まいこまいぬぬるぬる

くり

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2 舞子頼まれる

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 山姥町の三船神社は、もとは別の神社の分社だったのではないか、と考えられているらしい。
 そうなると、想定される祭神は龍などの水神や水上交通の神、木や家屋、船の神などになるそうだが、実際に祀られているものはそのどれとも異なる。
 蛸足。
 その姿は、夏の例大祭で目にすることができる。すなわち、神輿の上にその姿を模したはりぼてが出現するのだ。
 毛むくじゃらの体。その下から生える蛸のような足は、回転する仕様になっている。それが町中を疾走し、大きく体を揺らし足を振り回す様は、圧巻ではあるものの、どこか悪神のようなおどろおどろしさをも与える。よって、研究者の中には、これを悪鬼や荒魂の一種として捉えている者もいるそうだ。
 いまだ解決していない謎だが、世間からしたらそんなことはどうでもいい。どうでもよくはないが、二の次だ。三船の神輿は、なんといっても見応えがある。全国に類を見ないその異様は、町だけでなく県の観光の目玉にもなっていた。
 そして、その祭りを管理しているトップの一人――というよりも、ほぼ全権を握っているのが、三船一族だった。
「えっ、運営費用が足りてない?」
 さらにその中のナンバー1に相当する智恵子おばからそんなことを聞かされて、舞子は仰天した。
「どうして、急に? うちの祭りは、まだ潤ってる方ですよね? 県からだって補助金が下りるし」
「予算自体は今までと変わらないのよお」
「警備費用が高くなったんだって」
 舞子ママが三人分のお茶をポットごと持ってくる。ダイニングテーブルをキングも入れた四人で囲み、キングだけはテーブルの上に直接乗っている。キングは皿の上のシュークリームを、皮を破り、クリームをちゅうちゅう吸うというよく分からないしそもそもどういう口の構造をしているのか不思議な食べ方をしながら、そういえばとクリームにまみれた鼻を舐めた。
「大川の花火もそんな噂が出ていなかったか? おりょうが中止かもしれんと騒いでいたぞ」
「大川も?」
 大川は隣町を流れる大きな川だ。
「あー、あそこの方が規模小さそうだものねー。しょうがないかー」
 智恵子おばが頬杖をついて、舞子の視線は自然とその顔に向けられる。五十代とは思えない肌のつや。これも三船女子の特徴だ。舞子も将来こんな素敵な女性になりたいと思っている。
 舞子ママが口を開いて、舞子はそちらを向いた。
「オリンピックのせいなんだって」
「オリンピック? こんなところで?」
 全く予期していなかったワードに、舞子はなんでまたと首を捻った。
「よく分かんないけど、なんか、そのせいで人手が足りないんだって」
「建設ラッシュよ、ふよちゃん」
「そうそれ。だから、人件費が上がってて、今までの額だと足りないんだとさ」
「へえ」
 とりあえず相槌は打つが、警備の何がそこまで問題なのかと舞子は内心首を傾げた。なにせ、小さい頃から小学校六年生の時まで、舞子はずっと祭りの催しの一つであるちびっこ歌舞伎に参加していて、まともに祭りを楽しんだのは昨年が初めてなのだ。しかも、三船神社はすぐ隣の集落だし、なんなら本家にお泊りすることもあったから、わざわざ町内の他の場所にまで繰り出したりはしない。神社とその周りの出店だけが、舞子の知るタコ祭りだった。
 そんな疑問に気付いたのか、智恵子おばは優しく笑った。
「神社の周りだけじゃないのよ、混むのって。神輿のルートにも人が集まる場所が何ヵ所かあるし、交通機関の誘導もしないとすぐ詰まっちゃう。迷子も出るし、こういう場所を狙ってこそ泥さんが出ることもあるわ」
「あ、そっか。なるほど……」
 花火客を狙った窃盗は舞子もニュースで見たことがある。浴衣の袂を刃物で切って、しまった財布を盗んでいくのだ。
「あとは、最近、外国人のお客さんも増えたよね。いっちゃんだっけ? 英語分かんなくて、『アイラブオニク、センキュー』って言って逃げてたの」
「かずちゃんよ、ふよちゃん」
「え? 和子おば、そんなこと言ったの?」
「そうなのよぉ。もう、傑作だったわ!」
「とか言って、あんたも喋れないくせに」
「あらっ、私、あそこまでひどくないわよっ」
 キャハハハハッ、と笑い声がこだます。キングがうるさそうに耳を閉じた。もともと垂れ耳だけども。
「とにかくねっ。一番混むのは二日目だから、この日だけ手伝ってほしいのよ。ちびっこ歌舞伎の裏方ね。ここならまいちゃんも勝手が分かってるでしょう?」
「え、まあ、一応……?」
「さすがに人混みの整理に行けなんて言わないわあ。それは私達が行くから。ねえ、ふよちゃん」
「仕方ないなあ、時給千円ね」
「代わりにご飯奢ったげる」
 智恵子おばのウインクを、気持ち悪いと舞子ママは手で叩き落とす。そのやりとりを見るまでもなく、舞子が帰ってくるまでに話はついていたのだろうと察せられた。
 舞子はひそかにため息をついた。
「いいよ。二日目だけなんでしょ? それにどうせ、混んでるからそんなに回らないし」
「本当にいいの? 友達と回りたかったりしない?」
 とっくに話をつけていたくせに、こちらの様子を一応窺うように覗き込んできて、舞子は苦笑いするしかない。
「そんな先の約束、まだ誰もしてないから」
「まあ、学生からしたら、まだまだ先の話だからねえ」
 舞子ママはそう言ってあっさりと頷き身を引いたが、智恵子おばはさらに身を乗り出してきた。その目がやけにきらきらとしている。
「まいちゃん、彼氏は? 好きな子と回りたいとかは?」
「いませんよ、そんな人。大体、男子なんて猿みたいなもんだし」
「えええーっ! そりゃ、中学生だとまだまだかわいいお年頃かもしれないけど、まいちゃんはもてるでしょお!? 告白されないの!?」
「いや、全く」
「嘘ね。どうせ、みんな度胸ないだけだわ」
 全く、腑抜けているわね、と何故か智恵子おばは鼻息を荒くする。別に腑抜けているわけではないだろうにと舞子は思う。現に、高校生と付き合っているらしいと噂になっている生徒もいるのだ。ただ、舞子にそういった話がないだけだ。
 かといって、智恵子おばの話はあながち間違っているわけでもない。――己の容姿が整っている方だということを、舞子はうぬぼれでもなく客観的事実として自認している。少なくとも、ぶすではない。パーツの配置ではなく、パーツそのものに注目するのであれば、舞子だって三船女子だ。髪はさらさらのつやつやだし、肌も健康的な白でニキビはないしもっちりもち肌だし、余分なぜい肉もない。健康さということであれば、同じクラスの誰にも負けないという自負がある。
 しかし、それでも男っ気がないのだから、これはもう他に原因があるとしか考えられない。他の同年代の三船女子はそれなりにもてているのだ。それを羨ましいとまでは思わないが。……だって、猿にもてることの何が嬉しいのだ。
「ねえ、まいちゃん。おばさんと一緒にお出かけしない? いっぱいかわいいお洋服買って、髪ももっとかわいくしてもらって、男の子たちを見返してやりましょう!」
 智恵子おばは何かのスイッチが入ってしまったようで、目を輝かせながらガッツポーズをする。舞子ママがその頭にチョップを落とした。ゴスッ、と常人ならたんこぶのできていそうな音がするが、智恵子おばはけろりとしたままだった。
「なにすんのよう、ふよちゃん。娘がかわいくなるのよ?」
「それと甘やかすのは別。大体、いっぱい服を買ったところで、制服があるから着ないでしょ」
「何言ってるの~。今年はキャンプもあるじゃな~い」
「キャンプはジャージだから」
「あーっ、そうだったーっ!」
 それでも、智恵子おばはじーっと舞子を見てくる。智恵子おばは三人兄弟の母だが、女の子は三船にしては珍しく一人もいないので、いろいろと欲求不満なのかもしれない。
「あたし、ららぽーと行ってみたい」
「舞子!」
 突然手のひらを返した舞子に、すかさず舞子ママの怒声が飛ぶ。一方、智恵子おばは手を叩いて喜んだ。
「いいわよ行きましょう! なんなら、ゴールデンウィークに女子会しましょう! ねえ、ふよちゃん!」
「ちょっと、姉さん……」
「ぃじゃなのお」
「古いわ!」
 今度こそはおふざけでもなんでもなく、舞子ママはぴしゃりと言い放ったが、智恵子おばはどこ吹く風という様子だった。智恵子おばはおっとりしているようだが、その実ひょうひょうとしていて我が強い。最終的に折れたのは舞子ママだった。
「じゃあね。まいちゃん。お祭りの方も、また詳しく決まったら連絡するわね」
 玄関まで見送りに出ると、智恵子おばはまた舞子の前髪をかき上げて、んちゅっとした。
「うん。ゴールデンウィークも楽しみにしてます」
「もっちろん! おばさん、いっぱい下調べしてくるわ~」
 その言葉に舞子ママが顔を顰めたが、もう何も言うことはなかった。智恵子おばは楽しそうに、じゃあね~と手を振って帰っていった。
 途端、キングの尻尾がぶんぶんと揺れだす。
「舞子、安福堂だ!!」
「もう行かないし」
「なんでだよっ!?」
 ぎゃうぎゃうと吠えられても、もう外は完全に日が落ちていた。いつの間にかすっかり話し込んでしまっていたようだった。
 玄関を閉めて中に戻る。荷物を回収して階段を上がろうとすると、舞子ママに呼び止められた。
「ちょっと、まい」
 足を止め、階段の途中から振り返る。舞子ママは頭痛を堪えるような、なんとも表現しがたい表情をしていた。
「なに。どしたの」
「あんまり、おばさんに迷惑かけるんじゃないの」
「……むしろ、喜んでない?」
 舞子は首を傾げる。悪気がないかと言われればそうだとも言い切れないが、第一、舞子から智恵子おばに何かをねだったことはないのだ。いつだって智恵子おばの方から提案されていて、舞子が頷いてみせると、いつも大袈裟なくらいに喜んでいた。おばを喜ばせることの何がいけないというのか。
 舞子ママはますます顔を顰めた。
「だから、それに乗っかってるんじゃないって言ってんの」
「別に、乗っかろうとか思ってるんじゃないし……」
「余計気を付けなさい」
 有無を言わさぬ厳しい口調に、舞子の唇がぐっとへの字になる。
「自分だって、一緒にららぽ行くくせに……」
「なんか言った?」
「それぐらい分かってる、て言ったの!」
 強く言い返し、どすどすと階段を上がる。二階では、弟の翔太が部屋から四つん這いになって首だけを出していて、しぱしぱと目を瞬いていた。
「おかえりー。どしたの?」
「なんにも。ただいま」
 ぶっきらぼうに返して、部屋まで突撃される前にさっさと自室に引っ込む。だが、ドアを閉める寸前にキングが滑り込んできて、ベッドの上に飛び乗った。舞子は暫し固まり、諦めてすぐに制服を脱いでその隣にダイブした。ぼすん、とキングが跳ねる。柔らかい毛が首をくすぐる。
「っはあー。意味わかんない」
「だが、芙蓉子の言うことにも一理ある」
 顔を上げると、キングはすっと両目を細めた、どこか不気味な表情をしていた。
「智恵子は理由もなしに動く奴じゃあない」
「……はあ? 身内を疑えって?」
「時には、必要なこともある」
 それは何故か母の言葉よりもすんなりと舞子の中に入ってくる。それでも、舞子は自分でもよく分からない胸中に渦巻く感情のせいで、素直にうんとは言えなかった。
 それを分かっているかのように、キングの肉球が舞子の鼻やら口やらをぺしぺしと叩いてくる。思わずむんずと捕まえて、その柔らかい腹部に顔を埋めていた。キングはじっとそれを受け入れてくれた。
「寝るなよ」
「……」
「涎つけるなよ」
「つけないし」
「ご飯の前には起きろ」
「……」
「明日のおやつはぜんざいだ」
「しつこいな」
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