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35話
しおりを挟むその日、これは彼女を見送るためなのだと自分に言い聞かせながら、カナタは美琴のアパートを突き止めた。罪悪感が少しもないわけではなかったが、それもほんのささやかなものだった。翌日、駐車場の塀の陰から彼女の部屋に電気がつくのを見届けた瞬間、音もなく消えてしまうくらいには。
会社が終わると、まっすぐ自宅に帰ればいいのに、なぜか足早に突き止めたばかりのアパートに向かっていた。もちろん部屋を訪ねるわけじゃない。また公園に寄ってくるかもしれないし、時間が早いのでおそらくまだ帰宅していないだろうと思った。
ではなんのために向かうかというと、建物の隣にある駐車場に潜んで、住人が留守にしていて真っ暗なままの部屋の窓をいつまでもじっと見つめるためだ。あの女の子は実在したのか、昨日のことは夢ではなかったのか、それを確かめる必要があった。
我ながらあのときは頭がおかしかったと思う。では今は正常になったかといえば、そんなわけはないのだが。自分は、美琴に出会って変わってしまった。でもそれは道が逸れたというよりは、強い力で軌道修正されただけのようにも思える。これが本来の自分だったのだという、感動にも似た気持ちが胸に満ちていた。自分はきっと、子供の頃からずっと頭がおかしかったのだ。そして彼女に出会い、ようやくまともになれた……。
暗闇から様子を伺って2時間半が経ち、やがて、彼女の部屋にパッと電気がついた。この駐車場側からは階段が見えないので、姿を確認することはできなかったが、帰宅したということだ。
その電気はまるで、カナタの心の中に灯された希望の光のように感じられた。
感動で涙が出そうになった。
◆
熱で重たい頭を抱えたまま、タクシーの中でカナタはこれまでのことを振り返った。こうしていると美琴に会いたい気持ちが強くなる。
ようやくマンションに帰り着き、財布を取り出し金を払うと、エレベーターへ急いだ。自宅のある階数を押して、壁にもたれるようにしながら到着するのを待つ。
こんな時間に帰宅したら美琴はきっと驚くだろう。最近はあまり元気がないように見えていたが、カナタが早く体調を治してふたりでゆっくり過ごせば、少しずつ元に戻るかもしれない。
自分のことはどうだっていいが、美琴にはできることをなんでもしたいと思う。監禁を解くこと以外なら、望むことをなんでも叶えたい。死ねと言われれば死ねる。どうせ一度捨てたつもりの命だ。
ーーでも今の俺はやっぱり、美琴と一緒に生きたい。
早く会いたいという思いがさらに強くなり、エレベーターが止まると開のボタンを連打した。そんなことをしても速度は変わらないのに、我ながら子供じみていて笑える。
元気なときなら気にもならないのに、今は永遠にも思える長さの廊下を、一歩一歩踏みしめるようにして歩いた。早く家に帰りたい。おかえりと言って、いつもみたいに笑って欲しかった。今日はどうしたの? はやいね、なんて言って、そのあと、体調の心配なんかもしてくれるだろうか。自分の帰る場所はここだというあたたかい安心と実感を与えて欲しい。
ドアの前にたどり着き、カナタは持ち歩いているビジネスバッグから鍵を取り出そうとする。しかし熱のためかもたついてなかなかうまくいかず、ため息をついた。
そのとき、その声が耳に届いた。
『たすけてください!』
この状況が、たった今聞こえた声が。
どういうことを意味するのか気づいてしまったとき、カナタの胸の中にあったあたたかいなにか……おそらく幸せのような目に見えないなにかが、音を立てて、崩れた。
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