76 / 232
第六章 その名は蛟
第四節 夢か現か幻か
しおりを挟む
玲子の服の内側で、スマートフォンがヴァイブした。
「すみません」
と言って病室から出て、携帯電話を使用可能なフロアへ移動した玲子は、飛岡からの着信に出た。
「はい、こちら花巻……」
『飛岡だ。池田組の事だが――』
飛岡は簡潔に説明した。池田組の屋敷に乗り込み、構成員の殆どを逮捕した事。
だが肝心の池田享憲は、用心棒らしき青年と逃走した事。
逃走ルートは、屋敷の地下から下水道に出て、そこから海の方へ向かったらしいという事。
既に捜査本部が立ち上げられ、玲子も捜査官として選出されるのが決まっている事。
午後には海沿いの町へ捜査範囲を広げる為、これから自分と合流する事。
「分かりました」
『これから五分後に迎えに行く。病院だったな』
玲子は通話を終えて、一旦、杏子の病室に戻った。
「これから出る事になって……」
「貴女も大変ね。……まるで婦警さんが、貴女しかいないみたいじゃない」
杏子と面識があったとは言え、そのケアに刑事である玲子がわざわざやって来るのを、杏子は不思議に思っていた。普通は、生活安全課などに配属された婦人警官がこうした仕事をするのではないだろうか、と。
「うち、婦人警官ってあんまりいないんですよ。女性はやっぱり、嫌なんじゃないですかね……」
水門市の性犯罪の件数は、三年前と比べると大幅に増加した。だがそれは、勝義会亡き後、池田組の関係者による犯行が明るみに出るようになった証拠である。
逆に言うと、勝義会が池田組と鎬を削り、常に緊張の蔓延していた水門市では、例え女性や子供が犯罪に巻き込まれたとしても、勝義会や池田組絡みであれば、玲子が小川たちに絡まれた時と同じで被害届を受理される事すら少なかった事を明かしてもいる。
彼ら暴力団の犯罪が隠蔽されていた頃には多少なりと希望者もなくはなかったのだが、件数が増加した事で新人婦警本人や、その身を案じた家族、池田組を刺激する事を恐れた上層部が、水門署への配属への配属を渋るようになってしまったのだろう。
「そうね……」
杏子もしみじみと頷いた。自分が美野秋葉の友人でなければ――いや、あの時、あの場を訪れ、あの男に救われていなければ、秋葉の死は単なる自殺として、その母は娘の死を病んでのショック死程度にしか、扱われなかったであろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。会えると良いですね、その人と!」
玲子は敬礼をして、病室から出て行った。
杏子も真似事の敬礼で玲子を送り出すと、再び窓の外に視線をやった。
――また会える、のかな……。
昨日、怪物に変化し、暴走した野村寅一から自分を助け出してくれたのは、三年前と同じで明石雅人なのだろうか。
杏子は事件のショックで記憶が曖昧になり、夢か現実か、分からない。
あの一件から三年が経ち、大学を出て小さな出版社に就職し、取材をして記事を書き、雑誌が少しずつ軌道に乗り始めて時間に余裕が持てるようになった。
ほんの少しだけ気持ちの整理を付けられるようになって、再びこの町を訪れたのは、美野家の墓参りもある。それ以上に明石雅人に巡り合うには、この町しかないと思ったからだ。
だが雅人は、初めて会った時から、自分は一つの町に居付く事はないと言っていた。
自分よりも強い相手が許せない、だから強くなる為に鍛え、強さを証明する為に旅をする。
この町を再び訪れる機会がないとは言えないが、杏子と同じタイミングでやって来る可能性は低いであろうと思われたし、自分とて頻繁にやって来られる訳ではない。
あれは、自分の強い執着が見せた幻であるという考えが、杏子の中にはあった。
けれども、若しかしたら――奇跡的に自分と雅人が、同じ時間に同じ町の中にいるかもしれないという淡い希望を、捨てたくないという気持ちもあった。
いや、そもそも、雅人がまだ生きている事さえ、あの別れ際の会話からすると、頭の中から排除しなければならない選択肢であるような不安が、杏子の心の隅には根付いていた。
杏子は雅人の姿を、彼とは真逆の蒼い空に思い浮かべた。
「すみません」
と言って病室から出て、携帯電話を使用可能なフロアへ移動した玲子は、飛岡からの着信に出た。
「はい、こちら花巻……」
『飛岡だ。池田組の事だが――』
飛岡は簡潔に説明した。池田組の屋敷に乗り込み、構成員の殆どを逮捕した事。
だが肝心の池田享憲は、用心棒らしき青年と逃走した事。
逃走ルートは、屋敷の地下から下水道に出て、そこから海の方へ向かったらしいという事。
既に捜査本部が立ち上げられ、玲子も捜査官として選出されるのが決まっている事。
午後には海沿いの町へ捜査範囲を広げる為、これから自分と合流する事。
「分かりました」
『これから五分後に迎えに行く。病院だったな』
玲子は通話を終えて、一旦、杏子の病室に戻った。
「これから出る事になって……」
「貴女も大変ね。……まるで婦警さんが、貴女しかいないみたいじゃない」
杏子と面識があったとは言え、そのケアに刑事である玲子がわざわざやって来るのを、杏子は不思議に思っていた。普通は、生活安全課などに配属された婦人警官がこうした仕事をするのではないだろうか、と。
「うち、婦人警官ってあんまりいないんですよ。女性はやっぱり、嫌なんじゃないですかね……」
水門市の性犯罪の件数は、三年前と比べると大幅に増加した。だがそれは、勝義会亡き後、池田組の関係者による犯行が明るみに出るようになった証拠である。
逆に言うと、勝義会が池田組と鎬を削り、常に緊張の蔓延していた水門市では、例え女性や子供が犯罪に巻き込まれたとしても、勝義会や池田組絡みであれば、玲子が小川たちに絡まれた時と同じで被害届を受理される事すら少なかった事を明かしてもいる。
彼ら暴力団の犯罪が隠蔽されていた頃には多少なりと希望者もなくはなかったのだが、件数が増加した事で新人婦警本人や、その身を案じた家族、池田組を刺激する事を恐れた上層部が、水門署への配属への配属を渋るようになってしまったのだろう。
「そうね……」
杏子もしみじみと頷いた。自分が美野秋葉の友人でなければ――いや、あの時、あの場を訪れ、あの男に救われていなければ、秋葉の死は単なる自殺として、その母は娘の死を病んでのショック死程度にしか、扱われなかったであろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。会えると良いですね、その人と!」
玲子は敬礼をして、病室から出て行った。
杏子も真似事の敬礼で玲子を送り出すと、再び窓の外に視線をやった。
――また会える、のかな……。
昨日、怪物に変化し、暴走した野村寅一から自分を助け出してくれたのは、三年前と同じで明石雅人なのだろうか。
杏子は事件のショックで記憶が曖昧になり、夢か現実か、分からない。
あの一件から三年が経ち、大学を出て小さな出版社に就職し、取材をして記事を書き、雑誌が少しずつ軌道に乗り始めて時間に余裕が持てるようになった。
ほんの少しだけ気持ちの整理を付けられるようになって、再びこの町を訪れたのは、美野家の墓参りもある。それ以上に明石雅人に巡り合うには、この町しかないと思ったからだ。
だが雅人は、初めて会った時から、自分は一つの町に居付く事はないと言っていた。
自分よりも強い相手が許せない、だから強くなる為に鍛え、強さを証明する為に旅をする。
この町を再び訪れる機会がないとは言えないが、杏子と同じタイミングでやって来る可能性は低いであろうと思われたし、自分とて頻繁にやって来られる訳ではない。
あれは、自分の強い執着が見せた幻であるという考えが、杏子の中にはあった。
けれども、若しかしたら――奇跡的に自分と雅人が、同じ時間に同じ町の中にいるかもしれないという淡い希望を、捨てたくないという気持ちもあった。
いや、そもそも、雅人がまだ生きている事さえ、あの別れ際の会話からすると、頭の中から排除しなければならない選択肢であるような不安が、杏子の心の隅には根付いていた。
杏子は雅人の姿を、彼とは真逆の蒼い空に思い浮かべた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
【R18】やがて犯される病
開き茄子(あきなす)
恋愛
『凌辱モノ』をテーマにした短編連作の男性向け18禁小説です。
女の子が男にレイプされたり凌辱されたりして可哀そうな目にあいます。
女の子側に救いのない話がメインとなるので、とにかく可哀そうでエロい話が好きな人向けです。
※ノクターンノベルスとpixivにも掲載しております。
内容に違いはありませんので、お好きなサイトでご覧下さい。
また、新シリーズとしてファンタジーものの長編小説(エロ)を企画中です。
更新準備が整いましたらこちらとTwitterでご報告させていただきます。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
エッチな下着屋さんで、〇〇を苛められちゃう女の子のお話
まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
『色気がない』と浮気された女の子が、見返したくて大人っぽい下着を買いに来たら、売っているのはエッチな下着で。店員さんにいっぱい気持ち良くされちゃうお話です。
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる