30 / 46
第五章 変身
第五節 whistle
しおりを挟む
頭が……割れそうだった。
ナーガ・ゾデのククーラが奏でる口笛の音色が空気を震わせ、俺の頭の中に響く。
まるで頭の中を、金属で掻き回されているようだった。
口笛は冷酷な光を湛え、何て事はなく俺の耳の中に滑り込む。
そして俺の脳みそを、容赦なく掻き混ぜて破壊しようとするのだ。
俺は耳を塞いで、その不可思議でさえある口笛の音色から逃れようとしたが、風は俺の手をすり抜ける。
奴の口笛は耳と言うより、俺の皮膚に向けて放たれているもののようであった。空気の振動が皮膚に触れ、そのまま神経を逆流して脳に入り込むのだ。
いや、それさえも、例えとしてはおかしいような気がした。
奴の口笛は、空気の振動によって俺に伝えられている。けれどその本質は、そんな理論的なものではない。
理論だとか摂理だとか、そういうものを超越した音色であった。
俺はその口笛の音色による頭痛で、平衡感覚を失って、その場に倒れ込んだ。倒れ込んでも耳の中にその音は広がり続け、脳を掻き乱す。
言葉――
言葉と言うのは、単なる音の羅列である。それらを一定に並べ替える事で、言葉は意味を持つ。
音とは空気であるから、空気の振動とは言葉であった。その言葉に込められている意味は、ばらばらの音から察する事は出来ない。
だから、俺が“地面”と言えば、カーラやオウマやアーヴァンは、俺が踏み締めているものを言っていると分かる。しかしディバーダ族やリオディン・ダグラ族やドドラグラ族は、俺が“地面”と言っても何を言っているのか分からない。逆に、彼らが“空”の事を言っていたとしても、俺たちが言う“空”と異なる発音をする言葉であった場合、俺たちには通じない。
それは、彼らが、俺たちが使う音の羅列が、俺たちが、彼らが用いているものとは異なっているからだ。
けれども、この口笛は違う。
俺たちの言葉ではないし、ましてやディバーダ族が用いている言語でもないだろう。けれど、俺にもディバーダ族に対しても通じ、更にはリオディン・ダグラ族にさえ意味が通る音だった。
――目覚めよ。
そう言っていた。
言葉ではなくて、その音の中の意思が、俺の頭の中に囁いていた。
――目覚めよ。
或いは、
――還れ。
それは俺を何ものかへと目覚めさせようとしていた。そしてその目覚めによって、俺は何ものかに還らなければならないと言っていた。
この時の俺は、それがどういう事なのか、頭で理解する事が出来ないでいた。しかし、俺の身体はその意味を理解し、そして反応していたのだった。
「あっ、ぎっ……あぎぃっ……ぎひぃぃぃーっ!」
さっきまでのタムザ・クファーンのように、俺は地面を転げ回っていた。頭の中で打ち鳴らされる金属の太鼓、岩の弦、植物の吹奏……
その俺に、あのナーガ・ゾデのククーラが歩み寄り、見下ろしていた。
いや、見下ろすと言うのは変だ。ナーガ・ゾデのククーラは包帯で顔を覆い、口元以外を露出していないからだ。
「さぁ、目覚めよ、転生者よ……」
ナーガ・ゾデのククーラは俺の頸を掴んで引き起こし、天に掲げた。爪先が地面に触れるか否かの高さまで持ち上げられ、体重全てが奴に掴まれている頸に圧し掛かっている。しかも頸動脈を押さえられているので、脳に血が昇らず、意識が少しずつ遠退いてゆく。
「その身に宿りし獣神の力、歪んだ因果よ、流浪の王よ、赤き鎧を持ちて再臨せよ!」
ナーガ・ゾデのククーラは興奮したように捲し立て、俺を掴んでいない手を持ち上げた、その掌に、あの赤黒い光が集中する。今度は、俺も避ける事が出来なかった。
ナーガ・ゾデのククーラは俺の腹に、赤黒い光の波動を押し当てた。俺の身体はその掌底の一撃で吹き飛び、地面に激しく打ち付けられた。
その途端、それが始まった。
全身が燃えるように熱くなり、それよりもむず痒くなった。
皮膚の内側に、一瞬にしてウジが湧いたように、身体の中で蠢くものの存在を感じる。
余りの痒みに俺は全身に堪らない嫌悪感を抱き、震える指を鉤爪にして肩を抱いた。
指先が肩に喰い込む。力を殆ど込めていない筈なのに、痒みの上に痛みが被さった。指先を見てみるとべっとりと赤い液体と肉片が付着している。俺の指が、俺の肩を喰い破ったのだ。
そして肉をこそがれた肩を見てみると、剥き出しの筋繊維の下から、黒っぽいものが顔を出した。細かくて薄く小さな板が、筋肉の隙間から無数に這い出そうとしている。
俺はそれがとても恐ろしいものに見え、どうにか掻き出そうとした。だが、剥ぎ取れば剥ぎ取るだけ、それは腕の中からもこもこと湧き出して、しかも硬質化する。やがて俺の指の方が鱗の硬さに敗けて皮膚をぼろぼろにしてゆく。けれども崩れた指の中からも、腕に生じたのと同じような鱗が現れると、今度はもう片方の手でその手の鱗を剥がそうとした。
同じ事だった。
手の鱗を除去しようとした手の指も崩れ、同じく黒っぽい鱗として再生されてしまう。俺の両手はその短時間で、全く別のものに作り変えられてしまっていたのだ。
おぞましさに頭を抱えると、硬質な指はまるで泥に枝を差すように容易く、頭蓋骨を貫通した。指先が脳に触れて、俺は嘔吐感のままに口から胃の内容物を吐き出した。そこには、憶えのないものが混じっていた。消化し切れなかった、人の指だ。
オウマは、アーヴァンやシュメの頭を喰らった。でも、俺はそんな事はしていない。いつだ? 俺がいつ、人間を喰らったって言うんだ!?
まさか……
若し、その可能性があるのならば、グェルヴァだ。俺は一度死に、グェルヴァに捨てられた。ヴァーマ・ドゥエルでは死者を弔う時、その死体に悪霊が乗り移って蘇らぬよう、確実に死体を破壊する。グェルヴァに向かって頭から落とし、落下の衝撃で頸骨を破壊する。
俺に対してもそれが行なわれた筈だ。だのにどうして俺は生き返った? 他の遺体が緩衝剤となって俺を助けたのか? 命を長らえた俺は、無意識の内に仲間たちの死肉を喰らって、蘇ったのか!?
「ぅぅぅ……っ」
俺は自分が吐き出したものの中に顔を突っ込んで呻いた。胃液の酸っぱい匂いが眼から鼻から口から入り込んで、更に吐瀉物を散らした。咽喉を内側から押し広げて、丸いものが飛び出した。誰の眼球だ? 誰の骨だ? 誰の皮膚を俺は千切り、肉を喰らい、骨を砕いて、血を啜った?
違う……俺はそんな事はしていない。だがまさに俺の口から吐き出された骸の一部がその証拠だ。
俺が嫌悪したディバーダ族と同じ行為を、俺はしてしまっていたのだ。
オウマのように、確固たる信念を持って行なった訳でもない。何の覚悟もなしに、ただ、ケダモノのように、生き返る為だけに、何の感謝も感慨もなしに、無念のままに散った仲間たちの死骸を浅ましく喰らったのだ。
“生命は、何の犠牲も生まずには生きていられないものですから、生命を奪う事は悪であっても、罪ではありません。但し、いたずらに命を弄ぶ事と、そして自ら生命を断つ事は、この世で最も重い罪なのです――”
あの光輝く女の言葉が、俺の脳裏に浮かび上がった。
俺は、別の世界で自らの命を断ったばかりではなく、舞い戻った今世でも、散ってしまった命の花を更に踏み躙ってしまったのか……
「あああああああ~~~~~~~~~っ!」
俺は、抑えようのない感情を、腹の底から謳い上げた。咽喉が裂ける程の叫びは、全身の血を煮立たせる程の熱を伴った。
俺の身体が、燃えるように熱くなる。異形の手に力を込めて握り締めると、むず痒さを覚えた身体が引き千切れてしまうかのようだった。
天を仰いだ眼に、額が盛り上がるのが見えた。頭蓋骨内部の軋みが聞こえ、ねじれながら、何かが視線の先へと突き出して来る。まるで空に浮かぶ月を掴もうとするように。
俺は自らの筋力で、自らの皮膚を引き剥がし、そして……
気付けば、そこには黒い肉塊が無残に散らばっていた。
物体の表面から、それが、タムザ・クファーンであったものであるという事が察せられた。
俺の記憶は、星の光が失せ、闇が朝陽の膜に引っ込んでゆく時まで、失われていた。
地面にへたり込んだ俺の前に、赤い腕が置かれている。ヒヒイロカネの鎧だ。一度はタムザ獣の身体に沈み、失われたと思われていたものだが、確かにそこにあった。
中は空洞だ。……当たり前だ、それが、身体から腕ごと引き千切ったのでなければ。
「見事な戦いだったぞ」
ナーガ・ゾデのククーラが満足げに言った。その両手に持っていたものを、俺の前に放り投げた。
それは、タムザ・クファーンやバラド=ドラグールの使用した赤い鎧と同じ光沢を放つ剣だった。
その赤い剣は、刃が二つあった。違う、そうではない。それは二つの剣を、包帯で一つに束ねているのだ。そして剣を束ねている包帯は、俺が、あの石鉈を持ち易いように巻き付けたものだった。実際、その剣は刀身こそヒヒイロカネの光沢を放っているが、柄の部分は石で造られている。石から、二振りの剣が生えているようであった。
つまりこの双剣は、あの石鉈の中に封じ込められていたものだという事だ。
どういう事なのだろう。どうしてヴァーマ・ドゥエルの遺跡に、ヒヒイロカネの剣があったのだ? しかも石の中に、どのような方法で封印されていたのだ?
そして俺の身体は……一体、どうなってしまったのだ。
「お前たちの長老に訊け。そうすれば、答えは出るだろう」
俺の心を読んだかのように、ナーガ・ゾデのククーラは言った。
……そう言えばマキアも、眼が見えないのに、周りの人間の心の機微には敏感だった。
「俺の名は、ハーラ・グル・アーヤバ。近い内に再び、会う事になるだろう。その時までに、その力……死と再生を司る赤き王の力を、我がものとして置け……」
ナーガ・ゾデのククーラ、ハーラ・グル・アーヤバはそう言い残して去った。
俺は暫く呆然としていたが、自分のやるべき事を思い出し、立ち上がった。
帰らなければ……
仲間たちの下へ……
俺は石鉈から現れた二つの剣と、二つの鎧を抱え、オウマたちの待っている場所へと戻った。
ナーガ・ゾデのククーラが奏でる口笛の音色が空気を震わせ、俺の頭の中に響く。
まるで頭の中を、金属で掻き回されているようだった。
口笛は冷酷な光を湛え、何て事はなく俺の耳の中に滑り込む。
そして俺の脳みそを、容赦なく掻き混ぜて破壊しようとするのだ。
俺は耳を塞いで、その不可思議でさえある口笛の音色から逃れようとしたが、風は俺の手をすり抜ける。
奴の口笛は耳と言うより、俺の皮膚に向けて放たれているもののようであった。空気の振動が皮膚に触れ、そのまま神経を逆流して脳に入り込むのだ。
いや、それさえも、例えとしてはおかしいような気がした。
奴の口笛は、空気の振動によって俺に伝えられている。けれどその本質は、そんな理論的なものではない。
理論だとか摂理だとか、そういうものを超越した音色であった。
俺はその口笛の音色による頭痛で、平衡感覚を失って、その場に倒れ込んだ。倒れ込んでも耳の中にその音は広がり続け、脳を掻き乱す。
言葉――
言葉と言うのは、単なる音の羅列である。それらを一定に並べ替える事で、言葉は意味を持つ。
音とは空気であるから、空気の振動とは言葉であった。その言葉に込められている意味は、ばらばらの音から察する事は出来ない。
だから、俺が“地面”と言えば、カーラやオウマやアーヴァンは、俺が踏み締めているものを言っていると分かる。しかしディバーダ族やリオディン・ダグラ族やドドラグラ族は、俺が“地面”と言っても何を言っているのか分からない。逆に、彼らが“空”の事を言っていたとしても、俺たちが言う“空”と異なる発音をする言葉であった場合、俺たちには通じない。
それは、彼らが、俺たちが使う音の羅列が、俺たちが、彼らが用いているものとは異なっているからだ。
けれども、この口笛は違う。
俺たちの言葉ではないし、ましてやディバーダ族が用いている言語でもないだろう。けれど、俺にもディバーダ族に対しても通じ、更にはリオディン・ダグラ族にさえ意味が通る音だった。
――目覚めよ。
そう言っていた。
言葉ではなくて、その音の中の意思が、俺の頭の中に囁いていた。
――目覚めよ。
或いは、
――還れ。
それは俺を何ものかへと目覚めさせようとしていた。そしてその目覚めによって、俺は何ものかに還らなければならないと言っていた。
この時の俺は、それがどういう事なのか、頭で理解する事が出来ないでいた。しかし、俺の身体はその意味を理解し、そして反応していたのだった。
「あっ、ぎっ……あぎぃっ……ぎひぃぃぃーっ!」
さっきまでのタムザ・クファーンのように、俺は地面を転げ回っていた。頭の中で打ち鳴らされる金属の太鼓、岩の弦、植物の吹奏……
その俺に、あのナーガ・ゾデのククーラが歩み寄り、見下ろしていた。
いや、見下ろすと言うのは変だ。ナーガ・ゾデのククーラは包帯で顔を覆い、口元以外を露出していないからだ。
「さぁ、目覚めよ、転生者よ……」
ナーガ・ゾデのククーラは俺の頸を掴んで引き起こし、天に掲げた。爪先が地面に触れるか否かの高さまで持ち上げられ、体重全てが奴に掴まれている頸に圧し掛かっている。しかも頸動脈を押さえられているので、脳に血が昇らず、意識が少しずつ遠退いてゆく。
「その身に宿りし獣神の力、歪んだ因果よ、流浪の王よ、赤き鎧を持ちて再臨せよ!」
ナーガ・ゾデのククーラは興奮したように捲し立て、俺を掴んでいない手を持ち上げた、その掌に、あの赤黒い光が集中する。今度は、俺も避ける事が出来なかった。
ナーガ・ゾデのククーラは俺の腹に、赤黒い光の波動を押し当てた。俺の身体はその掌底の一撃で吹き飛び、地面に激しく打ち付けられた。
その途端、それが始まった。
全身が燃えるように熱くなり、それよりもむず痒くなった。
皮膚の内側に、一瞬にしてウジが湧いたように、身体の中で蠢くものの存在を感じる。
余りの痒みに俺は全身に堪らない嫌悪感を抱き、震える指を鉤爪にして肩を抱いた。
指先が肩に喰い込む。力を殆ど込めていない筈なのに、痒みの上に痛みが被さった。指先を見てみるとべっとりと赤い液体と肉片が付着している。俺の指が、俺の肩を喰い破ったのだ。
そして肉をこそがれた肩を見てみると、剥き出しの筋繊維の下から、黒っぽいものが顔を出した。細かくて薄く小さな板が、筋肉の隙間から無数に這い出そうとしている。
俺はそれがとても恐ろしいものに見え、どうにか掻き出そうとした。だが、剥ぎ取れば剥ぎ取るだけ、それは腕の中からもこもこと湧き出して、しかも硬質化する。やがて俺の指の方が鱗の硬さに敗けて皮膚をぼろぼろにしてゆく。けれども崩れた指の中からも、腕に生じたのと同じような鱗が現れると、今度はもう片方の手でその手の鱗を剥がそうとした。
同じ事だった。
手の鱗を除去しようとした手の指も崩れ、同じく黒っぽい鱗として再生されてしまう。俺の両手はその短時間で、全く別のものに作り変えられてしまっていたのだ。
おぞましさに頭を抱えると、硬質な指はまるで泥に枝を差すように容易く、頭蓋骨を貫通した。指先が脳に触れて、俺は嘔吐感のままに口から胃の内容物を吐き出した。そこには、憶えのないものが混じっていた。消化し切れなかった、人の指だ。
オウマは、アーヴァンやシュメの頭を喰らった。でも、俺はそんな事はしていない。いつだ? 俺がいつ、人間を喰らったって言うんだ!?
まさか……
若し、その可能性があるのならば、グェルヴァだ。俺は一度死に、グェルヴァに捨てられた。ヴァーマ・ドゥエルでは死者を弔う時、その死体に悪霊が乗り移って蘇らぬよう、確実に死体を破壊する。グェルヴァに向かって頭から落とし、落下の衝撃で頸骨を破壊する。
俺に対してもそれが行なわれた筈だ。だのにどうして俺は生き返った? 他の遺体が緩衝剤となって俺を助けたのか? 命を長らえた俺は、無意識の内に仲間たちの死肉を喰らって、蘇ったのか!?
「ぅぅぅ……っ」
俺は自分が吐き出したものの中に顔を突っ込んで呻いた。胃液の酸っぱい匂いが眼から鼻から口から入り込んで、更に吐瀉物を散らした。咽喉を内側から押し広げて、丸いものが飛び出した。誰の眼球だ? 誰の骨だ? 誰の皮膚を俺は千切り、肉を喰らい、骨を砕いて、血を啜った?
違う……俺はそんな事はしていない。だがまさに俺の口から吐き出された骸の一部がその証拠だ。
俺が嫌悪したディバーダ族と同じ行為を、俺はしてしまっていたのだ。
オウマのように、確固たる信念を持って行なった訳でもない。何の覚悟もなしに、ただ、ケダモノのように、生き返る為だけに、何の感謝も感慨もなしに、無念のままに散った仲間たちの死骸を浅ましく喰らったのだ。
“生命は、何の犠牲も生まずには生きていられないものですから、生命を奪う事は悪であっても、罪ではありません。但し、いたずらに命を弄ぶ事と、そして自ら生命を断つ事は、この世で最も重い罪なのです――”
あの光輝く女の言葉が、俺の脳裏に浮かび上がった。
俺は、別の世界で自らの命を断ったばかりではなく、舞い戻った今世でも、散ってしまった命の花を更に踏み躙ってしまったのか……
「あああああああ~~~~~~~~~っ!」
俺は、抑えようのない感情を、腹の底から謳い上げた。咽喉が裂ける程の叫びは、全身の血を煮立たせる程の熱を伴った。
俺の身体が、燃えるように熱くなる。異形の手に力を込めて握り締めると、むず痒さを覚えた身体が引き千切れてしまうかのようだった。
天を仰いだ眼に、額が盛り上がるのが見えた。頭蓋骨内部の軋みが聞こえ、ねじれながら、何かが視線の先へと突き出して来る。まるで空に浮かぶ月を掴もうとするように。
俺は自らの筋力で、自らの皮膚を引き剥がし、そして……
気付けば、そこには黒い肉塊が無残に散らばっていた。
物体の表面から、それが、タムザ・クファーンであったものであるという事が察せられた。
俺の記憶は、星の光が失せ、闇が朝陽の膜に引っ込んでゆく時まで、失われていた。
地面にへたり込んだ俺の前に、赤い腕が置かれている。ヒヒイロカネの鎧だ。一度はタムザ獣の身体に沈み、失われたと思われていたものだが、確かにそこにあった。
中は空洞だ。……当たり前だ、それが、身体から腕ごと引き千切ったのでなければ。
「見事な戦いだったぞ」
ナーガ・ゾデのククーラが満足げに言った。その両手に持っていたものを、俺の前に放り投げた。
それは、タムザ・クファーンやバラド=ドラグールの使用した赤い鎧と同じ光沢を放つ剣だった。
その赤い剣は、刃が二つあった。違う、そうではない。それは二つの剣を、包帯で一つに束ねているのだ。そして剣を束ねている包帯は、俺が、あの石鉈を持ち易いように巻き付けたものだった。実際、その剣は刀身こそヒヒイロカネの光沢を放っているが、柄の部分は石で造られている。石から、二振りの剣が生えているようであった。
つまりこの双剣は、あの石鉈の中に封じ込められていたものだという事だ。
どういう事なのだろう。どうしてヴァーマ・ドゥエルの遺跡に、ヒヒイロカネの剣があったのだ? しかも石の中に、どのような方法で封印されていたのだ?
そして俺の身体は……一体、どうなってしまったのだ。
「お前たちの長老に訊け。そうすれば、答えは出るだろう」
俺の心を読んだかのように、ナーガ・ゾデのククーラは言った。
……そう言えばマキアも、眼が見えないのに、周りの人間の心の機微には敏感だった。
「俺の名は、ハーラ・グル・アーヤバ。近い内に再び、会う事になるだろう。その時までに、その力……死と再生を司る赤き王の力を、我がものとして置け……」
ナーガ・ゾデのククーラ、ハーラ・グル・アーヤバはそう言い残して去った。
俺は暫く呆然としていたが、自分のやるべき事を思い出し、立ち上がった。
帰らなければ……
仲間たちの下へ……
俺は石鉈から現れた二つの剣と、二つの鎧を抱え、オウマたちの待っている場所へと戻った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
あれ?なんでこうなった?
志位斗 茂家波
ファンタジー
ある日、正妃教育をしていたルミアナは、婚約者であった王子の堂々とした浮気の現場を見て、ここが前世でやった乙女ゲームの中であり、そして自分は悪役令嬢という立場にあることを思い出した。
…‥って、最終的に国外追放になるのはまぁいいとして、あの超屑王子が国王になったら、この国終わるよね?ならば、絶対に国外追放されないと!!
そう意気込み、彼女は国外追放後も生きていけるように色々とやって、ついに婚約破棄を迎える・・・・はずだった。
‥‥‥あれ?なんでこうなった?
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~
山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」
母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。
愛人宅に住み屋敷に帰らない父。
生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。
私には母の言葉が理解出来なかった。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる