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第八章 青春の終わりと始まり
第五節 キックの鬼
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ゴムタイヤが破裂するような音が、ジムの中に響いていた。
サンドバッグを、一人の若者が蹴っている。
市街地にある、キックボクシングのジムだ。
四階建ての雑居ビルの、一番上の階に入っている。
中央にリングがあって、その周りをジムに通っている人間が囲んでそれぞれトレーニングをやっている。
腕立て伏せやスクワットなどの補強運動をやる者、ロープスキッピングやダンベル、ウェイトリフティングなど器具を使う者、テーピングやアイシングをしながらタブレットで試合の映像を確認する者。
リングの上では、壁に掛けられていたキックミットを一組取って、打撃練習をしている者もいる。
連続して繰り出されるミドルキックを、両手に装着したミットを身体の横側で構えて、受けている。
蹴りを繰り出している選手がラッシュを途切れさせて息を吐いていると、ミットを構えていた人間がそのミットを付けた腕で殴り掛かって来る。
これを躱しながら呼吸を整え、キックを再開した。
窓が、ジムの熱気で曇っている。男たちの汗が空気に溶けて、ガラスの表面で結露しているのだ。
壁際に、赤と黒のサンドバッグが一つずつ吊るされており、どちらも蹴りを受けているのだが、赤い方を蹴っている人間は、黒い方にキックを叩き付けている選手を見ると、歎息した。
「凄いな、荒巻くん……」
荒巻と呼ばれた青年のキックは、素早かった。
そして威力が凄まじかった。
一発ごとにサンドバッグがくの字に折れ曲がってしまいそうである。
黒いサンドバッグの方が古く、表面にはガムテープなどで補強した箇所がある。詰め込まれた砂も、打撃によって懲り固められ、重量も増している筈であった。
その黒いサンドバッグが、荒巻のキックで吹き飛ばされそうになっているのだ。
天井に埋め込まれた鉤に、チェーンで吊るしているのだが、いつ屋根ごと引き千切られてしまってもおかしくなさそうである。
「おーし、交代だ! ……健吾! 上がって来い!」
リングの上から、ミットを装着した男が声を掛けた。
キックを打ち込んでいた男は、全身から汗を吹き出し、顔を真っ赤にしていた。
黒いサンドバッグを蹴っていた荒巻――健吾が、蹴りをやめた。
荒巻健吾は一見、普通の青年であった。
少年かもしれない。
身長が高い訳ではないし、体重も、日本人のキックボクサーとしては平均的だが、世界という規模で格闘技を考えると小兵である。
「オッス!」
健吾は汗だくになったシャツを脱いだ。
適度に発達した大胸筋、括れた腰付きが露わになる。
撫で肩になっているが、僧帽筋の発達によるものだ。
健吾は自分のグローブを装着すると、リングに上がった。
四本あるロープの、一番上を掴み、鉄のような脛でジャンプして乗り越えた。
「よろしくお願いします!」
健吾は相手にそう言って頭を下げ、両拳を持ち上げた。
すり足で相手に近付いてゆき、先ずは左拳で距離を測る。
そして、相手が左の腿にミットを構えると、瞬発的に右のローキックを繰り出した。
鞭のような音がして、ミットを構えた男が顔を歪め、後退する。
続いて、左のミドルに、両腕を揃えて構えた。
ミドルキックで、相手の男はコーナーまで吹き飛ばされた。
立ち上がって来ると、もう一度同じように構えるのだが、二発目のミドルキックでミットを構えた男はその場に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫っスか!?」
相手に駆け寄って、手を差し伸べる健吾。
「駄目だァ。誰か、荒巻の相手してやってくれねぇか。俺じゃあ相手にならねぇ」
ミットを外しながら、周りに言う。
しかしすぐに手を挙げる者はいなかった。
誰もが、荒巻健吾のスパーリング相手になる事を、嫌がったのだ。
強いからだ。
若くて、体力があるというだけではなく、トレーニングに臨む姿勢が真剣そのものだ。
だから、ジムに入門して三年が経つかどうか、というくらいなのに、ジムの中では一番強いのである。
「しょうがねぇな、ったく。じゃあもう一本、今度は俺もやるぜ」
キックミットの代わりに、グローブを身に着けようとしながら、男がリングから降りた。
と、外から、サイレンの音が聞こえて来た。
「何だ?」
ジム生の何人かが、気になって窓を開けて外を見ると、近くのファミレスに車が突っ込んだらしい。しかもそれがパトカーのようで、この事故を起こしたパトカーを追って、複数のパトカーが走っているのだった。
「おい、野次馬やってんな! 稽古に集中だ」
誰かが言った言葉で、ジム生らは自分を取り戻し、それぞれのトレーニングに戻った。
サンドバッグを、一人の若者が蹴っている。
市街地にある、キックボクシングのジムだ。
四階建ての雑居ビルの、一番上の階に入っている。
中央にリングがあって、その周りをジムに通っている人間が囲んでそれぞれトレーニングをやっている。
腕立て伏せやスクワットなどの補強運動をやる者、ロープスキッピングやダンベル、ウェイトリフティングなど器具を使う者、テーピングやアイシングをしながらタブレットで試合の映像を確認する者。
リングの上では、壁に掛けられていたキックミットを一組取って、打撃練習をしている者もいる。
連続して繰り出されるミドルキックを、両手に装着したミットを身体の横側で構えて、受けている。
蹴りを繰り出している選手がラッシュを途切れさせて息を吐いていると、ミットを構えていた人間がそのミットを付けた腕で殴り掛かって来る。
これを躱しながら呼吸を整え、キックを再開した。
窓が、ジムの熱気で曇っている。男たちの汗が空気に溶けて、ガラスの表面で結露しているのだ。
壁際に、赤と黒のサンドバッグが一つずつ吊るされており、どちらも蹴りを受けているのだが、赤い方を蹴っている人間は、黒い方にキックを叩き付けている選手を見ると、歎息した。
「凄いな、荒巻くん……」
荒巻と呼ばれた青年のキックは、素早かった。
そして威力が凄まじかった。
一発ごとにサンドバッグがくの字に折れ曲がってしまいそうである。
黒いサンドバッグの方が古く、表面にはガムテープなどで補強した箇所がある。詰め込まれた砂も、打撃によって懲り固められ、重量も増している筈であった。
その黒いサンドバッグが、荒巻のキックで吹き飛ばされそうになっているのだ。
天井に埋め込まれた鉤に、チェーンで吊るしているのだが、いつ屋根ごと引き千切られてしまってもおかしくなさそうである。
「おーし、交代だ! ……健吾! 上がって来い!」
リングの上から、ミットを装着した男が声を掛けた。
キックを打ち込んでいた男は、全身から汗を吹き出し、顔を真っ赤にしていた。
黒いサンドバッグを蹴っていた荒巻――健吾が、蹴りをやめた。
荒巻健吾は一見、普通の青年であった。
少年かもしれない。
身長が高い訳ではないし、体重も、日本人のキックボクサーとしては平均的だが、世界という規模で格闘技を考えると小兵である。
「オッス!」
健吾は汗だくになったシャツを脱いだ。
適度に発達した大胸筋、括れた腰付きが露わになる。
撫で肩になっているが、僧帽筋の発達によるものだ。
健吾は自分のグローブを装着すると、リングに上がった。
四本あるロープの、一番上を掴み、鉄のような脛でジャンプして乗り越えた。
「よろしくお願いします!」
健吾は相手にそう言って頭を下げ、両拳を持ち上げた。
すり足で相手に近付いてゆき、先ずは左拳で距離を測る。
そして、相手が左の腿にミットを構えると、瞬発的に右のローキックを繰り出した。
鞭のような音がして、ミットを構えた男が顔を歪め、後退する。
続いて、左のミドルに、両腕を揃えて構えた。
ミドルキックで、相手の男はコーナーまで吹き飛ばされた。
立ち上がって来ると、もう一度同じように構えるのだが、二発目のミドルキックでミットを構えた男はその場に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫っスか!?」
相手に駆け寄って、手を差し伸べる健吾。
「駄目だァ。誰か、荒巻の相手してやってくれねぇか。俺じゃあ相手にならねぇ」
ミットを外しながら、周りに言う。
しかしすぐに手を挙げる者はいなかった。
誰もが、荒巻健吾のスパーリング相手になる事を、嫌がったのだ。
強いからだ。
若くて、体力があるというだけではなく、トレーニングに臨む姿勢が真剣そのものだ。
だから、ジムに入門して三年が経つかどうか、というくらいなのに、ジムの中では一番強いのである。
「しょうがねぇな、ったく。じゃあもう一本、今度は俺もやるぜ」
キックミットの代わりに、グローブを身に着けようとしながら、男がリングから降りた。
と、外から、サイレンの音が聞こえて来た。
「何だ?」
ジム生の何人かが、気になって窓を開けて外を見ると、近くのファミレスに車が突っ込んだらしい。しかもそれがパトカーのようで、この事故を起こしたパトカーを追って、複数のパトカーが走っているのだった。
「おい、野次馬やってんな! 稽古に集中だ」
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