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雪鏡

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もう二度と聞けないかもしれないと覚悟していた友人の声に、固まってしまう。

「一彰……どうして」

「いいから、奥に引っ込め。雪景色の中の大雪なんぞ見たくない」

相変わらずの暴言も、ちっとも反応できない。
言われたとおり部屋の奥へと移り、一彰が中に入ったところできっちりと戸を閉めた。

「ちゃんと許可は取ってある。俺はその……長閑に会いに来た。途中、見たくもない顔が見えるのはあいつも承知の上だろ」

「……大丈夫かしら。大っぴらなのも目立つけれど、こそこそ小雪に会うのも怪しすぎるし」

彼女らしくなく、そわそわした様子の長閑に一彰の目が細くなる。
彼を心配して動揺を隠せない長閑も、それを愛しそうに見つめる一彰の視線も。
端から見ていてむず痒く、嬉しく、どうしても壊したくない。

「大丈夫。俺は嘘は言っていないから。長閑のところへ通っていたら、邪魔がいただけだ。それがたまたま、あいつが口説いている女だった。第一、あいつは先に話を“通せ”と言っただけだ。……会うなとは言ってない」

恭一郎様も同じ気持ちだった。
ほっとして、へなへなと崩れ落ちそうになる。

「とは言え、恭はできないことは言わない。正直、申し出てみるまで自信はなかったし、どこまで許されるかは不明だが……まあ、別にそこまで大雪に会いたいわけじゃないからな」

「あんたはそうでも、 私は結構堪えてたわ。ともかく、一彰が長閑に逢えるようになってよかった……」

最悪、長閑を別の邸に――密かにそんな考えもあったのだけれど。
彼女が反対しても、自分のせいで親友たちの恋が壊れるなんて絶対に嫌だ。

「ばーか。あの場では、仕方なくああ言っただけだ。本気でお前を姫君と崇めてるわけじゃない。勘違いするなよ」

その声は絶対に照れてる。
その方が、比べ物にならないくらい嬉しいと知っているだろうに。
長閑と顔を見合わせて吹き出してしまった。

「ま、いつか何かしら言ってくるだろうとは思ってた。ついでとは言え、お前に会われたらいい気はしないのも分かるしな。あの嫉妬深い男が、よくここまでもったものだと感心するくらいだ」

今度のことは、一彰の想定内だった?
驚いて彼を凝視すると、一彰は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

「頭がおかしいんじゃないかと言いたくなることもある。目的の為なら手段を選べない奴じゃない。冷酷な判断だって下せる。……でも、感情がないわけじゃないことは知ってるだろ。手段を選ばないんじゃない。選ばないことができるだけだ。俺の知る限り、恭はずっとそうだった」

一彰が言わんとすることが分かり、目を伏せた。
私は、急に兄様が変わってしまったと思っていた。兄様という人は、もういなくなってしまったのだと。

でも、そうじゃない。
そうせざるを得なかった理由は、きっとあるのだ。
兄妹の関係は壊れてしまったかもしれないけれど、いつだって私の為を想ってくれていた愛情は私もずっと知っていたはずなのに。

《姫を責めるような言い方は慎みなさい、陰陽師殿。医師殿は、意図的にその一面を姫に見せようとはしなかった。姫が医師殿をいい兄としか見ていなかったのは、ある意味医師殿の思惑どおりでもあるのです》

雪狐はやはり私贔屓だ。
一彰が不服そうに鼻を鳴らす。

《これから医師殿を見て、知ればいいのです。はてさて、男としては如何なものか。惹かれなければ、別の者でもよいではありませんか》

「物好きが他にもいればな」

一彰から見下ろされている雪狐を抱き上げると、二又の尾っぽが悪戯に揺れる。

《物好きとやらは、けして少なくはありませんよ。まあ、最終手段として、私も名乗りを挙げておきましょうか。雪兎の君は、なぜか私の性別を確認しておられましたしね》

「借りものじゃなくて、本当に男の人なの? 雪狐が人の姿になったら、素敵だろうな。あ、それか私が狐になるとか」

《……それも愛らしいでしょうが。そう返ってくるとは思いませんでした。喜んで良いものやら》

「最終手段じゃなくて、わりとあり得るかもな。恭を逃したら、もうそれしかないんじゃないか。幼馴染みの情けだ、その時は裏庭に二匹分供えてやるよ」

それも楽しそうだと一彰がせせら笑う。
もしもそんなことがあったら、律儀に毎日お供え物をする一彰を、こっちこそ笑ってやろう。

「ねえ、そういえば。一彰が……恭一郎様と仲良くなったきっかけって何だったっけ」

私が物心ついた時には、二人でつるんでいたと思う。
それから、元服も官に就いたのも、出世の時期もほぼ同じ。

「俺は……お前らの父君には本当に良くしていただいた。野垂れ死んでもおかしくなかった俺を助けてくださった時、ちょうどあいつも側にいたんだ」

「……そっか」

一彰の幼少期は恵まれなかったと、聞いた覚えがある。
だから、この家にとても恩義を感じてくれていて、私のことも必死で助けてくれたと。
もちろん、そこには恭一郎様や私との友情もあったと思うけれど、一彰がどこか一歩引いているのはそのせいだ。

「答えを出せずにいるのなら、せめて会ってやれ。全て突っぱねたまま、断るつもりか? 」

この世界の恋愛を否定しながら、自分も同じことをしていた。
今在る常を嫌悪しながら、変化を恐れていた。
さっきの坊やや一彰の言うように、よく知ろうともせず拒んでいたのだ。

《大丈夫。関係が変わろうとしているだけで、これまでの折り重なった記憶が消えたわけではありません。姫も医師殿も、良くも……悲しくも》

「……うん」

兄妹であることは失っても、兄妹であったつい最近までの記憶は消えない。
それは温かくもあり、すきま風が呼び込む粉雪のように胸の奥が痛むほど冷たくもある。

「……寒。大雪の部屋が吹雪くとは最悪だな。こんなところに通いたがる男の気が知れん」

白い塊を残したまま宙を舞う雪を一彰が疎ましそうに睨んでいる。
つられて私も目で追うと、急に事切れたように鏡に落ち――やがてふっと水滴へ姿を変えた。
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