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見ざる聞かざる……

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マンションが見えて、エレベーターに乗って、部屋の前まで来て。
一分一秒でも早く部屋に入りたいはずなのに、今日は、少しぐずぐずした。
首元から外したストールを丁寧に畳んで、バッグにそっと仕舞う。
お弁当箱がスペースを占めた鞄には、厚手の柔らかなストールは窮屈そうだ。


「あ、おかえり。今日は大丈夫だった? 何か言われた? 」

「何も言われなかった。ありがと」


牽制。
それが女の子相手なら、大成功だったんだろう。でも、それが万が一、理由はよく分からないけど。


「あいつは? 何か言ったり、されたりした? 」


あの時大きく口を開けて噛みついたのは、背中を預けてしまった私じゃなくて、もしかして――本当にもしかしたら、正面にいたユウだったりするんだろうか。


「ユウが何かするわけないでしょ。予想どおりの展開だって、笑って許してくれたよ」


もしものもしも、万が一。
そう思って、できるだけ軽く言ったつもりだった。


「……それ、ほんと? この期に及んで、本当にそれだけ? 」


――のに。


「そ、そうだけど。それだけって、他に何があると思ってたの? 実くんがどう思ってるか知らないけど、ユウは優しい……」


――わたしは、何を間違ったの。

握られた手首が昼間を思い出して、数歩後ずさろうと身を引いたのを、彼は許さなかった。


「知ってるよ。あいつが一華さんに優しいことなんて。……ねえ、それ、脱がないの。部屋の中でコート着てたら暑くない」


言われてギクリとつい目がいったのは、コートじゃなくてストールの入ったバッグ。
なのに、実くんが中を開けようとするのは。


「脱いだら? 」

「や……いい。暑くない」


まさか、バレてるなんてことある?
帰ってコートも脱がずに話し続けるのは、この前解いたボウタイを思い出したんじゃなくて。


「この前は自分からはだけてたくせに。……ね、一華さん。この中、何があるの? 」


――別に、やましいことなんてない。そう思おうとしてるモノを隠してるってこと。


「やっぱりね。そんなことだろうと思った」


暖房の効いたリビングを、きっちりボタンを留めたままのコートを着て通過しようとしてたことも。


「脱いでよ」

「な……」


『なんで』すら言えない。
コートは雑に奪われたのに、自分のじゃないカーディガンのボタンを、持ち主じゃない指にひとつそっと、外されて。


「やだから。後は、一華さんの意思でちゃんと脱いで」


芽生えた罪悪感に息が止まる。
温めてくれたのは、完全なる善意だと知っていれば尚更。


「……やっぱいいや。ね、一華さん。なんで、キスは入ってなかったの? 」

「何の話? 」


突然興味を失ったように離れた指と、軽い調子の声にほっとする。
それがあんまりほっとしすぎて、強烈な安堵感で満たされた私は、返事をしておきながら会話の内容が理解できてなかった。


「死ぬ前にやっときたいことの話。セックスだけ? キスは入ってなかったんだっけ? 」

「………あ、あー……そ、その話はもういいってば。リストなんてないし! 」


馬鹿みたいだ。
実くんには、他にあり得ないほどの恥を晒してるというのに。
こんな恥ずかしくてみっともないこと以上に、何をドキドキしてるんだろ。
そう、自嘲したかしないか。


「よくない。リスト作って、これも入れとけば? 」


(……え………)


手が大きい、なんて思う暇なかった。
思ったより大きくてやさしくて、頬だけじゃなく耳まで包まれたことに驚く余裕なんかなかった。


「……いっこ、達成じゃん」


そう囁いた実くんの声は、さっきまでのふわふわ可愛い雰囲気なんて別人みたいに、重く低く。


「もう脱がなくていいよ。……そうして、それ着たまま、俺でいっぱいになってたら」


その重さに引きずり落とされるみたいに腰砕ける私に、そう吐き捨てた。



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