kyrie 涙の国

くり

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ヒメの章

開拓暦586年2月、第一城壁主塔、決戦

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 ブーツに滑り止めを付ける。夜明け前に少しだけ降った雪で、城壁上は滑りやすくなっていることが予想されていた。それから、防具を付け、両腰の兄弟刀を確認する。
「……よし」
 隣では、ペンダが同じように確認作業をしていた。最後に見慣れない兜を持って、そろそろと頭に被る。普段は視界を塞ぐ兜は装着しないことが多いのだが、今回、盾戦士だけは兜の装着を義務付けられていた。コーラショ戦においては盾戦士は弱点だが、慣れない槍槍ペアではまともに戦えない。そこで精鋭を集め、防御率を高めて保たそうという考えだった。
「お」
 ペンダは右を向き、左を向き、首を前後に揺らした。
「軽い!」
「工房会の試作品だって」
 ヒメはこつこつとペンダの兜を叩いた。
「もうほとんど完成品で、今回、特別に提供してくれたの」
 アトリル・アンジェヌール、通称工房会は様々な技術者を束ねている。その中には鍛冶職人もいて、軍の甲冑や武器は全て彼らが鍛えていた。
「え? じゃあ、お試しっつーこと? コーラショで?」
 ペンダが少し青褪める。
「うん。でも、普通のだとちょっと重くて。合わなかったの」
 ヒメがさらりと答えると、ペンダは口元を僅かにひくつかせた。
「へ、へえ……」
「一応、耐久試験はしてるよ」
「だろうな」
 その時、第三隊長が何事か言い、集団がぞろぞろと動き出した。階段を上り、跳ね上げ戸から順に外に出る。外はまだ暗かったが、きちんと周りは見えた。見上げると、ぼうっと白く光る太陽があった。〈月夜〉が終わった。ひんやりと這い上がる寒さにぶるりと震えた。
「寒い?」
 ペンダが熱魔法を使おうとしたので、ヒメは慌てて止めた。今回の戦闘では白兵も魔法を使う可能性があるかもしれない。少し考え、ヒメはペンダにぴったりくっついた。籠手と籠手がぶつかってかちゃかちゃと音を立てた。
「これでよし」
「おっ、おおうっ」
 ペンダがやや上擦った声でこたえる。じんわりと伝わってくる熱にうっとりと目を細めた。静かな夜明けだ。とても、これから戦闘だとは思えなかった。
 くすくすという笑い声に目が覚める。きょろきょろと首を回すと、至る所で目が合った。
「?」
「ヒメ……寝るなよ」
「あ、ごめん。つい」
 近くにいた男性隊員が含み笑いながらペンダに言った。
「おめえ、報われねえなあ」
「うるせえよ!」
 真っ赤になって叫び返すペンダとそれを笑う皆に、ヒメは訳が分からず、どういうことか首を傾げる。だが、皆一様ににやにやと首を振るだけだった。仕方なく、ヒメはペンダの服を引っ張った。
「ペンダ」
「なんでもない」
「ペンダ」
「……なんでも」
「ペーンーダー」
「……なん」
「ペンダー」
「……」
「ペンダ……」
「……ああっ、もう!」
 ペンダはいきなり大声を出し、ばっとヒメから離れた。驚いて固まるヒメに真正面から向く。おおおおお? とどよめきが広がった。
「え?」
「ヒメ!」
「う、うん」
「……」
「……?」
「う、うごおおおおおっ」
「!?」
 じたばたともがくペンダ。びくつくヒメ。早く覚悟を決めろと、聴衆はその時を固唾を飲んで見守った。
「う、ううううっ、ヒメ、俺は!」
「コーラショ、発見! 作戦開始! 総員、戦闘用意!」
 途端に明るい雰囲気は消し飛んだ。ガチャガチャッ! と防具と武器の音が鳴り響いた。ヒメも身構えてから、はっとしてペンダを振り返った。
「俺は、何?」
「いや……なんでもないです」
 心なしか、ペンダの声は泣きそうだった。追求したいが、今はその時ではない。ヒメは顔を前に向けると、じっと城壁の向こうを見据えた。城壁の向こうは薄青い。手の平にじっとりと汗を感じる。緊張はなかった。高揚感があった。
 コーラショが来るのは、これまでの北方よりの城壁ではなく、より広い主塔屋上と思われた。主塔は星型の第一城壁の頂点、第三城壁との接続地点だ。その地点を挟み込むように北に第二隊、南に第三隊がいる。第一隊はその中央でコーラショを待ち構えていた。もちろん、ただ待っているのではない。工房会の別の試作品がそこにあった。
「数確認、およそ七十!」
「タコアシの数は五! おそらく、何らかの手段で後続あり!」
 伝令に応じ、第一隊の武器がごろごろと地響きのような音を立てて動く。それには人が一人余裕で入れる筒があり、その先端から何か尖ったものが覗いていた。全部で五台、それぞれ台車の上に乗っている。
「ちょうどだな」
「うん」
 工房会の失敗作、発条式対大型怪物用兵器。あまりに強力なために一発でばねが壊れるので実用化されず、倉庫に眠っていた代物だった。
「コーラショ、城壁から百……五十……四、三、一!」
「起動!」
 ぎぎぎぎぎっ……とばねが唸りを上げる。タコアシが無数の吸盤で城壁を登る音が近づいてくる。ごくりと誰かが唾を飲み込んだ。城壁の白と薄青い空の境界が濃くなった瞬間、第一隊長コンドルが手を振り下ろした。
「打て!!」
 破裂した、とヒメは思った。筒から飛び出した先の尖った鉄の棒はタコアシの巨体に刺さり、貫いた。タコアシは悲鳴を上げてもんどりうち、ぐらりと揺れる。コーラショが慌てて飛び下りたところへ、今度は轟音とともに発条式対大型怪物用兵器自体が突っ込んでいった。ぶち当たった。タコアシは一瞬だけ堪えたかのように見えたが、発条式対大型怪物用兵器と共に城壁の外へと落ちていった。
「突撃!」
 呆けていたコーラショ達に白兵たちは一気に襲いかかった。慌てて叫びだすコーラショ達を中央第一隊が斬りかかる。コンドル率いる第一隊は精鋭揃いだ。しっかり隙を逃さず、コーラショ達の行く手を塞いだ。
「第二、第三、包囲と城壁に分かれろ!」
「後続を叩け! 落とすんじゃない、確実に仕留めるんだ!」
「ヒメ! 城壁側に回れ!」
「はいっ」
 ヒメは走りながら二刀を抜いた。衝突までもう僅かもない。その時、キヒヒアアッ! と一体のコーラショが叫んだ。大きなコーラショだった。ヒメはもちろん、おそらくペンダやヨアヒム先生よりも上背がある。その姿を捉えた瞬間、ヒメはあっと叫んでいた。
 そのコーラショは、首に布を巻いていた。
 短いマントのような赤い、しかしところどころ白っぽい布。否、それはもともと白かったのだ。
 間違いなかった。奴が本物の上着泥棒だ。
 めらめらと燃え上がる憤怒を、だがヒメは抑えた。指示通り城壁の端に向かい、後から上がってきたコーラショに打ちかかった。
「しっ!」
「キヒッ!」
 弾かれる。すかさず弟刀で薙ぐと、コーラショはばっと跳び退って、別の個体がヒメに向かってきた。ミリアの読みは正しかった。組織化された動き、二回目の襲撃とは明らかに異なるフットワーク。何合か打ち合わせるごとに、ヒメの視界は研ぎ澄まされて、次第に最初の襲撃をこれまでより鮮明に思い出してきた。
 数十合目、コーラショが飛び退った時、合わせてヒメも踏み出した。足払いをかけると見せかけて伸びあがり、顎の下から兄刀を突き刺した。
「ギヒュ――」
 くぐもった声を上げてコーラショは白目を剥く。
 それまで交互に入れ替わっていたコーラショも、今までのように飛び出そうとしたところで、追いついたペンダの大剣にざばりと肩口から胴体の中心まで抉り取られた。
「うおっしゃあ!」
 だが、二人が開けた穴はすぐに埋められる。三体のコーラショが飛びかかってきて二人が咄嗟に避けると、そいつらは二人には目もくれずに真っ先に死んだ二体にむしゃぶりついた。関節が外れているのではないかと思うほどの大口を開けてヒメの倒したコーラショを丸呑みし、残りはペンダが与えた傷から真っ二つに裂いて分け合って咀嚼し始める。共喰いだ。
 あまりの惨たらしさにヒメが思わず口元を押さえようとすると、ペンダが大剣を振りかぶった。勢いよく食事中の一体の脳天をかち割り、そのまま薙ぎ払って他の二体も吹っ飛ばす。
「行くぞ、ヒメ!」
「……うん!」
「「「燃えろアータシュ・ナーレンジー・ハッデ・アクサル」」」
 魔法兵の詠唱が響き渡り、周囲の魔法素を最大限に吸収した特大級の炎が主塔の外で燃え盛りだした。コーラショはタコアシに城壁を登らせながら、その足を少しずつ切り取って外壁に張り付け、簡易の足場としていたらしい。ごうと荒れ狂う橙色の炎は後続のコーラショ達をなめとり、あっという間に燃やし尽くしていった。キヒヒャアキヒッヒアキキッヒヒとコーラショ達がざわめきだす。炎を打ち消そうとして、魔法素が反応しないことに気が付いたようだ。魔法兵によって、この場の魔法素は全て排除されるか、アータシュ・ナーレンジーに吸収されていた。
 そもそも、魔法無効化はタコアシら一部の怪物の技ではない。魔法無効化とは、一定空間内の魔法素を排除する“魔法”だ。コーラショ達は〈月夜〉で力を増した人間を喰うために、タコアシの魔法無効化の下で戦うことを計画していた。そのせっかくのタコアシを排除したのに、まさか自分達に有利な魔法無効化の状態を維持したまま仕掛けてくるとは思わないだろう。それだけだったなら、依然として人間が不利な状況であったに違いない。しかし、普段の戦闘ではめったにお目にかかれない巨大兵器の出現に不意を突かれ、魔法素の操作は完全に人間側に握られた。魔法を解こうにも、多数のコーラショが無効化のかかっている城壁上におり、下に残っているのはおそらく戦闘員としては未熟な僅かな個体のみ。
 コーラショが取る道は二つだ。魔法兵を狙うか、逃げるか。
 上着泥棒の目がぐるんと回転する。見渡す範囲に、魔法兵らしき姿はない。首がごきりと回転し、ほぼ真後ろを向いた。見つけた。第一城壁、魔法カノンのぎりぎり射程範囲内に、数十名の魔法兵が並んでいる。魔法を専門に扱うだけあって、見つめていると涎が口から溢れてだらだらと零れていく。だが、遠い。
「キッヒャアアアアア!」
 コーラショの流れが明らかに変化し、徐々に主塔の左右、第三城壁へと向かっていった。炎を迂回して逃走しようとしているのだった。想定通りだった。その行く手を塞ぐように第二、三隊が立ち塞がる。
「第三隊! 抑えろ! 一匹たりとも逃がすな!」
 うおおおおおおおおぉおおぉおおおぉおおおおおぉおおおおおおっ……!!
「うおらああああああっ!」
 ペンダがぶおんぶおんと大剣を振り回し、ヒメと共に最前線に躍り出ると、一気に喊声が膨れ上がった。これまでで最もコーラショと戦い、二戦目には鬼気迫る活躍――ヒメにとっては恥ずかしい記憶でしかないのだが、何故かそうなっていた――を見せたヒメは、一種の英雄扱いだった。ヒメがいる限り、第三隊の士気はそうそう下がることはない。そして、ヒメが活躍すればするほど、勢いは盛んになる。キリエはヒメも応援団長のお星さまだなと笑っていたが、その責任はかなり重大だった。ヒメはすうっと息を吐き出し、ぐっと刀を握り直した。
 コーラショのパンチがペンダの兜を掠める。ペンダは少し強くまばたきをしただけで、下からその腕を切り飛ばした。たまらず下がったコーラショにヒメは飛びかかってとどめを刺した。一つ! と声が上がる。敵はまだ来る。二刀を交差させて受けとめ、そこをペンダが脳天を叩き斬った。二つ! キックをかわして足払いをかけ、首の骨を蹴り折る。三つ! ヒメに襲いかかろうとしたコーラショをペンダが払い、ペンダに襲いかかろうとしたコーラショをヒメがやった。四つ! ……
 限られた突破口をこじ開けようと攻撃密度が上がっていく中、ヒメの周りは異様な盛り上がりと熱気を見せていた。戦闘の合間を縫って呼吸を整えながら、ヒメはひそかに上着泥棒のいる戦闘の中心に目をやり、ぎょっとした。上着泥棒がこちらをじっと見ている。いつもはぐるぐると左右ばらばらに動き回る黒目を揃えて、ヒメのことを凝視していた。
「キヒィヒャキャアアッ!」
 上着泥棒が叫んだ。身構えたその時、突然コーラショ達の速度が上がった。
「っ!?」
 咄嗟に上体を捻り直撃は免れたが、右上腕に衝撃が走った。弟刀を振るって距離を取る。兄刀を握る右手に微かに痺れを感じ、ヒメは顔を顰めたが、すぐに弟刀を突き出した。コーラショは素早くかわして、立て続けに蹴りを繰り出してくる。明らかに動きが違っている。矢継ぎ早の攻撃をいなしながら周囲に視線を走らせると、掛け声は止み、それぞれ目の前の戦いに必死になっていた。このままでは押されてしまい、せっかくの包囲網に穴を開けられてしまう。既にじりじりと第三城壁側へと押されだしている。
 この作戦の目的は、コーラショの殲滅だ。
 今回の第二小隊をはじめとする打撃は、西軍にかなり大きな傷を与えていた。今回の作戦のために動員された人員も費用も結構な量となっている。敵はコーラショだけではないのだ。ここで叩き潰さなければ、後々さらに大変なことになる。
 次の襲撃なんてものは絶対にさせない。ここでコーラショの戦力を刈り取る。そのための包囲戦なのだ。ここで引いたら、後はない。
「ヒメッ!」
 ペンダが叫んだ。
「なんか言え!」
「な、なんか?」
 直後に二連撃が来て、慌てて回避する。なんかと言われても、ヒメには集団を引っ張った経験がない。それはセジュンの役割で、ヒメはセジュンの隣で先陣を切って戦っていればよかった。ヒメはセジュンの作った結果だった。何も考えずに斬っていれば、それで全てが丸く収まった。もちろん、全く何も考えていないわけではなかったが、今回の応援団長のお星さまだってなかなかハードルが高いのに、ただ戦うこと以外にこれ以上何をすればいいというのか、ヒメはコーラショのように目が回っているような気がした。
 誰か、代わりに教えてほしい。
 なのに、そのセジュンはもういない。
 ヒメはぐっと眉間に皺を寄せると、向かってくるコーラショを勢い良く睨みつけた。あまりの剣幕に怯んだコーラショに一息に詰め寄ると、その長い腕を掻い潜り、衝動のままにただ突き上げた。拳で。
「ギホッ」
「セジュンの馬鹿ああああああああああああっ!!」
 宙を舞ったコーラショは別のコーラショを巻き込んで落下した。すぐに起き上がるも、予想外の攻撃に目玉をいつも以上にぐるぐる回している。もうそちらには見向きもせずに、ヒメはペンダを追い詰めようとしていた一体に体当たりし、その隣にいた個体もまとめて倒した。ペンダは二体の首を潰すように斬ってから、信じられないというふうにヒメを見た。
「なにしてんだよ、斬れよ! それじゃ、倒せねえだろ!? そんっ――」
 なおもペンダが言いつのろうとした時、最初に吹き飛ばされたコーラショが突然ぐりんと目を剥いてその場に崩れ落ちた。動揺するコーラショ達にヒメは突っ込み、次々と斬り捨てていく。ペンダが絶句してそれを見ていると、一体のコーラショが背後からヒメに殴りかかった。
「しまっ、ヒメ!!」
「ふっ!」
 ヒメは身を屈めると二刀を掲げ、コーラショのごつくて異様に硬い腕を挟み込んだ。そんなことをしても力負けして体勢を崩してしまう。だが、ヒメはコーラショの勢いを利用してさらに沈み込み、突き上げた。背負い投げられたコーラショは床に叩きつけられた直後にペンダの大剣で真っ二つにされた。
「おっまえ、何考えてんだよ!?」
「ご、ごめん。しっ!」
 回し蹴りしてから答える。
「セジュンのこと思いだしたら、なんかイライラしてきて」
「はあっ!?」
「でも、良いこともあったんだよ」
「意味わかんねえ!」
 セジュンと一緒に思い出したのは、セジュン直伝の体術と呼吸法だった。例えば、セジュンがよく使っていたのは、内臓にダメージを与える体術だった。敵の接近を許してしまった時、彼は戦斧を捨てて一撃で怪物を仕留めてしまった。一見無傷のように見える怪物を解体すれば、その中身はぼろぼろで、ヒメは暫く夢中になって真似したものだった。
 しかし、鳥型や不定形型であればそんなものは通用しないし、そもそも毎回接近を許しているようでは命がいくつあっても足りない。結局のところ出番はなく、今の今まで忘れていたのだった。
 コーラショにも効く保証はどこにもなかったが、気が付くと体が動いていた。結果的に、コーラショの動揺を誘うことに成功した。それに、呼吸法を使うことでコーラショの速度についていけることも分かった。ヒメはそう返そうとして、やめた。
 上着泥棒が動いたのだ。
 再び目はぐるぐると動き回っていたが、確かにこちらを見ていると分かった。上着泥棒が動くと、他のコーラショは急いで道を開ける。さしずめ、軍隊の隊長といったところだろうか。それとも、コロニーのボスか。首に巻いた上着はその象徴なのだ。
 一人の白兵が上着泥棒に背後から飛びかかった。上着泥棒は振り返ることなく後ろ蹴りを放った。白兵はぐしゃっ――とありえない折れ方をして吹っ飛んだ。別の二人が両脇から行く。一人の長槍を避けて逆に掴み、無造作に振った。振り回された白兵はもう一人にぶつかった。いつの間にか、ヒメとペンダの周りにも空白ができていた。緊張が一気に高まり、ヒメは兄弟刀を握り直した。この戦いで全てが決する。戦闘は続きながらも、皆の目が集まっていた。
 その時、遠くから喊声が上がった。
「援軍だ!」「第二隊だ!」「コンドル隊長!」「キリエ!」「キリエ・シュナイダー!」「キリエ……!」
 第二隊が勝ったのだ。そちらにはキリエとヨアヒム先生がいた。コンドルの第一隊と合流してコーラショ達の背後から押し寄せてくる。ヒメは思わず口元をほころばせ、上着泥棒に向き直った。
 上着泥棒が迫っていた。
「ヒメッ!!」
「ペンダっ!?」
 突き飛ばされる。倒れながら、上着泥棒の体当たりを受けたペンダが大剣を落とし、高々と飛ばされるのを見た。
「ペンダぁああっ!」
 兄刀を突き立て、転倒を阻止する。何もかも忘れ、必死に床を蹴り、兄刀を捨てて手を伸ばした。
「ペンダッ――」
「ヒメッ――」
 駄目だ、とペンダが首を振った。首の後ろがざわりと総毛だった。構わずペンダの手を掴んだ。馬鹿っ、と聞こえた瞬間、がくんっと体が下に引っ張られた。踏ん張る間もなく、ヒメも引きずられる。
「くっ……!」
 すんでのところで持ちこたえ、左手で城壁のへりにしがみついた。遥か下方に灰色の大地が見えた。ペンダがもがく。
「離せっ! ヒメ! 後ろだ! お前はあいつをやっつけろ!」
「やだ!」
「ヒメッ! 離せっ!」
 ペンダが動くたびに先程攻撃を食らった右上腕がぴりぴりとした。ペンダは当然ヒメより重い。手を離さなければ、いつかはヒメも一緒に落ちる。ヒメは唇を噛み、怒鳴った。
「動かないで! 死にたいの!?」
「そうだよ!」
 即答だった。
 愕然とするヒメに、ペンダはいっそう体をゆすった。ヒメの手から、温もりが消えた。
「ペンダッ――――!!!」
「ふざけんなっ‼」
 ペンダの手を捕らえたのは、キリエだった。キリエは両手でペンダの手を掴む。ヒメが手伝おうとすると、キリエは首を振った。
「ヒメは、やることあるだろ」
「でも、」
 振り返る。ヨアヒム先生が上着泥棒と戦っていた。ヨアヒム先生の武器はなんと籠手だった。ヒメ達とは違う、指先まで覆われたものだ。それで上着泥棒の連撃をいなし、時に反撃していた。ほぼ肉弾戦の形で拮抗しているのはさすがとしか言いようがないが、あれでは決着がつく前に籠手の方が壊れる。
 上着泥棒がマントのように上着を翻しながら回し蹴りの連撃を浴びせた。堪らずヨアヒム先生が下がる。
「しっ……!」
 入れ替わるようにヒメは飛び出した。両手持ちした弟刀で斬りかかる。上着泥棒は跳び退り、ニタァ……と口角を吊り上げた。
「カタナ女」
「そうだよ」
 ヒメが落ち着き払って答えると、上着泥棒はゆるりと首を傾け、猛突進してきた。ヒメは深呼吸し、弟刀を鞘に収めて脇に飛んだ。
「ごおおおおうああああああああああああああああっ!!」
 ヨアヒム先生が飛び出した。ペンダの大剣を振り下ろす。上着泥棒は避けたが、ガギィッ!! と床から跳ね返った大剣が下から襲った。これも後方宙返りで避けた。だが、最後は避けられなかった。ヨアヒム先生の凶暴な蹴りが入った。
 上着泥棒は二転三転して止まった。そこに数人の白兵が襲いかかったが、やはり上着泥棒は上着泥棒だった。あっさりと白兵たちを払い、そのうちの一人を捕まえる。折った。首と胴が離れ、噴き出した血潮が上着泥棒の顔を染める。上着泥棒は満足げに口の周りを舐めると、いきなり首を投げつけてきた。悲鳴が上がった。上着泥棒は残った胴体の足の部分を掴み、振り回しながらヨアヒム先生に迫った。ヨアヒム先生が後退る。上着泥棒は哄笑を上げ、周囲の白兵にも人間兵器を振りかざした。
 そこにヒメがいた。
 回収した兄刀も鞘に収め、腰を沈める。腰を捻り、鋭い裂帛と共に振り抜いた。
 白兵を持っていた腕が肩口から飛んだ。
 痛みを感じなかったからだろう、上着泥棒は目を剥き、まじまじとなくなった右腕を見た。その時には既に弟刀も疾っていた。自らが手にかけた白兵と同じ運命を奴も辿った。
「キヒ――」
 ふらふらと前後に揺れた後、首を失った体はばたりと倒れた。地鳴りのような歓声が轟いた。勢いづいた白兵たちが勝利するまで、そうかからなかった。


 ピンク色の血を払うと、二刀を収め、ヒメは上着泥棒の遺体から上着を剥ぎ取った。内ポケットを見ると、『セジュン・キム』と刺繍されていた。
「おかえり、セジュン」
 上着を抱いて立ち上がる。きょろきょろとしていると、肩に手を置かれた。
「ニクマル先生……」
「よくやった」
 胸にじわりと熱いものが広がり、ヒメは大きく頷いた。
「――はい」
「よし。行くぞ。この後は回収作業があるからな。しっかり休め」
「はい。あの……ニクマル先生」
 キリエとペンダがどこにいるか知ってますか。そう訊こうとした時、険しい顔でこちらにずんずんやって来るコンドルが見えた。
「小隊長」
「ヒメ。聞いたか?」
「え?」
 首を振ると、コンドルはますます苦虫を噛み潰したような顔になった。そして、重々しく口を開け、言った。
「シュナイダーとアクトンが落ちたそうだ」
「…………え?」
 コンドルの言葉が呑み込めず、ヒメはぽかんとした。
「おち、た?」
「救出中にコーラショに襲われ、体勢を崩したらしい」
 端に向かって走りだそうとしたヒメを、ヨアヒム先生が抱え込むようにして止めた。抜けだそうともがいたが、ヨアヒム先生はびくともしない。殴っても蹴ってもぴくりともせず、やがてヒメはぐったりと脱力した。コンドルの声がやけに穏やかに聞こえた。
「回収作業はおそらく午後から始まる。どうする」
 ヒメは顔面を覆い、うなだれた。
「……お願いします」
 辺りには柔らかな朝日が降り注ぎ、歓喜の声が満ちていた。
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