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第十二章 魔蛇の旋律
第四節 鬼 火 拳
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階段を駆け下りた紀田は、無人のエントランスから、自動ドアの向こうに駐車場を見た。
紀田は以前までは、桃城達也の使う車で送り迎えをさせていた。しかし、自分が一人で使う車を持っていない訳ではない。
無精者の紀田は、鍵を使わずに、指紋を認証させるだけでロックを解除出来る車を買って、これを愛用していた。
駐車場の端の方に停めてある愛車を求めてエントランスを急いで駆け出そうとした紀田であったが、その寸前、上の階でガラスを割る音がした。
入り口のひさしから何ものかが飛び降りるのが、自動ドアの内側から見えた。
ガラスの破片を纏った男が、建物を振り向き、自動ドアを開かせる。
顔も、胸も血まみれにし、ジーンズの股間を自分のザーメンで汚した赤毛の巨漢が、威圧的な歩みで迫る。
雅人は二階の窓をぶち破って、駐車場へ出ようとする紀田に先んじたのである。
自動ドアであるから当然の事だが、自ら入り口を開いて明石雅人を迎え入れる様子が、今の紀田には、死神の凱旋にも思えた。
いや、死神と言うよりは、鬼だ。
地獄で亡者を苛む鬼が、現世の悪鬼・紀田勝義を早々に迎えに来たのである。
「ぬあぁぁっ!」
紀田は駆け出した。
雅人を弾き飛ばして、駐車場に出て、自分の車へ駆け寄る心算だ。
雅人は何度も紀田の突撃を受けている。その威力の程は身に染みている筈だ。激突されれば弾かれる。躱す外に道はない。
だが、紀田の思惑と異なり、雅人は両腕を広げて紀田の正面で腰を落とした。
砲弾のような力士崩れの突撃を、雅人の身体が包み込む。
ぼろぼろのスニーカーの底が、擦り切れんばかりに床と摩耗して、自動ドアを潜り、エントランスの段差で停止した。
「しゃっ!」
雅人は右膝を跳ね上げて、紀田の顎を下から叩いた。
紀田はへなへなとその場に尻餅をつき、ぐにゃぐにゃになった視界の中で雅人を見上げた。
鬼だ。
元よりの赤毛と、全身を染める赤い血が、歪んだ視界で雅人を鬼火に見せていた。
「ゆるして……」
紀田は、生れてこの方、自分の人生とは無縁である筈の台詞を口にしていた。
「許してくれ! 助けてくれぇ」
歯が殆どなくなっているので、その言葉には空気と血の泡立つ音が混じっている。
紀田の咽喉に入り込んだ血が、声を吐き出す息で拡散されているのだ。
「ふざけろ」
雅人は冷淡に言うと、許しを乞い、それ以上の暴力の停止を呼び掛ける為に、前に出していた左手を蹴り付けた。
指が全て、別々の方向を向いてしまう。
「あーっ!」
紀田は命乞いが無意味と知ると、壊れた両手で地を這って、夜の駐車場へ逃げた。
コンクリートの冷たく硬い感触が、相撲部屋時代から一度たりとも味わった事のない掌に加えられている。
赤ん坊のようになった醜い肉塊を、雅人はゆっくりと追い詰めた。
「そう言った女に、お前は、今まで、何を……して来たんだ? 許したのか。助けたのか」
雅人は紀田の足首を踏み締めた。
動きを止めた紀田の襟首を右手で掴んで引っ張り上げ、でっぷりと脂肪の詰まった腹に連続して膝蹴りを叩き込んだ。
紀田が喘ぎ、口から血をこぼす。
「違う、よなぁ。許さなかった、ろう。助けなかったろう。だから、お前を、許す奴も、助ける奴も、いやしねぇんだよ」
雅人は、膝蹴りをガードしようとした紀田の、今度は足を狙って足刀を打ち下ろした。
膝のスナップで放たれる二連蹴りが、ほぼ同時に紀田の膝関節を横から叩いていた。
その場で、紀田が崩れる。
仰向けになった紀田の咽喉元に、雅人が靴を踏み下ろした。
「彼女たちの――精々、何万分の一の怖さと痛さの味は、どうだった?」
俺は楽しかったぜ。お前も楽しかったんだろうな。
雅人は右の掌を紀田の顔の前に出し、小指から一本一本、掌に向けて折り畳んでゆく。
最後に親指を添えて、ぎゅッ! と握り込むと、掌は拳大の石に、いや、鉄球に変わった。
弓につがえた矢を引くように、右腕を絞り、雅人は最後の一撃を打ち込もうとした。
と――
その背後で、車のエンジン音がした。
見ると、ライトで煌々と道を照らしながら、黒いオートバイが駆け寄って来る所であった。
雅人は咄嗟に避けた。
オートバイは、ホテルの入り口に向かってゆく。そのまま段差を飛び越え、自動ドアが開き切る前にカウルでガラスを突き破った。
しかし驚くべきは、そのオートバイには乗り手がいなかったという事だ。
不可解な出来事に戸惑い、意識を反らした雅人に、紀田が殴り掛かった。
雅人は左腕で、紀田の左のパンチを弾こうとするが、最後の最後でチャンスを手にした紀田の気迫は凄まじく、ガードを弾かれてしまった。
顔を殴られ、窄めた唇から血の霧を吹き出した雅人が後退し、膝立ちにまで姿勢を崩す。
「えげぇぁあああああおぉぉぉぉぉぉっ!」
紀田が血を撒き散らしながら、奇怪な咆哮を迸らせ、雅人に最後の一撃を見舞おうとした。
振り上げた左の張り手に打たれれば、今の雅人では逆転の目はない。
雅人は固めた右拳を、頭部を狙った紀田の左手目掛けて走らせた。
紀田の厚い掌に、雅人の拳が激突し、骨を砕く。
砕けた骨が、内側から皮膚を突き破り、肉を引き裂いて、その間隙に、楔のようにして雅人の拳が喰い込んでゆく。
真っ二つに裂ける紀田の手、砕ける手首、左右に割れる尺骨橈骨。
雅人の拳が、紀田の腕に対し、真っ直ぐに喰い込んでいた。
「おえあっ」
紀田が、二つに裂けた左腕を見て、奇怪な悲鳴を上げる。
その顔面に、雅人の左の拳がめり込んだ。
紀田が、コンクリートに倒れ込む。
全身を赤く染め抜いた鬼を、冴え冴えとした月が見下ろしていた。
紀田は以前までは、桃城達也の使う車で送り迎えをさせていた。しかし、自分が一人で使う車を持っていない訳ではない。
無精者の紀田は、鍵を使わずに、指紋を認証させるだけでロックを解除出来る車を買って、これを愛用していた。
駐車場の端の方に停めてある愛車を求めてエントランスを急いで駆け出そうとした紀田であったが、その寸前、上の階でガラスを割る音がした。
入り口のひさしから何ものかが飛び降りるのが、自動ドアの内側から見えた。
ガラスの破片を纏った男が、建物を振り向き、自動ドアを開かせる。
顔も、胸も血まみれにし、ジーンズの股間を自分のザーメンで汚した赤毛の巨漢が、威圧的な歩みで迫る。
雅人は二階の窓をぶち破って、駐車場へ出ようとする紀田に先んじたのである。
自動ドアであるから当然の事だが、自ら入り口を開いて明石雅人を迎え入れる様子が、今の紀田には、死神の凱旋にも思えた。
いや、死神と言うよりは、鬼だ。
地獄で亡者を苛む鬼が、現世の悪鬼・紀田勝義を早々に迎えに来たのである。
「ぬあぁぁっ!」
紀田は駆け出した。
雅人を弾き飛ばして、駐車場に出て、自分の車へ駆け寄る心算だ。
雅人は何度も紀田の突撃を受けている。その威力の程は身に染みている筈だ。激突されれば弾かれる。躱す外に道はない。
だが、紀田の思惑と異なり、雅人は両腕を広げて紀田の正面で腰を落とした。
砲弾のような力士崩れの突撃を、雅人の身体が包み込む。
ぼろぼろのスニーカーの底が、擦り切れんばかりに床と摩耗して、自動ドアを潜り、エントランスの段差で停止した。
「しゃっ!」
雅人は右膝を跳ね上げて、紀田の顎を下から叩いた。
紀田はへなへなとその場に尻餅をつき、ぐにゃぐにゃになった視界の中で雅人を見上げた。
鬼だ。
元よりの赤毛と、全身を染める赤い血が、歪んだ視界で雅人を鬼火に見せていた。
「ゆるして……」
紀田は、生れてこの方、自分の人生とは無縁である筈の台詞を口にしていた。
「許してくれ! 助けてくれぇ」
歯が殆どなくなっているので、その言葉には空気と血の泡立つ音が混じっている。
紀田の咽喉に入り込んだ血が、声を吐き出す息で拡散されているのだ。
「ふざけろ」
雅人は冷淡に言うと、許しを乞い、それ以上の暴力の停止を呼び掛ける為に、前に出していた左手を蹴り付けた。
指が全て、別々の方向を向いてしまう。
「あーっ!」
紀田は命乞いが無意味と知ると、壊れた両手で地を這って、夜の駐車場へ逃げた。
コンクリートの冷たく硬い感触が、相撲部屋時代から一度たりとも味わった事のない掌に加えられている。
赤ん坊のようになった醜い肉塊を、雅人はゆっくりと追い詰めた。
「そう言った女に、お前は、今まで、何を……して来たんだ? 許したのか。助けたのか」
雅人は紀田の足首を踏み締めた。
動きを止めた紀田の襟首を右手で掴んで引っ張り上げ、でっぷりと脂肪の詰まった腹に連続して膝蹴りを叩き込んだ。
紀田が喘ぎ、口から血をこぼす。
「違う、よなぁ。許さなかった、ろう。助けなかったろう。だから、お前を、許す奴も、助ける奴も、いやしねぇんだよ」
雅人は、膝蹴りをガードしようとした紀田の、今度は足を狙って足刀を打ち下ろした。
膝のスナップで放たれる二連蹴りが、ほぼ同時に紀田の膝関節を横から叩いていた。
その場で、紀田が崩れる。
仰向けになった紀田の咽喉元に、雅人が靴を踏み下ろした。
「彼女たちの――精々、何万分の一の怖さと痛さの味は、どうだった?」
俺は楽しかったぜ。お前も楽しかったんだろうな。
雅人は右の掌を紀田の顔の前に出し、小指から一本一本、掌に向けて折り畳んでゆく。
最後に親指を添えて、ぎゅッ! と握り込むと、掌は拳大の石に、いや、鉄球に変わった。
弓につがえた矢を引くように、右腕を絞り、雅人は最後の一撃を打ち込もうとした。
と――
その背後で、車のエンジン音がした。
見ると、ライトで煌々と道を照らしながら、黒いオートバイが駆け寄って来る所であった。
雅人は咄嗟に避けた。
オートバイは、ホテルの入り口に向かってゆく。そのまま段差を飛び越え、自動ドアが開き切る前にカウルでガラスを突き破った。
しかし驚くべきは、そのオートバイには乗り手がいなかったという事だ。
不可解な出来事に戸惑い、意識を反らした雅人に、紀田が殴り掛かった。
雅人は左腕で、紀田の左のパンチを弾こうとするが、最後の最後でチャンスを手にした紀田の気迫は凄まじく、ガードを弾かれてしまった。
顔を殴られ、窄めた唇から血の霧を吹き出した雅人が後退し、膝立ちにまで姿勢を崩す。
「えげぇぁあああああおぉぉぉぉぉぉっ!」
紀田が血を撒き散らしながら、奇怪な咆哮を迸らせ、雅人に最後の一撃を見舞おうとした。
振り上げた左の張り手に打たれれば、今の雅人では逆転の目はない。
雅人は固めた右拳を、頭部を狙った紀田の左手目掛けて走らせた。
紀田の厚い掌に、雅人の拳が激突し、骨を砕く。
砕けた骨が、内側から皮膚を突き破り、肉を引き裂いて、その間隙に、楔のようにして雅人の拳が喰い込んでゆく。
真っ二つに裂ける紀田の手、砕ける手首、左右に割れる尺骨橈骨。
雅人の拳が、紀田の腕に対し、真っ直ぐに喰い込んでいた。
「おえあっ」
紀田が、二つに裂けた左腕を見て、奇怪な悲鳴を上げる。
その顔面に、雅人の左の拳がめり込んだ。
紀田が、コンクリートに倒れ込む。
全身を赤く染め抜いた鬼を、冴え冴えとした月が見下ろしていた。
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