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3ー愛の着地
64 満月の夜の抱擁
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「沙織、こちらを見て」
王子の温かい両手がわたしの頬を包んでいる。わたしは涙をこらえて王子を見つめた。
満月の夜。松明の明かりが風でゆらゆらと揺れている。
城の王子の部屋のすぐそばの広い縁側で、わたしと王子はお月見をしていた。
二人で並んで涼みながら、美味しいお茶を飲んで空の月を眺めた。雲の影から美しい黄金色の月が姿を表したり、隠れたりしている。
城でお風呂をもらったわたしは、湯上がりの透き通るような肌に濡れた髪を落とし、先ほどまで白い乾いた手拭いでゆっくりと髪をふいていた。
その様子を王子は眩しそうに見つめていた。
忍びが湯上がりに着る衣装は決まっている。肌触りのたいそう良い浴衣生地であつらえたものだ。王子がわたしのためにあつらえてもらった浴衣に初めて袖を通した。腰から下が袴のようになっている。上着の部分は、渋い萌葱色の地で、炎色や京紫色の花模様があちこちについている可憐な衣装だった。
腰から下の袴は涼しげな生地であつらえた紅桃色で、腰の高い位置で絞る帯には白地の小花模様が散らしてある。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
ゆっくりとキスをかわした。わたしの中の吸血鬼度はまだ残っているので、とても慎重に振る舞う。自分の中の吸血鬼としての欲望をうっすらと感じる。
王子も湯上がりに着る浴衣生地の服を着ていた。袴は鳥の子色で、上着は薄卵色の地に韓紅色の模様があつらえてあった。艶やかだった。王子の美男子ぶりを際立たせていた。
――心臓がドキドキと高鳴る。
しかし、わたしは城には今晩は泊まらない。二子玉川の河川敷からスタートする面倒で懐かしい朝を迎えるのが嫌だからではなく、けじめのためだ。王子の母上にお許しをもらうまでは、婚約も正式に行われないし、国中に大々的に発表することもない。
あと少しだけ城で過ごしたら、部屋まで送ってもらうつもりだった。
「沙織、明日母のところに一緒に挨拶に行こう」
「はい」
「婚約を許してもらったら、まずフィリップスをうまく元の世界に戻してあげよう」
「そうですね」
***
数時間前のことだ。
朝起きたら、魔暦の朝だった。令和から魔暦にタイムリープした。53年ぶりの魔女忍の沙織のいつもの朝だった。
久しぶりの魔暦は新鮮だった。目が覚めると、わたしは寝ても覚めても忘れられなかった奉行所勤めの23歳の沙織に戻っていたのだ。小さな部屋で目が覚めて、クローゼットには王子のくれた服が大量にしまってあった。当時のままだ。
預金通帳を見た。ゲーム召喚で振り込まれた額は変わっていなかった。これで借金はいくらか返せる。無駄遣いをせずに奉行所でしばらく働き続ければ、なんとか残りを返す目処も見えそうだ。
ーー全うに魔暦の生活を送れそうだわっ!
身支度を整えてセグウェイに乗った。そして飛んで城に向かった。53年越しのセグウェイでの飛行だ。わたしは懐かしくて涙が出た。魔女忍の通勤用の袴姿だって53年ぶりに身につけた。
懐かしい魔暦の朝の光景は私の胸を打った。
城に向かう途中で眼下の整然と整備された通りを賑やかに朝の通勤や通学で魔法使いや忍びたちが行き交うのが見えた。魔法寺小屋学校に通う魔女忍の姿も見える。屋台の準備が進み、互いに朝の挨拶を元気に交わしているのが分かる。
途中ですれ違うセグウェイに乗って通勤する魔法使いたちに軽い会釈をする。五重塔をあたりを飛び交う翼竜たちの姿も懐かしい。
しかし、やはり53年前とは何かが違っていた。
城の門が大きくなり、恐竜も多く登城していた。忍びの一強体制ではなくなってい流ようだ。完全に協力して政を治めているのかもしれない。王子の身を守るために、クーデーター起きにくいように変更されているのかもしれない。
53年前のように城で王子と一緒に朝ごはんを食べ、フィリップスとおしゃべりをしてから奉行所に出勤した。ジョンだけでなく、二ノ宮さん、田中さんや上司と一緒に仕事をこなすことができてわたしは幸せをかみしめた。
わたしはお金に恵まれなくて耐え難い人生だったかもしれないが、少なくともやはり仕事の仲間には恵まれていたのだ。それはとても幸せなこと。懐かしい面々と他愛ない会話をしながら仕事をした。
そして、仕事が終わると城にやってきてこれからのことを王子と決めた。
王子に中庭で紹介された一人が、ロドリンゴという側近だった。ティラノサウルスだ。その名前にわたしは聞き覚えがあった。結婚に反対した王子の母上がクーデーターの首謀者として私に告げた者だ。わたしとナディアが死んでしまう前に、わたしと王子のお金のやり取りに気づいた銀行投資家だ。彼は立派に王子と対等に話し、王子と協力して政を進めているようだ。
クーデーターを起こされないように、恐竜や翼竜と協力体制を築くよう変化を遂げていた。
***
満月の夜、王子と一緒に眺めた様々な月をわたしは思い浮かべた。
中世ヨーロッパで城の上空を弓矢で攻撃されながら飛んだとき、邪馬台国で焚き火越しに月を見上げたとき。まさかこんな未来がわたしと王子に待ち受けているとは想像もしなかった。
王子の温かい両手がわたしの頬を包んでいる。わたしは涙をこらえて王子を見つめた。
満月の夜。松明の明かりが風でゆらゆらと揺れている。
城の王子の部屋のすぐそばの広い縁側で、わたしと王子はお月見をしていた。
二人で並んで涼みながら、美味しいお茶を飲んで空の月を眺めた。雲の影から美しい黄金色の月が姿を表したり、隠れたりしている。
城でお風呂をもらったわたしは、湯上がりの透き通るような肌に濡れた髪を落とし、先ほどまで白い乾いた手拭いでゆっくりと髪をふいていた。
その様子を王子は眩しそうに見つめていた。
忍びが湯上がりに着る衣装は決まっている。肌触りのたいそう良い浴衣生地であつらえたものだ。王子がわたしのためにあつらえてもらった浴衣に初めて袖を通した。腰から下が袴のようになっている。上着の部分は、渋い萌葱色の地で、炎色や京紫色の花模様があちこちについている可憐な衣装だった。
腰から下の袴は涼しげな生地であつらえた紅桃色で、腰の高い位置で絞る帯には白地の小花模様が散らしてある。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
ゆっくりとキスをかわした。わたしの中の吸血鬼度はまだ残っているので、とても慎重に振る舞う。自分の中の吸血鬼としての欲望をうっすらと感じる。
王子も湯上がりに着る浴衣生地の服を着ていた。袴は鳥の子色で、上着は薄卵色の地に韓紅色の模様があつらえてあった。艶やかだった。王子の美男子ぶりを際立たせていた。
――心臓がドキドキと高鳴る。
しかし、わたしは城には今晩は泊まらない。二子玉川の河川敷からスタートする面倒で懐かしい朝を迎えるのが嫌だからではなく、けじめのためだ。王子の母上にお許しをもらうまでは、婚約も正式に行われないし、国中に大々的に発表することもない。
あと少しだけ城で過ごしたら、部屋まで送ってもらうつもりだった。
「沙織、明日母のところに一緒に挨拶に行こう」
「はい」
「婚約を許してもらったら、まずフィリップスをうまく元の世界に戻してあげよう」
「そうですね」
***
数時間前のことだ。
朝起きたら、魔暦の朝だった。令和から魔暦にタイムリープした。53年ぶりの魔女忍の沙織のいつもの朝だった。
久しぶりの魔暦は新鮮だった。目が覚めると、わたしは寝ても覚めても忘れられなかった奉行所勤めの23歳の沙織に戻っていたのだ。小さな部屋で目が覚めて、クローゼットには王子のくれた服が大量にしまってあった。当時のままだ。
預金通帳を見た。ゲーム召喚で振り込まれた額は変わっていなかった。これで借金はいくらか返せる。無駄遣いをせずに奉行所でしばらく働き続ければ、なんとか残りを返す目処も見えそうだ。
ーー全うに魔暦の生活を送れそうだわっ!
身支度を整えてセグウェイに乗った。そして飛んで城に向かった。53年越しのセグウェイでの飛行だ。わたしは懐かしくて涙が出た。魔女忍の通勤用の袴姿だって53年ぶりに身につけた。
懐かしい魔暦の朝の光景は私の胸を打った。
城に向かう途中で眼下の整然と整備された通りを賑やかに朝の通勤や通学で魔法使いや忍びたちが行き交うのが見えた。魔法寺小屋学校に通う魔女忍の姿も見える。屋台の準備が進み、互いに朝の挨拶を元気に交わしているのが分かる。
途中ですれ違うセグウェイに乗って通勤する魔法使いたちに軽い会釈をする。五重塔をあたりを飛び交う翼竜たちの姿も懐かしい。
しかし、やはり53年前とは何かが違っていた。
城の門が大きくなり、恐竜も多く登城していた。忍びの一強体制ではなくなってい流ようだ。完全に協力して政を治めているのかもしれない。王子の身を守るために、クーデーター起きにくいように変更されているのかもしれない。
53年前のように城で王子と一緒に朝ごはんを食べ、フィリップスとおしゃべりをしてから奉行所に出勤した。ジョンだけでなく、二ノ宮さん、田中さんや上司と一緒に仕事をこなすことができてわたしは幸せをかみしめた。
わたしはお金に恵まれなくて耐え難い人生だったかもしれないが、少なくともやはり仕事の仲間には恵まれていたのだ。それはとても幸せなこと。懐かしい面々と他愛ない会話をしながら仕事をした。
そして、仕事が終わると城にやってきてこれからのことを王子と決めた。
王子に中庭で紹介された一人が、ロドリンゴという側近だった。ティラノサウルスだ。その名前にわたしは聞き覚えがあった。結婚に反対した王子の母上がクーデーターの首謀者として私に告げた者だ。わたしとナディアが死んでしまう前に、わたしと王子のお金のやり取りに気づいた銀行投資家だ。彼は立派に王子と対等に話し、王子と協力して政を進めているようだ。
クーデーターを起こされないように、恐竜や翼竜と協力体制を築くよう変化を遂げていた。
***
満月の夜、王子と一緒に眺めた様々な月をわたしは思い浮かべた。
中世ヨーロッパで城の上空を弓矢で攻撃されながら飛んだとき、邪馬台国で焚き火越しに月を見上げたとき。まさかこんな未来がわたしと王子に待ち受けているとは想像もしなかった。
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