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鬼ごっこ

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「言っておくけれど、恭一郎殿に話を頂いたのはもう随分前のことよ。こちらが可哀想になるくらいに悩んでいらしてね。あの方が、昨日今日の思いつきでこんな騒ぎにするとお思い? 」

もちろん、答えは否だ。
兄様が口にした時点で、悩み抜いた結果なのだ。
だから、きっと覆すつもりはないだろう。

「そんなに妖狐や天狗に小雪を奪われたくないのなら、いっそさっさと手をつけてしまえばいいと申し上げたんですけれどね。事はそう簡単には運ばないとそれはお怒りになって。何でも真剣に考えすぎてしまうのは、昔からあの方の悪い癖ね」

(……そりゃあ怒るでしょうよ)

おほほと袖を口許に当てる母こそ、ある意味狐か鬼である。
娘に手を出せと唆すなんて。
それも、自分を兄と慕う子をだ。
当然、兄様の悩みも今後の展開も理解したうえで冗談ぽく言ってみせたのだろうけれど。

「風当たりは強いでしょうとも。だからこそ、恭一郎殿は今の今まで答えを出せなかった。保身ではなく、貴女の為に悩まれたのです。これまでのどんないい縁談も、貴女は興味を示さなかったから」

どんな思いで探し、寄越したのだろう。
それは少なくとも、今の私と同じくらい複雑だったのだろうなと思う。

「大雪には勿体ないお話だったと思うんですけど……どの方もあまり好きになれなくて」

大半は兄様に頼まれた友人や同僚、そのまた友達。
明らかに面倒そうな人もいたし、狐か狸だかに化かされたとは一体どんな女だろうと面白半分の人もいた。
けれども、確かにごく僅か、優しくて私を変人扱いしない男性もいたのはいたのだ。
嬉しいと思いながら、それでも先へ進むことはできなかった。

「一目で恋に落ちるだなんて、そうそうないことですよ。もう少し、待ってみてもよかったのではないかしら? 」

「それは……あまり先延ばしにしても、お相手に悪いかなって……」

そんないい人だからこそ、長引かせても申し訳ない。
そういう殿方なら、他にいい人がすぐに見つかる。
その気のない私に時間を遣うより、ずっと有意義に――。

「それなら、今、恭一郎殿相手に迷っているのはなぜ?」

目を逸らしたのに、それこそが答えだと母は満足そうだ。
これまでなかったくらい、迷っている。
もちろん、私だって分かっているけれど。
問題は、それが兄様だから迷っているのか、それとも兄様が兄であるから迷っているのか。
同じようで全く異なる理由のうち、どちらなのか。
その判断がつかずにいるのだった。

「そこから逃げていては、いつまで経っても何も解決しませんよ。貴女が再びいなくなってしまったとしてもね。もしも、恭一郎殿を想うのなら、優しいあの方に奪わせてあげなさい。ただし、それは貴女の意思でないと駄目なのよ」

矛盾している内容を尋ねる間もなく、母様は素早く立ち上がり、何事もなかったかのように部屋を後にした。
母様はどうやって、ご自分の想いを貫いたのだろう。
自分のことは棚に上げ、尼削ぎの後ろ姿をぼんやりと見送る。

「最低だって知ってる。私、惹かれているんだわ」

「……小雪」

憧れの人が、これまで恋愛対象でなかった理由はただひとつ。家族だからだ。
恋をしてないけない存在だから、強制的にそこから追いやっていただけ。
それをいきなり許可が下りたものだから、戸惑っている。

「七緒様が仰ったように、そう遠くなく答えは出てくるのではないかしら。恭一郎様だって、これからは兄君ではなく一人の男性として行動されるのでしょうし……最初は戸惑ったとしても、自ずと気持ちははっきりするかもしれないわ」

そうだろうか。
それはそれで、少し怖いけれど。

「願わくは、ここで幸せになってほしい。側で見ていたいのよ。でも……一番大事なのは場所ではないから」

まるで、近くどこかに消えてしまうのを知っているみたい。
長閑の泣き笑いが切なくて、少し震えた手をそっと包み込んだ。

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