重装クロスブラッド

石動天明

文字の大きさ
上 下
9 / 30
第1話 クロスブラッド誕生

Part9 怪物

しおりを挟む
 黒く膨らんだ身体から、硬質そうな赤い体毛がめちゃくちゃに生えている。地面に突いている二本の肢には鋸のような爪が生えていた。その肩口から広がるのは鴉のような翼だが、翅の一本一本は昆虫のそれのように透けて薄い。肩の間から長くて太い頸が伸び、頭には四つの眼があり、しかも牙を覗かせる口らしい器官は人間でいうと額の部分にある。

 体格は、俺の数倍だ。

 それが、昇降口のガラスを突き破って、校舎の外に佇んでいた。

 地面に置いた前肢の爪が、赤い液体で濡れている。前肢を持ち上げて、再び校舎の中に入り込んで来ようとすると、この液体が地面との間に粘着質な尾を引いた。

 見れば、その胴体にも同じ液体が付着している。ペンキで満たしたバケツを、正面の壁に向かって振り出し、飛び出した赤色が胸まで跳ね返ってしまったようにも見えた。

 俺はどうにか上体を起こしたのだが、それが近付いて来るまで、どのようにも動けないでいた。ただ、その場に座り込んで、怪物が接近するのを待っている。

 怪物は、自らの身体でガラスを粉砕した昇降口の敷居を跨ぐ。校舎の内外の境界を超えた途端、俺の全身を堪らないプレッシャーが押し包んだ。

 全身の皮膚が、氷を当てられたように冷え切っている。
 細胞の一つ一つが、余りの寒さに引き裂かれてしまいそうだった。

 怪物がゆったりと近付いた。俺と奴との距離は、俺が腕を伸ばせば触れ合うまでになっている。

 それはつまり、怪物からすればちょっと前肢を前に出すだけで、俺を捕えられる位置にいるという事だ。

 むぅぅぉぉぉぉ……押し寄せる威圧感。俺と怪物との間に、見えない液体が充満しているようだった。しかしそれを、怪物の方は感じていない。俺ばかりが恐怖の泥に動きを封じられている。

 奴の身体から、匂い立つ、獣の体臭。
 それに混じる生臭さ、鉄臭さ。

 俺はその臭気に当てられて、悲鳴を上げる事さえ出来なかった。

 その間にも怪物は俺との距離を詰めようとしている。亀の這う速度に感じるのだが、それは俺の脳が怖さを和らげるのに分泌したアドレナリンの所為かもしれない。俺は息をする事も忘れ、異質なモンスターの爪が、二人目の血を吸う瞬間を待つ他にはないようだった。

 ――それで良いのか?

 声がした。
 何でこんな時に、そんな事を訊くんだ。

 思い出したのは彼の事だ。脅されていたひょろりとした先輩。彼がやられていたのを、見て見ぬ振りした事は、本当に俺にとって良かった事なのか?

 違う、今、そんな事はどうでも良い。今、俺がやるべきなのは……。

 怪物の顔が、眼前に迫っていた。額の口が開く。四つの眼が俺を注視した。この時初めて、俺は獣毛に包まれた怪物の顎の辺りに、更に一対の眼と口があるのを確認した。だが、主に感覚器官としての役割を担っているのは四つの眼の方で、五、六番目の眼は使われていなさそうであった。

 額の口が開いた。やたらに多い牙が、唾液を引いて上下に広がる。二本の舌がちろり蠢いた。蛇のように先端が二つに割れているのではなく、初めから二つの舌がその口腔には収められていたのだった。

 その二つの舌が、俺の鼻先を撫でそうになる瞬間――

 漸く俺の身体が、自由を取り戻した。

 それまで俺を拘束していた恐怖が、一転して俺の身体を強く弾いた。

 俺は、この先、一生発揮する事がないかもしれないくらいの瞬発力で立ち上がり、後方に跳び込むようにして怪物の前から逃げ出していた。

 俺は足をもつれさせて、校舎の中に転倒してしまうのだが、怪物は俺の咄嗟の動きに反応し切れなかったのかすぐには追って来なかった。

 だが、それでも俺を追跡する意思はあったようで、やはりゆっくりとではあったが先程飛び出した校舎に足を踏み入れた。

 俺は、兎に角あれから逃げるべく、後先考えずに校舎の闇へと逃げ込んだ。

 闇とは言っても、実際に入ってみると、教室に射し込む仄かな月明かりが廊下にまで漏れて、真の闇という訳ではない。深海のように濃厚なブルーに染め上げられた校舎を、出来得る限りの全力で疾走した。

 だが、廊下の真ん中辺りに差し掛かった所で、俺はそこに転がっていたものに突っ掛かって顔面から突っ伏してしまう。

 受け身を取った手がぬめる。床に倒れた俺を包み込んだ生臭い匂いは、あの怪物が発していたのと同じものだった。

 という事は……

 俺は、俺が躓いた理由を見て、酷く気分が悪くなった。本当ならばその場で胃の中のものを吐き出してしまいたかったのだが、そんな時間はないらしい。

 あの怪物が、俺を追い駆けて来ていた。
 俺は靴底がぬめらないよう、なるべく足に力を込めて走り出した。

 けれど、俺は何処へ逃げれば良いのだろうか。このまま廊下を真っ直ぐに突き進んで、俺は果たして逃げる事が出来るのか?

 逃げるつもりがあるのなら、校舎の外へ出なければいけない。ひと気のない、構造に全く親しみのない校舎から外に出るのに、昇降口以外のルートを見付ける事が出来るのか?

 背後から気配が迫る。
 肩越しに振り向いてしまった俺のすぐ後ろに、あの怪物が!

「うわあぁぁぁぁぁっ」

 俺は錯乱して足を滑らせ、三度目の転倒をした。

 俺の身体が廊下を転がって、壁にぶつかる。その衝撃で、壁が裂けてしまう。違う、扉だ。教室への扉が、巧い事、施錠されていなかったのだ。俺はその教室に入り込み、勢い良く扉を閉めた。

 教室の中身は、中学校と大して変わらない。俺は――無駄な抵抗だろうが――扉の前に机を並べ、バリケードを作った。そして窓の方へ駆けてゆき、鍵を開けて、外に出た。

 すると予想通り、怪物は教室の壁を突き破り、前肢を滅茶苦茶に振るって机や椅子を弾き飛ばしながら、窓へと突撃した。俺が教室の窓の外で身を屈めていると、そのすぐ横の壁を、ガラスも柱も関係ないとばかりに怪物が巨体をうならせて貫通して来た。

 怪物はそのままの勢いで宙に舞い上がり、肩から生えた翼を広げた。半透明の羽根が、三日月の放つ光を倍増して地上に降り注がせる。又、怪物の軌道を追うようにして散らばされたガラスの破片が、蝶の鱗粉のように夜空に煌めいた。

 そのおぞましき怪物が、この時ばかりは、美しい神獣にさえ映った。

 校庭に、砂埃を上げて着地する怪物。
 その姿に一瞬とは言え見惚れてしまった俺は、逃げおおせるチャンスを失ってしまう。

 全力疾走から、逃げ出す好機を得て喜んだ俺だったが、それが失敗したと分かって全身の力がふわりと抜け落ちてしまった。

 背中を校舎の壁にもたれさせて、ふは……と、間抜けな溜め息を吐く。

 怪物が、俺に迫っていた。

 駄目だァ。
 逃げられない。

 この怪物が何を目的とした何であるのかは分からないが、廊下に転がっていた壮年教師の死体は、怪物の凶暴な爪が作り出したものだろう。

 そして俺も、同じようになってしまうのだ……。

 そう思うと逆に、何だか心が楽になるようだった。それまでの緊張や恐怖が薄れて、もうどうでも良いやという気分になる。

 完全脱力して、地面に寝そべるような気分だった。しかし後ろに壁があるからそうはならず、視線だけがぐったりと持ち上がる。

 三日月だった。
 刃物のように鋭い、空の裂け目が、俺を見下ろしている。

 だが、空を雲が覆い始めていた。分厚い夜の雲は、月の明かりを隠してしまう。

 月が雲に喰われた夜、諦めを孕んだ少年に肉薄する異形の怪物……

 伝奇小説の挿絵になりそうだ。
 それを、例え落書きでも形に出来ないのは、何となく心残りではある。

 怪物の爪が、砂利を掻く音を聞いていた。

 心残りと言えば、両親の事だ。いきなり、何の予兆もなく、俺がいなくなってしまったら二人は哀しむだろうか。通った事もない高校の敷地内で死体が発見されたと知ったら、どんな思いだろう。

 怪物が、俺の視界から夜空を奪い取った。

 位置的な問題だろうが、怪物が使用する四つの眼が俺からは見えず、代わりに、機能が使われていない顎の位置の二つの眼と、獣毛に縫い合わされて開けない口が、俺の真上にあった。

 怪物が前肢を持ち上げた。血で濡れた鋸のような爪を。
 そして俺の身体に、振り下ろすのだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)
ファンタジー
【ブロマンス風ファンタジー】 病魔に蝕まれてなお、戦いを止めない主人公たつとら そんなたつとらを支えるために、仲間たちが運命を共にするお話 〇あらすじ 人間を本能のまま襲う〈異形〉と呼ばれる魔物が蔓延る世界 世界一の大国であるウェリンク国の軍事育成学園に一人の男が赴任してきた 桁違いに強い彼は、世界の脅威をいとも簡単に撃退していく その強さと反して、主人公が抱えている病魔は深刻だった 彼が死ぬのが先か、世界の脅威が去るのが先か 奮闘し続ける主人公の周りには、仲間たちが増えていく そして次第に明かされる、主人公の強さの理由と世界の成り立ち 果たして彼の正体は 行きつく先にあるのは希望か絶望か __________ 主人公の過去と素性が世界の成り立ちに大きく関わってくるため、主人公が謎の人物設定になっています。 最初は学園モノですが、途中から変わります。 ※ご注意ください (恋愛ものではないのですが、一読ください) 女性が男性に想いを寄せる描写もありますし、男性が男性に想いを寄せる描写もあります(BR要素) しかしこの物語は、恋愛に発展することはありません 女性同士の恋愛の描写もあります 初心者ですので、誤字・脱字等お目汚しが多々あるかと思いますがご了承ください!

収容所生まれの転生幼女は、囚人達と楽しく暮らしたい

三園 七詩
ファンタジー
旧題:収容所生まれの転生幼女は囚人達に溺愛されてますので幸せです 無実の罪で幽閉されたメアリーから生まれた子供は不幸な生い立ちにも関わらず囚人達に溺愛されて幸せに過ごしていた…そんなある時ふとした拍子に前世の記憶を思い出す! 無実の罪で不幸な最後を迎えた母の為!優しくしてくれた囚人達の為に自分頑張ります!

追放された成長スキル持ちと三姉妹冒険者~彼は希望を取り戻し、勇者は没落す~

シトラス=ライス
ファンタジー
 勇者パーティーから追放された成長スキル持ちおっさん【トクザ】。職業;冒険者訓練士――通称トレーナー ――。勇者パルディオスからは「全然成長しないから」理由をと告げられる。しかし成長を促す条件はトクザからの"命令絶対遵守"。わがままで、トクザのいうことを全然利かなかったパルディオスが成長するはずもなかったのだ。いくらその事実をトクザが伝えようとも、パルディオスは一切耳を貸さない。 結局トクザは、トレーナーを始めてから通算15件目の解雇の憂き目に遭うのだった。 また失業給付金をもらいながら、ゆっくり新しいパーティーでも探そう……そうトクザは考えながら、ギルドをぶらついていた時のこと。 彼の前へ10数年前に指導した、地方貴族の三姉妹――それぞれ美しくそして可愛く成長した【サク三姉妹】が現れた。 「ずっと、お誘いできる日を待っていました先生!」――長女【キュウ・サク】 「あたし達、今日から冒険者デビューなんだよトク兄!」――次女【コン・サク】 「だからお願い! シン達の訓練士になって! トーさんっ!」――三女【シン・サク】 ――まぁ、今無職だしいっか。サク家の御令嬢のご依頼だから報酬も良さそうだし……  薄っぺらい人生を送ろうと心に誓っていたトクザは、気楽な気持ちでサク三姉妹からの依頼を引き受ける。  しかしこの時トクザは気づいていなかった!  これが彼の人生のターニングポイントだったのだと!

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

モノ作りに没頭していたら、いつの間にかトッププレイヤーになっていた件

こばやん2号
ファンタジー
高校一年生の夏休み、既に宿題を終えた山田彰(やまだあきら)は、美人で巨乳な幼馴染の森杉保奈美(もりすぎほなみ)にとあるゲームを一緒にやらないかと誘われる。 だが、あるトラウマから彼女と一緒にゲームをすることを断った彰だったが、そのゲームが自分の好きなクラフト系のゲームであることに気付いた。 好きなジャンルのゲームという誘惑に勝てず、保奈美には内緒でゲームを始めてみると、あれよあれよという間にトッププレイヤーとして認知されてしまっていた。 これは、ずっと一人でプレイしてきたクラフト系ゲーマーが、多人数参加型のオンラインゲームに参加した結果どうなるのかと描いた無自覚系やらかしVRMMO物語である。 ※更新頻度は不定期ですが、よければどうぞ

【完結】魔物をテイムしたので忌み子と呼ばれ一族から追放された最弱テイマー~今頃、お前の力が必要だと言われても魔王の息子になったのでもう遅い~

柊彼方
ファンタジー
「一族から出ていけ!」「お前は忌み子だ! 俺たちの子じゃない!」  テイマーのエリート一族に生まれた俺は一族の中で最弱だった。  この一族は十二歳になると獣と契約を交わさないといけない。  誰にも期待されていなかった俺は自分で獣を見つけて契約を交わすことに成功した。  しかし、一族のみんなに見せるとそれは『獣』ではなく『魔物』だった。  その瞬間俺は全ての関係を失い、一族、そして村から追放され、野原に捨てられてしまう。  だが、急な展開過ぎて追いつけなくなった俺は最初は夢だと思って行動することに。 「やっと来たか勇者! …………ん、子供?」 「貴方がマオウさんですね! これからお世話になります!」  これは魔物、魔族、そして魔王と一緒に暮らし、いずれ世界最強のテイマー、冒険者として名をとどろかせる俺の物語 2月28日HOTランキング9位! 3月1日HOTランキング6位! 本当にありがとうございます!

ソロ冒険者のぶらり旅~悠々自適とは無縁な日々~

にくなまず
ファンタジー
今年から冒険者生活を開始した主人公で【ソロ】と言う適正のノア(15才)。 その適正の為、戦闘・日々の行動を基本的に1人で行わなければなりません。 そこで元上級冒険者の両親と猛特訓を行い、チート級の戦闘力と数々のスキルを持つ事になります。 『悠々自適にぶらり旅』 を目指す″つもり″の彼でしたが、開始早々から波乱に満ちた冒険者生活が待っていました。

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

処理中です...