162 / 232
第十二章 魔蛇の旋律
第六節 獣人堕天
しおりを挟む
若者たちの身体が、変わってゆく。
蛟の吹き鳴らす口笛によって生じた、身体の内側より響く衝動のようなもの。
それは形がなく、掴み所もないように思えるのだが、その一方で明確な質量を持った感覚でもあった。
だが、全神経を蛟に掌握されている若者たちには、それが精神的な感覚であるのか、それとも物質的な現象であるのか、分かっていない。
確かな事は、蛟の旋律が、彼らに僅かに残った理性を削ぎ飛ばす信号となっているという点である。
若者たちは一様に身を揉み、皮膚を掻き毟り、その場にへたり込んで、細胞を躍らせた。
筋肉が、膨張を始めていた。
潰された骨が、たちまち再生して破壊され、そして成長する。
髪の毛が抜け落ち、より硬質な体毛が、頭と言わず全身に生え揃った。
口が頭蓋骨ごと突き出してゆく。骨同士を繋ぐ腱が断ち切られては結び付く。
硬質化する皮膚。鱗状に変わった肌。体毛と混じり合って、ごつごつと岩のようなる。
「えぉぅ」
顎から、唸り声がこぼれる。
舌がぞろりと伸びていた。
それまであった歯を、歯茎から押し出される牙が取り除いた。
服の繊維が、中から千切られる。
だが、彼らは裸身を羞恥する事もなくなっていた。一度は手にしたエデンの果実を、悪辣な蛇によって今度は奪い取られてしまったのだ。
知恵と共に得た衣服の代わりに、今は蛇と同じ鱗を、喰らう為に生まれたものらと同じ獣毛を身に着けている。
「あごぉぉぉ」
「ふしゅるるるるるぁ」
「ほふっ、がほぅ」
「おーぅん! おぉぉおーうぅんっ!」
蛟の口笛が途切れた。彼らに、魔蛇の旋律はもう必要ないからだ。
純の周りを囲んでいるのは、一二人の若者たちから、一二体の怪物へと成り代わっていた。
シルエット自体は、人のそれである。
ただ、顔が狼のように鼻先を突き出したものがおり、頸が猪のように太くライオンのように全身を獣毛に覆われたものがいる。胸の筋肉をゴリラのように発達させて、腕や脚にはびっしりと蛇の鱗が生え揃わせたものも。指の先には鳥の嘴にも似た鋭利な爪が伸び、肩や背中の皮膚はサイやアルマジロに似た硬質化を見せたり、甲殻類のそれらしき形状になった個体もある。
変化の度合いの個人差――個体差はあっても、何れも人間ではない。
だが、図鑑に載っているどのような動物とも異なっている。
人であり人でなく、獣であって獣でない。
蛇の旋律によって、彼らは獣人へと変化した。人間から獣に、自らの持つランクを転落させる――よってこの現象を、偉大なる神が限りある命を以て現世に出現する思想の名を取り、アヴァタール現象と呼ぶのだ。
「我が傀儡よ――我が分身よ。オーヴァー・ロード水天の名の下に、その男を誅殺せよ!」
蛟に命じられ、獣人たちはより一層いきり立った。
その全身から、腹の底に生じた敵意を噴出するかのように、唸り声を上げて半円の中心に立つ男を威嚇する。
しかし、その対象となっている青年には――青蓮院純には、欠片の変化も見られなかった。
アヴァタール現象が引き起こす化身は、細胞分裂を促進し、人体を別の形態へと変貌させる。この際に消失した古い細胞の発する匂いは、海辺の香りさえ凌駕する。
死臭にも似た饐えた匂いに囲まれながらも、純は不変であった。
笑みを変えていない。
仏の眼だ。
神の笑みだ。
獣人たちは一斉に純に襲い掛かった。
その鋭い爪を、剛腕で以て繰り出し、美青年の肉体を斬り裂こうとする。叩き潰そうとする。
純は、次々と繰り出される獣人らの攻撃を、そよ風でも避けるようにして軽やかに躱した。
そしてあっと言う間に、怪物たちの包囲網を抜け出してしまう。流石に、ほぼ密着された状態で爪を振るわれれば、その衣服はぼろぼろになっている。だが、皮膚は掠り傷さえ負っていなかった。
知らぬ間に仲間同士で爪を立て合っていた怪物を見て、蛟が苛立った声を上げた。
「何をしているのです!? 敵は向こうだ」
その額に、触れてもいないのに切れ込みが生じ、裂けた皮膚から蒼い光が漏れ出した。
光を発していたのは、水晶体である。この眉間に生じた水晶の光によって、獣人たちは敵の位置を思い出し、一斉に振り向いた。
純は獣人の、二四の瞳に晒されつつも動揺を見せず、左手の通信機を操作した。
カバーを開け、三つのボタンの内、真ん中の一つを押す。
獣人たちが迫った。
純はネクタイを外し、ぼろぼろになったシャツを脱ぎ捨てて、獣人たちの前に放り投げる。
そして地面を蹴って、複数重なったコンテナの上まで到達するジャンプ力を見せると、獣人らを睥睨し、蛟を見上げた。
だが蛟は、自分が上方にいるのに見下ろされた気分であった。
純の眼に映った月が、蛟を見下ろしているからだった。地上の月の眼は、いやが応にも三年前の屈辱を思い出させる。
蛟の吹き鳴らす口笛によって生じた、身体の内側より響く衝動のようなもの。
それは形がなく、掴み所もないように思えるのだが、その一方で明確な質量を持った感覚でもあった。
だが、全神経を蛟に掌握されている若者たちには、それが精神的な感覚であるのか、それとも物質的な現象であるのか、分かっていない。
確かな事は、蛟の旋律が、彼らに僅かに残った理性を削ぎ飛ばす信号となっているという点である。
若者たちは一様に身を揉み、皮膚を掻き毟り、その場にへたり込んで、細胞を躍らせた。
筋肉が、膨張を始めていた。
潰された骨が、たちまち再生して破壊され、そして成長する。
髪の毛が抜け落ち、より硬質な体毛が、頭と言わず全身に生え揃った。
口が頭蓋骨ごと突き出してゆく。骨同士を繋ぐ腱が断ち切られては結び付く。
硬質化する皮膚。鱗状に変わった肌。体毛と混じり合って、ごつごつと岩のようなる。
「えぉぅ」
顎から、唸り声がこぼれる。
舌がぞろりと伸びていた。
それまであった歯を、歯茎から押し出される牙が取り除いた。
服の繊維が、中から千切られる。
だが、彼らは裸身を羞恥する事もなくなっていた。一度は手にしたエデンの果実を、悪辣な蛇によって今度は奪い取られてしまったのだ。
知恵と共に得た衣服の代わりに、今は蛇と同じ鱗を、喰らう為に生まれたものらと同じ獣毛を身に着けている。
「あごぉぉぉ」
「ふしゅるるるるるぁ」
「ほふっ、がほぅ」
「おーぅん! おぉぉおーうぅんっ!」
蛟の口笛が途切れた。彼らに、魔蛇の旋律はもう必要ないからだ。
純の周りを囲んでいるのは、一二人の若者たちから、一二体の怪物へと成り代わっていた。
シルエット自体は、人のそれである。
ただ、顔が狼のように鼻先を突き出したものがおり、頸が猪のように太くライオンのように全身を獣毛に覆われたものがいる。胸の筋肉をゴリラのように発達させて、腕や脚にはびっしりと蛇の鱗が生え揃わせたものも。指の先には鳥の嘴にも似た鋭利な爪が伸び、肩や背中の皮膚はサイやアルマジロに似た硬質化を見せたり、甲殻類のそれらしき形状になった個体もある。
変化の度合いの個人差――個体差はあっても、何れも人間ではない。
だが、図鑑に載っているどのような動物とも異なっている。
人であり人でなく、獣であって獣でない。
蛇の旋律によって、彼らは獣人へと変化した。人間から獣に、自らの持つランクを転落させる――よってこの現象を、偉大なる神が限りある命を以て現世に出現する思想の名を取り、アヴァタール現象と呼ぶのだ。
「我が傀儡よ――我が分身よ。オーヴァー・ロード水天の名の下に、その男を誅殺せよ!」
蛟に命じられ、獣人たちはより一層いきり立った。
その全身から、腹の底に生じた敵意を噴出するかのように、唸り声を上げて半円の中心に立つ男を威嚇する。
しかし、その対象となっている青年には――青蓮院純には、欠片の変化も見られなかった。
アヴァタール現象が引き起こす化身は、細胞分裂を促進し、人体を別の形態へと変貌させる。この際に消失した古い細胞の発する匂いは、海辺の香りさえ凌駕する。
死臭にも似た饐えた匂いに囲まれながらも、純は不変であった。
笑みを変えていない。
仏の眼だ。
神の笑みだ。
獣人たちは一斉に純に襲い掛かった。
その鋭い爪を、剛腕で以て繰り出し、美青年の肉体を斬り裂こうとする。叩き潰そうとする。
純は、次々と繰り出される獣人らの攻撃を、そよ風でも避けるようにして軽やかに躱した。
そしてあっと言う間に、怪物たちの包囲網を抜け出してしまう。流石に、ほぼ密着された状態で爪を振るわれれば、その衣服はぼろぼろになっている。だが、皮膚は掠り傷さえ負っていなかった。
知らぬ間に仲間同士で爪を立て合っていた怪物を見て、蛟が苛立った声を上げた。
「何をしているのです!? 敵は向こうだ」
その額に、触れてもいないのに切れ込みが生じ、裂けた皮膚から蒼い光が漏れ出した。
光を発していたのは、水晶体である。この眉間に生じた水晶の光によって、獣人たちは敵の位置を思い出し、一斉に振り向いた。
純は獣人の、二四の瞳に晒されつつも動揺を見せず、左手の通信機を操作した。
カバーを開け、三つのボタンの内、真ん中の一つを押す。
獣人たちが迫った。
純はネクタイを外し、ぼろぼろになったシャツを脱ぎ捨てて、獣人たちの前に放り投げる。
そして地面を蹴って、複数重なったコンテナの上まで到達するジャンプ力を見せると、獣人らを睥睨し、蛟を見上げた。
だが蛟は、自分が上方にいるのに見下ろされた気分であった。
純の眼に映った月が、蛟を見下ろしているからだった。地上の月の眼は、いやが応にも三年前の屈辱を思い出させる。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる