超神曼陀羅REBOOT

石動天明

文字の大きさ
上 下
68 / 232
第五章 覚醒める拳士

第十節 狂犬の心

しおりを挟む
 恐らく、“来るな”と言ったのだろう。

 加瀬はいずみを人質に取り、治郎に対して優位になろうとした。
 だが、治郎が島田の暴行に付き合っていたのは、いずみを人質に取られていたからではない。自分の体力が回復し、逆転のチャンスが訪れるのを待っていただけなのだ。

 治郎は島田が落としたナイフを拾うと、雲梯に近付いてゆく。
 加瀬のナイフは、いずみの首筋にあてがわれていた。

「くぅあーっ! きたあ、このおんあをォ、くおすろぉっ!」

 “来るな”
 “来たら、この女を、殺すぞ”

 治郎は聞かずに加瀬に駆け寄り、ナイフを放り投げた。

 いずみの首元で、ナイフとナイフが激突した。
 加瀬は、得物から伝わる意外なくらいの衝撃におののき、いずみから離れた。

 治郎は雲梯に駆け寄ると、いずみの腕が拘束された梯子部分の横を掴みながらジャンプし、靴底を加瀬の顔に打ち込んだ。

 鼻が折れ、残った前歯も吹き飛んでゆく感触が、スニーカー越しに感じられた。

「ひぃ、ひぃーっ!」

 加瀬が、這う這うのていで逃げ出そうとする。
 治郎はその服の襟を掴むと、公園の中心に向かって引っ張り、放り投げた。

 起き上がった加瀬の顔に、ローキックを入れた。
 サングラスが弾けながら、吹き飛んでゆく。

「ゆぅひて……」

 治郎は許さなかった。
 二発目の下段蹴りが、加瀬の頬骨を粉砕した。

「ゆぐひて……うぇぇ……」

 治郎は加瀬の腹に踵を落とした。加瀬が口から、未消化の食べ物を混ぜた黄色い液体を噴く。

 襟を掴んで相手を引き起こすと、顔を殴り付けた。
 左のパンチが、反対側の頬を打つ。
 次は右だ。
 次は左だ。
 右。

 逃がさないとばかりに左手で襟を掴み、右の拳を雨のように降らせた。

 加瀬の頭部が、頸の据わっていない赤ん坊を揺すっているかのように、がくんがくんと前後した。

 治郎は弓矢を引き絞るように右腕を引くと、左手を放しながら加瀬を殴打した。

 脱力した暴力団のチンピラは、地面を二度、三度と転がって、指先を残して動かなくなった。

 治郎はうつ伏せになった加瀬に、五発ばかり踏み下ろしを行なった。

 それでも加瀬が動かないのを見ると、やおら空手衣のズボンの紐をほどき、ボクサーパンツの中から怒張したものを取り出して、小便をし始めた。

 コーラのような茶褐色をしていた。血が混じっているのだ。
 その赤い小便が、加瀬のクリーム色のジャケットに染みを作ってゆく。

 背中を真っ赤に染め抜いてやった治郎は、最後の雫を飛ばしてズボンを穿き直した。

 そして爪先を倒れた加瀬の顔の下に潜り込ませて、持ち上げさせた。
 加瀬の顔と地面の間に空間が出来る。そこで、素早く踵を踏み下ろす心算だった。

「駄目ぇ!」

 いずみの叫びで、治郎はストンピングをやめた。加瀬の頭が、もう一度地面に落ちる。

 治郎はいずみを振り向いた。

「駄目……それ以上は、駄目だよ、治郎……」

 汚されたいずみは、惨めな姿を晒しながら、強い光を湛えた眼で治郎を見つめていた。





 公園の水道で身体を洗ったいずみに、治郎は島田から剥ぎ取った上着を被せてやった。

 本当なら、すぐに店に戻って着替えるべきだとは思ったが、いずみは疲労感からかベンチに腰掛けてしまい、自然とその傍らに治郎も座る事になった。

 暫く二人は沈黙していたが、いずみの方から、口を開いた。

「怖かったでしょう?」
「――」

 治郎は答えなかった。
 それでも、自分の言いたい事が伝わると信じて、いずみは言葉を続けた。

「殺すとか、死ぬとか、そういう言葉を、意思をぶつけられるのって、凄く怖いの。治郎くんには分からなかった? 島田さんがナイフを出した時、腕じゃなくて、首や頭を狙われたらって。加瀬さんのナイフが当てられたのが、私じゃなくて自分だったらって……。だから、駄目よ、あんな事をしちゃ」
「――嫌、だ」
「……治郎くんと、小川さんたちとの間に何があったか知らないけれど、でも、これ以上、復讐だなんて考えちゃ駄目よ。今回は私と、貴方自身だけで済んだけど、若しかしたら貴方の家族や友達が、危険な目に遭わせられるかもしれないわ」
「――か、ぞ、く……」

 治郎は膝の上に置いた手を、ぎゅっと握った。
 後先を考えずに力を込めて、加瀬を殴ったからだろう、その拳の表面がこんもりと腫れ上がっていた。空手胼胝の出来た拳がそうまでなってしまうという事は、感情任せの、正しくないパンチを打ったという事だ。

「家族は、いない……友達、も、いない……」
「――」
「皆が、俺を、莫迦に……する」
「え?」
「勉強が、出来ない……から。スポーツが、下手……だ、から。皆と、仲、良く、出来、ない……から……。巧く、話せな、い、し……歌も、下手、で……絵も、描けない……パソコンを、打つ、のが、出来ない……英語を喋れ、ない……学校に、何を、持って、行けば良いの、か、分からない……」

 治郎は、小さな子供が恐る恐る文字を書き出してゆくように言葉を紡ぎ、頭のキャンパスに書き殴った言葉を引き千切って、放り出すように語った。

「出来る、のは、これだけ、だ……から。これ、だけは、敗けたく、ない……莫迦に、されたく、ない」

 自身の拳を持ち上げて、治郎が言った。
 人が出来る事が、治郎には出来ない。

 でもそれは、構わない。

 けれどそんな自分がやって来た空手で、戦う事で、敗けて、莫迦にされる事だけは許せない。

「強く、なり、たい……」
「――」
「俺を、誰も、莫迦に、出来ない……くらいに、強く、なりたい。俺を、莫迦にする、奴ら、全部、殺して、やれる、くらい、強く……なりたい……!」

 痛め付けられ、蒼黒く腫れ上がった顔を、鬼のように歪めて、治郎は心情を吐露した。

 言葉を使う事が苦手な少年は、心の中の黒々とした願望を、初めて口に出したのだ。

 いずみはそれが、酷く哀しく、重たい決意の表明に思えた。

 他の何ものも要らない。ただ、自分の心を守る為だけに強くなりたい。
 治郎がどのような経緯を辿り、この若さでそうした陰気な決意を胸に宿したのか、いずみには分からない。だがそれが、堪らなく哀切な様子に、いずみの眼には映った。

「治郎くん……!」

 治郎はきっと拒絶するだろう。それが分かっていても、いずみは彼を抱き締めたいと思った。

 その時だ。

「今夜はやけに犬が五月蠅いと思ったら、こういう事か」

 そう言いながら、一人の男が公園にやって来た。紫のサテン生地のシャツを着た男。
 いや、その後ろにもう一人、いる。
 燃え立つようなざんばら髪の、巨大な筋肉を持った男だ。

 治郎はその姿を、忘れようと思っても忘れられない。
 明石雅人だ。

 紫のシャツの男は、桃城であった。

 二人は公園の真ん中まで歩いて来ると、向かい合った。
しおりを挟む
感想 91

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

処理中です...