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鬼ごっこ
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雪狐を抱いて帰る私の足取りは、あんなに軽かったはずなのに。
(私って、単純すぎて能天気すぎるわ。何も解決してないのに)
邸に着いてから、また自室に籠っている。
これでは、兄様の考えに反発した意味がない。
おかしいと思いながら、結果的に同じことをしている。
閉じ込められたりしなくても、忌みの日なんかなくても。
私はいつだって、ここにしかいないのだから。
《雪兎の君》
呼ばれてはっと雪狐を見下ろせば、心配そうな目と視線がぶつかる。
毛を撫でる手が止まっていた。きっと、長いこと。
《医師殿は焦っているのです。貴女には、何も知らないまま、ここで幸せになってほしかったのでしょう。医師殿らしからぬ、分かりやすい歪んだ愛情ではありませんか。もちろん、間違っていますが》
突っ込みたいところは多々あれど、それもまた正しい表現であることには違いない。
何も言葉が浮かばなくて、再び撫でてみたけれど、雪狐はふるふると首を振る。
そして、代わりに私の指を鼻先でつんと突っついてみせた。
《そんな見せかけの幸せを望む貴女ではない。医師殿はそれを承知のうえ、なおも貴女が愛しいのです。雪兎の君》
大事にしてもらえているのは、昔から今に至るまでずっと伝わっている。
だからこそ、あんな怒り方をするなんて思ってもみなかった。
・・・
『……どういうことだ、これは』
部屋に戻るやいなや、兄様は厳しい顔で待ち構えていた。
『恭一郎様。私がお止めしなかったのです。責任は私にあります』
『長閑!? そんなわけないじゃない。勝手な行動をしたのも、二人を巻き込んだのも私。私以外のどこに責任があるというの? 』
長閑に責任などあるものか。
そんなこと、誰だって分かっている。
でも、長閑がすぐさま前に出たのは、兄様の声色も見下ろす瞳も何もかも――あまりに恐ろしかったからだ。
『責任の所在を問うているのではない』
だが、それすらその一言でぴしゃりと封じ込めてしまう。
『……すまん』
一歩、二歩。
兄様が正面に辿り着く前に、一彰が謝罪を口にした。
彼もまた理解しているのだ。
今この場は、それが一番なのだと。
『……っ、ちょっと待ってください、兄様! 皆は本当に悪くないの。そんなの、兄様だって分かっているでしょう? だから、お叱りなら二人を下がらせていいはず……! 』
二人きりで、気の済むまで怒ればいい。
この幼馴染みたちは、いつもように我が儘姫に付き合うほかになかっただけなのだ。
子供の頃だって、そうだったはず。
こんな時、いつだって兄様は二人を巻き込んだりはしなかったのに。
『そうだな。それについては責めるつもりはない。責任がどこにあるのかと言われれば、小雪の性格を知っていて、この期に及んで手をこまねいていた私にある。……だが、一彰』
それを聞いてほっとしたのに、いっそう不安が押し寄せてくる。
(なら……どうして、そんな)
ほとほと呆れ果てたと首を振るのも、いつも通り。
でも、兄様が纏う雰囲気は、怒りが冷めているようには感じられず、一彰の名を呼ばれてギクリとする。
本人も同じだったのだろう、いつものくだけた様子はなく、スッと背筋を伸ばしている。
『今後は、私を通せ』
目を見開き、意図を探るように。
私の頭上で、主従など普段は感じられない親友たちの視線が行き交う。
『それは、こいつの安全を思ってのことか? 俺が断りきれず、またこいつを連れ出すんじゃないかと? 』
それ以外に、何があると言うの。
大丈夫よ、兄様。
今は、雪狐だっていてくれるし。
この子は、私を連れ去るような真似はしないもの。
思わず、ぎゅっと抱いてしまった雪狐が、気遣わしげに頬を寄せてきた。
『いや。自分が口説いている女の許に、友であるお前に通われるのは、いい気がしないというだけだ。お前が、私と小雪を取り合いたいと言うなら話は別だが』
至極真面目な顔で言い放つ兄様を、一彰はしばらく見つめていたけれど。
やがて息を吐くと同時に、ふっと視線を外した。
『……承知した。妹君ならともかく、恭一郎殿が通われている相手となれば、これはただの無礼でしかない。どうか、許されよ』
『此度はな。次は許さない』
およそ、現実とは思えないやり取りに目眩がする。
今、一体何の話をしているの?
男二人は了承し合っているらしいが、当の本人の頭が全く追いついていない。
『……っ。恭一郎様! それは、あんまりではございませんか!? 一彰が姫に手を出すなど、あり得ないことですのに』
見かねた長閑が声を張り上げてくれる。
きっと、すごく勇気が要ったのだと思う。
親友だからと、普段はまるで礼を取らない一彰とは違って、彼女は兄様に対しては少し下がって接していた。
そんなこと、兄様だって知っているのに。
『なぜ、そう言い切れる? 』
意見することなどほぼない長閑には、身の竦む思いだろう。
私だって、この状況では兄様を怖いとすら感じる。
けれど、その一言で不安や恐ろしさは瞬時に怒りへと変わってしまった。
『答えなくていいわ』
なんて、意地の悪い質問だろう。
二人が想い合っていて、それでも幼馴染みから抜け出せずにいることは誰だって知っているのに。
『兄様が仰っているなかで、どれかひとつでも兄様が本当に望んでいることはあるのか。今でも全然分かりません。でも、これだけは言える』
長閑を下がらせ、それでも割り込もうとする彼女を広げた腕で押し止めた。
『私を閉じ込めたいのなら、そうすればいいじゃないですか。いたずらに二人を傷つけずとも、兄様にはそれができるでしょう? 別に、妻にするまでもない。ただ、おかしな妹を適当な理由で囲っていればいい』
声が裏返ったのは、あまりに腹が立ったからだ。
だから、泣く理由なんてない。
頬が熱いのは、怒りで熱が上がったから。
『求婚なんてする意味、どこにあるの。兄様の立場なら、そんな面倒なことよりもずっと簡単な方法があるのに。通ったり、邸を持って迎え入れたり。それよりも楽でしょう? ここでも、お望みなら、あの裏庭みたいな暗いところに閉じ込めておけばいいんだわ』
《雪兎の君、落ち着いて》
ああ、雪狐の声は本当に頭の中に流れ込んでいたのだ。
生憎、今はいっぱいいっぱいで、雪狐の言葉が入る余裕はないけれども。
『……だとしても、大人しく閉じ込められたままでいるとは限りませんけどね……!! 』
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