獣神転生ゼノキスァ

石動天明

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第五章 変身

第五節 whistle

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 頭が……割れそうだった。

 ナーガ・ゾデのククーラが奏でる口笛の音色が空気を震わせ、俺の頭の中に響く。

 まるで頭の中を、金属で掻き回されているようだった。
 口笛は冷酷な光を湛え、何て事はなく俺の耳の中に滑り込む。
 そして俺の脳みそを、容赦なく掻き混ぜて破壊しようとするのだ。

 俺は耳を塞いで、その不可思議でさえある口笛の音色から逃れようとしたが、風は俺の手をすり抜ける。
 奴の口笛は耳と言うより、俺の皮膚に向けて放たれているもののようであった。空気の振動が皮膚に触れ、そのまま神経を逆流して脳に入り込むのだ。

 いや、それさえも、例えとしてはおかしいような気がした。

 奴の口笛は、空気の振動によって俺に伝えられている。けれどその本質は、そんな理論的なものではない。
 理論だとか摂理だとか、そういうものを超越した音色であった。

 俺はその口笛の音色による頭痛で、平衡感覚を失って、その場に倒れ込んだ。倒れ込んでも耳の中にその音は広がり続け、脳を掻き乱す。

 言葉――

 言葉と言うのは、単なる音の羅列である。それらを一定に並べ替える事で、言葉は意味を持つ。
 音とは空気であるから、空気の振動とは言葉であった。その言葉に込められている意味は、ばらばらの音から察する事は出来ない。

 だから、俺が“地面”と言えば、カーラやオウマやアーヴァンは、俺が踏み締めているものを言っていると分かる。しかしディバーダ族やリオディン・ダグラ族やドドラグラ族は、俺が“地面”と言っても何を言っているのか分からない。逆に、彼らが“空”の事を言っていたとしても、俺たちが言う“空”と異なる発音をする言葉であった場合、俺たちには通じない。

 それは、彼らが、俺たちが使う音の羅列が、俺たちが、彼らが用いているものとは異なっているからだ。

 けれども、この口笛は違う。

 俺たちの言葉ではないし、ましてやディバーダ族が用いている言語でもないだろう。けれど、俺にもディバーダ族に対しても通じ、更にはリオディン・ダグラ族にさえ意味が通る音だった。

 ――目覚めよ。

 そう言っていた。
 言葉ではなくて、その音の中の意思が、俺の頭の中に囁いていた。

 ――目覚めよ。

 或いは、

 ――還れ。

 それは俺を何ものかへと目覚めさせようとしていた。そしてその目覚めによって、俺は何ものかに還らなければならないと言っていた。

 この時の俺は、それがどういう事なのか、頭で理解する事が出来ないでいた。しかし、俺の身体はその意味を理解し、そして反応していたのだった。

「あっ、ぎっ……あぎぃっ……ぎひぃぃぃーっ!」

 さっきまでのタムザ・クファーンのように、俺は地面を転げ回っていた。頭の中で打ち鳴らされる金属の太鼓、岩の弦、植物の吹奏……

 その俺に、あのナーガ・ゾデのククーラが歩み寄り、見下ろしていた。
 いや、見下ろすと言うのは変だ。ナーガ・ゾデのククーラは包帯で顔を覆い、口元以外を露出していないからだ。

「さぁ、目覚めよ、転生者よ……」

 ナーガ・ゾデのククーラは俺の頸を掴んで引き起こし、天に掲げた。爪先が地面に触れるか否かの高さまで持ち上げられ、体重全てが奴に掴まれている頸に圧し掛かっている。しかも頸動脈を押さえられているので、脳に血が昇らず、意識が少しずつ遠退いてゆく。

「その身に宿りし獣神の力、歪んだ因果よ、流浪の王よ、赤き鎧を持ちて再臨せよ!」

 ナーガ・ゾデのククーラは興奮したように捲し立て、俺を掴んでいない手を持ち上げた、その掌に、あの赤黒い光が集中する。今度は、俺も避ける事が出来なかった。

 ナーガ・ゾデのククーラは俺の腹に、赤黒い光の波動を押し当てた。俺の身体はその掌底の一撃で吹き飛び、地面に激しく打ち付けられた。

 その途端、それが始まった。

 全身が燃えるように熱くなり、それよりもむず痒くなった。
 皮膚の内側に、一瞬にしてウジが湧いたように、身体の中で蠢くものの存在を感じる。
 余りの痒みに俺は全身に堪らない嫌悪感を抱き、震える指を鉤爪にして肩を抱いた。
 指先が肩に喰い込む。力を殆ど込めていない筈なのに、痒みの上に痛みが被さった。指先を見てみるとべっとりと赤い液体と肉片が付着している。俺の指が、俺の肩を喰い破ったのだ。

 そして肉をこそがれた肩を見てみると、剥き出しの筋繊維の下から、黒っぽいものが顔を出した。細かくて薄く小さな板が、筋肉の隙間から無数に這い出そうとしている。

 俺はそれがとても恐ろしいものに見え、どうにか掻き出そうとした。だが、剥ぎ取れば剥ぎ取るだけ、それは腕の中からもこもこと湧き出して、しかも硬質化する。やがて俺の指の方が鱗の硬さに敗けて皮膚をぼろぼろにしてゆく。けれども崩れた指の中からも、腕に生じたのと同じような鱗が現れると、今度はもう片方の手でその手の鱗を剥がそうとした。

 同じ事だった。

 手の鱗を除去しようとした手の指も崩れ、同じく黒っぽい鱗として再生されてしまう。俺の両手はその短時間で、全く別のものに作り変えられてしまっていたのだ。

 おぞましさに頭を抱えると、硬質な指はまるで泥に枝を差すように容易く、頭蓋骨を貫通した。指先が脳に触れて、俺は嘔吐感のままに口から胃の内容物を吐き出した。そこには、憶えのないものが混じっていた。消化し切れなかった、人の指だ。

 オウマは、アーヴァンやシュメの頭を喰らった。でも、俺はそんな事はしていない。いつだ? 俺がいつ、人間を喰らったって言うんだ!?

 まさか……

 若し、その可能性があるのならば、グェルヴァだ。俺は一度死に、グェルヴァに捨てられた。ヴァーマ・ドゥエルでは死者を弔う時、その死体に悪霊が乗り移って蘇らぬよう、確実に死体を破壊する。グェルヴァに向かって頭から落とし、落下の衝撃で頸骨を破壊する。

 俺に対してもそれが行なわれた筈だ。だのにどうして俺は生き返った? 他の遺体が緩衝剤となって俺を助けたのか? 命を長らえた俺は、無意識の内に仲間たちの死肉を喰らって、蘇ったのか!?

「ぅぅぅ……っ」

 俺は自分が吐き出したものの中に顔を突っ込んで呻いた。胃液の酸っぱい匂いが眼から鼻から口から入り込んで、更に吐瀉物を散らした。咽喉を内側から押し広げて、丸いものが飛び出した。誰の眼球だ? 誰の骨だ? 誰の皮膚を俺は千切り、肉を喰らい、骨を砕いて、血を啜った?

 違う……俺はそんな事はしていない。だがまさに俺の口から吐き出された骸の一部がその証拠だ。

 俺が嫌悪したディバーダ族と同じ行為を、俺はしてしまっていたのだ。

 オウマのように、確固たる信念を持って行なった訳でもない。何の覚悟もなしに、ただ、ケダモノのように、生き返る為だけに、何の感謝も感慨もなしに、無念のままに散った仲間たちの死骸を浅ましく喰らったのだ。

“生命は、何の犠牲も生まずには生きていられないものですから、生命を奪う事は悪であっても、罪ではありません。但し、いたずらに命を弄ぶ事と、そして自ら生命を断つ事は、この世で最も重い罪なのです――”

 あの光輝く女の言葉が、俺の脳裏に浮かび上がった。
 俺は、別の世界で自らの命を断ったばかりではなく、舞い戻った今世でも、散ってしまった命の花を更に踏み躙ってしまったのか……

「あああああああ~~~~~~~~~っ!」

 俺は、抑えようのない感情を、腹の底から謳い上げた。咽喉が裂ける程の叫びは、全身の血を煮立たせる程の熱を伴った。

 俺の身体が、燃えるように熱くなる。異形の手に力を込めて握り締めると、むず痒さを覚えた身体が引き千切れてしまうかのようだった。

 天を仰いだ眼に、額が盛り上がるのが見えた。頭蓋骨内部の軋みが聞こえ、ねじれながら、何かが視線の先へと突き出して来る。まるで空に浮かぶ月を掴もうとするように。

 俺は自らの筋力で、自らの皮膚を引き剥がし、そして……





 気付けば、そこには黒い肉塊が無残に散らばっていた。
 物体の表面から、それが、タムザ・クファーンであったものであるという事が察せられた。

 俺の記憶は、星の光が失せ、闇が朝陽の膜に引っ込んでゆく時まで、失われていた。

 地面にへたり込んだ俺の前に、赤い腕が置かれている。ヒヒイロカネの鎧だ。一度はタムザ獣の身体に沈み、失われたと思われていたものだが、確かにそこにあった。

 中は空洞だ。……当たり前だ、それが、身体から腕ごと引き千切ったのでなければ。

「見事な戦いだったぞ」

 ナーガ・ゾデのククーラが満足げに言った。その両手に持っていたものを、俺の前に放り投げた。
 それは、タムザ・クファーンやバラド=ドラグールの使用した赤い鎧と同じ光沢を放つ剣だった。

 その赤い剣は、刃が二つあった。違う、そうではない。それは二つの剣を、包帯で一つに束ねているのだ。そして剣を束ねている包帯は、俺が、あの石鉈を持ち易いように巻き付けたものだった。実際、その剣は刀身こそヒヒイロカネの光沢を放っているが、柄の部分は石で造られている。石から、二振りの剣が生えているようであった。

 つまりこの双剣は、あの石鉈の中に封じ込められていたものだという事だ。

 どういう事なのだろう。どうしてヴァーマ・ドゥエルの遺跡に、ヒヒイロカネの剣があったのだ? しかも石の中に、どのような方法で封印されていたのだ?

 そして俺の身体は……一体、どうなってしまったのだ。

「お前たちの長老に訊け。そうすれば、答えは出るだろう」

 俺の心を読んだかのように、ナーガ・ゾデのククーラは言った。

 ……そう言えばマキアも、眼が見えないのに、周りの人間の心の機微には敏感だった。

「俺の名は、ハーラ・グル・アーヤバ。近い内に再び、会う事になるだろう。その時までに、その力……死と再生を司る赤き王の力を、我がものとして置け……」

 ナーガ・ゾデのククーラ、ハーラ・グル・アーヤバはそう言い残して去った。
 俺は暫く呆然としていたが、自分のやるべき事を思い出し、立ち上がった。

 帰らなければ……
 仲間たちの下へ……

 俺は石鉈から現れた二つの剣と、二つの鎧を抱え、オウマたちの待っている場所へと戻った。
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