上 下
12 / 51
鬼ごっこ

6

しおりを挟む


・・・



雪狐を抱いて帰る私の足取りは、あんなに軽かったはずなのに。

(私って、単純すぎて能天気すぎるわ。何も解決してないのに)

邸に着いてから、また自室に籠っている。
これでは、兄様の考えに反発した意味がない。
おかしいと思いながら、結果的に同じことをしている。
閉じ込められたりしなくても、忌みの日なんかなくても。
私はいつだって、ここにしかいないのだから。

《雪兎の君》

呼ばれてはっと雪狐を見下ろせば、心配そうな目と視線がぶつかる。
毛を撫でる手が止まっていた。きっと、長いこと。

《医師殿は焦っているのです。貴女には、何も知らないまま、ここで幸せになってほしかったのでしょう。医師殿らしからぬ、分かりやすい歪んだ愛情ではありませんか。もちろん、間違っていますが》

突っ込みたいところは多々あれど、それもまた正しい表現であることには違いない。
何も言葉が浮かばなくて、再び撫でてみたけれど、雪狐はふるふると首を振る。
そして、代わりに私の指を鼻先でつんと突っついてみせた。

《そんな見せかけの幸せを望む貴女ではない。医師殿はそれを承知のうえ、なおも貴女が愛しいのです。雪兎の君》

大事にしてもらえているのは、昔から今に至るまでずっと伝わっている。
だからこそ、あんな怒り方をするなんて思ってもみなかった。


・・・


『……どういうことだ、これは』

部屋に戻るやいなや、兄様は厳しい顔で待ち構えていた。

『恭一郎様。私がお止めしなかったのです。責任は私にあります』

『長閑!? そんなわけないじゃない。勝手な行動をしたのも、二人を巻き込んだのも私。私以外のどこに責任があるというの? 』

長閑に責任などあるものか。
そんなこと、誰だって分かっている。
でも、長閑がすぐさま前に出たのは、兄様の声色も見下ろす瞳も何もかも――あまりに恐ろしかったからだ。

『責任の所在を問うているのではない』

だが、それすらその一言でぴしゃりと封じ込めてしまう。

『……すまん』

一歩、二歩。
兄様が正面に辿り着く前に、一彰が謝罪を口にした。
彼もまた理解しているのだ。
今この場は、それが一番なのだと。

『……っ、ちょっと待ってください、兄様! 皆は本当に悪くないの。そんなの、兄様だって分かっているでしょう? だから、お叱りなら二人を下がらせていいはず……! 』

二人きりで、気の済むまで怒ればいい。
この幼馴染みたちは、いつもように我が儘姫に付き合うほかになかっただけなのだ。
子供の頃だって、そうだったはず。
こんな時、いつだって兄様は二人を巻き込んだりはしなかったのに。

『そうだな。それについては責めるつもりはない。責任がどこにあるのかと言われれば、小雪の性格を知っていて、この期に及んで手をこまねいていた私にある。……だが、一彰』

それを聞いてほっとしたのに、いっそう不安が押し寄せてくる。

(なら……どうして、そんな)

ほとほと呆れ果てたと首を振るのも、いつも通り。
でも、兄様が纏う雰囲気は、怒りが冷めているようには感じられず、一彰の名を呼ばれてギクリとする。
本人も同じだったのだろう、いつものくだけた様子はなく、スッと背筋を伸ばしている。

『今後は、私を通せ』

目を見開き、意図を探るように。
私の頭上で、主従など普段は感じられない親友たちの視線が行き交う。

『それは、こいつの安全を思ってのことか? 俺が断りきれず、またこいつを連れ出すんじゃないかと? 』

それ以外に、何があると言うの。
大丈夫よ、兄様。
今は、雪狐だっていてくれるし。
この子は、私を連れ去るような真似はしないもの。

思わず、ぎゅっと抱いてしまった雪狐が、気遣わしげに頬を寄せてきた。

『いや。自分が口説いている女の許に、友であるお前に通われるのは、いい気がしないというだけだ。お前が、私と小雪を取り合いたいと言うなら話は別だが』

至極真面目な顔で言い放つ兄様を、一彰はしばらく見つめていたけれど。
やがて息を吐くと同時に、ふっと視線を外した。

『……承知した。妹君ならともかく、恭一郎殿が通われている相手となれば、これはただの無礼でしかない。どうか、許されよ』

『此度はな。次は許さない』

およそ、現実とは思えないやり取りに目眩がする。
今、一体何の話をしているの?
男二人は了承し合っているらしいが、当の本人の頭が全く追いついていない。

『……っ。恭一郎様! それは、あんまりではございませんか!? 一彰が姫に手を出すなど、あり得ないことですのに』

見かねた長閑が声を張り上げてくれる。
きっと、すごく勇気が要ったのだと思う。
親友だからと、普段はまるで礼を取らない一彰とは違って、彼女は兄様に対しては少し下がって接していた。
そんなこと、兄様だって知っているのに。

『なぜ、そう言い切れる? 』

意見することなどほぼない長閑には、身の竦む思いだろう。
私だって、この状況では兄様を怖いとすら感じる。
けれど、その一言で不安や恐ろしさは瞬時に怒りへと変わってしまった。

『答えなくていいわ』

なんて、意地の悪い質問だろう。
二人が想い合っていて、それでも幼馴染みから抜け出せずにいることは誰だって知っているのに。

『兄様が仰っているなかで、どれかひとつでも兄様が本当に望んでいることはあるのか。今でも全然分かりません。でも、これだけは言える』

長閑を下がらせ、それでも割り込もうとする彼女を広げた腕で押し止めた。

『私を閉じ込めたいのなら、そうすればいいじゃないですか。いたずらに二人を傷つけずとも、兄様にはそれができるでしょう? 別に、妻にするまでもない。ただ、おかしな妹を適当な理由で囲っていればいい』

声が裏返ったのは、あまりに腹が立ったからだ。
だから、泣く理由なんてない。
頬が熱いのは、怒りで熱が上がったから。

『求婚なんてする意味、どこにあるの。兄様の立場なら、そんな面倒なことよりもずっと簡単な方法があるのに。通ったり、邸を持って迎え入れたり。それよりも楽でしょう? ここでも、お望みなら、あの裏庭みたいな暗いところに閉じ込めておけばいいんだわ』

《雪兎の君、落ち着いて》

ああ、雪狐の声は本当に頭の中に流れ込んでいたのだ。
生憎、今はいっぱいいっぱいで、雪狐の言葉が入る余裕はないけれども。

『……だとしても、大人しく閉じ込められたままでいるとは限りませんけどね……!! 』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

天明草子 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居
歴史・時代
身も蓋もないタイトルですみません。天明太平記を書き直すことにしました。いつも通りの意知もの、そしていつも通りの一橋治済が悪役の物語です。食傷気味、あるいはルビが気に入らない方は読まれないことを強くおすすめします。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

(本編&番外編 完結)チンギス・カンとスルターン

ひとしずくの鯨
歴史・時代
 チンギス・カン率いるモンゴル軍が西域のホラズムへ遠征する話です。第一部は戦の原因となる出来事、第2部で進軍、第3部「仇(あだ)」で、両国間の戦記となります。「仇」をテーマとする本編は完結。現在、『ウルゲンチ戦――モンゴル崩し』を投稿中です。虚実織り交ぜて盛上げられたらいいなと。  1217年の春メルキト勢を滅ぼしシルダリヤ川の北の地を引き上げる(チンギス・カンの長子)ジョチの部隊とホラズムのスルターン軍が遭遇する場面から、この物語は始まります。  長編が苦手な方向けに、本作中で短編として読める話を第2話にて紹介しております。

3点スキルと食事転生。食いしん坊の幸福論。〜飯作るために、貰ったスキル、完全に戦闘狂向き〜

西園寺若葉
ファンタジー
伯爵家の当主と側室の子であるリアムは転生者である。 転生した時に、目立たないから大丈夫と貰ったスキルが、転生して直後、ひょんなことから1番知られてはいけない人にバレてしまう。 - 週間最高ランキング:総合297位 - ゲス要素があります。 - この話はフィクションです。

生まれ変わりは嫌われ者

青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。 「ケイラ…っ!!」 王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。 「グレン……。愛してる。」 「あぁ。俺も愛してるケイラ。」 壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。 ━━━━━━━━━━━━━━━ あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。 なのにー、 運命というのは時に残酷なものだ。 俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。 一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。 ★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!

貴方の想い、香りで解決します!~その香り、危険につき~

橘柚葉
ファンタジー
お香の名手と誉れ高い父を持つ香姫は、現実主義者+ブラコン。香道の心得がある香姫の元に、変人の宮というあだ名がある宮様、敦正から「ある事件」の捜査依頼が飛び込んできた。 「この香り、どういう意味なのか。解読できないだろうか?」 お香では一目置かれている弱小貴族の姫と、容姿端麗で地位もあるが、ちょっと特殊な能力がある宮様コンビが送る、痛快(!?)事件簿。

筋肉乙女は、恋がしたい! ~平安強力「恋」絵巻~

若松だんご
キャラ文芸
 今は昔。美濃国、国司の娘に、菫野といふ幼き姫ありけり。  野に在りて、罠にかかりし狐を助けたまふ。狐、姫の優しき心に感じ入り、その恩義に報いんと、妖しの技を持って、姫に強力を授けん。  ――それから数年後。  かつて菫野の母がお仕えしていた桐壺更衣。その更衣の遺児である女二の宮、桜花内親王にお仕えしてみないかという誘いが菫野にかかる。  女二の宮は、十四歳。同母の兄、安積親王と仲良く暮らしておられるが、やはり母を恋しがっておられるとのこと。  年の近い菫野なら、姉のように接することでお慰めできるのではないか――という期待。  「絶対、ぜったいに、何があっても強力のこと、知られてはなりませんよ」  そう、母に強く念を圧されたのに。  「あなたも、十六。素敵な公達に見初められて、幸せな人生を掴み取るのです!」  なんて言われてきたのに。そのために、豪華な衣装を用意してもらったのに。  初出仕の日。「心配だから」とついてきた、狐の狐太を追いかけて木に登ってしまった宮の愛猫。それを助けるためにウッカリ強力を披露してしまい?  その上、イケメン安積親王にバッチリ見られて、笑われて?  内裏で働く女房として、美しい絵巻物のような世界で、ときめく物語のような恋をくり広げるはずだったのに! もしかしたら、素敵な公達が付け文なんか贈ってよこしてくれるかもって期待してたのに!  初っ端から、期待も希望もベッキリ圧し折られた菫野。  こんな強力女房、誰が好きになってくれるっていうのよ。  「まあまあ、ドンマイ、ドンマイ」  次があるさと、孤太が心のこもらない慰めをくれるけど。  わたしは、ここで幸せな恋をしたいの! こんな強力なんていらないのよ!  華やかな宮中でくり広げられる、平安「剛力」恋愛物語。

僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした

なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。 「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」 高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。 そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに… その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。 ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。 かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで… ハッピーエンドです。 R18の場面には※をつけます。

処理中です...