90 / 232
第七章 魔獣、集結
第四節 立入禁止
しおりを挟む
それは兎も角、雅人の事だ。
雅人自身、紀田勝義が元力士であるという事は分かっている。分かっている上に、それを前提として戦いを挑もうとしている。
若い頃程の力は、紀田にはないだろう。だが彼には、誰もが認める天稟がある。途方もない破壊衝動と、それを実現するだけの肉体を持っているのだ。
並の格闘家では、太刀打ち出来まいと思われた。
杏子がそのように感じるのは、医師である父親が一時、総合格闘技のリングドクターをやっていたからだ。その光景を、傍で見学していた事もある。
余程の場合でなければ、リングに上がった選手が無傷で出て来るという事はない。何処かしらにダメージを負い、顔をぼこぼこにされて、血の脂で眼が見えなくなりながら、覚束ない足取りで降りて来る。担架で運ばれる者もある。最悪、命を落とす場合さえある。
そういう試合は、年に何回も、何十回もやれるものではない。複数回リングに上がる選手であっても、試合と試合との間には何ヶ月かの調整期間を設ける。
ましてや雅人がやったのは、あの負傷から見て、審判とルールと観客に守られた試合とは異なる、生々しい戦い――殺し合いに近いものだろう。
それを終えて、酒を飲んだりして半日程度休んだくらいで、技術的にはまだしも、体力で勝ると言っても良い紀田勝義に挑む事の愚を、空手家である雅人がどうして分からないであろうか。
「何か心配事? マサトちゃんの事」
「え、ええ……」
「大丈夫だよぅ。マサトちゃんなら、どんな事でも平気だって」
と、杏子の肩を叩いて笑うタンポポちゃん。
「そうだ、そろそろ、皆がご飯を貰って帰って来る頃だね。あんたも食べるだろ?」
物乞いをして貰う食品や食費、コンビニやスーパーに廃棄された賞味期限切れの弁当や総菜などの事だ。躊躇いはあったが、コンビニ弁当などは賞味期限が一時間ばかり過ぎただけで捨てられてしまうものもあり、そのまま廃棄されている現実に杏子も思う所があった。
「ええ、頂きます」
タンポポちゃんと杏子は、橋の下から出て、河川敷の段ボール小屋に移動し始めた。
酔いを醒ました雅人は、杏子が起きるより早く町に繰り出した。
桃城達也が倒れた事は、既に紀田勝義も聞き及んでいる事だろう。それに対するリアクションの様子見の心算だった。
しかし紀田勝義は、桃城達也の仇討ちのように組員を送る事はなかった。
雅人はこの夜も、アミューズメントホテル“SHOCKER”へ向かい、今度こそ紀田勝義に戦いを挑む予定であった。
眠って酔いを醒ました雅人は、コンビニで二リットルのペットボトルの水と、ヨーグルトと、バナナと、プロテインを購入し、人気のない場所を探してうろついた。
夕方では、桃城と戦った公園や、杏子と一時的に避難させた神社などは人がいるであろうから、寄り付く事が出来ない。
繁華街を抜けて住宅街に入り、空き地を発見した。
入り組んだ場所にあり、左右には家があるのだがどちらもぼろぼろで人の気配がしない。一車線の道路を挟んだ向こう正面は塀になっており、カレーの匂いが漂って来るものの、殊更覗き込まなければ空き地の中までは見通せないだろう。
元々は家が建っていたものらしいが解体されており、剥き出しの地面には青々と草が生い茂っている。雅人の膝の高さまで育っているのだから、そこそこ長い間、そのままになっているのだろう。
敷地の入り口には、仁王像のように三角コーンが立ち、その間をコーンバーが繋いでいた。バーの中心から張り紙が垂れ下がっており、“立入禁止”とある。
雅人は車通りがないのを確認すると、その場に仰向けになり、腰のひねりを使って身体を進ませ始めた。バーは飛び越える事が子供でも簡単なくらいの高さであったが、その下を潜る事は更に容易であった。
雅人は身体を海老のようにくねらせながら、空き地の中に入り込んでしまった。
そこで立ち上がると、自分に対して奇異の視線を投げている男に気付いた。
「……ここは立入禁止の筈なんだがな……」
鷲鼻の、パイプを加えた初老の男だ。
緑色のエプロンを身に着けており、手には青ネギを飛び出させたエコバッグをぶら下げている。
「……なので、寝ながら入りました」
雅人が頭をぼりぼりと掻きながら言うと、初老の男は愉快そうに笑った。
その笑いの数値を示すかのように、ぷかぷかとパイプから白い煙が昇ってゆく。
「面白い男だなァ、君は。それとも、その頭の傷が原因で変になってしまったのかな?」
「――」
雅人が、桃城達也の鶏口手で抉られた傷の事だ。
「見た所、真っ当な手当てはしていないようだな。どれ、笑わせてくれたお礼に儂が見て上げよう」
「あんた、医者か?」
「ああ、緑川悟ってものだ」
雅人自身、紀田勝義が元力士であるという事は分かっている。分かっている上に、それを前提として戦いを挑もうとしている。
若い頃程の力は、紀田にはないだろう。だが彼には、誰もが認める天稟がある。途方もない破壊衝動と、それを実現するだけの肉体を持っているのだ。
並の格闘家では、太刀打ち出来まいと思われた。
杏子がそのように感じるのは、医師である父親が一時、総合格闘技のリングドクターをやっていたからだ。その光景を、傍で見学していた事もある。
余程の場合でなければ、リングに上がった選手が無傷で出て来るという事はない。何処かしらにダメージを負い、顔をぼこぼこにされて、血の脂で眼が見えなくなりながら、覚束ない足取りで降りて来る。担架で運ばれる者もある。最悪、命を落とす場合さえある。
そういう試合は、年に何回も、何十回もやれるものではない。複数回リングに上がる選手であっても、試合と試合との間には何ヶ月かの調整期間を設ける。
ましてや雅人がやったのは、あの負傷から見て、審判とルールと観客に守られた試合とは異なる、生々しい戦い――殺し合いに近いものだろう。
それを終えて、酒を飲んだりして半日程度休んだくらいで、技術的にはまだしも、体力で勝ると言っても良い紀田勝義に挑む事の愚を、空手家である雅人がどうして分からないであろうか。
「何か心配事? マサトちゃんの事」
「え、ええ……」
「大丈夫だよぅ。マサトちゃんなら、どんな事でも平気だって」
と、杏子の肩を叩いて笑うタンポポちゃん。
「そうだ、そろそろ、皆がご飯を貰って帰って来る頃だね。あんたも食べるだろ?」
物乞いをして貰う食品や食費、コンビニやスーパーに廃棄された賞味期限切れの弁当や総菜などの事だ。躊躇いはあったが、コンビニ弁当などは賞味期限が一時間ばかり過ぎただけで捨てられてしまうものもあり、そのまま廃棄されている現実に杏子も思う所があった。
「ええ、頂きます」
タンポポちゃんと杏子は、橋の下から出て、河川敷の段ボール小屋に移動し始めた。
酔いを醒ました雅人は、杏子が起きるより早く町に繰り出した。
桃城達也が倒れた事は、既に紀田勝義も聞き及んでいる事だろう。それに対するリアクションの様子見の心算だった。
しかし紀田勝義は、桃城達也の仇討ちのように組員を送る事はなかった。
雅人はこの夜も、アミューズメントホテル“SHOCKER”へ向かい、今度こそ紀田勝義に戦いを挑む予定であった。
眠って酔いを醒ました雅人は、コンビニで二リットルのペットボトルの水と、ヨーグルトと、バナナと、プロテインを購入し、人気のない場所を探してうろついた。
夕方では、桃城と戦った公園や、杏子と一時的に避難させた神社などは人がいるであろうから、寄り付く事が出来ない。
繁華街を抜けて住宅街に入り、空き地を発見した。
入り組んだ場所にあり、左右には家があるのだがどちらもぼろぼろで人の気配がしない。一車線の道路を挟んだ向こう正面は塀になっており、カレーの匂いが漂って来るものの、殊更覗き込まなければ空き地の中までは見通せないだろう。
元々は家が建っていたものらしいが解体されており、剥き出しの地面には青々と草が生い茂っている。雅人の膝の高さまで育っているのだから、そこそこ長い間、そのままになっているのだろう。
敷地の入り口には、仁王像のように三角コーンが立ち、その間をコーンバーが繋いでいた。バーの中心から張り紙が垂れ下がっており、“立入禁止”とある。
雅人は車通りがないのを確認すると、その場に仰向けになり、腰のひねりを使って身体を進ませ始めた。バーは飛び越える事が子供でも簡単なくらいの高さであったが、その下を潜る事は更に容易であった。
雅人は身体を海老のようにくねらせながら、空き地の中に入り込んでしまった。
そこで立ち上がると、自分に対して奇異の視線を投げている男に気付いた。
「……ここは立入禁止の筈なんだがな……」
鷲鼻の、パイプを加えた初老の男だ。
緑色のエプロンを身に着けており、手には青ネギを飛び出させたエコバッグをぶら下げている。
「……なので、寝ながら入りました」
雅人が頭をぼりぼりと掻きながら言うと、初老の男は愉快そうに笑った。
その笑いの数値を示すかのように、ぷかぷかとパイプから白い煙が昇ってゆく。
「面白い男だなァ、君は。それとも、その頭の傷が原因で変になってしまったのかな?」
「――」
雅人が、桃城達也の鶏口手で抉られた傷の事だ。
「見た所、真っ当な手当てはしていないようだな。どれ、笑わせてくれたお礼に儂が見て上げよう」
「あんた、医者か?」
「ああ、緑川悟ってものだ」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本
しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。
関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください
ご自由にお使いください。
イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる