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第三章 潜伏する狼
第五節 鉄 騎
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「――まだ、吐かないんですか」
昨晩の捕り物を終えて、自宅に仮眠に戻った玲子は、朝早くから警察署に出勤し、小川から何も聞き出せていない取調室への不満を漏らした。
飛岡は自分のデスクでコーヒーを飲みながら、
「あれも筋金入りのヤクザだ。そう簡単には口を割らないよ」
「どうだか。所詮、ただのチンピラでしょう?」
三年前の事を思い出せば、小川という男はちっぽけなプライドに則って行動する小者だ。
あの時、小川は長田に酒を飲まされた治郎が、ヤクザなんて怖くないという言葉を肯定した事に腹を立てて、喧嘩を売って来た。
玲子は治郎が、井波のようなチンピラにやられた事が理解出来なかったが、それはさて置き、小川たちの行動は暴力団としてはあり得ない事だった。
大学生や高校生の空手部員に、直接悪口を言われた訳でもないのに手を出すという事で、自分が所属する組織にどれだけの迷惑を掛けるのか、分かっていないとしか思えない。
しかし三年前の水門市では、勝義会と池田組との水面下の争いもあって、そうした諍いをきっかけにして警察が動く事が出来ない状況であったのも、事実ではある。
勝義会が壊滅し、池田組が台頭するようになったものの、その支配が行き届く前に人事が一新され、組織犯罪対策課が漸く公に活動するようになったのだ。
だがそれよりも玲子が気掛かりなのは、幼馴染みの治郎の事である。
昨夜、純が治郎と喧嘩をしたと言っていた。純がそんなつまらない嘘を吐く訳がないから、それは恐らく事実だろう。
三年間姿を消していた治郎が、傷だらけの姿で町に戻って来た。
だがその治郎が、町中で配偶者に暴行を加えていた泥酔男を打ち倒した可能性がある。
女性を守る為の正当防衛が成立すると思われるものの、泥酔男の意識はまだ戻らない。下手をすれば過剰防衛……最悪、傷害致死で引っ張って来なければならなくなる。
今まで何をやっていたのか分からないが、幼馴染みとの再会でそのような事にはなってしまうかもしれないと考えると、益々気が重くなる。
溜め息を吐きながら自分のデスクへ向かおうとすると、司令部から入電があった。
飛岡が電話を取る。
「はい、こちら水門署の飛岡……え、不審者通報。はい、えーと、六軒町の公園に、半裸の成人男性……はい、はい、分かりました。すぐに向かいます」
飛岡は玲子の方を見て、顎をしゃくった。
「私も行くんですかァ?」
「来てくれると助かる。何せ、その男、空手の稽古をしているみたいなんだよ。若し暴力なんか振るわれたらさ……俺より花巻の方が、こっちは強いだろ?」
飛岡は両方の拳を持ち上げて構える振りをした。
玲子は更に重たい溜め息を吐くと、飛岡のボディに軽くパンチを入れた。
「ウッ」
「ったく、情けないんだから、もう」
そのような訳で、眉をハの字にする後輩刑事と、その後輩のボディブローに身体をくの字に折る刑事二人は、現場に向かう事となった。
飛岡が車を運転して、助手席に玲子が乗る。
警察署から六軒町の公園までは、車で一〇分掛からない程度だ。
通報者は、既に現場を離れていた。
飛岡は路肩に車を止めて、公園の中に玲子と一緒に入ってゆく。
「……凄ぇな」
そこで、その男を見て飛岡が最初に発した一言は、それであった。
通報通り、半裸の男が汗だくになって、稽古をやっている。
空手の型を、演じているみたいだった。
「ナイファンチ……ですね」
玲子が、その型の名前を言った。
昨晩の捕り物を終えて、自宅に仮眠に戻った玲子は、朝早くから警察署に出勤し、小川から何も聞き出せていない取調室への不満を漏らした。
飛岡は自分のデスクでコーヒーを飲みながら、
「あれも筋金入りのヤクザだ。そう簡単には口を割らないよ」
「どうだか。所詮、ただのチンピラでしょう?」
三年前の事を思い出せば、小川という男はちっぽけなプライドに則って行動する小者だ。
あの時、小川は長田に酒を飲まされた治郎が、ヤクザなんて怖くないという言葉を肯定した事に腹を立てて、喧嘩を売って来た。
玲子は治郎が、井波のようなチンピラにやられた事が理解出来なかったが、それはさて置き、小川たちの行動は暴力団としてはあり得ない事だった。
大学生や高校生の空手部員に、直接悪口を言われた訳でもないのに手を出すという事で、自分が所属する組織にどれだけの迷惑を掛けるのか、分かっていないとしか思えない。
しかし三年前の水門市では、勝義会と池田組との水面下の争いもあって、そうした諍いをきっかけにして警察が動く事が出来ない状況であったのも、事実ではある。
勝義会が壊滅し、池田組が台頭するようになったものの、その支配が行き届く前に人事が一新され、組織犯罪対策課が漸く公に活動するようになったのだ。
だがそれよりも玲子が気掛かりなのは、幼馴染みの治郎の事である。
昨夜、純が治郎と喧嘩をしたと言っていた。純がそんなつまらない嘘を吐く訳がないから、それは恐らく事実だろう。
三年間姿を消していた治郎が、傷だらけの姿で町に戻って来た。
だがその治郎が、町中で配偶者に暴行を加えていた泥酔男を打ち倒した可能性がある。
女性を守る為の正当防衛が成立すると思われるものの、泥酔男の意識はまだ戻らない。下手をすれば過剰防衛……最悪、傷害致死で引っ張って来なければならなくなる。
今まで何をやっていたのか分からないが、幼馴染みとの再会でそのような事にはなってしまうかもしれないと考えると、益々気が重くなる。
溜め息を吐きながら自分のデスクへ向かおうとすると、司令部から入電があった。
飛岡が電話を取る。
「はい、こちら水門署の飛岡……え、不審者通報。はい、えーと、六軒町の公園に、半裸の成人男性……はい、はい、分かりました。すぐに向かいます」
飛岡は玲子の方を見て、顎をしゃくった。
「私も行くんですかァ?」
「来てくれると助かる。何せ、その男、空手の稽古をしているみたいなんだよ。若し暴力なんか振るわれたらさ……俺より花巻の方が、こっちは強いだろ?」
飛岡は両方の拳を持ち上げて構える振りをした。
玲子は更に重たい溜め息を吐くと、飛岡のボディに軽くパンチを入れた。
「ウッ」
「ったく、情けないんだから、もう」
そのような訳で、眉をハの字にする後輩刑事と、その後輩のボディブローに身体をくの字に折る刑事二人は、現場に向かう事となった。
飛岡が車を運転して、助手席に玲子が乗る。
警察署から六軒町の公園までは、車で一〇分掛からない程度だ。
通報者は、既に現場を離れていた。
飛岡は路肩に車を止めて、公園の中に玲子と一緒に入ってゆく。
「……凄ぇな」
そこで、その男を見て飛岡が最初に発した一言は、それであった。
通報通り、半裸の男が汗だくになって、稽古をやっている。
空手の型を、演じているみたいだった。
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玲子が、その型の名前を言った。
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