鬼流が言った。

「そういえば、先輩はさっき何を言おうとしたんですか?」

 僕はその問いに答える。

「音咲さんが間に合わず、鏡三さんが帰りそうになったその時は──」

「その時は?」

「僕が歌う」

 薙鬼流、一ノ瀬さん、萌は沈黙した。そして薙鬼流がツッコんだ。

「いやお前が歌うんかい!!……ってそんなボケ今はどうでもいいですよ!?」

「お兄ちゃん……?」

 ツッコまれても尚、真剣な表情をする僕に一ノ瀬さんが訊いた。

「どういうこと?」

「鏡三さんは僕が歌うなら、足を止めてくれる筈だ」

 以前そのようなことを言われた。

『君が歌うなら見に行くのだがな……』

 しかしこれは賭けだった。

「待ってください!先輩が歌ったらそりゃ盛り上がりますよ!?でもそれじゃあ先輩はみんなに正体を明かすことになっちゃうじゃないですか!?」

「そ、そうだよ!?今後のVチューバー活動がまともにできなくなっちゃうかもしれないよ!?」

 薙鬼流に続いて、萌が言った。そこに一ノ瀬さんも加わる。

「それに、もし歌ったとしても華多莉ちゃんのお父さんが立ち止まってくれなければ、無駄に正体を明かしただけになっちゃわない!?リスクが高過ぎるよ」

 僕は頷く。

「みんなの言うことは良くわかる。でも僕は鏡三さんに今の音咲さんを見て貰いたいんだ」

 萌と薙鬼流が同時に言った。

「だからってお兄ちゃんが犠牲になる必要ないじゃん!?」

「先輩がそこまでする必要ないじゃないですか!?」

 僕は言った。

「これは音咲さんにとって初めての親子喧嘩なんだ……」

 萌が言った。

「そんなの私達に関係──」

「僕らはもう親子喧嘩することすらできない!!」

 僕は萌に目を合わせた。 

「…音咲さんは僕に初めて出来た大事なリスナーだ。彼女がいなければ今の僕はいない。それに…エドヴァルドなら……エドヴァルドなら、きっとそうする」

 萌は目に涙を浮かべていた。そして納得してくれたのか静かに頷いた。

「…お兄ちゃん、だからだよ……お兄ちゃんだからそうするんだよ……」

 僕は萌の言葉に頷いた。一ノ瀬さんが少し戸惑った表情をしている。一ノ瀬さんも僕のリスナーであることに違いはない。僕は彼女に申し訳なく思った。だから訂正をする。

「ごめん。一ノ瀬さんも大事なリスナーだよ。でも、そうだな……どうしても力になりたいんだ。好きな人の、為に……」

 薙鬼流と一ノ瀬さんは沈黙した。突然の僕の好きな人発言に驚くのも無理はない。薙鬼流が僕の言葉を聞いて変にテンションを上げて言った。

「…そ、それでこそ私のエド先輩です!!こうなったらとことんやりましょう!!なんだったら私も正体明かしちゃおっかな!?」

「なんでだよ!?」

 僕がツッコミを入れると一ノ瀬さんが微笑みながら言った。

「音源はある?」

 僕は頷き、スマホを渡した。すると薙鬼流が慌て言った。

「ちょっと!?かたりんパパ席から立っちゃったみたいですよ!?」

 僕はステージの袖へ急いだ。

──────────────────────────────────────────────────

~音咲華多莉視点~

 見慣れた通学路の景色になった。現在地と学校までの距離を頭で描きながら走る。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 苦しい。肺が焼けているような感覚。口の中に溜まった唾を飲み込みたい欲求と肺に酸素を送りたい欲求が重なり呼吸のリズムが乱れる。それでも尚、私は走った。

 私に残された時間、走らなければいけない距離を整理すると、6分で2km走らなければならない。1500m走の高校女子のタイムは全国レベルで4分台、陸上部の平均で5分半、普通の女子高生なら8分台だ。何故それを私が知っているのかは陸上部のエース役をやったことがあるからだ。

 その時の私が走る。今までのレスキュー隊に憧れる私、看護学生の私、男勝りの姫の私のたすきを掛けながら。

 ──ううん。それだけじゃない。

 マネージャーの加賀美から始まり、ドライバーさんや保坂さん、彼を手配してくれた愛美ちゃん、野次馬を遠ざけてくれた希さん、文化祭の実行委員に学校のクラスメイトに先生。私を成長させてくれた黒木監督や色々なドラマの製作スタッフ達、椎名町のメンバーも。

「はぁ、はぁ、はぁ!!」

 制服姿で学校生活を走り抜ける私、探偵役で犯人を追いかける私、地球防衛隊隊員として怪獣に向かって走る私、好きな人が列車に乗って離れていくのを追いかける私、アイドルとして花道を駆ける私、様々な私が今1つの目的に向かって翔ける。

「はぁ、はぁ、はぁ!!!」

 しかし、そんな妄想は1つのトラックによって遮られた。死角からもうスピードで横切るトラック。私は何とか踏みと止まり、轢かれずにすんだが、体力の限界からか踏ん張りが効かず、トラックが過ぎ去った後に、前につんのめり、転んでしまった。

 持っていた保坂さんのスマホが道路に投げ出される。今までの輝かしい私が一瞬にしてただの無力な私に変化していくのがわかった。すると蓄積した疲労が一気に押し寄せる。吐き気とめまいに襲われた。それでもなんとか立たねばならない。私は地面に落ちたスマホまで這うようにして向かい、それを拾い上げる。

 16:35

「はぁ、はぁ……」

 画面に写るお父さんは腰を上げて、出口へと歩いていくのが見えた。

「…って……」

 待って。そう溢そうとするも疲労で上手く喋れなかった。悪人を追い立てる際に待てなんて言ってもしょうがないだろうと役者仲間と笑いあったことがある。しかし今こうして私は画面を見ながら思いの丈を吐き出していた。

「待って!!」

 お父さんが画面外へ歩こうとする。一歩、そしてまた一歩と歩くお父さんはとうとう画面と横並びになり、画面の外へと移動したその時、私は声を聞いた。

『待てよ』

 疲れすぎて幻聴が聞こえたのかと思った。エドヴァルド様の声が、聞こえたからだ。私は辺りを窺う。

 今私がいるこの十字路は初めて織原朔真と出会った場所だ。私が轢かれそうになったのを助けてくれた。

『あぶない!!』

 私は彼の声を思い出した。あの時の織原朔真の声がエドヴァルド様の声だったことを。同時に京極さんから私のことを助けてくれたことも思い出した。全てのピースが埋まっていく。

 エドヴァルド様の声がまた聞こえた。

『まだだろ?』

 その声は保坂さんのスマホから聞こえていた。画面のお父さんは立ち止まりステージを見つめている。お父さんだけではない、客席の生徒達全員がステージを見ていた。そこには織原朔真がマイクを握り締めながら立っている光景が写っていた。

 全てを悟った私は両目を瞑り、彼に想い馳せる。1粒の涙が片眼から溢れ落ちた。しかし今は感傷に浸っている時ではない。私は立ち上がり、再び走った。

 エドヴァルド様である織原のことを想いながら。
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