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第七章 魔獣、集結
第十三節 私の傀儡
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「……さん、飛岡さん!」
玲子に声を掛けられて、眼を覚ました。
ぬるりとした感触に、全身が包まれているようであった。頭がやたらと重く、頸も痛い。
眼を開けると、眩いばかりの太陽光がフロントガラスの瞼を貫いて突き刺さる。港の駐車場に、玲子は車を停めたようだった。
「寝てたのか……」
飛岡は池田組の屋敷から、杏子を見舞いに行った玲子をパトカーで迎えて、港に向かっていた。その途中で気分が悪くなり、運転を変わって貰ったのだ。それから、気を失うようにして眠っていたらしい。
睡眠を摂れば調子も戻ると考えていたのだが、却って気分の悪さは増していた。気力で嘔吐する事を防いでいるだけで、ちょっとした刺激だけで臨界に達しかねない。
「回復するまで、休んでて下さい。私、他の人たちと合流して、池田享憲を探しますから」
「すまん……治ったら、行く」
玲子はパトカーの鍵を飛岡に渡して、車から出て行った。
池田享憲は屋敷の隠し通路から、下水道を通って海の方へ逃げ出したと見られる。港に発着する船に、白良会の手の者が搭乗しており、それで関西まで逃げる心算かと思われた。
この港で、取り押さえるべきであった。
そう意気込んだは良いものの、池田組の屋敷で見た光景の所為か酷く気分が悪くなり、からからに乾いた咽喉を潤すのにペットボトルに手を伸ばす事さえ億劫に思えた。
思い返せば、屋敷の奥座敷で見た光景は、三年前、河川敷に作り出された陰惨な現場と同じ手段によって行なわれたものではないだろうか。弥奈倉橋の付近に居付いていたホームレスたち五名が惨殺されたあの事件だ。
そしてその場に、あの赤毛の巨漢もいた。
あの時は動揺していた事もあり、赤毛の男が立ち去るのを見送るしかなかった。だが記憶を整理してみると、彼も亦、返り血ではなく自らの傷から血を流し、体力のない様子であったように思う。
ともするとあの男は、あの現場を作り上げた凶悪犯の姿を見たのかもしれない。
――だとすれば。
あの男が、あのホームレスたちと無関係でないとすれば。
仲間たちに対して、あのような残酷な殺し方をした犯人を特定する所か、捜査すらしていない警察に対して、不信感を抱くのも頷ける。彼の素っ気ない態度は、その表れなのではないだろうか。
そんな事を考えながら水を口に含んだ飛岡は、顎を持ち上げた調子にルームミラーに眼をやった。そこに、一人の男が映っている。
飛岡は後部座席を振り向いた。だが、誰かが座っている訳ではない。
もう一度ルームミラーに眼をやると、やはり男がいる。
しかも、あの男だ。
池田組の奥座敷で、女を殺し、池田享憲の逃走を促した美青年である。
――幻覚!?
余程、あの光景がショッキングだったらしい。飛岡は、鮮烈な印象の為に青年の姿が眼に焼き付いてしまったのだろうと考えたが、
――聞こえますか。私の声が……
と、誰かが自分の頭に語り掛けて来るのを感じた。
「だ、誰だ!」
無線でも携帯電話でもない。だが、何処からか声が聞こえて来る。
――聞こえますか、私の分身よ……傀儡よ……
飛岡はシートベルトを外して座席から立ち上がると、車の外に出た。
潮風が、身体に叩き付けられる。髪と服とが、大きな音を立ててはためいた。
きょろきょろと周囲を見回す飛岡を、パトカーの存在に妙な顔をする人々が更に不審の眼を向け始めている。
「何処だ? 何処にいる! お前は誰だ?」
飛岡は腰の拳銃に手を掛けようとした。だが、飛岡の鼓膜は声を聞いていない。
――私の命令を聞きなさい。私の問いに答えなさい……
「うッ」
不意に気持ち悪さが大きくなり、飛岡はその場に膝を突いた。全身からどっと汗が吹き出し、視界に虹色のノイズが満ちた。
――警察の配置を教えなさい。そして……
飛岡はその場で、膝を突き、尻を持ち上げる形で気絶していたが、やがてすっくと立ち上がった。
その眼は虚ろで、口は半開きになって涎をこぼしている。その顔に、やけに太く血管が浮かび上がっているのが、不気味であった。
飛岡はふらふらと、何処かへ向かって歩き始めた。
玲子に声を掛けられて、眼を覚ました。
ぬるりとした感触に、全身が包まれているようであった。頭がやたらと重く、頸も痛い。
眼を開けると、眩いばかりの太陽光がフロントガラスの瞼を貫いて突き刺さる。港の駐車場に、玲子は車を停めたようだった。
「寝てたのか……」
飛岡は池田組の屋敷から、杏子を見舞いに行った玲子をパトカーで迎えて、港に向かっていた。その途中で気分が悪くなり、運転を変わって貰ったのだ。それから、気を失うようにして眠っていたらしい。
睡眠を摂れば調子も戻ると考えていたのだが、却って気分の悪さは増していた。気力で嘔吐する事を防いでいるだけで、ちょっとした刺激だけで臨界に達しかねない。
「回復するまで、休んでて下さい。私、他の人たちと合流して、池田享憲を探しますから」
「すまん……治ったら、行く」
玲子はパトカーの鍵を飛岡に渡して、車から出て行った。
池田享憲は屋敷の隠し通路から、下水道を通って海の方へ逃げ出したと見られる。港に発着する船に、白良会の手の者が搭乗しており、それで関西まで逃げる心算かと思われた。
この港で、取り押さえるべきであった。
そう意気込んだは良いものの、池田組の屋敷で見た光景の所為か酷く気分が悪くなり、からからに乾いた咽喉を潤すのにペットボトルに手を伸ばす事さえ億劫に思えた。
思い返せば、屋敷の奥座敷で見た光景は、三年前、河川敷に作り出された陰惨な現場と同じ手段によって行なわれたものではないだろうか。弥奈倉橋の付近に居付いていたホームレスたち五名が惨殺されたあの事件だ。
そしてその場に、あの赤毛の巨漢もいた。
あの時は動揺していた事もあり、赤毛の男が立ち去るのを見送るしかなかった。だが記憶を整理してみると、彼も亦、返り血ではなく自らの傷から血を流し、体力のない様子であったように思う。
ともするとあの男は、あの現場を作り上げた凶悪犯の姿を見たのかもしれない。
――だとすれば。
あの男が、あのホームレスたちと無関係でないとすれば。
仲間たちに対して、あのような残酷な殺し方をした犯人を特定する所か、捜査すらしていない警察に対して、不信感を抱くのも頷ける。彼の素っ気ない態度は、その表れなのではないだろうか。
そんな事を考えながら水を口に含んだ飛岡は、顎を持ち上げた調子にルームミラーに眼をやった。そこに、一人の男が映っている。
飛岡は後部座席を振り向いた。だが、誰かが座っている訳ではない。
もう一度ルームミラーに眼をやると、やはり男がいる。
しかも、あの男だ。
池田組の奥座敷で、女を殺し、池田享憲の逃走を促した美青年である。
――幻覚!?
余程、あの光景がショッキングだったらしい。飛岡は、鮮烈な印象の為に青年の姿が眼に焼き付いてしまったのだろうと考えたが、
――聞こえますか。私の声が……
と、誰かが自分の頭に語り掛けて来るのを感じた。
「だ、誰だ!」
無線でも携帯電話でもない。だが、何処からか声が聞こえて来る。
――聞こえますか、私の分身よ……傀儡よ……
飛岡はシートベルトを外して座席から立ち上がると、車の外に出た。
潮風が、身体に叩き付けられる。髪と服とが、大きな音を立ててはためいた。
きょろきょろと周囲を見回す飛岡を、パトカーの存在に妙な顔をする人々が更に不審の眼を向け始めている。
「何処だ? 何処にいる! お前は誰だ?」
飛岡は腰の拳銃に手を掛けようとした。だが、飛岡の鼓膜は声を聞いていない。
――私の命令を聞きなさい。私の問いに答えなさい……
「うッ」
不意に気持ち悪さが大きくなり、飛岡はその場に膝を突いた。全身からどっと汗が吹き出し、視界に虹色のノイズが満ちた。
――警察の配置を教えなさい。そして……
飛岡はその場で、膝を突き、尻を持ち上げる形で気絶していたが、やがてすっくと立ち上がった。
その眼は虚ろで、口は半開きになって涎をこぼしている。その顔に、やけに太く血管が浮かび上がっているのが、不気味であった。
飛岡はふらふらと、何処かへ向かって歩き始めた。
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