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第九章 野獣の饗宴
第五節 玲子乱闘
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水門港の、コンテナヤードで、玲子は三人の刑事と対峙している。
髪の毛の薄さを気にしている、黒いスーツの男。
スポーツ刈りの男。
グレーのスーツの男。
何れも同僚である。
池田組の屋敷から脱出し、下水道を通って海に向かい、夕方の船を待って関西へ逃げる心算の池田享憲と、その用心棒らしき男を追って、やって来た。
それなのに、三人の刑事は、正気を失った様子で玲子に襲い掛かって来たのだ。
しかも、スポーツ刈りの男は、玲子が横にしていたコンテナから飛び降りて、ブリッジをした姿勢のまま玲子に襲い掛かったグレーのスーツの刑事を押し潰してしまっている。
黒いスーツの刑事が、玲子に飛び掛かった。
両手を前に突き出して、無防備に迫る姿は、とても熟練の刑事の動きではない。
玲子はすっと身を低くして相手の懐に潜り込むと、相手の襟を掴んで腰をひねった。
体格で勝る相手を腰に乗せて、放り投げる。
頭を打ち付けないように気を付けながら、コンクリートの上に投げ落とした。
しかし、その手加減が玲子の落ち度である。
投げ落とされた瞬間、黒いスーツの刑事は痛みなど感じていないように、玲子の顔面に掌を張り付けた。
玲子は男の掌から、何か得体の知れない……眼に見えない力のようなものが流れ込んで来るのを感じ、ぞっとして、咄嗟に相手の顔を踏み付けていた。
革靴の踵が鼻を潰し、泥に足を突っ込んだ音がする。
玲子は彼の手を払って、後退した。
敬愛しているという事はないが、悪く思った事は一度もない先輩刑事を踏み潰した現実に罪悪感はあるが、それを振り切るくらいの怯えが、玲子にはあった。
だが、それくらいやられれば普通は立ち上がりたくないと思わせる攻撃を受けながらも、黒いスーツの刑事はもぞもぞと動いて、起き上がろうとした。
他方、折り重なって立ち上がれずにいた二人の刑事も、漸く身体をほどいて玲子の背後に並んだ。
瞳から、正常な気配が失われている。顔にぶくぶくと浮かび上がった、血管のようなものが、彼らを人間離れした存在に見せていた。
「何をやってるんですか!?」
玲子は悲鳴のような声で問い掛けた。
男たちは聞かなかった。
二人の男が玲子に迫る。
右手にはコンテナ、左手には海、地面の幅は二メートルあるかないか。
玲子はコンテナに向かって跳び、その表面を蹴った反動で、スポーツ刈りの男の肩口に足刀を叩き付けた。
三角跳びからの足刀蹴りによってバランスを崩されたスポーツ刈りの刑事が、その場に横転し、勢いのまま海に落下してしまう。
着地した玲子は、地に伏せたまま回転し、グレーのスーツの男の股間に踵を潜り込ませた。
グレーのスーツの男は、そのまま玲子に覆い被さろうとした。絶対急所への痛みを感じていないようなのである。
玲子は倒れ込んで来る男の胸倉を掴み、自ら仰向けになりつつ右脚を腹まで引き上げ、膝を伸ばす勢いで相手を頭の先に投げ飛ばした。
グレーのスーツの刑事が仰向けになるのと、玲子が後転をして立ち上がり、振り返るのは殆ど同時である。
黒いスーツの刑事が立ち上がっていたのだが、玲子に巴投げを打たれた男の身体に足を引っ掛けて、地面に倒れてしまう。
奇怪な状況であった。
刑事たちは、正気ではない。
敵意や、殺意がある。
錯乱しているのは確かだ。
しかし、その悪意のようなものが研ぎ澄まされていない。
かと言って、突発的に生じたように害意に波がある訳でもない。
その意識も行動も、警察官らしからぬ鈍重さがある。
まるで、中途半端に糸を繋げられた操り人形のような印象を、玲子は抱いた。
――操り人形か。
玲子は意外と、それが正解なのではないかと感じる。
池田享憲の逮捕を目的に動いている筈の刑事が、同僚である玲子に襲い掛かる理由があるのならば、考えられるのは二つだ。
一つは、彼らが池田組の内通者である事。
もう一つは、彼らが池田組の何者かに操られているという事。
前者であれば、もっと理知的な襲撃を行なうだろう。
後者ならば――それが例えば催眠術のような、掛けられた人間の意識を中途半端にしてしまうまやかしであるのなら、動きが研鑽されていなくても、分かる。
――“アンリミテッド”。
そして彼らの身体に浮かんだ太い血管。痛みを感じていない様子。
麻薬を注入されて、正気を奪われた……というのがそれらしい。
「信じますよ、先輩」
玲子は呟いた。これが、彼ら本人の意思ではないという事を、だ。
玲子は数歩下がると、身を揉みながら起き上がった二人の傀儡刑事に向かって、助走を付けて跳び上がった。
そして左右の足を連続で振り出し、二人を海に叩き込んで着地、そのまま発着場へと駆け出してゆく。
ぼぉぉぉぅ――と、汽笛が鳴っていた。
髪の毛の薄さを気にしている、黒いスーツの男。
スポーツ刈りの男。
グレーのスーツの男。
何れも同僚である。
池田組の屋敷から脱出し、下水道を通って海に向かい、夕方の船を待って関西へ逃げる心算の池田享憲と、その用心棒らしき男を追って、やって来た。
それなのに、三人の刑事は、正気を失った様子で玲子に襲い掛かって来たのだ。
しかも、スポーツ刈りの男は、玲子が横にしていたコンテナから飛び降りて、ブリッジをした姿勢のまま玲子に襲い掛かったグレーのスーツの刑事を押し潰してしまっている。
黒いスーツの刑事が、玲子に飛び掛かった。
両手を前に突き出して、無防備に迫る姿は、とても熟練の刑事の動きではない。
玲子はすっと身を低くして相手の懐に潜り込むと、相手の襟を掴んで腰をひねった。
体格で勝る相手を腰に乗せて、放り投げる。
頭を打ち付けないように気を付けながら、コンクリートの上に投げ落とした。
しかし、その手加減が玲子の落ち度である。
投げ落とされた瞬間、黒いスーツの刑事は痛みなど感じていないように、玲子の顔面に掌を張り付けた。
玲子は男の掌から、何か得体の知れない……眼に見えない力のようなものが流れ込んで来るのを感じ、ぞっとして、咄嗟に相手の顔を踏み付けていた。
革靴の踵が鼻を潰し、泥に足を突っ込んだ音がする。
玲子は彼の手を払って、後退した。
敬愛しているという事はないが、悪く思った事は一度もない先輩刑事を踏み潰した現実に罪悪感はあるが、それを振り切るくらいの怯えが、玲子にはあった。
だが、それくらいやられれば普通は立ち上がりたくないと思わせる攻撃を受けながらも、黒いスーツの刑事はもぞもぞと動いて、起き上がろうとした。
他方、折り重なって立ち上がれずにいた二人の刑事も、漸く身体をほどいて玲子の背後に並んだ。
瞳から、正常な気配が失われている。顔にぶくぶくと浮かび上がった、血管のようなものが、彼らを人間離れした存在に見せていた。
「何をやってるんですか!?」
玲子は悲鳴のような声で問い掛けた。
男たちは聞かなかった。
二人の男が玲子に迫る。
右手にはコンテナ、左手には海、地面の幅は二メートルあるかないか。
玲子はコンテナに向かって跳び、その表面を蹴った反動で、スポーツ刈りの男の肩口に足刀を叩き付けた。
三角跳びからの足刀蹴りによってバランスを崩されたスポーツ刈りの刑事が、その場に横転し、勢いのまま海に落下してしまう。
着地した玲子は、地に伏せたまま回転し、グレーのスーツの男の股間に踵を潜り込ませた。
グレーのスーツの男は、そのまま玲子に覆い被さろうとした。絶対急所への痛みを感じていないようなのである。
玲子は倒れ込んで来る男の胸倉を掴み、自ら仰向けになりつつ右脚を腹まで引き上げ、膝を伸ばす勢いで相手を頭の先に投げ飛ばした。
グレーのスーツの刑事が仰向けになるのと、玲子が後転をして立ち上がり、振り返るのは殆ど同時である。
黒いスーツの刑事が立ち上がっていたのだが、玲子に巴投げを打たれた男の身体に足を引っ掛けて、地面に倒れてしまう。
奇怪な状況であった。
刑事たちは、正気ではない。
敵意や、殺意がある。
錯乱しているのは確かだ。
しかし、その悪意のようなものが研ぎ澄まされていない。
かと言って、突発的に生じたように害意に波がある訳でもない。
その意識も行動も、警察官らしからぬ鈍重さがある。
まるで、中途半端に糸を繋げられた操り人形のような印象を、玲子は抱いた。
――操り人形か。
玲子は意外と、それが正解なのではないかと感じる。
池田享憲の逮捕を目的に動いている筈の刑事が、同僚である玲子に襲い掛かる理由があるのならば、考えられるのは二つだ。
一つは、彼らが池田組の内通者である事。
もう一つは、彼らが池田組の何者かに操られているという事。
前者であれば、もっと理知的な襲撃を行なうだろう。
後者ならば――それが例えば催眠術のような、掛けられた人間の意識を中途半端にしてしまうまやかしであるのなら、動きが研鑽されていなくても、分かる。
――“アンリミテッド”。
そして彼らの身体に浮かんだ太い血管。痛みを感じていない様子。
麻薬を注入されて、正気を奪われた……というのがそれらしい。
「信じますよ、先輩」
玲子は呟いた。これが、彼ら本人の意思ではないという事を、だ。
玲子は数歩下がると、身を揉みながら起き上がった二人の傀儡刑事に向かって、助走を付けて跳び上がった。
そして左右の足を連続で振り出し、二人を海に叩き込んで着地、そのまま発着場へと駆け出してゆく。
ぼぉぉぉぅ――と、汽笛が鳴っていた。
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