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3ー愛の着地

68 はらりと落ちた髪をそっとかきあげる

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 細いうなじにはらりと落ちた髪をそっとかき分ける。うなじに熱い息を吹きかける。

 両肩に腕をかけ、そのまま唇を細いうなじにそっと近づける。わたしは目つぶった。唇がうなじにそっと触れる。
 
 っ!
 
 身悶えした美月が振り返った。温泉宿の浴衣がずり落ちて驚きのあまりにはだけた。

「沙織?びっくりしたあっ!」
 
 ――あぶないっ!
 
 調合薬を飲むのを半分以下に減らしてからといもの、同期の美月を襲いたくなる衝動に駆られて仕方がない。吸血鬼度を抑えて忍びの力を維持するという、ちょうど良い配分を見つけるのはまだ難しい。

 今日は部旅行で箱根の温泉に泊まりがけで来ていた。宿泊先の選定と手配は全てわたしが担当した。泊まるところはとても重要で、魔暦側のどこで目が覚めるかによっては命を左右する問題だ。緯度と経度が同じ場所で目覚めるに適した安全性を確保できているところはまだ少ない。
 
 この温泉宿は目覚めると、王子の隠れ家であることは体験済だった。


「あーら、風情のあることね」
「本当、本当。趣がございますわね」

 この二人がついてくることは想定外だったけれども。上下メンズトレーナー姿の公爵夫人と、上下わたしの高校時代のジャージを着こなした王子の母上であらせられる『幸子さん』だ。わたしはため息をついた。

 この前、二人がうちに泊まった際、うっかり同期の高梨が部旅行の話をしてしまった。それを二人がしっかり記憶していて、狙い打ちでわたしの部屋を訪ねてきたのだ。部旅行初日の出発の朝のこと。

 そのあと、迎えにやってきた高梨の車に「2人のご夫人を追加で乗せて」とわたしは頼み込んだ。旅館側にも無理を言って美月とわたしの部屋に布団を二人分追加してもらった。出費がかさむが仕方ない。

 美月が温泉から上がって浴衣に着替えているところに、遅れてわたしと公爵夫人と幸子さんがやってきたところだった。夜の露天風呂に入るためだ。

「幸子さん、こちらでは全部脱ぐのよ」と公爵夫人。
「もちろん存じておりますのよ。ほほっ!」と幸子さん。
「沙織の綺麗な姿を王子の前に見てしまい、本当に申し訳ございません」と公爵夫人。

「何をおっしゃいますの。まだわたくしは2人の婚約そのものを許しておりませんからっ!」と幸子さん。
「まあまあそうおっしゃらずに。仲良く今日は入りましょう。沙織はなかなか頼れますのよ」と公爵夫人。

 2人のやりとりは相変わらず軽快だ。

 ――公爵夫人はわたしのことを許してくれたのかしら?


 箱根の老舗の温泉宿の露天風呂は素敵だった。ほんのり熱いお湯に浸かり、3人で仲良く並んで黙って湯に浸かった。木々の間に見え隠れする岩や石が計算されて置かれた露天風呂は風情ある景観で、そよそよと夜風が吹いて濡れた肌に心地よい。
 
「ああ、お酒が飲みたいわね」
「ダメですよ。酔っ払ってしまいますわ」

 ガッシュクロース公爵夫人と王子の母上はそんなやりとりを小声でしている。ガッシュクロース公爵夫人も王子の母上も頭の上に濡れたタオルを畳んでちょこんと乗せている可愛らしいスタイルだ。服を脱ぐと、お互いに素直になれる。
 
 1512年の公爵夫人、数億年先の未来の魔暦22年の幸子さん、令和のわたし。
 
 空気が綺麗な夜で、空に満天の星が見えた。

「あなた、このゲームに参加していた理由は何なの?会いたい人でもいるの?」

 ガッシュクロース公爵夫人が突然わたしに聞いてきた。

「わたしの考えでは、この前あなたのお部屋で写真を見つけた、あなたのおばあさまに会いたかったんじゃないの?」

 ガッシュクロース公爵夫人は確信をついてきた。わたしも、ずっと気になっていたことがある。

 ――それが分かるということは……。夫人の子息は亡くなったということではないか。
 
 ――公爵夫人がゲームプレイヤーになったのは、おそらく夫人も亡くなった誰かにもう一度会いたかったのではないか。

 わたしはお湯の湯気で顔を隠しながら、涙が頬をつたうのを抑えられなかった。
 
「カルローは亡くなったのですか?」
 
 沈黙の後、隣から公爵夫人の冷静な声がした。

「そうよ。息子は亡くなったわ」

 
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