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第十章 復活祭
第八節 私の傀儡
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――聞こえますか。私の傀儡よ。
五月蠅い。
五月蠅かった。
頭の中に、あの男の声がしている。
池田享憲の屋敷で、裸の女を貫きながら、土下座をさせていた男だ。
女のように髪が長く、美しい裸身を晒した男は、踏み込んだ警察に対して引き返すよう、女に言わせていた。
背中に、花と狼の入れ墨を彫り込まれた女だった。
女の声は恐怖に震えていた。
恐らく、池田組に違法な手段で囲われていた女で、かなり酷い事をされたのだろう。
警察が踏み込んだ時、彼女はその境遇から脱出出来ると思った筈だ。
しかし実際には、あの青年に命じられて、裸で大勢の男たちに頭を下げて、自らを助けるべくやって来た者らを追い返さなければいけなかった。
それが出来ないとなると、青年は彼女の頭を破裂させて、池田享憲と共に逃げ延びた。
その男の声が、しているのだ。
――警官たちの配備を教えなさい。そしてターミナルに集結し、池田享憲を守りなさい。
玲子と共に港にやって来て、体調が悪いので車の中で休んでいたら、そういう声がした。
そして自分の意思に関わらず、その身体は動いた。
脳みそまでいじくられている気分であった。
脳裏には、他の刑事たちが何処を捜索しているか、その記憶を強制的に浮かび上がらせられて、じろじろと眺められていた。
いつだかの人間ドックで、肛門を広げられて、直腸を覗かれるような恥ずかしさがあった。
自分の頭の中身が、別の誰かに見られているという感覚が、気持ち悪かった。
そしてその身体は、見えない糸に引っ張られるようにしてターミナルへ向かった。
ターミナルには他の刑事たちも詰め掛けており、みな、正気でない様子だった。
眼球が裏返り、顔には太い筋が浮かび、弛緩した口からこぼれた唾液が襟を濡らしている。
気味が悪かった。
ゾンビ映画みたいだった。
どうしたんだ?
何をやっている! 池田を探さなくては――
そう思うのだが、口には出なかった。
自分もゾンビになっていたのだ。
ゾンビになっている間、ずっとあの男の声がしていた。
発券カウンターの内側の職員たちを全滅させた。
池田享憲を乗船させる作業をして、二階に潜んでいた。
ターミナルの自動ドアが開いて、一人の女がやって来た。
手すりの陰に隠れていたので、一階の様子は見えなかったのだが、他の人間の視界が自分の脳に飛び込んで来て、それと分かった。
花巻。
玲子。
玲子はゾンビではなかった。
初めて会った時から、玲子は、勝義会にも池田組にも逆らえない多くの警官たちと違って、一度たりともゾンビになった事はなかった。
自分より年下の、しかも女の子なのに、正義感が強くて喧嘩ッ早い玲子に――憧れた。
逃げろ。
花巻。
ここは、危険なんだ。
俺たちは、今、普通じゃないんだ。
正気を奪われた俺たちの群れに、君は入って来ちゃいけない。
ここに来るなら、正気を失くしてからだ。
でも、君は正気を忘れちゃいけない!
願いも空しく、玲子はターミナルにやって来て、カウンター内の死体を発見した。
汽笛が鳴る。
池田享憲の高飛びの邪魔をする者がいるのなら、排除しなくてはいけなかった。
ゾンビ警官たちは、唯一正気の玲子に襲い掛かった。
玲子はカウンターの内側に立て篭もったが、すぐに出て来た。
サスマタを持って勇ましくゾンビたちを蹴散らして、二階の乗船ロビーへ向かおうとした。
逃げろ!
身体は裏腹に、彼女を逃がすまいとした。
拳銃を使った。
当たらなかったが、階段の途中の玲子はこちらを向いた。
一瞬の隙を突いて、ゾンビたちが玲子の足を掴み、引き倒し、群がった。
撃てと、頭の中の声が言う。
駄目だ!
玲子が警官たちを殴り飛ばしている。けれどゾンビは痛みも感じない。玲子を狂気に巻き込もうとする。
撃てと、声が言った。
撃ちたくない。
撃ちたくなかった。
五月蠅い声は何度も言う。
五月蠅い。
五月蠅い。
五月蠅かった。
その声が聞こえるのは頭の内側からだ。
自分の頭の内部に、自分をゾンビにした者がいて、命令を下している。
「離せ!」
玲子の声がした。
「お前らそれでも刑事か!」
凄い奴だった。
玲子は警察官というものを、正義の象徴であると信じている。
正義にそぐわぬ行ないを、女だから、若いからという理由で、許容したくないのだ。
ならば俺だって。
俺だって、正義にそぐわぬ行ないは、弾劾すべきだ。
俺に命令する奴を撃ち抜いてやらなければいけない。
――撃て。邪魔者は消せ。
そう言われた。
だから俺は、俺の頭の中の邪魔者を消すべく、自分の頭に銃を突き付けたのだ。
そして引き金を……
「やめな、刑事さん」
銃弾よりも熱い声が、飛岡に掛けられた。
五月蠅い。
五月蠅かった。
頭の中に、あの男の声がしている。
池田享憲の屋敷で、裸の女を貫きながら、土下座をさせていた男だ。
女のように髪が長く、美しい裸身を晒した男は、踏み込んだ警察に対して引き返すよう、女に言わせていた。
背中に、花と狼の入れ墨を彫り込まれた女だった。
女の声は恐怖に震えていた。
恐らく、池田組に違法な手段で囲われていた女で、かなり酷い事をされたのだろう。
警察が踏み込んだ時、彼女はその境遇から脱出出来ると思った筈だ。
しかし実際には、あの青年に命じられて、裸で大勢の男たちに頭を下げて、自らを助けるべくやって来た者らを追い返さなければいけなかった。
それが出来ないとなると、青年は彼女の頭を破裂させて、池田享憲と共に逃げ延びた。
その男の声が、しているのだ。
――警官たちの配備を教えなさい。そしてターミナルに集結し、池田享憲を守りなさい。
玲子と共に港にやって来て、体調が悪いので車の中で休んでいたら、そういう声がした。
そして自分の意思に関わらず、その身体は動いた。
脳みそまでいじくられている気分であった。
脳裏には、他の刑事たちが何処を捜索しているか、その記憶を強制的に浮かび上がらせられて、じろじろと眺められていた。
いつだかの人間ドックで、肛門を広げられて、直腸を覗かれるような恥ずかしさがあった。
自分の頭の中身が、別の誰かに見られているという感覚が、気持ち悪かった。
そしてその身体は、見えない糸に引っ張られるようにしてターミナルへ向かった。
ターミナルには他の刑事たちも詰め掛けており、みな、正気でない様子だった。
眼球が裏返り、顔には太い筋が浮かび、弛緩した口からこぼれた唾液が襟を濡らしている。
気味が悪かった。
ゾンビ映画みたいだった。
どうしたんだ?
何をやっている! 池田を探さなくては――
そう思うのだが、口には出なかった。
自分もゾンビになっていたのだ。
ゾンビになっている間、ずっとあの男の声がしていた。
発券カウンターの内側の職員たちを全滅させた。
池田享憲を乗船させる作業をして、二階に潜んでいた。
ターミナルの自動ドアが開いて、一人の女がやって来た。
手すりの陰に隠れていたので、一階の様子は見えなかったのだが、他の人間の視界が自分の脳に飛び込んで来て、それと分かった。
花巻。
玲子。
玲子はゾンビではなかった。
初めて会った時から、玲子は、勝義会にも池田組にも逆らえない多くの警官たちと違って、一度たりともゾンビになった事はなかった。
自分より年下の、しかも女の子なのに、正義感が強くて喧嘩ッ早い玲子に――憧れた。
逃げろ。
花巻。
ここは、危険なんだ。
俺たちは、今、普通じゃないんだ。
正気を奪われた俺たちの群れに、君は入って来ちゃいけない。
ここに来るなら、正気を失くしてからだ。
でも、君は正気を忘れちゃいけない!
願いも空しく、玲子はターミナルにやって来て、カウンター内の死体を発見した。
汽笛が鳴る。
池田享憲の高飛びの邪魔をする者がいるのなら、排除しなくてはいけなかった。
ゾンビ警官たちは、唯一正気の玲子に襲い掛かった。
玲子はカウンターの内側に立て篭もったが、すぐに出て来た。
サスマタを持って勇ましくゾンビたちを蹴散らして、二階の乗船ロビーへ向かおうとした。
逃げろ!
身体は裏腹に、彼女を逃がすまいとした。
拳銃を使った。
当たらなかったが、階段の途中の玲子はこちらを向いた。
一瞬の隙を突いて、ゾンビたちが玲子の足を掴み、引き倒し、群がった。
撃てと、頭の中の声が言う。
駄目だ!
玲子が警官たちを殴り飛ばしている。けれどゾンビは痛みも感じない。玲子を狂気に巻き込もうとする。
撃てと、声が言った。
撃ちたくない。
撃ちたくなかった。
五月蠅い声は何度も言う。
五月蠅い。
五月蠅い。
五月蠅かった。
その声が聞こえるのは頭の内側からだ。
自分の頭の内部に、自分をゾンビにした者がいて、命令を下している。
「離せ!」
玲子の声がした。
「お前らそれでも刑事か!」
凄い奴だった。
玲子は警察官というものを、正義の象徴であると信じている。
正義にそぐわぬ行ないを、女だから、若いからという理由で、許容したくないのだ。
ならば俺だって。
俺だって、正義にそぐわぬ行ないは、弾劾すべきだ。
俺に命令する奴を撃ち抜いてやらなければいけない。
――撃て。邪魔者は消せ。
そう言われた。
だから俺は、俺の頭の中の邪魔者を消すべく、自分の頭に銃を突き付けたのだ。
そして引き金を……
「やめな、刑事さん」
銃弾よりも熱い声が、飛岡に掛けられた。
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