獣神転生ゼノキスァ

石動天明

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第三章 復活

第四節 fighter

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「オウマ――」

 崖の上に座し、見張りをしていたオウマの許に、カーラがやって来た。
 昨日はトゥケィが空を眺めていた場所で、今日はオウマが地上を見下ろしている。

 カーラの眼元は真っ赤になっていた。昨晩、オウマに言い寄られたのを断り、マキアと一緒にいてやる事も出来ず、葬儀が終わったグェルヴァの傍で、トゥケィの為に流していた涙の痕だ。

「何だ」

 オウマはカーラの顔を見たくなかった。いや、カーラの方が、自分に声を掛けたくなどないと思っていると、オウマは考えていた。オウマはルカに交際を迫って断られた翌日に、カーラと顔を合わせる事を気まずく感じていたのだ。

 カーラにはそんな気持ちは一つもなく、単にオウマに対して、純粋な疑問があったからここを訪れた。

「オウマは、見に行かないの?」
「何をだ」
「何をって、アーヴァンが戦っているのよ? 父さんから聞いたけど、貴方、戦士長になったんでしょ」
「戦士の仕事は戦う事だ。一人を相手にするのなら一人で良い。俺は他人の戦いを見ているだけの腰抜けにはならないし、決して気を緩めたりしない。森の中に、奴の部下が潜んで隙を窺っているかも分らんしな」

 オウマはカーラの方を見ずに、いつも以上につっけんどんな言い方をした。カーラとしては、効率を求めるオウマが、現在のヴァーマ・ドゥエルに関する重要な情報について、努めて無関心でいようとする態度の意味が分からない。

 だが彼の言っている事は、間違いばかりではない。今、アーヴァンはバラド侯爵と戦っており、五人の人質の命もこちらが握っているが、その間にドドラグラ族が本当に大人しくしているかどうか、信じ切る事は難しい。

「哀しいね……」

 ぽつりと、カーラは言った。唐突な言葉に、オウマも思わず振り向いた。
 カーラはオウマの横に腰掛け、同じ目線で地上を眺めながら、囁くように言った。

「人はどうして、同じ人なのに信じ合う事がこんなにも難しいんだろう」
「――同じ人だからさ。同じ人だから、違う人間を許せないんだろうよ」
「……マキアの事?」

 昨晩、オウマはトゥケィとマキアの家の前に現れ、悪童三人組を追い払った。あの時、オウマがやって来たのは、若しかするとトゥケィを失ったマキアを案じての事だったのだろうか?

「オウマ、貴方……」
「――そう言えば」

 オウマはカーラの言葉を遮った。

「奴はどうした? ン・ダーモだ」
「ン・ダーモ? ……そう言えば見ていないわね」
「昨日、ここでのんびりしていたトゥケィを呼びに来た筈だ。俺が奴に命じてな……」
「確かに来たわよ。それでトゥケィはン・ダーモと一緒に……」
「奴はどうした、死んだのか?」
「儀式には来ていなかったと思うけど……」

 カーラも儀式の場に立ち会った訳ではないから、詳しい事は知らない。だがルマ族の家で、父である祈祷師ルマ・サイーバが、死者のリストを作っていたのをちらりと見てはいた。その中に、ン・ダーモの名前はなかったように思う。

「そうか……」

 オウマが神妙に腕を組んだ。が、すぐにその腕を解いて、ぎょっとした表情を浮かべる。

「どうしたの?」
「見ろ、あれを――」

 オウマはその場から立ち上がると、砦の西の方を指差した。その方向にカーラが眼を凝らす。

 密林の中には縦横無尽に川が流れており、砦から離れると森を分断する巨大な河に出会う。その向こうはアージュラ族とフィダス族が主に争っている地域だ。

 その大河から枝分かれした川の流れを、工事によって変えて、複数の流れを砦内に導き、上下水道を整備している。ヴァーマ・ドゥエルが発展した理由の一つでもあった。

 その、砦の中に注ぎ込む流れの中を進む、黒い影を確認した。

「あれって、まさか――」
「馬だ! 奴ら……リオディン・ダグラ族め、ドドラグラ族の襲撃に紛れて、砦を落とす気か!」





 アーヴァンとバラド侯爵の戦いは苛烈を極めた。

 鎧を身に着けているとは思えない速度でアーヴァンを翻弄するバラド。そのスピードにどうにか付いてゆき、体格で押し切ろうとするアーヴァン。

 鉄の剣と巨石の鉈が空気を砕いて唸り、ぶつかり合って、火花を散らす。剣は刃毀れを起こして歪み、石鉈も削られて振るうたびに石の粉がぱらぱらと舞い落ちる。

 アーヴァンの全身は、ぬるぬるとした嫌な汗で塗れていた。舐め上げると、塩気よりも苦みが強い。相手を攻め切れない焦りが、アーヴァンの心と身体を乱していた。

 一方バラドは、思い掛けない好敵手との戦いに高揚している。筋肉がある人間は当然、瞬発力の面でも優れている。だが余りにも筋肉を発達させ、体重を増やし過ぎてしまうと、動きが鈍重になる。軽量とは言え鎧を着けている今のバラドよりも重量があるアーヴァンが、自分に付いて来られるのは凄まじい事であった。

 ――昂る!

 バラドは剣を右腕一本で振るっている。にも拘らず、アーヴァンが剣の一閃を回避すると、剣はそのまま石畳を深々と斬り込んだ。腕力が上昇しているような気分だった。

 バラドは決して軽くはない剣で、連続突きを繰り出した。ナイフであってもそんな速度を出す事は難しかろうと言う速さで、鉄の切っ先が残像を伴ってアーヴァンに迫る。

 アーヴァンは後方に逃げるしかない。するとバラドは一足飛びに間合いを詰め、剣を振り下ろした。
 石鉈を頭上に掲げて剣を受け止める。衝撃が裏側に抜け、アーヴァンが手前に向けた面に亀裂が走った。

「聞いたぞ、その音!」

 バラドは興奮したように叫んだ。剣を切り返して、アーヴァンの胴体を狙う。アーヴァンは敵の兜に頭突きをぶちかますような姿勢になった。バラドの兜が歪み、アーヴァンの腰が後ろに移動する。その要素が絡んだお陰で、バラドの剣はアーヴァンの腹の皮を、ほんの少し切り裂くに留まった。

 ひしゃげた兜が、頭に喰い込んでいる。覗き穴や呼吸の為の孔から、赤い液体が流れ落ちていた。バラドはしかし声高に笑い上げた。

「貴様の覚悟に亀裂の走る音だ!」
「――っ」

 アーヴァンが腹に巻いた包帯が、臍の上辺りからじわじわと赤く変色してゆく。その傷は大した事はない。腕や脚、胸、頸周りにも切り傷は及んでいるが、どれも致命傷とは言い難かった。アーヴァンが負っている傷は、バラドを倒し切れない精神的疲労、そして石鉈に入った亀裂という、この上なく明確な敗北の足音だ。

 バラドはアーヴァンの心の揺らぎを察知し、決着を付けんと躍り掛かった。剣を両手で握り、風のように接近し、眼前で跳躍、太陽を手にして剣を一閃し、脳天から真っ二つにする心算だ。

 ――トゥケィ!

 アーヴァンは眼を瞑った。逆光が眩しかったからではない。瞼の裏に焼き付いた友の姿を思い出し、その力を今だけで良い、自分に貸してくれと願ったのだ。

 バラドの右腕の装甲が、光を浴びて赤く輝く。燃え立つ斬撃がアーヴァンの眉間に触れた。
 刹那、アーヴァンの全身に危機感と共に力が漲り、身体を振り絞るようにして石鉈を振るっていた。

 おぞましい音がした。誰もが眼を逸らしたくなるような音だ。金属が肉を断ち、巨石が肝を潰す音。

 バラドは地面に落下し、アーヴァンもその場に身体をひねって倒れ込んでいた。

 どちらも暫し、そうやって伏していた。誰も声を上げる事なく、固唾を飲んで見守った。

 先に立ち上がったのは、バラドであった。腹部の鎧が裂けている。血液と共に、肉の蛇のようなものが蠕動しながら地面にこぼれてゆく。

 一方、バラドに遅れて身を起こしたアーヴァンは、頭頂から左の顎に掛けて、赤い切れ込みを入れられていた。アーヴァンが動くと傷口が開き、顔から削ぎ落とされた皮膚と眼球が転がり落ちた。

 立ち上がった両者、そして再び地に伏したのはバラドである。剣が浅く顔を切り裂いた瞬間、アーヴァンは全力で腰をひねり、石鉈を繰り出した。アーヴァンの渾身の回転斬りは、掠めただけで薄手の鎧を引き裂き、威力は内臓まで達した。

 アーヴァンは胸まで血をこぼしながら、地面に転がった左眼を拾い上げて、口に含んだ。眼球内の水分を吸い尽くして、ふやけた眼玉を呑み込んでしまうと、勝ち名乗りを上げた。


 WAAAAAAAAAAA!


 ヴァーマ・ドゥエル中が歓喜に沸き立った。石の砦を揺るがす勝利の方向であった。人質となっていた五人の騎士は一度はがっくりとうなだれたものの、すぐに顔を上げ、自分たちの指揮官の勇敢なる死を讃え始めた。

 敵はまだいる――しかし、一つの戦がどうにか終わった。

「アーヴァン……」

 父・ガムラ、母・アビーが駆け寄った。

「良くやったぞ、息子よ」
「父さん、母さん……」

 アーヴァンは顔の傷の事など気にせずに、微笑みを浮かべようとした。誰もが、アーヴァンの圧倒的なパワーに感歎し、安堵し切っていた。

「父さん、母さん……!」

 アーヴァンは残った右眼から安心し切った涙を流した。

 次の瞬間、屈強な両親は真横から頭を矢で射抜かれて、死んだ。
 リオディン・ダグラ族の襲撃が始まったのだった。
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