216 / 232
第一章 炎の記憶
第十二節 牛 王
しおりを挟む
雅人は、ブリッジの姿勢のまま動かなくなったロビーから、警戒を解く事なく離脱した。
そして、いつからか止めていた息を大きく吐き出し、その瞬間、尻から脳天まで怖気が走るのを感じた。
戦いで勝ちを収めて安心するなど、どれくらいぶりだろうか。
雅人はせり上がって来た濃厚な二酸化炭素と一緒に、胃の中のものまで飛び出させてしまいそうになった。実際、傷付けられた内蔵からこぼれた血と、何処のものだか分からないような肉片が、口腔に上って来た。
雅人にとって勝利は誇ったり喜んだりするものではなかった。戦いとは区切りがあるものではなく、勝利は飽くまで自身の実力の指標であり、より強い相手との新しい戦いへと移行するまでのインターバルでしかない。
インターバルでは傷の手当てをしたり栄養補給をしたりするが、例え相手がずたぼろになっていようとも気を緩める事はない。
その筈なのに、雅人はロビンソン=ブルなる異形の筋肉魔人に恐怖を覚え、勝利によってこの不安が取り除かれた事を安堵している。
──勝って兜の緒を締めよ、だ。
雅人は自身を戒めるべく、ロビーを含む三人との戦いで負った傷を再確認した。
一番の重傷は内蔵の損傷だが、眼で見えるもので特に大きかったのは、胸の傷と足の指だ。
しかし胸に手をやった雅人は、骨を断つべく切らせた肉に違和感を覚えた。
黒人の男が身体から出現させた、鋭利なヒレの刃が突き立った胸の肉に、傷が付いていない。
皮膚が捲れた感触すらないのである。
まだ手や指の触覚が戻っていないのか? だがものの凹凸については、初めからさして判断に困っていなかった。
固まり始めたロビーの血を拭い、指を当ててみるも、やはり傷がない。
思ったよりも浅い傷だったのか。
雅人はロビーを倒した安堵よりも、寒々しい予感に襲われた。
恐る恐る足元に目線を落とすと、あるべきでないものが、そこにあった。
ヒレに向かって蹴り込み、斬り落とされた右足の中指が、生えているのだ。
──何だ、これは?
あれが幻覚だったとは思えない。
ならばこの指は何だ。まさか、蜥蜴の尻尾のように、なくなった指が生えて来た訳でもあるまい。
雅人は右足を持ち上げ、その指に触れた。
ざらりとした角質と、ぬめぬめした液体が、表面を覆っている。爪の表面は瑞々しかった。摘まんでみると、他の指よりも柔らかく、足の甲まで反り返らせる事が出来た。
骨がない。
腱と筋肉とだけで構成された指である。
どういう事だ!?
「──今のは、ちょいと効いたぜぇ」
雅人の、それまでの異常空間での困惑以上の動揺を余所に、くぐもった声がした。
筋肉橋が起き上がる。
頭を左右に振って、床の欠片を弾き飛ばすロビンソン=ブル。
その顔の半分は黒っぽく固まった血で覆われているが、浮かべた表情は変わらない。
豪気な威嚇の笑顔を張り付けて、雅人を見下ろしていた。
「タフな野郎だ……」
「さっきの二人とは格が違うのさ。オーヴァー・ロードだからな」
「オーヴァー……?」
「おっと、また英語が出ちまった。スネークボーイは良くこう言ってたっけ」
超越者──
ロビーが自らを称した言葉に、雅人は覚えがある。
その言葉は確か……。
「まだまだテストは終わっていないぜ、サムライボーイ」
雅人の回想を妨げるように、ロビーが前髪を掻き上げながら言った。
正拳突きによって陥没させられた筈の額が、隆起し始めている。
していたのではなく、現在進行形でロビーの額が膨張をしているのだ。
眼で追える速度で、ロビーの額がもこもこと前方に突き出してゆく。
又、そのピンク色に染まった白い皮膚が、内側から少しずつ黒ずんでゆくようだ。
粘度の高い液体を薄い紙で包み、ほんの少しの力を加えてゆくと、紙に液体の色が移ってしまうように。
それはやがて皮膚を突き破り、ロビーの全身を覆い始めた。
黒い体毛だ。
全身を包み込む、脂肪を殆ど挟まない白い皮膚の内側から、黒くて硬質な毛がビデオの早送りのように出現している。
雅人が呆然として、まばたきをやめている間に、ロビーの異様に膨らんだ白い身体は、闇のように黒い獣毛に覆い隠されてしまったのだ。
その盛り上がった額にも、更なる変化が訪れている。
腫瘍のように膨れた額は、見えない手によって操作されているように二つの方向へと伸び始めた。皮膚とも肉とも分からない伸びたものは、重力に抗いながらとぐろを巻き始め、途中から正面に向けて曲がり、やがて表面を角質で覆ってゆく。
これに引っ張られるようにして顔の皮膚も前に突き出していた。
ばきぼきと、巨木の倒れる音が身体の中心から聞こえていた。ロビーは全身に力を漲らせ、肉体の変化に伴って脱臼と再生を繰り返す背骨が与える痛みに耐えている。
雅人の眼の前で、数十秒にも満たない内に、白色人種ロビンソン=ブルの肉体は、黒々とした体毛に覆われ、巨大な一対の角をねじ曲がらせた、人でも獣でもない何かに変貌していた。
最後に──その眉間に裂け目が生じ、姿を見せた霊石が、紫紺の輝きを放ち始めた。
そして、いつからか止めていた息を大きく吐き出し、その瞬間、尻から脳天まで怖気が走るのを感じた。
戦いで勝ちを収めて安心するなど、どれくらいぶりだろうか。
雅人はせり上がって来た濃厚な二酸化炭素と一緒に、胃の中のものまで飛び出させてしまいそうになった。実際、傷付けられた内蔵からこぼれた血と、何処のものだか分からないような肉片が、口腔に上って来た。
雅人にとって勝利は誇ったり喜んだりするものではなかった。戦いとは区切りがあるものではなく、勝利は飽くまで自身の実力の指標であり、より強い相手との新しい戦いへと移行するまでのインターバルでしかない。
インターバルでは傷の手当てをしたり栄養補給をしたりするが、例え相手がずたぼろになっていようとも気を緩める事はない。
その筈なのに、雅人はロビンソン=ブルなる異形の筋肉魔人に恐怖を覚え、勝利によってこの不安が取り除かれた事を安堵している。
──勝って兜の緒を締めよ、だ。
雅人は自身を戒めるべく、ロビーを含む三人との戦いで負った傷を再確認した。
一番の重傷は内蔵の損傷だが、眼で見えるもので特に大きかったのは、胸の傷と足の指だ。
しかし胸に手をやった雅人は、骨を断つべく切らせた肉に違和感を覚えた。
黒人の男が身体から出現させた、鋭利なヒレの刃が突き立った胸の肉に、傷が付いていない。
皮膚が捲れた感触すらないのである。
まだ手や指の触覚が戻っていないのか? だがものの凹凸については、初めからさして判断に困っていなかった。
固まり始めたロビーの血を拭い、指を当ててみるも、やはり傷がない。
思ったよりも浅い傷だったのか。
雅人はロビーを倒した安堵よりも、寒々しい予感に襲われた。
恐る恐る足元に目線を落とすと、あるべきでないものが、そこにあった。
ヒレに向かって蹴り込み、斬り落とされた右足の中指が、生えているのだ。
──何だ、これは?
あれが幻覚だったとは思えない。
ならばこの指は何だ。まさか、蜥蜴の尻尾のように、なくなった指が生えて来た訳でもあるまい。
雅人は右足を持ち上げ、その指に触れた。
ざらりとした角質と、ぬめぬめした液体が、表面を覆っている。爪の表面は瑞々しかった。摘まんでみると、他の指よりも柔らかく、足の甲まで反り返らせる事が出来た。
骨がない。
腱と筋肉とだけで構成された指である。
どういう事だ!?
「──今のは、ちょいと効いたぜぇ」
雅人の、それまでの異常空間での困惑以上の動揺を余所に、くぐもった声がした。
筋肉橋が起き上がる。
頭を左右に振って、床の欠片を弾き飛ばすロビンソン=ブル。
その顔の半分は黒っぽく固まった血で覆われているが、浮かべた表情は変わらない。
豪気な威嚇の笑顔を張り付けて、雅人を見下ろしていた。
「タフな野郎だ……」
「さっきの二人とは格が違うのさ。オーヴァー・ロードだからな」
「オーヴァー……?」
「おっと、また英語が出ちまった。スネークボーイは良くこう言ってたっけ」
超越者──
ロビーが自らを称した言葉に、雅人は覚えがある。
その言葉は確か……。
「まだまだテストは終わっていないぜ、サムライボーイ」
雅人の回想を妨げるように、ロビーが前髪を掻き上げながら言った。
正拳突きによって陥没させられた筈の額が、隆起し始めている。
していたのではなく、現在進行形でロビーの額が膨張をしているのだ。
眼で追える速度で、ロビーの額がもこもこと前方に突き出してゆく。
又、そのピンク色に染まった白い皮膚が、内側から少しずつ黒ずんでゆくようだ。
粘度の高い液体を薄い紙で包み、ほんの少しの力を加えてゆくと、紙に液体の色が移ってしまうように。
それはやがて皮膚を突き破り、ロビーの全身を覆い始めた。
黒い体毛だ。
全身を包み込む、脂肪を殆ど挟まない白い皮膚の内側から、黒くて硬質な毛がビデオの早送りのように出現している。
雅人が呆然として、まばたきをやめている間に、ロビーの異様に膨らんだ白い身体は、闇のように黒い獣毛に覆い隠されてしまったのだ。
その盛り上がった額にも、更なる変化が訪れている。
腫瘍のように膨れた額は、見えない手によって操作されているように二つの方向へと伸び始めた。皮膚とも肉とも分からない伸びたものは、重力に抗いながらとぐろを巻き始め、途中から正面に向けて曲がり、やがて表面を角質で覆ってゆく。
これに引っ張られるようにして顔の皮膚も前に突き出していた。
ばきぼきと、巨木の倒れる音が身体の中心から聞こえていた。ロビーは全身に力を漲らせ、肉体の変化に伴って脱臼と再生を繰り返す背骨が与える痛みに耐えている。
雅人の眼の前で、数十秒にも満たない内に、白色人種ロビンソン=ブルの肉体は、黒々とした体毛に覆われ、巨大な一対の角をねじ曲がらせた、人でも獣でもない何かに変貌していた。
最後に──その眉間に裂け目が生じ、姿を見せた霊石が、紫紺の輝きを放ち始めた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
彼女の母は蜜の味
緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)
幻田恋人
恋愛
夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。
でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。
親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。
童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。
許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…
僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…
男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話
mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。
クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。
友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる