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ヒメの章
開拓暦586年1月、第一城壁、西方城壁防衛軍基地1
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三日前、西軍白兵隊第二小隊は壊滅した。生き残ったのは、たったの三人だった。
その一人、槍戦士のヒメは白兵隊隊長室へと向かっていた。髪も目も珍しい黒色で、真っ白い軍服と相まってその姿は人目を引く。腰の左右に吊ってあるのは大振りの刀だった。
隊長室に着くと、ノックをしてドアを開けた。
「ヒメです。入ります」
中は予想よりずっと狭い。少し大きめの作業机といくつかの本棚がある以外、あとは殺風景な白だ。そもそも、この城壁自体が白いのだから仕方がないとも言える。なんでも、大量の怪物の死体を一瞬で融解させて、今の形に凝固させたらしい。だから、よく見ると、床や壁や天井の間には隙間がない。外側も同様でつるつるだから、一部の怪物の侵入はそれで阻止できているようなものだった。
ララーキ・ワシリエフ隊長は作業机によりかかるように立っていた。一人ではなかった。ワシリエフ隊長の前には見知らぬ青年がいた。やや細身だが均整の取れた体格をしており、年の頃はヒメと同じくらいのようだから、だいたい二十二、三だろう。白兵にしては少し長めの金髪と緑色の大きな瞳、にこにことした表情のせいでもっと若く見える。手には枝刃のついた矛を持っていた。
「ああ、よく来たねえ。そんなところに立っとらんで、こっちゃおいで」
「あ、はい」
手招きされて近寄ると、青年が小さく会釈をした。思っていた以上に背が高い。向こう側の血が濃いのかもしれない。ヒメはやや首を仰向けて会釈し返した。そんな二人をワシリエフ隊長は整えた白い口髭を撫でながらにこやかに見つめていた。
「えっと……」
見つめたまま何も言わないので、ヒメは少し固まってワシリエフ隊長に尋ねる。
「何のご用でしょうか」
「んん? ああ、きみの新しい相棒を紹介しようと思おての」
「新しい相棒?」
まさかと青年を見やると、ワシリエフ隊長も青年も頷いた。あまりにも大きく頷くから、ヒメは言葉に詰まってしまったが、それでも思い切って抗議した。
「あの、申し訳ありませんが、やめた方がいいんじゃないかと思います。だって、この人、槍でしょう? 私も槍だから、バランス良くないと思います」
「そうかね?」
「そうです」
「まあ、平気じゃろ」
「平気じゃろですか」
「うん。平気平気」
「どうしてですか?」
「どうしてだったかの」
「そういう大事なことは、覚えてくれんと困ります」
「頭の、そう、この辺におんのよ」
「この辺におんのですか」
「そうそう。この辺」
「どの辺かさっぱりですじゃ」
ぷっ。
振り向くと、青年が口元を押さえていた。
「あ、すみません。ついおかしくて」
「おかしい……」
「どうぞ、続けてください」
「はあ……」
確かに最後の方は言葉遣いがおかしくなっていた。ヒメは反省してワシリエフ隊長に頭を下げる。すると、逆に撫でられた。髪の毛はぐちゃぐちゃになったが、少し強めの力加減がとても気持ちよくて、思わず目を細めていた。
「ふほっ。ヒメはにゃんにゃんみたいで可愛いなあ」
「私もニャーちゃんは大好きです」
「仲間じゃな」
「はい」
「え? なにこれ? コント?」
青年が笑いながら困惑したように言うので、ヒメは首を傾げる。
「ニャーちゃんは可愛いでしょう?」
「可愛いけど。まさか、本当に続けるとは思わなかったから」
「続ける?」
「本題に戻らなくていいの?」
「本題……。あぁ」
あまりに脱線しすぎて、思い出すのに時間がかかってしまった。
「それで、どうして槍同士の組み合わせなんですか」
白兵は基本、槍戦士と盾戦士がペアになっている。そもそも、一人で倒せるような怪物はほとんど存在しない。必ず二人一組を最小単位として展開していく。人間と同等の知能を持つ怪物が多く、北からは魔法無効化型、南からは鳥型の来る西方城壁では、どんな怪物にも対処しやすいこの盾槍ペアが好まれていた。
ワシリエフ隊長はごしごしと口髭を擦って青年を見た。青年は苦笑して、ここで初めて自己紹介をした。
「改めまして。北軍から来ました、キリエ・シュナイダーと言います。第二小隊を立て直すまでの間だけですが、よろしくお願いします」
「ヒメです。シュノー地区出身です」
「シュノーのヒメか。覚えやすくていいですね」
ヒメは頷いた。よく言われるのだ。だが、キリエというのもあまり聞かない名前だ。キリエ・シュナイダー。シュナイダー……。
「あの。もしかして、シュナイダー軍団長の親戚さんですか?」
「はい。父です」
あっさりと告げられて、ヒメは目を丸くする以外の反応ができなかった。アベル・シュナイダーは北軍の軍団長だった人物で、魔法無効化型のチャンデス・ハル――繁殖期の鳴き声がそう聞こえるのだ――の嫌がる音を見つけ、その襲撃を抑えることに成功した、ちょっとした有名人だった。怪物と音の研究のきっかけを作ったという点では、その功績はとても大きい。確か、西軍から北軍に移った人だった。
「要は応援団長ですね。この前ので結構減ったから、このまま士気が落ちるのを警戒してんでしょう。スターを投入するのは、上が良く好む手だから」
スター、のところでキリエは肩を竦める。ヒメは混乱しながらも、少しずつ整理して、おそるおそる口に出した。
「それじゃあ、私の相棒っていうのは、ついで……?」
「そうですね」
あっけらかんと肯定されて、ヒメは愕然とし、次に目の前が真っ暗になった気がした。すると、ワシリエフ隊長がふほほと笑って、その言い方はいかんのうとキリエを窘めた。
「確かについでかもしらんが、上はそれだけでキリエを投入したんではないよ。当たり前じゃろう。大事な戦力じゃ。無駄死になんかさせんよ」
「そうなんですか」
ほっと胸を撫で下ろすと、キリエはワシリエフ隊長に小突かれていたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「言い方が悪かったね。おれは応援団長で槍だけどさ、めっちゃくっちゃ使えるから安心して」
「自意識過剰はよくないの」
「自信は少し多めに持っていた方がいいんですよ」
胸を張るキリエに、ヒメもついふっと笑みをこぼしていた。それを見たキリエが何故か目を瞠り、すぐに優しい表情を返してくれる。
それでも、不安は消えなかった。初対面で、しかも初めての槍槍ペアだ。はたして、上手く戦えるのだろうか――
「ヒメ」
顔を上げると、キリエが手を差し出していた。
「よろしく」
「……よろしく」
そっと握ったら、力強く返された。硬くてごつごつした白兵の手だった。
キリエの噂はあっという間に全軍に広まった。もともと、情報通の間では話題になっていたらしく、夜にはもう誰もが知っていた。
「年は二十二。軍学校主席卒業のエリートで、実はそれなりにお金持ち」
「そうなの?」
同期の一般兵の女子達に囲まれながら、ヒメは食堂へと向かっていた。いつもは一人なので混まないうちにさっさと行くのだが、今日は何故か女子達が絡んで来たので、もう無理そうだった。ま、たまにはいいか、とみんなの話に相槌を打ちながらのんびり歩く。
「シュナイダー軍団長の蓄えた資産が結構あるらしいわ」
「怪物の研究もしてたでしょ? 『怪物の習性』とか」
「それ、今でも売れてるよねえ」
「主に軍の新兵用にね」
「そうなんだ」
それに、新しい相棒のことは純粋に気になった。
「北軍では鬼って言われてるらしいわ」
「すっごく強いんだって」
「同期の中でも群を抜いてるのよ」
「で、顔もいいでしょ?」
「まさに優良物件」
「優良物件?」
たまに反応すると、何故か女子達は異様に食いついてくる。
「そうよお! あんないい男、滅多にいないわよ」
「まず間違いなく、九十九・九パーセントの女子が狙ってるわね」
まず間違いなく、〇・一パーセントはヒメのことだろう。なにを狙っているのかがいまいちよく分からないからだ。
昼間の顔合わせを思い返してみる。ただのにこにこした好青年としか思えなかった。筋肉のつき方も白兵らしいしなやかさだし、身長も白兵としては羨ましい高さだ。女子達は顔がいいと言うが、多少整っていたとしてもヒメの印象に残るほどではなかった。平凡、または平均といった言葉がよく似合う男性だった。
あれが、戦場では鬼になるらしい。
全く想像がつかなくて、ヒメは首を傾げた。
「で、で、で」
いきなり一人の女子が顔を近づけてくる。他のみんなも身を乗り出してきて、ヒメは目を大きく開いてぱちくりさせた。
「どうだった? 話してみて」
「どう?」
「だから、雰囲気とかさあ、なんかあるでしょ?」
「あるの?」
「あるのよ。ほら、思い出せ」
せっつかれて、とにかく考えてみる。
「にこにこさんだった」
「うん。で?」
「ずっとにこにこしてて、してて……、笑われた」
「笑われたあ?」
「私の、隊長に対する言葉遣いがおかしくて」
「あんた、なにしたの……? ああ、言わなくていい、脱線するから。で、あとは?」
「ニャーちゃんは可愛い」
「猫好きってこと? んでんで?」
「応援団長のお星さまがメインなんだって」
「意味わかんない」
「そしたら、謝られた」
「あんた、本当に何しに行ったのよ?」
あからさまに失望をにじませた声音で言われ、溜め息までつかれ、ヒメは訳が分からずおろおろした。その時にはもう食堂の入り口だった。一人、また一人と離れていき、ヒメは何も言えずに彼女たちの背中を見送る。最後に残った女子だけが申し訳なさそうな、しかし諦めたような表情で言った。
「ごめんね、ヒメ。気にしないで」
「あ、うん……」
「じゃ、私も行くね」
「……うん」
手を振る。結局、ヒメはいつも通り一人ぼっちだった。いつも通りのはずなのに、なんだかひどく寂しかった。
きっと、これまでは本当の意味では一人ではなかったから――
盆を取って列に並ぶ。今日の献立は煮込んだスペアリブとパン、サラダだった。どれも大盛りだ。いつもはそれでも足りないと思うのに、今日は食欲が湧かなかった。
もういつもの席は埋まっていた。空いている所を探してうろついていたら、視界の端で何かがひらひらと動いた。その時だけ、ほんの一瞬だけ、食堂は静まり返った。
手を振ったのは、キリエ・シュナイダーだった。
ヒメは机と机の間をすいすい通り抜け、その席に辿り着いた。柱の陰でそれなりにいい場所だ。椅子を引いてくれて、ヒメはありがとうと言いながら腰かけた。
「どういたしまして」
キリエはにこりと笑って、フォークを持った。湯気の上がっていない料理は、まだ手をつけていないようだった。
「もしかして、待ってたの?」
「ううん。雑誌を読んでた」
脇にあるのは『マグ・カルチャー』だ。おそらく、談話室にあったものを勝手に持ち出したのだろう。『マグ・カルチャー』は最新の魔法技術や魔法陣の紹介、魔法のお悩みQ&Aなどを載せている、少々娯楽色の強い月刊紙だ。今月の特集は〈月夜〉のようだった。
「それ、使えるの?」
「意外にね。魔法研究の博士が協力してるところもあるから、一部のトピックは信憑性がかなり高い」
「そうなんだ」
ヒメは驚いたつもりだったが、キリエは小さく吹き出した。
「なんか、あんまり驚いてるように聞こえないなあ」
「そんなことない」
「うん。冗談」
キリエはくすくすとしながら料理を口に運ぶ。ヒメは手を止めて、そんなキリエを凝視した。
「ん? どうかした?」
「……笑うんだ」
「え?」
「私が喋って、むすっとされないの、久し振り」
「……むすっと?」
ヒメは頷いた。
「嫌われてはないと思うんだけど。ちゃんと話してる筈なのに、なんか、話し合わなくて。頑張って伝えようとするんだけど、喋るのも、そんなに上手くないみたいで」
「そんなことないよ」
「うん。キリエとは話せる。なんでだろ」
いつの間にかヒメは微笑んでいた。
「嬉しい」
すると、何故かキリエは視線を逸らし、そのまま顔も逸らして、がしがしと後頭部を掻き出した。
「……そっか。よかったよ」
ぼそぼそと呟くように言う。正直な気持ちだったのに、何がいけなかったのだろうとヒメは不安になり、キリエの肩をそっととんとんと叩いた。この時には既に、キリエに対して妙な親近感のようなものを抱いていた。
「本当だよ?」
「うん」
「嬉しいんだよ?」
「分かってるよ」
「本当の本当だよ」
「うん」
「キリエ」
「うん」
それでも振り向いてくれないキリエにがっかりしながら、ヒメはこれだけは言おうと決めた。
「ありがとう」
ようやくキリエは顔を上げた。春の陽のような温かくて穏やかな顔をしていた。
「こちらこそ」
「私……」
ヒメはきょとんとする。
「何か、した?」
「うん」
「そっか」
よく分からないが、それならどういたしまして、とヒメは満面に笑みを浮かべた。キリエは何故かまた頭を掻く。その頬が微かに赤くなっているのに、今度は気づいた。
「キリエは、照れ屋さん」
「んなっ…! 別にそんなんじゃ……! ほら、ここ暑いから!」
「今夜は雪かもだって」
「でも、城壁の中は意外にあったかいだろっ? 今、人もいっぱいいるしっ」
「そんなムキにならなくても」
「なってない!」
まるで猫のように毛を逆立てるものだから、ヒメはますますおかしくなった。
「キリエって、面白い」
「ヒメはいじめっ子だろ、実は!」
「かも」
「ええー……」
その日の夕食はいつもより短く感じられた。食堂を出ると、ヒメは小さく頭を下げた。
「すごく、楽しかった」
「それはよかった」
「また、明日」
「うん。おやすみ」
手を振って女子階と男子階にそれぞれ別れる。少し段を下って、なんとなく振り向いたら、目が合った。キリエは途端にぷいとそっぽを向いた。思わず吹いてしまった。
「ちょっと! ちょっとちょっとちょっと!」
そのまま階段を下りていたら、いきなり肩をぐいと掴まれた。
「ねえ、なんであんたがいい感じになってるわけ!? あんた、興味ないんでしょ!?」
さっきの一般兵の女子達だった。目を丸くするヒメを、そのまま憲兵に連行するかのような勢いで引っ張って行く。
「え? え? え?」
「何話してたのかきりきり白状しなさい! この裏切り者!」
「裏切り? なんの?」
「抜け駆けは許さないっ……!」
「ぬ、抜け駆け? え? なに、待ってー……」
その後暫くヒメは部屋に戻れなかった。
その一人、槍戦士のヒメは白兵隊隊長室へと向かっていた。髪も目も珍しい黒色で、真っ白い軍服と相まってその姿は人目を引く。腰の左右に吊ってあるのは大振りの刀だった。
隊長室に着くと、ノックをしてドアを開けた。
「ヒメです。入ります」
中は予想よりずっと狭い。少し大きめの作業机といくつかの本棚がある以外、あとは殺風景な白だ。そもそも、この城壁自体が白いのだから仕方がないとも言える。なんでも、大量の怪物の死体を一瞬で融解させて、今の形に凝固させたらしい。だから、よく見ると、床や壁や天井の間には隙間がない。外側も同様でつるつるだから、一部の怪物の侵入はそれで阻止できているようなものだった。
ララーキ・ワシリエフ隊長は作業机によりかかるように立っていた。一人ではなかった。ワシリエフ隊長の前には見知らぬ青年がいた。やや細身だが均整の取れた体格をしており、年の頃はヒメと同じくらいのようだから、だいたい二十二、三だろう。白兵にしては少し長めの金髪と緑色の大きな瞳、にこにことした表情のせいでもっと若く見える。手には枝刃のついた矛を持っていた。
「ああ、よく来たねえ。そんなところに立っとらんで、こっちゃおいで」
「あ、はい」
手招きされて近寄ると、青年が小さく会釈をした。思っていた以上に背が高い。向こう側の血が濃いのかもしれない。ヒメはやや首を仰向けて会釈し返した。そんな二人をワシリエフ隊長は整えた白い口髭を撫でながらにこやかに見つめていた。
「えっと……」
見つめたまま何も言わないので、ヒメは少し固まってワシリエフ隊長に尋ねる。
「何のご用でしょうか」
「んん? ああ、きみの新しい相棒を紹介しようと思おての」
「新しい相棒?」
まさかと青年を見やると、ワシリエフ隊長も青年も頷いた。あまりにも大きく頷くから、ヒメは言葉に詰まってしまったが、それでも思い切って抗議した。
「あの、申し訳ありませんが、やめた方がいいんじゃないかと思います。だって、この人、槍でしょう? 私も槍だから、バランス良くないと思います」
「そうかね?」
「そうです」
「まあ、平気じゃろ」
「平気じゃろですか」
「うん。平気平気」
「どうしてですか?」
「どうしてだったかの」
「そういう大事なことは、覚えてくれんと困ります」
「頭の、そう、この辺におんのよ」
「この辺におんのですか」
「そうそう。この辺」
「どの辺かさっぱりですじゃ」
ぷっ。
振り向くと、青年が口元を押さえていた。
「あ、すみません。ついおかしくて」
「おかしい……」
「どうぞ、続けてください」
「はあ……」
確かに最後の方は言葉遣いがおかしくなっていた。ヒメは反省してワシリエフ隊長に頭を下げる。すると、逆に撫でられた。髪の毛はぐちゃぐちゃになったが、少し強めの力加減がとても気持ちよくて、思わず目を細めていた。
「ふほっ。ヒメはにゃんにゃんみたいで可愛いなあ」
「私もニャーちゃんは大好きです」
「仲間じゃな」
「はい」
「え? なにこれ? コント?」
青年が笑いながら困惑したように言うので、ヒメは首を傾げる。
「ニャーちゃんは可愛いでしょう?」
「可愛いけど。まさか、本当に続けるとは思わなかったから」
「続ける?」
「本題に戻らなくていいの?」
「本題……。あぁ」
あまりに脱線しすぎて、思い出すのに時間がかかってしまった。
「それで、どうして槍同士の組み合わせなんですか」
白兵は基本、槍戦士と盾戦士がペアになっている。そもそも、一人で倒せるような怪物はほとんど存在しない。必ず二人一組を最小単位として展開していく。人間と同等の知能を持つ怪物が多く、北からは魔法無効化型、南からは鳥型の来る西方城壁では、どんな怪物にも対処しやすいこの盾槍ペアが好まれていた。
ワシリエフ隊長はごしごしと口髭を擦って青年を見た。青年は苦笑して、ここで初めて自己紹介をした。
「改めまして。北軍から来ました、キリエ・シュナイダーと言います。第二小隊を立て直すまでの間だけですが、よろしくお願いします」
「ヒメです。シュノー地区出身です」
「シュノーのヒメか。覚えやすくていいですね」
ヒメは頷いた。よく言われるのだ。だが、キリエというのもあまり聞かない名前だ。キリエ・シュナイダー。シュナイダー……。
「あの。もしかして、シュナイダー軍団長の親戚さんですか?」
「はい。父です」
あっさりと告げられて、ヒメは目を丸くする以外の反応ができなかった。アベル・シュナイダーは北軍の軍団長だった人物で、魔法無効化型のチャンデス・ハル――繁殖期の鳴き声がそう聞こえるのだ――の嫌がる音を見つけ、その襲撃を抑えることに成功した、ちょっとした有名人だった。怪物と音の研究のきっかけを作ったという点では、その功績はとても大きい。確か、西軍から北軍に移った人だった。
「要は応援団長ですね。この前ので結構減ったから、このまま士気が落ちるのを警戒してんでしょう。スターを投入するのは、上が良く好む手だから」
スター、のところでキリエは肩を竦める。ヒメは混乱しながらも、少しずつ整理して、おそるおそる口に出した。
「それじゃあ、私の相棒っていうのは、ついで……?」
「そうですね」
あっけらかんと肯定されて、ヒメは愕然とし、次に目の前が真っ暗になった気がした。すると、ワシリエフ隊長がふほほと笑って、その言い方はいかんのうとキリエを窘めた。
「確かについでかもしらんが、上はそれだけでキリエを投入したんではないよ。当たり前じゃろう。大事な戦力じゃ。無駄死になんかさせんよ」
「そうなんですか」
ほっと胸を撫で下ろすと、キリエはワシリエフ隊長に小突かれていたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「言い方が悪かったね。おれは応援団長で槍だけどさ、めっちゃくっちゃ使えるから安心して」
「自意識過剰はよくないの」
「自信は少し多めに持っていた方がいいんですよ」
胸を張るキリエに、ヒメもついふっと笑みをこぼしていた。それを見たキリエが何故か目を瞠り、すぐに優しい表情を返してくれる。
それでも、不安は消えなかった。初対面で、しかも初めての槍槍ペアだ。はたして、上手く戦えるのだろうか――
「ヒメ」
顔を上げると、キリエが手を差し出していた。
「よろしく」
「……よろしく」
そっと握ったら、力強く返された。硬くてごつごつした白兵の手だった。
キリエの噂はあっという間に全軍に広まった。もともと、情報通の間では話題になっていたらしく、夜にはもう誰もが知っていた。
「年は二十二。軍学校主席卒業のエリートで、実はそれなりにお金持ち」
「そうなの?」
同期の一般兵の女子達に囲まれながら、ヒメは食堂へと向かっていた。いつもは一人なので混まないうちにさっさと行くのだが、今日は何故か女子達が絡んで来たので、もう無理そうだった。ま、たまにはいいか、とみんなの話に相槌を打ちながらのんびり歩く。
「シュナイダー軍団長の蓄えた資産が結構あるらしいわ」
「怪物の研究もしてたでしょ? 『怪物の習性』とか」
「それ、今でも売れてるよねえ」
「主に軍の新兵用にね」
「そうなんだ」
それに、新しい相棒のことは純粋に気になった。
「北軍では鬼って言われてるらしいわ」
「すっごく強いんだって」
「同期の中でも群を抜いてるのよ」
「で、顔もいいでしょ?」
「まさに優良物件」
「優良物件?」
たまに反応すると、何故か女子達は異様に食いついてくる。
「そうよお! あんないい男、滅多にいないわよ」
「まず間違いなく、九十九・九パーセントの女子が狙ってるわね」
まず間違いなく、〇・一パーセントはヒメのことだろう。なにを狙っているのかがいまいちよく分からないからだ。
昼間の顔合わせを思い返してみる。ただのにこにこした好青年としか思えなかった。筋肉のつき方も白兵らしいしなやかさだし、身長も白兵としては羨ましい高さだ。女子達は顔がいいと言うが、多少整っていたとしてもヒメの印象に残るほどではなかった。平凡、または平均といった言葉がよく似合う男性だった。
あれが、戦場では鬼になるらしい。
全く想像がつかなくて、ヒメは首を傾げた。
「で、で、で」
いきなり一人の女子が顔を近づけてくる。他のみんなも身を乗り出してきて、ヒメは目を大きく開いてぱちくりさせた。
「どうだった? 話してみて」
「どう?」
「だから、雰囲気とかさあ、なんかあるでしょ?」
「あるの?」
「あるのよ。ほら、思い出せ」
せっつかれて、とにかく考えてみる。
「にこにこさんだった」
「うん。で?」
「ずっとにこにこしてて、してて……、笑われた」
「笑われたあ?」
「私の、隊長に対する言葉遣いがおかしくて」
「あんた、なにしたの……? ああ、言わなくていい、脱線するから。で、あとは?」
「ニャーちゃんは可愛い」
「猫好きってこと? んでんで?」
「応援団長のお星さまがメインなんだって」
「意味わかんない」
「そしたら、謝られた」
「あんた、本当に何しに行ったのよ?」
あからさまに失望をにじませた声音で言われ、溜め息までつかれ、ヒメは訳が分からずおろおろした。その時にはもう食堂の入り口だった。一人、また一人と離れていき、ヒメは何も言えずに彼女たちの背中を見送る。最後に残った女子だけが申し訳なさそうな、しかし諦めたような表情で言った。
「ごめんね、ヒメ。気にしないで」
「あ、うん……」
「じゃ、私も行くね」
「……うん」
手を振る。結局、ヒメはいつも通り一人ぼっちだった。いつも通りのはずなのに、なんだかひどく寂しかった。
きっと、これまでは本当の意味では一人ではなかったから――
盆を取って列に並ぶ。今日の献立は煮込んだスペアリブとパン、サラダだった。どれも大盛りだ。いつもはそれでも足りないと思うのに、今日は食欲が湧かなかった。
もういつもの席は埋まっていた。空いている所を探してうろついていたら、視界の端で何かがひらひらと動いた。その時だけ、ほんの一瞬だけ、食堂は静まり返った。
手を振ったのは、キリエ・シュナイダーだった。
ヒメは机と机の間をすいすい通り抜け、その席に辿り着いた。柱の陰でそれなりにいい場所だ。椅子を引いてくれて、ヒメはありがとうと言いながら腰かけた。
「どういたしまして」
キリエはにこりと笑って、フォークを持った。湯気の上がっていない料理は、まだ手をつけていないようだった。
「もしかして、待ってたの?」
「ううん。雑誌を読んでた」
脇にあるのは『マグ・カルチャー』だ。おそらく、談話室にあったものを勝手に持ち出したのだろう。『マグ・カルチャー』は最新の魔法技術や魔法陣の紹介、魔法のお悩みQ&Aなどを載せている、少々娯楽色の強い月刊紙だ。今月の特集は〈月夜〉のようだった。
「それ、使えるの?」
「意外にね。魔法研究の博士が協力してるところもあるから、一部のトピックは信憑性がかなり高い」
「そうなんだ」
ヒメは驚いたつもりだったが、キリエは小さく吹き出した。
「なんか、あんまり驚いてるように聞こえないなあ」
「そんなことない」
「うん。冗談」
キリエはくすくすとしながら料理を口に運ぶ。ヒメは手を止めて、そんなキリエを凝視した。
「ん? どうかした?」
「……笑うんだ」
「え?」
「私が喋って、むすっとされないの、久し振り」
「……むすっと?」
ヒメは頷いた。
「嫌われてはないと思うんだけど。ちゃんと話してる筈なのに、なんか、話し合わなくて。頑張って伝えようとするんだけど、喋るのも、そんなに上手くないみたいで」
「そんなことないよ」
「うん。キリエとは話せる。なんでだろ」
いつの間にかヒメは微笑んでいた。
「嬉しい」
すると、何故かキリエは視線を逸らし、そのまま顔も逸らして、がしがしと後頭部を掻き出した。
「……そっか。よかったよ」
ぼそぼそと呟くように言う。正直な気持ちだったのに、何がいけなかったのだろうとヒメは不安になり、キリエの肩をそっととんとんと叩いた。この時には既に、キリエに対して妙な親近感のようなものを抱いていた。
「本当だよ?」
「うん」
「嬉しいんだよ?」
「分かってるよ」
「本当の本当だよ」
「うん」
「キリエ」
「うん」
それでも振り向いてくれないキリエにがっかりしながら、ヒメはこれだけは言おうと決めた。
「ありがとう」
ようやくキリエは顔を上げた。春の陽のような温かくて穏やかな顔をしていた。
「こちらこそ」
「私……」
ヒメはきょとんとする。
「何か、した?」
「うん」
「そっか」
よく分からないが、それならどういたしまして、とヒメは満面に笑みを浮かべた。キリエは何故かまた頭を掻く。その頬が微かに赤くなっているのに、今度は気づいた。
「キリエは、照れ屋さん」
「んなっ…! 別にそんなんじゃ……! ほら、ここ暑いから!」
「今夜は雪かもだって」
「でも、城壁の中は意外にあったかいだろっ? 今、人もいっぱいいるしっ」
「そんなムキにならなくても」
「なってない!」
まるで猫のように毛を逆立てるものだから、ヒメはますますおかしくなった。
「キリエって、面白い」
「ヒメはいじめっ子だろ、実は!」
「かも」
「ええー……」
その日の夕食はいつもより短く感じられた。食堂を出ると、ヒメは小さく頭を下げた。
「すごく、楽しかった」
「それはよかった」
「また、明日」
「うん。おやすみ」
手を振って女子階と男子階にそれぞれ別れる。少し段を下って、なんとなく振り向いたら、目が合った。キリエは途端にぷいとそっぽを向いた。思わず吹いてしまった。
「ちょっと! ちょっとちょっとちょっと!」
そのまま階段を下りていたら、いきなり肩をぐいと掴まれた。
「ねえ、なんであんたがいい感じになってるわけ!? あんた、興味ないんでしょ!?」
さっきの一般兵の女子達だった。目を丸くするヒメを、そのまま憲兵に連行するかのような勢いで引っ張って行く。
「え? え? え?」
「何話してたのかきりきり白状しなさい! この裏切り者!」
「裏切り? なんの?」
「抜け駆けは許さないっ……!」
「ぬ、抜け駆け? え? なに、待ってー……」
その後暫くヒメは部屋に戻れなかった。
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何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
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1月5日 誤字脱字修正 54話
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