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ヒメの章
開拓暦581年9月、西方駅外れ、軍学校
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ニクマルことヨアヒム先生は、その渾名の由来になった筋肉をぷるぷる震わせて怒鳴った。
「お前らは反省というのを知らんのかあああっ!!」
ヨアヒム先生は筋肉マッチョの大男だ。首も腕も腹も足も筋肉筋肉していて、服の下から主張している凹凸がとてもおぞましい。ただの筋肉ならまだしも、元城壁軍の白兵で、その実力は衰えてもなお折り紙付きだ。しかも、二年生から今に至るまでずっと担任でもある。最悪以外の何物でもない。
「でも先生、それなら一緒に飲み食いした奴らはどうなるんです」
「そうっすよ、俺達だけが指導室送りなのは納得できません」
第二学校、通称軍学校の白兵科七年生のキリエ・リーとトルン・トマスは反射的にそう主張して、ヨアヒム先生のこめかみをひきつらせた。
「お前らが主犯だからだろうがっ。大体、なんだ。お誕生日パーティー? そんな理由で盗みが正当化されると思ってんのか!」
「だって、ちゃんと食堂の使用希望申請書出したのに、先生が許可してくれないからじゃないですか!」
「ああ。お前らには常に目を光らせているからな」
「せめて外に出してくれって言っても、無視するし!」
「余所に迷惑をかける気か、お前ら」
「「そんなことしませんよ!」」
「じゃあ、どうして女子に殴られた!」
はっとして黙り込む二人に、ヨアヒム先生はやれやれと首を振る。
「とにかく、昨日の夜の事を詳しく書いて反省文にして提出しろ。お前ら二人ともだ」
「ちくしょう……昨日から散々走り回って殴られたのに。踏んだり蹴ったりだ」
「文字通りな」
「ちょっと食堂から貰っただけじゃん。どうせ、いつかはおれ達の腹の中なのに」
「レポート五十枚分だ」
「「この筋肉達磨め!」」
飛びかかろうとする二人の頭を鷲掴みにしただけで押さえ込みながら、その代わり、とヨアヒム先生は続けて言った。
「今回は一週間の追加演習とトイレ掃除だけで勘弁してやる」
「それは、だけ、て言わない!」
「せめて、他の奴も道連れにしろ!」
「お前らの悪行を考えれば、この十倍は必要だ! 全く、実習がなかったらそうしてやったものを……」
実習。その言葉にキリエもトルンもぴたりともがくのをやめ、大人しく椅子に座り直した。
「すみません、先生。ちょっと取り乱してしまいました」
「そうっすよね。さらに加えて風呂掃除までしたら、実習の準備なんてできませんもんね。あ、それとも、先生がやってくれるとか? いやあ、実習楽しみだなあ」
「ちなみに、お前らの引率は俺だ」
「クソが!」「この筋肉がああああっ!」
化けの皮が剥がれるまで、数十秒も保たなかった。今度もあっさりと制圧され、二人は椅子の上に強制的に戻される。
この国には三つの城壁があった。星型の第一城壁。中央の市街地を囲む第二城壁。そして、星の頂点を結ぶ第三城壁。一番外側の第三城壁と第一城壁に駐留し、襲い来る怪物と戦うのがいわゆる城壁軍というやつだった。軍学校はその城壁軍の指揮官以下幹部候補生の養成をしており、実習というのは一週間だけ行われる実地訓練のことである。勿論、戦闘には参加しないが、七年間の訓練の集大成と言っても過言ではないほどに大きなイベントだった。
「てことは、振り分けが決まったんすね。どこですか?」
トルンが尋ねると、ヨアヒム先生は渋面になったが、まあ良いかと教えてくれた。
「北軍だ」
城壁軍は星の頂点を中心に北、西、東、南西、南東の五つの軍団に分かれている。実習前にどこがいいか希望を出すのだが、しかし、二人とも北にした覚えはなかった。
「先生、それ本気で言ってます? だって、あの北軍でしょ? 毎年人気で希望殺到の。今年だけ定員割れとか信じられないんですけど」
「先生、ちゃんと会議中起きてました?」
「お前らと一緒にするな」
ヨアヒム先生は疲れた顔で大きく息を吐き出し,そしてキリエを見た。嫌な予感がした。それは的中した。
「こんなこと、本当はしたくないんだがな。先方がお前を指名してきたんだ。〈北の鬼〉の孫は是非うちに、てな」
〈北の鬼〉。それは、初代北軍軍団長の異名である。
クレア・クォントリル。彼女は優秀な指揮官で最強の白兵だった。兵士は大きく三種類に分かれる。戦闘から雑事まで幅広く請け負う一般兵。魔法を専門とする魔法兵。そして、怪物との交戦の要である白兵だ。まだ軍ができたばかりの頃は武器を扱える人間は殆どおらず、魔法兵を中心とした戦法に偏っていた。だが、徐々に魔法無効化型の怪物が増え、体制の見直しが行われたのである。その時に白兵の中心として活躍していた人物だった。
だが、彼女を有名にしたのは、彼女の生み出した死者再生法である。死者再生法は、死者の肉体の機能が生きていれば、誰であろうと蘇らせてしまう。倫理を脅かすとして禁止されているが、そういうものには必ず例外というのがあって、それはつまり死者再生法がこの国にとって必要であるということを示していた。
キリエは知らず知らずのうちに溜め息を吐いていた。
「それ、断れないんですか」
「俺は期待しない方がいいと言ったんだがな。学長が北軍出身で、人の話に全く耳を貸しやしない」
「くずだな」
トルンの悪態にヨアヒム先生は注意をせず、それどころか頷いてみせた。
「こんな奴、叩いたところで埃しか出てこないのに」
「先生、それはひどいです」
「そうですよ。いくらキリエでもハンカチぐらい出てきます」
「そういうことじゃないからな!?」
喚くキリエの頭を軽く叩いて――基本が馬鹿力なので普通に痛いが――、とにかくそういうことだ、とヨアヒム先生は強引に締めくくって立ち上がった。
「もう変更は効かん。すまないが、それで準備を進めてくれ。他の奴には言うなよ。今年だって希望者は多かったんだ」
言われるまでもないが、二人ははいと返事をした。この日はこれで解放され、背もたれに掛けてあったブレザーを取って指導室を出た。
暫く歩いて、再び盛大な溜め息がこぼれた。
「そんなに嫌か?」
トルンが肩を組んでくる。盾戦士希望のトルンはキリエよりも体格がいい。髪は金髪で瞳はよく晴れた日の空の色だ。悪ふざけをしてももてるのは地区学校までだが、トルンは今でも少しもてる。
「嫌っていうか……。まあ、嫌だけど」
「昔はお前、もっとすごかったよな。ちょっとおばあちゃんの名前が出ただけで目の色変えてさ」
「いいじゃん、昔のことは。今はもう大体割り切れてんだし」
まだ、大体だった。
トルンはおそらくそれを分かった上で、でもまあ、酷い話だよなあ、と合わせてくれる。
「こればれたら、落ちた奴に殺されるな」
「殺されはしないだろ」
だが、意外に実習の振り分けは切実だった。卒業後の配属に関わってくるのだ。適正を見定めるだけだとは言うが、それでも希望が通るに越したことはない。
キリエが希望したのは南西だった。南西には鳥型の怪物が多いからだ。
クレア・クォントリルは、祖母はキリエを守るために城壁内に侵入した鳥型の小ルーティンと戦い、相討ちした。キリエが生まれてすぐだった。五歳の頃には母も鳥型と戦って死亡しており、いつの間にか自分も鳥型と戦うことを考えていた。
北側には鳥型は滅多に現れない。いるのは毛長の魔法無効化型ばかりだ。だから、北軍には白兵がたくさんいて、ベテランもたくさんいる。きっと勉強になるだろう。
そう思っても、気の進まない自分がいた。
「ま、気楽に行こうぜ」
肩を組まれたまま、外に引っ張り出される。少し乾いた風とまだ強さの残る陽射し。校舎に寮、訓練場を持つこの学校は官吏養成の第一学校より遙かに広い。どこかから魔法に失敗したと思しき爆音が響いてきた。
歩きながら、トルンがポケットから飴を出した。
「ほら」
「お前よく確保できたな。……そっちなに?」
「オレンジ」
キリエのはグレープだった。口の中でころころと転がしながら、甘いな、と思った。
敷地の一番端まで来ると、いくつか並んでいる中で一番大きな木の枝によじ登った。ちょうどいい日陰になるのだ。
「でもさ、ニクマルの言う事は正しいよ」
「ん? なんの話?」
「ああ、ごめん。ばあちゃんの話」
今日はよく晴れている。元々、雨の少ない季節だ。
「なんかさ、重くない? おれは何もしてないのにさ、会ったこともないばあちゃんのせいで期待されても、本当に埃しか出ないのに、さ」
自分でもどうしてこんなことを話しているのか、よく分からなかった。
きっと、そうだ、甘いのがいけないんだ。
飴はまだ大きかったが、ぼりぼりと噛み砕いて飲み込んだ。喉が一気に渇いた。
「……お前ってさ、意外にくどくどしつこいっつーか、妙に卑屈だよな」
微かに呆れを滲ませた声音で言われて、キリエは恥ずかしくなってごまかすように頭を掻いた。
「悪いか」
「全然」
大丈夫だ、と朗らかに笑う声がした。
「埃やハンカチだけじゃねえから。出てくるもの」
「ばっ……お前、いっつも思うけど、恥ずかしくないのかよ」
「何が?」
「や……なんでもない……」
見なくても、トルンが首を捻っているのは分かった。これだから誑しはと思いつつ、下心のない言葉は不思議と胸を満たしていった。
「まあ、そうだよな。なるようにしかならないし、とりあえずトルンとは一緒だし」
「その辺はニクマルに感謝だな」
単純に問題児の面倒をまとめて見たかっただけのような気がするが、ヨアヒム先生の名誉のためにもそこは気にしてあげないことにした。
そうだ。このまま北軍になるかもしれないけど、それはトルンだって一緒だ。
なんて心強いんだろう。
「あ、そうだ、トルン」
唐突に思い出したことがあって、キリエは顔を上げた。
同時に、ずきりと頭が痛んだ。
「キリエ?」
顔をしかめたまま何も言わないキリエに、トルンが不安そうに覗き込んでくる。その時にはもう、キリエはそれどころじゃなかった。頭全体をぎゅうぎゅうと締め付けられ、何万もの針で刺されている。どくんっ、どくんっ――、と心臓が耳元で泣いている。息ができない。苦しい。なんだこれ。はあはあと喘ぎながら、少しでも苦痛から逃れようと頭を抱えて縮こまった。座っていられず、横に倒れる。自分がどこにいるのかも忘れて。
「キリエッ――!!」
焦ったようなトルンの声がやけに遠退いていく。
内蔵をひっくり返すような、嘔吐をもたらす浮遊感。
そして、キリエは意識を手放した。
「お前らは反省というのを知らんのかあああっ!!」
ヨアヒム先生は筋肉マッチョの大男だ。首も腕も腹も足も筋肉筋肉していて、服の下から主張している凹凸がとてもおぞましい。ただの筋肉ならまだしも、元城壁軍の白兵で、その実力は衰えてもなお折り紙付きだ。しかも、二年生から今に至るまでずっと担任でもある。最悪以外の何物でもない。
「でも先生、それなら一緒に飲み食いした奴らはどうなるんです」
「そうっすよ、俺達だけが指導室送りなのは納得できません」
第二学校、通称軍学校の白兵科七年生のキリエ・リーとトルン・トマスは反射的にそう主張して、ヨアヒム先生のこめかみをひきつらせた。
「お前らが主犯だからだろうがっ。大体、なんだ。お誕生日パーティー? そんな理由で盗みが正当化されると思ってんのか!」
「だって、ちゃんと食堂の使用希望申請書出したのに、先生が許可してくれないからじゃないですか!」
「ああ。お前らには常に目を光らせているからな」
「せめて外に出してくれって言っても、無視するし!」
「余所に迷惑をかける気か、お前ら」
「「そんなことしませんよ!」」
「じゃあ、どうして女子に殴られた!」
はっとして黙り込む二人に、ヨアヒム先生はやれやれと首を振る。
「とにかく、昨日の夜の事を詳しく書いて反省文にして提出しろ。お前ら二人ともだ」
「ちくしょう……昨日から散々走り回って殴られたのに。踏んだり蹴ったりだ」
「文字通りな」
「ちょっと食堂から貰っただけじゃん。どうせ、いつかはおれ達の腹の中なのに」
「レポート五十枚分だ」
「「この筋肉達磨め!」」
飛びかかろうとする二人の頭を鷲掴みにしただけで押さえ込みながら、その代わり、とヨアヒム先生は続けて言った。
「今回は一週間の追加演習とトイレ掃除だけで勘弁してやる」
「それは、だけ、て言わない!」
「せめて、他の奴も道連れにしろ!」
「お前らの悪行を考えれば、この十倍は必要だ! 全く、実習がなかったらそうしてやったものを……」
実習。その言葉にキリエもトルンもぴたりともがくのをやめ、大人しく椅子に座り直した。
「すみません、先生。ちょっと取り乱してしまいました」
「そうっすよね。さらに加えて風呂掃除までしたら、実習の準備なんてできませんもんね。あ、それとも、先生がやってくれるとか? いやあ、実習楽しみだなあ」
「ちなみに、お前らの引率は俺だ」
「クソが!」「この筋肉がああああっ!」
化けの皮が剥がれるまで、数十秒も保たなかった。今度もあっさりと制圧され、二人は椅子の上に強制的に戻される。
この国には三つの城壁があった。星型の第一城壁。中央の市街地を囲む第二城壁。そして、星の頂点を結ぶ第三城壁。一番外側の第三城壁と第一城壁に駐留し、襲い来る怪物と戦うのがいわゆる城壁軍というやつだった。軍学校はその城壁軍の指揮官以下幹部候補生の養成をしており、実習というのは一週間だけ行われる実地訓練のことである。勿論、戦闘には参加しないが、七年間の訓練の集大成と言っても過言ではないほどに大きなイベントだった。
「てことは、振り分けが決まったんすね。どこですか?」
トルンが尋ねると、ヨアヒム先生は渋面になったが、まあ良いかと教えてくれた。
「北軍だ」
城壁軍は星の頂点を中心に北、西、東、南西、南東の五つの軍団に分かれている。実習前にどこがいいか希望を出すのだが、しかし、二人とも北にした覚えはなかった。
「先生、それ本気で言ってます? だって、あの北軍でしょ? 毎年人気で希望殺到の。今年だけ定員割れとか信じられないんですけど」
「先生、ちゃんと会議中起きてました?」
「お前らと一緒にするな」
ヨアヒム先生は疲れた顔で大きく息を吐き出し,そしてキリエを見た。嫌な予感がした。それは的中した。
「こんなこと、本当はしたくないんだがな。先方がお前を指名してきたんだ。〈北の鬼〉の孫は是非うちに、てな」
〈北の鬼〉。それは、初代北軍軍団長の異名である。
クレア・クォントリル。彼女は優秀な指揮官で最強の白兵だった。兵士は大きく三種類に分かれる。戦闘から雑事まで幅広く請け負う一般兵。魔法を専門とする魔法兵。そして、怪物との交戦の要である白兵だ。まだ軍ができたばかりの頃は武器を扱える人間は殆どおらず、魔法兵を中心とした戦法に偏っていた。だが、徐々に魔法無効化型の怪物が増え、体制の見直しが行われたのである。その時に白兵の中心として活躍していた人物だった。
だが、彼女を有名にしたのは、彼女の生み出した死者再生法である。死者再生法は、死者の肉体の機能が生きていれば、誰であろうと蘇らせてしまう。倫理を脅かすとして禁止されているが、そういうものには必ず例外というのがあって、それはつまり死者再生法がこの国にとって必要であるということを示していた。
キリエは知らず知らずのうちに溜め息を吐いていた。
「それ、断れないんですか」
「俺は期待しない方がいいと言ったんだがな。学長が北軍出身で、人の話に全く耳を貸しやしない」
「くずだな」
トルンの悪態にヨアヒム先生は注意をせず、それどころか頷いてみせた。
「こんな奴、叩いたところで埃しか出てこないのに」
「先生、それはひどいです」
「そうですよ。いくらキリエでもハンカチぐらい出てきます」
「そういうことじゃないからな!?」
喚くキリエの頭を軽く叩いて――基本が馬鹿力なので普通に痛いが――、とにかくそういうことだ、とヨアヒム先生は強引に締めくくって立ち上がった。
「もう変更は効かん。すまないが、それで準備を進めてくれ。他の奴には言うなよ。今年だって希望者は多かったんだ」
言われるまでもないが、二人ははいと返事をした。この日はこれで解放され、背もたれに掛けてあったブレザーを取って指導室を出た。
暫く歩いて、再び盛大な溜め息がこぼれた。
「そんなに嫌か?」
トルンが肩を組んでくる。盾戦士希望のトルンはキリエよりも体格がいい。髪は金髪で瞳はよく晴れた日の空の色だ。悪ふざけをしてももてるのは地区学校までだが、トルンは今でも少しもてる。
「嫌っていうか……。まあ、嫌だけど」
「昔はお前、もっとすごかったよな。ちょっとおばあちゃんの名前が出ただけで目の色変えてさ」
「いいじゃん、昔のことは。今はもう大体割り切れてんだし」
まだ、大体だった。
トルンはおそらくそれを分かった上で、でもまあ、酷い話だよなあ、と合わせてくれる。
「こればれたら、落ちた奴に殺されるな」
「殺されはしないだろ」
だが、意外に実習の振り分けは切実だった。卒業後の配属に関わってくるのだ。適正を見定めるだけだとは言うが、それでも希望が通るに越したことはない。
キリエが希望したのは南西だった。南西には鳥型の怪物が多いからだ。
クレア・クォントリルは、祖母はキリエを守るために城壁内に侵入した鳥型の小ルーティンと戦い、相討ちした。キリエが生まれてすぐだった。五歳の頃には母も鳥型と戦って死亡しており、いつの間にか自分も鳥型と戦うことを考えていた。
北側には鳥型は滅多に現れない。いるのは毛長の魔法無効化型ばかりだ。だから、北軍には白兵がたくさんいて、ベテランもたくさんいる。きっと勉強になるだろう。
そう思っても、気の進まない自分がいた。
「ま、気楽に行こうぜ」
肩を組まれたまま、外に引っ張り出される。少し乾いた風とまだ強さの残る陽射し。校舎に寮、訓練場を持つこの学校は官吏養成の第一学校より遙かに広い。どこかから魔法に失敗したと思しき爆音が響いてきた。
歩きながら、トルンがポケットから飴を出した。
「ほら」
「お前よく確保できたな。……そっちなに?」
「オレンジ」
キリエのはグレープだった。口の中でころころと転がしながら、甘いな、と思った。
敷地の一番端まで来ると、いくつか並んでいる中で一番大きな木の枝によじ登った。ちょうどいい日陰になるのだ。
「でもさ、ニクマルの言う事は正しいよ」
「ん? なんの話?」
「ああ、ごめん。ばあちゃんの話」
今日はよく晴れている。元々、雨の少ない季節だ。
「なんかさ、重くない? おれは何もしてないのにさ、会ったこともないばあちゃんのせいで期待されても、本当に埃しか出ないのに、さ」
自分でもどうしてこんなことを話しているのか、よく分からなかった。
きっと、そうだ、甘いのがいけないんだ。
飴はまだ大きかったが、ぼりぼりと噛み砕いて飲み込んだ。喉が一気に渇いた。
「……お前ってさ、意外にくどくどしつこいっつーか、妙に卑屈だよな」
微かに呆れを滲ませた声音で言われて、キリエは恥ずかしくなってごまかすように頭を掻いた。
「悪いか」
「全然」
大丈夫だ、と朗らかに笑う声がした。
「埃やハンカチだけじゃねえから。出てくるもの」
「ばっ……お前、いっつも思うけど、恥ずかしくないのかよ」
「何が?」
「や……なんでもない……」
見なくても、トルンが首を捻っているのは分かった。これだから誑しはと思いつつ、下心のない言葉は不思議と胸を満たしていった。
「まあ、そうだよな。なるようにしかならないし、とりあえずトルンとは一緒だし」
「その辺はニクマルに感謝だな」
単純に問題児の面倒をまとめて見たかっただけのような気がするが、ヨアヒム先生の名誉のためにもそこは気にしてあげないことにした。
そうだ。このまま北軍になるかもしれないけど、それはトルンだって一緒だ。
なんて心強いんだろう。
「あ、そうだ、トルン」
唐突に思い出したことがあって、キリエは顔を上げた。
同時に、ずきりと頭が痛んだ。
「キリエ?」
顔をしかめたまま何も言わないキリエに、トルンが不安そうに覗き込んでくる。その時にはもう、キリエはそれどころじゃなかった。頭全体をぎゅうぎゅうと締め付けられ、何万もの針で刺されている。どくんっ、どくんっ――、と心臓が耳元で泣いている。息ができない。苦しい。なんだこれ。はあはあと喘ぎながら、少しでも苦痛から逃れようと頭を抱えて縮こまった。座っていられず、横に倒れる。自分がどこにいるのかも忘れて。
「キリエッ――!!」
焦ったようなトルンの声がやけに遠退いていく。
内蔵をひっくり返すような、嘔吐をもたらす浮遊感。
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