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生者たちの黄昏其の一 総統地下壕の一幕

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 1944年5月14日。



 二人の愛し合う男女が暗い地下壕の中で追い詰められ最後の時を待っていた。女は固く、公的には存在していない事になっている息子を抱きしめ、男は自分専用の地下壕に備え付けられていた豪奢調度品を積み上げて、最後の抵抗の準備をしている。



 女の名前はエーファ、男の名前はアドルフと言った。



 外からは信用の置けなかった筈の国防軍が、自分を守る為に絶望的な抗戦を続ける音が断末魔の絶叫と共に響いている。



 「ハイルヒトラー!」の雄叫びを上げて死に向かう勇者たち。



 「吾輩を最後に守るのが国防軍とはな、、、」



 何とも皮肉だ。もし大ドイツの最後に殉じる者たちがいるとすれば、それは親衛隊であるとばかり思っていたのだ。自分はこの期に及んで兵士が持ち合わせる愛国心と言うものを疑いなく信じられる気になったいた。



 そう嘗ては自分もその様な素朴で熱い物を持っていたのだ。あの毒ガス満ちる塹壕で、自分の腕の中で死んだ新兵が最後に叫んだ愛する者への思い、熱く尊い物を。



 それを蔑ろにしたからこその、この事態であろう。自分の後ろで愛する息子を固く抱きしめる妻と同じく愛用のワルサーPPKをじっとりと汗をかく手で握りしめ男はため息をついた。



 男は妻の方を振り返り、その腕に抱かれる幼い息子を見る。そしてこうも思うのだ。



 (ユダヤ人共も同じ気持ちだったのか?)



 絶望の中幼い子供と妻を守り避けられぬ死を待つほかはない現状。救援の見込みはなく周囲全ては敵で、本来は保護を受けて然るべき国家は自分たちの隷属と死を望んでいる。



 (これは報いだろうか?)



 数多の人々を踏みしだき、劣等と信じた、、、、いや確かに彼らは劣っているが、、者を消費し続けてきたことの。



 自分は弱くなった。守る者が出来、愛する者がいる。自分はどの様な目に会っても良い、だが妻と息子だけは、、、、



 自嘲、儚い望み、待ち受けるであろう悍ましき最後、愛する者は殺され永遠に奴隷とされる。



 グルグルと回る思考、湧き出してくる行き場のない焦燥感、そして戦場音楽が止んだ。自分を守る者は最早死に絶え、勇者はヴァルハラにいく事も出来ずに地に縛り付けられたのだのであろう。



 分厚い総統専用個室の扉を凄まじい膂力で叩く音が響く、鋼鉄の扉が軋みを上げている。何度目かの衝撃の後、遂に打ち破られた隙間から腕が付きだした。



 その腕、黒い制服、巻かれたハーケンクロイツ、今自分達を追い詰めている者。全ての絶望を振り払い、男は怒りを込めて腕の持ち主に怒声を浴びせる。



 「ヒムラー!この裏切り者が!貴様なんぞにドイツを導けるものか!」



 「誤解です、元総統。私は別に導いたりしません。私は第三帝国の真の主を迎えにきただけです」

 

 メキメキと音を立てて引き裂かれた扉から現れた男、 親衛隊全国指導者ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラーは、嘗ては恐れた主の怒声にそよ風で感じた様に答えた。



 「真の主だと?」



 「そう真の主です。あなた様な劣等種ではない真のアーリア人のね」



 そう言って答えたヒムラーの視線はエーファに抱かれている幼子をしっかりと捉えていた。



 瞬間、ヒムラーの視線が示す物に気付いた男、アドルフ・ヒトラーは自分でも驚くほどの勢いで手にしたPPKをヒムラーに撃ちこむ。



 「無駄な事を、だから劣等種は駄目なんですよ。そんな物で高等種族が死ぬ分けないでしょうに」



 確かに全弾が命中した筈だ。だがヒムラーはビクともしない。



 そしてゆっくりとヒムラーは幼子の元に近づいていく。



 彼と幼子の間に、ヒトラーは、、、いや愛する子を持つ父は、数えきれない程のユダヤ人、障害者、自分が踏みつぶして来た数多の民族の父親たちと同じくヒムラーの、、、憎むべき親衛隊員の前に立ち塞がった。



 「何をお考えですか元総統?」



 「誰が手前ぇなんぞに俺の息子を渡すものか!」



 息子を奪わんとする悪鬼に飛び掛かる父。だがこれまで第三帝国が繰り返してきた事をなぞる様に彼は無常な一撃で地に付した。



 地下壕の冷たいベトンに叩き付けられた父が見た物は、息子を守る妻が自分と同じく壁に叩き付けられ崩れ落ちる姿と、訳も分からず妻にしがみ付く我が子の姿だった。



 「エーファ、、、フスクル、、、」



 

 「いくら公的に認めていないとは言え、元愛犬の名前を自分の子供に付ける事はないでしょうに、、まあ、所詮は劣等種。真のアーリア人が自分の子供とは認め難かったのかもしれないですが」



 最後に呟かれた嘗ての主の言葉に呆れて返すヒムラー。彼は母に縋り付く子に恭しく跪いた。



 「お迎えに上がりました総統閣下。さあ参りましょう、千年帝国はここから始まるのです」



 そして嫌々をする子を無理やりに母から引き剥がし抱き上げると歩き出した。



 



 壕の外では多くの男たちが待っていた。全てが既に死んでいて仮初の永遠を享受した者か彼らに隷属を余儀なくされた者たちであった。



 「閣下首尾はどうですかな?」



 「簡単だったよ。元総統も快く承諾して下さった」



 「それは重畳」



 その場でヒムラーに次ぐ地位の男、ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ、ヒムラーに永遠の人生を囁いた男の質問にヒムラーは朗らかに返事をする。



 「その子が新総統で?」



 「そうとも、美しい子だろう?彼こそ真のアーリア人だ、何れアーリア人種は我々の指導の元、この子のと同じく美しく強い民族になるんだ」



 ハイドリヒの質問にそう答えたヒムラーは腕の中の子供を高く掲げた。



 父母から引き離され突如高く掲げられた子は大きく泣き声を上げる。だがその場に集った悪鬼たちにはその声は新生第三帝国の産声である。



 「フスクル」と父であるアドルフ・ヒトラーに呼ばれた子。その子の「毛並み」は美しく灰色に輝いており、その「鳴き声」は神話に謳われる様に高く、彼の顔は何れは全てを飲み込むであろう狼その物であった。
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