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氷柱
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(お願い、開いて)
もうどれくらい、この木に話しかけただろう。
でも、そうする他に思いつかなかったのだ。
雪狐の力を使わないとすると、時空の歪みが自然と生じるのは一体いつになるのか。
いや、そもそも普通は歪まないわけで――そうすると、「自然と開く」なんてことはあり得ないのかもしれない。
だとしても、必死で希わずにいられるものか。
「私は行けなくてもいいの。あの人を助けたい。恭一郎様が助かるなら、私は……」
(どうして、その先を言えないの)
ほら、まだそんな不純な気持ちが残っている。
まるで、そう言われているように、もうずっと何の変化もない。
光に包まれるどころか、一筋の光どころか。
ほんの点ほどの明るさすらない。
「本当よ。私にできることなら、何だってする。私自身が持っているものは、高が知れているかもしれないけど……他に、恭一郎様の他に代えられるものがあるなら、私は……」
何だって差し出そう。
だから、教えて。
あの人が助かる方法を。
もし、もしも叶うなら、一緒に生きていける世界を見せて。
それが欲張りだと言うなら、二度と逢えなくなるのが条件だとするなら。
――ねえ、せめて。
「お前が百度参りとは、意外だな」
――あなたが元気で、笑っていられる世界をください。
「……こんなことしか、思いつかなくて」
生きていてほしい。
これほど真剣に、こんなにも強く願っているのに。
結局無力だと認めるなんて、どうしてできるだろう。
それだって他力本願だと、どこかで見ている存在は怒っているのだろうか。
この世はどうして、淡く儚いものを美しくしたがるのだろう。
そんなのは大嫌いだと歯をぐっと食い縛るのに、見上げた先で舞う雪は、やはりとても綺麗だった。
「誰も何も、できることなどないのだ。お前が悔しがることはない」
(違う、そんなことない)
大声で否定したいのに、まるで駄々っ子のように嫌々をするばかりで。
「私は、そこがどこであろうとお前に逢えてよかった。もしも、そのせいで命を削られることになったとしても、私は同じ道を何度だって選ぶ。……だから、気に病まないでくれ」
悲しいに決まっている。
側にいられないのを、どうして悲しまずにいられるだろう。
「私は、命を引き換えにしないと逢えないような存在なのですか? 私がそんなたいそうな姫君のわけ、ないじゃないですか。私は我儘で甘えてばかりの、ただの……」
「永遠でなくてもいい。他と引き換えにしても、それでも少ししか側にいられないのだとしても、何に逆らうことになったとしても。今この時は離したくない。……私がそう思った姫だ」
それならば、いっそ逆らい続けたい。
罰当たりだと言うなら、他の何でも奪ってみせて。
この人を失う以上の罰などないのだ。
それを思えば、時空だって歪めてみせてやる。
「悪いのは私であって、お前ではない。私はお前の記憶が一部抜け落ちたままなことも、それを思い出すように夢を見るのも。それすら曖昧で、お前の中で時間の流れにズレがあることも……全部利用してきた。その報いでもあるだろうし、いい兄を演じた期間が長すぎたせいもある。けして、お前のせいではない」
それなのに、そうやって繰り返し私の咎を引き取ろうとする。
どうせなら、一緒に悪者にならせてくれてもいいのに。
どこまでも甘いのは分かる。
でも、少し経ってから、話の内容に首を傾げた。
そういえば、先程からの恭一郎様の話は、疑問に感じる表現が多々あった。
今やっと、私はその中身の半分も理解していないこと、まだ知らない何かがあることに気づきながらも、何と切り出していいのか分からない。
「恭一郎様……? 」
意を決して、真下からその瞳を覗き込む。
目を逸らしはしないでくれたけれど、眩しそうに見るばかりで返事はない。
「……兄様……? 」
それなら、これでどうだ。
苦肉の策でそう呼んでみたが、今更そうして呼ぶのかと軽く頭を小突かれた。
「……え……? 」
少なくともこの場では、そのどちらも不正解だと、やはり返事はしてくれなかった。
ますます混乱する私に小さく笑って、コツンと何かを私の頭の上に置く。
(……これは……)
彼の手元はまだ頭上にあって、それが何であるかは私からは見えない。
でも、この感触は確かに覚えている。
実際に髪に当てたのは随分昔のことだけれど、つい最近私はこれを髪に着けてははしゃいで……落としてしまったばかりだ。
「あれほど憎いと思ったのに、私は未だにしがみついて……捨てられなかった」
――バレッタ。
まさか本当に、捨てずに取っていてくれただなんて。
恭一郎様だって、すべて燃やしたと言っていた。
それが嘘だったことよりも、どうして今それを明かす必要が――。
「今のお前には、少し子供っぽいかもしれないが。やはり、似合うな。……どちらの世界のものも、お前には」
その台詞は、聞き覚えがあった。
でも、夢を通して蘇った記憶では、それを言ったのは。
「……さゆ」
声が掠れただけだ。
だから、語尾が消えたのだ。
そうでなければ、吐息とともに呼ばれたから、私の耳には届かなかっただけ。
腫れっぱなしの瞼に触れ、充血した目を見て困り顔で微笑む。
それはもう、兄様ではなく恭一郎様でしかないと、私の目には映っているのに。
もっとよく見ろと言うように、上向かされた。
「……本当に、雪うさぎみたいだ」
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