翡翠の森

中嶋 まゆき

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乙女が消えた日

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監禁されていることを忘れるほど、それはあまりに酷い出来事だった。
胸のポケットにいる精霊のおかげか、レジーすら知り得ないことまで頭の中に流れ込んでくる。



・・・



『ジェマ』

ロドニーが名を呼ぶと、すぐに彼女はにこりと微笑んだ。

『おはよう。そんなところで、サボっていていいの? 』

仕事を放り出して会いにきたことなど、もはやいつも通りだ。
彼女ももちろんお見通しで、悪戯っぽく覗きこんできた。

『ああ、そうだね。また、どやされちゃうな』

『早く行った方がいいわよ』

普段なら、クスクスと笑われてそこで終わり。
けれども今日こそは、すごすご帰るつもりはなかった。

『……ちょっと……』

困ったように呟くと、ジェマは掴まれた自分の手首を見つめた。

『デート、してくれる? 』

『……』

何度もはぐらかされているのだから、いい加減諦めたらいいものを。
残念ながら、脈はないのだ。
分かっていても、足繁く通ってしまう。
振り切れずに、立ち止まってくれるのも。
僅かに赤くなった頬も。
どうしたって、忘れることができないまま。

『……叱られるな、今日も』

困らせているのも知っている。
ジェマは強くは言わないけれど、迷惑かもしれなかった。
いや、それ以外の何だというのだ?

話題を戻し、男は手を離した。
言い訳にもならないが、嫌な思いをさせたい訳ではない。

『……っ、待って! 』

今日もダメかと背を向けた時、裾を引かれて振り返る。

『ジェマ……? 』

『あ、えっと……どこ、行く? 』

向き直った勢いのまま、抱き締めたくなるのを何とか自重する。

『君といられるなら、どこでも』

彼女の指先が、自分を引き留めている。
それだけでも、頭の中は花が満開。

『楽しみにしてる。…ロドニー』

気立てのいい、誰からも好かれるジェマ。
美人であるし、自分のように声をかける男など珍しくはない。
そんな彼女が付き合ってくれるとは、信じられない気持ちでいっぱいだった。


・・・


『ロドニー? 』

鈴を転がすような声で呼ばれ、ロドニーは隣に意識を戻した。

『あ、いや』

慌てて言葉を探したが、うまくいかない。
おかしい。こうして夢が叶って、急にもやもやするなんて。
だが、彼女は自分の手元を見て、勘違いしたようだ。

『これね。毎日同じ顔が同じ花を売っていても、みんなの興味も薄れると思うんだけど……あまり、手に入るものがなくて』

話を合わせようと、今更ジェマの籠に目を移す。
中には鮮やかな赤い花が、まだたくさん売れ残っていた。

『そんなことはないだろ。少なくとも僕は、美人が売ってたらそうは飽きない』

『また、そんなこと言って』

評判の可愛い花売り。
励ましたくての冗談だったが、まるっきり嘘ということでもない。

「一輪いかがですか? 」

なんて言われようものなら、つい必要もないのに買ってしまいたくなる。
馬鹿丸出しだったが、事実、最近までは人気で売り切れることも多かったのだ。

『でも、仕方ないわ。いつも赤い花ばかりじゃね』

原因は、この猛暑だった。
元々、クルルは常夏の国。
暑さに弱い植物は育ちにくい。
それでも少し前までは、もっと種類も豊富だったはずなのだが。ジェマの売る花は、今ではこの赤い花だけ。

『だとしたら、みんな随分飽き性だね。僕はまだ、見足りないけど』

籠の中からひとつ失敬して、彼女の髪に挿した。
正直なところ、あまり花には興味がないが。
少しくせのある、ふんわりとした黒髪に赤い色がよく映える。

『……ロドニーの本職って、女性相手の詐欺師だったりしない?』

頬も同じように色づくのは可愛らしいが、出てきた言葉はあまりに酷い。

『君が落ちてくれないのに? 』

いつからか、ずっと見つめていたのは花ではない。
どうしようかと迷ったが、抗えずに唇を重ねていた。



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